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H u m i d i t y  〜カタログ〜白いジョウロ





カタログ



 アルバイトをしている雑貨屋さんの定休日に、毎週必ず駅前の本屋さんに行く。ずっと病院にいたので読みたくても読めない本が、たくさん溜まっていて、そのひとつひとつを順番に買って読んでいる。駅前の小さな書店では、取り寄せないと手に入らないものもたくさんあって、買いに行っては取り寄せをお願いして、ということを繰り返している。入院している間に、ネットの世界はずいぶん便利になったようで、本なんてネットで買えば済むことなのに、と友達には言われ続けているのだけれど、家で宅配の人をずっと待っていることがどうも苦手で、ほとんどネットショッピングは利用しない。それに書店の本棚を眺めるのと、サイトがお勧めする一覧を見るのは全く違う行為だと思う。便利であることだけを求めているわけではないし、やはり、実店舗の本屋さんを応援したいという思いもある。

 本屋さんで普段はあまり見ない雑誌のコーナーをなんとなく眺める。知らない雑誌の名がたくさんあって、なんだかドキドキする。私が本屋さんに来られなかった期間に世界が私の知らないものになってしまったように感じる。インテリア関係の雑誌だと思われる一冊を手に取る。巻頭に素敵な暮らしぶりをしている人達の部屋が紹介されていて、自分の部屋の味気なさに改めて気づかされる。とりあえず生活が出来ればいいという感覚で揃えた家具や日用品は、誌面の素敵な暮らしぶりには登場しない。もう少し、きちんとした暮らしをしたいという欲求がめきめきと湧いてきて、とりあえずその雑誌を買って帰った。家に着いて、雑誌を隅々まで読んで、実際に家具や日用品が買えるお店が紹介されている巻末のページまで細かくチェックした。さらには、気になる広告のお店も調べて、休みの日にいくつかのお店に足を運んでみようと決めた。

 家から歩いても行ける自由が丘駅の周辺にも、雑誌に紹介されていたお店がいくつかあり、広告が載っていたお店の本店もあった。実際にお店に行って誌面で見たのと同じ家具を見てみたけれど、どう考えても自分の部屋の大きさとは不釣り合いで、その家具に囲まれて生活している自分の姿が想像できなかった。さらには広告を出していたお店は、どの家具もとても高価すぎて、いまのアルバイト生活では買えそうなものは見当たらなかった。だけれど、どれも自分の好みのテイストで、いつかはこういう家具に囲まれた生活がしたいと思って、無料で配っていたカタログだけをもらって帰って来た。カタログを眺めて、妄想だけはどんどん広がる。それも、あなたと一緒に暮らしている部屋を想像してしまって、その度に、ありえない、ありえないと、独り言を言ってみたりした。それでも、部屋にいて手持ち無沙汰だとカタログを手に取り、未来の自分の部屋を想像すると楽しい気分になれた。まだまだ、これからどんな未来でもやってくる可能性があるはずだ、なんて思ったりして。


 定休日の翌日にお店に行くと、オーナーが珍しく先に来ていた。いつも通り鉢植えを店先に出してジョウロで水をあげていると

「由佳ちゃん、ちょっとお使い頼まれてくれる?」とオーナーに声をかけられた。

「私が店番してるから、駅前の携帯屋さんにこれを持っていって修理をお願いしてきてほしいの。私、もうああいうお店に行ってもお店の人が説明している言葉がなんだかわからないのよ、カタカナばかりで。代わりにお願い」

確かに、私だってなんのことを言っているのかわからないIT用語みたいなものは、どんどん増えている気がしている。病院にいたから、なおさら置いていかれていると思う。とはいえ、オーナーよりはまだわかるだろうから、代わりに行くことにした。

 オーナーは、修理と言っていたけれど、単純な再設定をしてもらうだけの作業だったみたいで、ものの五分くらいで用事は済んだ。店に戻ると、オーナーがインテリアショップのカタログを開いて見ている。私がこの前お店でもらってきたカタログと同じものだった。

「ただいま。無事に終わりました」

「ありがとう、助かったわ」

「そのカタログ、どうしたんですか? 私もこの前、駅前のお店でもらってきました。素敵ですよね、そんな家具のある家で暮らせたら」

「これ? いま、なんか男性が来て、撮影でお世話になったので、どうぞ、って置いていったの、これを。なんのことだかわかる? 由佳ちゃん。何か雑貨とか貸した記憶ある?」

「いえ、あっ、もしかして、ちょっといいですか、カタログ見せてもらって」

ダイニングテーブルを撮影してあるページに、サンセベリアが写っていたのを思い出した。開いてみてみると、店先のものと葉の感じが似ているように思い、カタログを店先まで持って行って、見比べてみた。確かに、同じ葉っぱのようだった。

「オーナー、すいません、実はこのサンセベリアをお貸ししたんです。撮影に」

「これ? なんで? いつ?」

「少し前ですけど、あそこの撮影スタジオのスタッフの人が来て、どうしても今、必要なんです、ってお願いされて。ごめんなさい、黙ってて」

「そんなことがあったの、まぁ、別にいいわよ、そのくらいは。こんなグリーンで良ければね」

「以前、オーナーが店に来た時に、あのサンセベリアの前に座っていた若い男性、覚えてません?」

「あー、あったわね、そんなこと。でも、今日、これを届けてくれた人はもっと年上で、なんか素敵な人だったわよ」

「そうなんですね、じゃあ、あの若いスタッフとは別の人ですね」

 まさか、毎日眺めていたこのカタログに店先のサンセベリアが写っていたなんて、全然気がつかなかった。不思議な偶然があるものだと思い、ますますこのカタログの家具が欲しくなってしまった。






白いジョウロ




 ディレクションをしたカタログが刷り上がってきた。会社に勤めていた時から担当させてもらっていたインテリアブランドで、独立をしてからも、ありがたいことに、仕事を回してくれた。そのブランドの商品は、年々価格が上がっていって、今はもうハイブランドの家具という位置づけで、とても自分では手を出せない値段のものばかりだった。カタログは何度も校正をして見ているので、ザッと仕上がりの具合だけ確認するためにページをめくる。ダイニングテーブルのページを見て、そうだ、と思いつく。このサンセベリアを貸してくれたあの店に、お礼を兼ねてこのカタログを届けようと。きみがジョウロで水をあげているという妄想も手伝って、すぐに行かなければと心がはやる。明日、事務所に行く途中に寄って直接手渡ししようと決めた。

 開店直後くらいに行けば、誰かがグリーンに水をあげているかもしれないと思い、その時間を狙って訪ねた。店先のグリーンにはすでに水があげられていて、撮影時よりも成長して大きくなっていたサンセベリアも置いてあった。店には年配の女性が一人、店番をしていた。

「こんにちは」と声をかけ、撮影時にサンセベリアを貸してもらったお礼を言うと、何のことを言っているのかわからない、というような表情をした。

「そんなことがあったんですね、アルバイトの子に聞いておきます」と、こちらが期待していたやりとりとは全く違う展開で、なんとなく残念に思い、店を後にして、赤坂の事務所に向かった。


 午後から、林原と次の撮影の打ち合わせがあり、アシスタントの卓也君と二人でやってきた。

「カタログ、あのサンセベリアを借りた雑貨屋さんに渡してきたよ」と卓也君に伝えた。

「あっ、ほんとですか、ありがとうございます。喜んでましたか? あの人」

「あの人、って、年配の人じゃないよね?」

「はい、店番をしていたきれいな人です」

「きょうは、年配の人しかいなかった、違う人だね、卓也君が会ったのは」

「はい、たぶん、別の人です」

「そうか、その人に直接渡せればよかったけど、まぁ、仕方ないか」

妄想の中の、ジョウロで水をあげているきみの姿が消えずに残ってしまった。

「高垣さん、次のスタジオどうします? また、あそこでいいですか?」

「広さ的に大丈夫なら、僕は構わないよ、家から近いし」

「そうですよね、すぐですよね、あそこから」

 家が近いというのもあるし、あの雑貨屋についでに顔を出してみようかとも考えていた。卓也君が言う、きれいな人、に会ってみたかった。


 撮影当日も、朝から雨が降っていた。連日の雨で街中が湿っている。その湿度に比例するように、きみの記憶の輪郭がくっきりと見えてくる。しかし、その記憶は、今はどこにも繋がってはいない。途切れた時間を埋めることが出来るのかは、わからないけれど、せめて、今という時間のどこかへ繋がっていてほしいと思う。そうすれば、記憶から手繰り寄せていくことも出来るかもしれないのだから。

 この雨だと、店先のグリーンに水をあげる必要はないだろうと考えながら、車で雑貨屋の前を通る。しかし、誰かが白いジョウロで水をあげている。雨なのに。後ろ姿しか見えないけれど、この前の年配の女性ではないことは確かだった。信号待ちで雑貨屋から少し離れたところに停車した。ジョウロで水をあげる女性が通りを眺めている。雨を手で避けるように額のあたりに右手を当てて。信号が青に変わり、徐々に女性に近づく。スピードを緩め店の前では、ほとんど停まった状態になる。後方の車のクラクションが鳴った気がしたけれど、僕はその女性から視線をそらすことができなかった。遠い記憶のきみと目の前でジョウロを手にした女性が一本の線で繋がっていく。全身に鳥肌が立つような、痺れと熱が身体を駆け巡る。そして息苦しくなるほどの強い胸の高鳴り。僕の頭はこう認識した、間違いなく、きみだと。まさかと、自分の目と脳を疑ったけれど、間違いない。きみも一瞬、こちらを見たように思えたけれど、車の中は、外からだと見えづらいはずだから、それは思い過ごしだろうと思う。車を止めて、窓を開けて声をかけようとも考えたけれど、撮影時間が迫っていたので、後で時間を作って必ず来ようと思い、そのまま通り過ぎた。僕の鼓動は、冷静さを失いずっと強く高鳴っていた。

 雨に呼び覚まされた記憶と現在とが必死に結びつこうと接点を求めて近づいていく。しかし、その遠い距離は簡単には縮まらない。湿度の高い重たい空気がそれを邪魔しているように感じる。車を降り、スタジオに入り、深呼吸をして心を落ち着かせる。いつもの撮影スタッフの顔触れをひとりひとり確認して、現実の世界にきちんと足をつけて立っている感覚を確認する。さっき見たジョウロを手にするきみと、目の前でカメラを手にする林原が同じ世界にいるとは思えない。どちらかが現実ではないように感じる。どちらも現実のはずなのだけれど、それさえも確信が薄れている。

 昼が過ぎ、二時予定の次の撮影のモデルの到着まで待ち時間ができる。時刻は午後一時二十七分。この間にあの雑貨屋に行けると思い、スタッフに少し外出すると断って、スタジオを出た。まだ、雨が降っている。傘をさし歩き出す。どこか宙を浮いているような感覚。傘に当たる雨音が僅かに聞こえる。すぐに雑貨屋の前に到着する。店先のサンセベリアに雨がかかって緑色が濃くなっているように思う。これは、毎朝きみがあげている水で育っているのか、などと考え、店の前にしばらく立ち尽くす。ゆっくり傘をたたみドアを開け店に入った。

「いらっしゃいませ」ときみの声が聞こえる。

僕は

「久しぶり、元気だった?」

と言おうとしてみたけれど、きみの姿を前に、何も言葉が見つけられなかった。






つづく。


# by ikanika | 2020-06-14 19:13 | Comments(0)


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