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【連載】二人の居場所 第四回

鈴本様


お手紙ありがとうございます。

郵便受けに手紙が入っているなんていう経験は、いつ以来かもう覚えていませんが、嬉しいものですね。連絡先もお伝えしないで感想を下さい、という失礼なことをしてしまった先に、こんな手紙が届くという嬉しいサプライズが待っていたなんて、幸運に感謝します。それより先ず、連絡先をお伝えしていなかったことをお詫びしなくてはいけませんね。ごめんなさい。一応、携帯もメールもあるのですが、ある理由でほとんど持ち歩かないようになってしまっていて。とはいえ、出版社や編集者の方とのやりとりに必要で、新しくアドレスを最近作ったのでお伝えいたします。tadasai@ikanika.com これは一日に何度かは見るようにしていますので。あとは、基本、店にいるか、いなければ裏のオーナーの母屋にいます。オーナーが施設に入ってしまう時に、家の管理を頼まれて、その代わりに、ひと部屋専用の書斎のようなものを貸してくれることになって、いまは母屋の掃除や管理をしつつ、その部屋に住んでいます。

さて、『一人の居場所』に関してですが、感想をありがとうございます。おっしゃる通り、舞台はこの界隈です。カフェもあのマスターのカフェです。この町に暮らし始めてから、不思議とどんどん物語が生まれ来て、この町の何かが僕に物語を書かせているという感覚でいます。なので、この町に暮らす誰かに先ずは読んで欲しくて、先日、本をお渡ししました。あのストーリーは、大体、一ヶ月くらいで書きました。いつも店に座っている時に書いています。レジに座って下を向いている時は大抵物語りが進んでいて何かを書いています。定休日にも店は閉めていますが、レジに座って書いています。なぜだか、母屋の書斎として貸してくれた部屋では、全く書くことが出来ません。部屋はとても落ち着いて、そこに居るのは好きなのですが、物語りが動き出さなくなってしまいます。なので、あの狭い店のレジが本当の書斎ということですね。鈴本さんは、この町に暮らしてどのくらい経ちますか?僕はまだ、三年に満たないくらいです。ありえないことだと思っていますが、この町に暮らす人たちは何かの秘密を共有しているのかもしれない、などと妄想したりもします。もし、この町の何かが僕に物語を書かせているのだとしたら、僕はその理由を知りたいと思っています。大袈裟かもしれませんが、何かの役割を与えられているのでは、とか考えたりします。実は、『一人の居場所』は、始めて書いた小説です。本を読むのは好きでしたが、それまで書いたことなんてありませんでした。書きたいと思ったことも。でも、この町に越して来てから、自分の中に物語が生まれてきて、それを少しずつ花瓶に水を注ぐように文字に移している感覚で書き始めました。そうするとこで、いままで自分の中にあった、なんとなくモヤモヤしていたものが、晴れていくというか、きちんと流れているみたいな感覚を得ることができました。そうやって、まず『一人の居場所』が完成しました。書き上げたというような達成感ではなく、頭というか身体からスッと何かがすり抜けて出てきたというような感覚です。なので、文学賞を取ったといわれても全く他人事のようでしかなく、正直戸惑っています。取材とかでインタビューされても、何を話したらいいのかわかりません。まさか、この町が僕に物語を書かせているなんて言ったら、単なる変わり者の引きこもり男くらいのイメージで扱われるのがオチかと。でも、また今は別の物語を書いています。一つが終わるときちんとまた次が用意されているようです。まだ物語は始まったばかりで、はっきりとはわからないのですが、主人公は女性で、僕の中ではその女性のイメージは、あなたに繋がっています。いつか少し酔ってお店に入ってきた時に、そう感じたのです。時々、百円コーナーを見ているあなたを知っていましたが、その時はそんなことは思いませんでした。というより、その頃はまだ『一人の居場所』を書いていて、いまの物語を、書いていなかったからかもしれませんが。その後、歯医者やカフェで偶然お会いしましたが、その度に、あぁ、やっぱりそうなんだ、この人が今の主人公なんだ、と確信したのです。あなたの話す言葉やその仕草は、すでに僕が物語で書いていることと同じ瞬間があります。こんなことを言うと、預言者のようで気持ち悪いと思うかもしれませんが、具体的な言葉や仕草というより、ある種の共有の匂いというか、空気感というか、上手く言えませんが、そういう感覚的な部分の話です。あなたが次はこう話すとか、こういう行動をするとか、そういう予知能力みたいな感じでは全くありませんからご安心ください。ただ、物語がどういう風に進んで行くのかが、楽しみでもあり、不安というか心配でもあります。僕には、そのストーリーをどう進めて行くのかという権限はなく、ただ文字に移していっているだけなので、その物語がもし本当にあなたに繋がっているとしたら、やはり主人公には良い結末が用意されていて欲しいと思っています。大切な人が辛い目に遭ってしまうのは、耐えられませんから。まだ始まったばかりですが、幸い主人公は毎日を平穏に暮らしています。時々、迷ったり妄想したりはしていますが、それは誰にでもよくある程度の日常的なレベルの話です。

たぶん、この物語もあと一ヶ月くらいで完成すると思います。その間にまたあなたには、どこかで必ずお会いすると思いますので、物語の主人公の話をよかったら聞いてください。最後に一つ、物語の主人公も、里夏さんといいます。偶然ですね。

長々と、余計なお話を書いてしまったかもしれませんが、お許しください。

また、お会いするのを楽しみにしています。


サイトウ



PS:

宛名、どうしてカタカナでサイトウにしたのですか?



 鈴本里夏は、尾道の高校を卒業すると、東京の専門学校に入るために上京した。尾道の田舎町でずっと暮らすことになるのは絶対に嫌だという、よくある十代の若者の思いを里夏も抱いていて、取り立てて専門学校で何を勉強したいとかはなかったのだが、手っ取り早く田舎を出る手段としてその学校を選んだ。インテリアのスタイリングを勉強する科を選んだのだが、卒業するとなにか公的な資格が取れるとかはなく、ただその業界に就職しやすくなるというメリットがあるというだけだった。学校は、渋谷と代官山の間にあって、どちらの駅からも歩いて十分程度かかる。人混みの苦手な里夏は、大抵、代官山を利用した。その頃の代官山は、今のように小洒落たお店や大きな書店などなく、渋谷の隣の本当に小さな駅で、人によっては、無くても良いくらいに思われていて、いつかほんとうに廃駅になるのではと噂が流れた時もあった。同じ路線で通いやすいという理由で、里夏は自由が丘にアパートを借りた。尾道に住んでいても自由が丘がお洒落な街だという事は情報として知っていて、学校が東横線にあると知った時から住むのは自由が丘と決めていた。当然、他の駅に比べれば家賃は割高なのだが、部屋の広さより自由が丘暮らしというステイタスを選んだ。それ以来、もう、十五年もこの町に暮らしている。就職して、一度それまでよりは広いマンションに引っ越しをしたが、それもたかだか三十メートルの移動という引越しだったので、友達に手伝ってもらって、何往復かすれば荷物は全て移動出来た。自由が丘は実際住んでみると里夏が抱いていたお洒落な都会暮らしとはかけ離れていた。大きなデパートやショッピングセンターがあるわけでもなく、駅前には雑多な小さな個人商店がいくつもあり、その感じが里夏にはちょうどよかった。この程度の街ならどこにでもあるのに、なんでみんな地方からも自由が丘に観光目的で来たりするのかが理解できなかった。今、サイトウがいる古本屋は里夏が上京した頃からあったけれども、二十代の里夏の生活には用のない存在と認識されていて、一度も入ろうと思ったことはなかった。いつ頃から入り口脇の百円コーナーを覗くようになったのか記憶にない。サイトウがレジに座るようになったのは、恐らくこの二、三年だろうから、ちょうどそのくらいの時期からだろうか。あのカフェは、里夏が仕事をはじめて、三年目に出来たからもう十年くらいになる。オープンした年のことはよく覚えていて、二年勤めたインテリアショップを辞めて、フリーでライターをしている先輩のお手伝いを始めた年だった。それが今の仕事をはじめるきっかけになるのだけれど、その頃は、割と時間だけはあって、よく近所をぶらぶら散歩していた。散歩の途中で、ちょうどマスターがDIYでカフェを作っているところに通りかかって、「何をつくってるんですか?」というようなことを質問したのだった。散歩の度に、完成具合を覗きに行くようになり、わすが一ヶ月足らずでカフェは完成し、その年の夏にオープンした。こんな住宅街で商売になるのだろうかという里夏の心配をよそに、土日のランチタイムなどは、満席で入れないくらい繁盛した。里夏は主に平日の空いている時間に通うようになり、それがいまだに続いている。最初の頃は、友達を誘って行くとこもあったけれども、いまは一人の居場所として里夏にとって大事な場所となっている。(続く)


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by ikanika | 2017-05-29 20:45 | Comments(0)

【連載】二人の居場所 第三回

 程なくしてサイトウが傘をさして現れた。やや大きめの紙袋を片手に持って。サイトウは私の姿を認めるとマスターに挨拶する前に、「こんにちは」と私に向かって声をかけてきた。マスターは、ありがとうとサイトウに声をかけ、紙袋を受け取り、カウンター席にサイトウを座らせた。そして、「よかったら、こちらに」とマスターは私をサイトウのいるカウンターに招いてくれた。

「どうも」と私が言ったきり会話の弾まない私たちを見てマスターが、怪訝そうに

「二人、知り合いでしょ?」と聞いてきた。

「はい!」とサイトウはこの場に相応しくないくらいハッキリとした返事をしたので、感の良さそうなマスターは、事の次第をなんとなく理解したようで、あまり私たちの関係には触れずに、サイトウの持ってきた本を取り出し一冊ずつ吟味し始めた。

「ここには、よく来るんですか?」

とサイトウは平静を装って聞いてきた。私が返事を返すより先にマスターが、

「サイトウくんより、全然長いよ。結構前から来てくれてる」

と答えてくれた。これをきっかけに、なんとなく本の事やらカフェの事やらをマスターが話題を振ってくれて、三人で一時間くらい話しをして、カフェも閉店時間をだいぶ過ぎてしまったので、帰ることになった。サイトウは、店に寄るというので帰り道、途中まで一緒に同じ方向に歩くことになった。


 カフェからサイトウの古本屋までは、緩やかな下り坂になる。つまり、カフェに行くには坂を登ることになる。一度女友達をカフェに連れて行った時、その彼女は、「この坂、キツイね」といって息を切らせていたのだけれど、尾道で生まれ育った自分にとってはこの程度の坂は、坂という認識ではない。少し傾斜のある道という程度だ。その坂道をサイトウは傘をさして私の少し前を歩いている。時折振り向いて、私の存在を確認する。傘をさしているせいで、横並びで歩くと車の邪魔になりそうなので、あえてサイトウの後ろを歩く。本当は、並んで歩いておしゃべりの続きをしたいのだけれど。そう、あの古本屋を買い取った話は本当なのかとか、文学賞を受賞するというのはどんな気分なのか、とか聞きたいことがいくつかあるのだ。しかし、会話という会話をしないうちにサイトウの古本屋のある交差点まで来てしまった。赤信号で立ち止まるとサイトウは、

「ちょっと店の前で待っていてくれますか?渡したいものがあるんです」といって小走りで店の裏手に入っていってしまった。シャッターの閉まった店の前で傘をさして待っていると、ガラガラとシャッターが半分程開き、その隙間からサイトウが屈んで出て来た。片手には、恐らく何かの本であろうサイズの紙包みを持ってた。

「これ、出来たばかりなんですが、本です、僕の。単行本で今月末くらいに発売することになっていて。まだ見本ですが、よかったら読んで下さい。」といって紙包みを渡された。

「本って、賞を取った作品の?」

「はい、それと、書下ろしのものが一つ収録されていますが」

「ありがとう、賞を取ったのって、やっぱり本当なんだ、すごい」

「その賞金で、この古本屋を買い取ったって話になってるんですよね、あの歯医者さんでは。

それは、嘘ですけどね、よくある噂話です」

「そう」

「この店は、僕のものではありません。オーナーはちゃんといます。いまは施設に。

もうご高齢で。僕はただ店番をしているだけです」

「バイトってこと?」

「いえ、もう少し好きにやらせてもらってますけど。オーナーはもう店に戻るつもりは無いようで。

でも、先々僕に店を任せるつもりなのかとかは、全然わかりません」

「そうなの?」

「はい、何か考えているとは思いますが、特に具体的な話はありません。

それ、読んだら感想聞かせて下さい。

僕はこれから編集者の方と打ち合わせなので、電車に乗ります」

といって、改札口の方へ走っていってしまった。私が聞きたかったことをサイトウは知っていたのかのように、明確な答えをサラッと残して去っていった。紙袋を覗くと、『一人の居場所』というタイトルが水色の飾り文字でデザインされていた。その下には、斉藤忠之とあった。ただのサイトウの方がいいのにと、思った。


 サイトウの小説は、いわゆる純文学によくある結末が宙ぶらりんな感じで読者に解釈を委ねて終わる少しだけ恋愛の要素の入った何気ない日常を題材にした作品だった。その文書のもつリズムというか呼吸の感じが好きだと思った。主人公の親しい人が死んでしまったり、恋がめでたく成就して終わるようなエンターテイメント性を重視したいわゆる大衆文学のようなものは興味がないので、サイトウがそういう作品を書いていなくてよかったと思う。時折、舞台として登場するカフェは、恐らくあのマスターのカフェだろうと想像できたり、町の景色もなんとなくこの界隈だろうと思える箇所があったりと、なにか創作の身近な秘密が垣間見れる感覚が楽しかった。

 サイトウに感想を伝えようにも連絡先を知らない。あの古本屋に行けば会えるのだけれど、まさか店先で感想を話すわけにもいかない。とりあえず、本を返しがてら読んだということ伝えに行きメールアドレスでも教えてもらおうかと思ったけれども、それもなんだか二度手間というか回りくどい感じがして、他に何か良い方法がないかと思いを巡らせていると、ふとこの前「日常をアナログ化する」と言っていた男友達のことが頭に浮かんだ。その男友達は、レコードで音楽を聞いたり、出汁を昆布と花がつおでとることにしたり、コーヒーを、豆を挽くことからやってみたり、味噌をつくってみたりと、様々なことをあえて手間のかかる方法を選んで生活しはじめいて、その中の一つに手紙を書くということも含まれていた事を思い出し、サイトウに手紙で感想文を送ることにした。文学青年にはうってつけのなかなか良いアイデアだと自分でも思った。サイトウに手紙を書くという行為を想像するとなんだか楽しくなってきて、仕事帰りに駅前の小さな文房具屋でシンプルな便箋を買って帰った。

 手紙には、楽しく読めた、というようなことをさらりと書いて、あまり内容的な事には触れずにおいた。賞を取った相手に対して自分が言えることなんてあるとは思えなかったし、サイトウもなにか今後の創作の糧になる感想を私に求めているわけでもないだろう。ただ近しい人から直接感想を聞いてみたいというような程度の軽いやりとりだと思ってそうした。それよりも、今度会う約束をどう取り付けるか、連絡先をどう聞こうか、という事に、頭を割くことになった。手紙を書きつつ、まるで中学生レベルだな、と思いながらもその時間が楽しくて仕方ないということは認めざるを得なかった。必要以上に感情的になっていないか、なにか思わせぶりな女になっていないかなど、自分が好ましいと思えるテンションで書けているかを何度も確認して封をした。ネットでサイトウの古本屋の住所を確認し、宛名を書く段になり手が止まる。斉藤忠之と書けば良いのだろうがなんとなくの違和感があり、あえて、サイトウ様、とカタカナで書いた。間違いではないし、斉藤忠之はペンネームかもしれないし、もっと言ってしまえば、サイトウから直接名前を名乗られたことは無いのだ。ただ、歯医者でサイトウさんと呼ばれていたのと、カフェのマスターが、サイトウくんと呼び、渡された本の著者名が斉藤忠之だという事実があるだけなのだ。だから、サイトウ様、でも良い。いま封書がいくらで送れるのかあやふやだったので、これもネットで調べてみる。記憶どおり八十二円であっていたけれども久しく手紙を出していないので、当然切手など持っていなかった。明日の朝、出がけにコンビニで切手を買って投函しようと書きあがった手紙をカバンにしまった。時間はすでに深夜の一時半だった。手紙を書き上げるのに二時間くらいかかったことになる。なんとも形容しがたい頭の疲労感とともに眠りにつく。案の定、明け方の夢にサイトウが現れたのだけれども、目覚めたときには内容は全く覚えていなかった。ただ、サイトウの存在がぼんやりと頭の中に居座っている感覚だけが残っていた。(続く)




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by ikanika | 2017-05-25 11:18 | Comments(0)

【連載】二人の居場所 第二回

 

 古本屋を買い取るには、幾らくらい必要なのだろうか?考えても全く想像がつかない。計算する糸口も見つからない。土地と建物とたくさんの本、さらには倉庫に在庫があったり、とか。文学賞といったって賞金はたかが知れている。不動産を購入出来る額ではない。だとすると元のオーナーが、継いでくれるならお金はどうでもいいとか言ってその意思を受け継いだとか、そんな話この時代にあるのか?なんて妄想を掻き立てる。今度行った時に、聞いてみればいいのだ、「この古本屋、いくらなの?」と、無理か。

 先ずは、サイトウが本当に文学賞を取ったのか調べることにする。この二、三年のうちの目ぼしい文学賞の受賞者をネットで調べる。こういう作業は、ネット社会になってものすごく便利になった。わけなくある中堅出版社の主催する新人文学賞の受賞者に、斉藤忠之という名を見つけた。おそらく間違いなく、あのサイトウだ。他にサイトウの名は見つからなかった。サイトウタダユキ、サイトウタダユキ、何度か反芻してみる。少し違和感がある、彼はただのサイトウの方がしっくりくると思う。それもカタカナのサイトウ。私が担当編集者なら作家名は、サイトウにするのに。

 雨の水曜日、古本屋の前を通りかかる。シャッターが降ろされ、定休日の札がかかる。そうか、休みだ。サイトウは、毎週水曜日に歯医者に通い始めたと言っていた。今頃、歯医者だろうか。歯医者のある方向に歩いてみようか、などとまるで淡い恋心を抱いている女子中学生のようなことを考えている自分がおかしい。サイトウに会いたいというのか、もし道端で会ったとしたらどうするつもりだ。「あっ、偶然」などとわざとらしい演技が自分に出来るだろうか。まさか、電信柱の影からサイトウの姿を見つめるとか、それじぁストーカーだ。頭の中がグルグルしたまま、いつものカフェの前まで来た。ここは、雨が似合う。とりわけランチタイムが終わって店としては一息ついてのんびりしている時間帯がいい。自分以外は誰もいなくても気詰まりな感じがしないのは、マスターの醸し出す空気感のせいか、ただ自分となんとなく波長があっているとこちらが勝手に思っているだけなのか定かではないが、誰もいないことを期待していつも店のドアを開けている。今日は、キッチンのすぐ近くの席に外国人が一人、本を読んでいる。まるで、外国のカフェのようで、「出来過ぎ」と心の中でつぶやく。私は、マスターのいるカウンターから一番遠くて、でも姿を認めてもらえる席を選ぶ。マスターから見えない席だとなんか不安なのだ。もう、「いらっしゃいませ」ではなく、「こんにちは」と言ってもらえる。けれど、それ以上に親しい口は聞かない、その距離感が心地よい。コーヒーとチーズケーキのハーフサイズ。特に迷うことなくいつものオーダーを済ます。やたらとドリンクの種類が多かったり、セットメニューの組み合わせが選べたりするようなサービスをしている店は苦手だ。ここは、ケーキは二種類、飲み物もスタンダードなものだけで、これはどんなものですか?と聞かないとわからないものがオススメになっていたりはしない。普段の生活では耳にしないジャズのようなクラシックのような音楽が選曲されている。時々、その音楽について質問をしているお客さんもいて、いつもマスターは過不足ない説明を丁寧にしている。音楽には全く疎い私にも、そのマスターの説明が的確で過不足ないのだろうということは、なんとなくわかる。その的確で過不足ない感じがこの店の全てに行き渡っている。

 サイトウもこのカフェに来ているのだろうか、とぼんやり考える。古本屋の休みは水曜日だけで、このカフェは夕方の六時くらいには閉まってしまうから、サイトウが来れるのは水曜日だけということは確実だ。そう、今日のみ。またしてもここで会ったらどうしよう、などと考える。マスターに聞いてみようか、「あの古本屋の店員さんて来ますか?」なんでそんなこと聞くのかとマスターは訝しむだろうか。あぁ、なんだか恋をしてしまった女子のようだ、やだやだ。

 カフェにある小さな本棚から気になっていた文学賞の受賞作を手に取り、冒頭部分を読んでみる。あぁ、やはり面白そうだと思って、買って読む事にして本棚に戻す。

「ここの本って、マスターのですか?」と

帰り際に尋ねてみる。

「基本、僕が読み終わったものを適当に入れている感じかな、あと、時々、近所の古本屋がオススメを持って来てくれる。ちょっと古いやつとかが、それ。それらは読んでないものもあるけど」

「古本屋って、サイトウさんの?」

「そう、知り合い?」

「えぇ、まぁ」

「そうなんだ、今日あとでなんか持ってくることになってるよ」

「そうなんですね… 」

「時間があるなら待ってたら、もうあと一時間くらいで閉店だから、それまでには来ると思うよ」

このままここにいれば、確実にサイトウに会えると思うと、胸の奥のあたりがなんだか痛くなってきた。その感じは、懐かしくもあり恥ずかしくもあるような感覚なのだった。(続く)


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by ikanika | 2017-05-21 20:31 | Comments(0)

【連載】二人の居場所 第一回

はじめに

カフェをはじめてから書き始めた「一人の居場所」という雑文は、
いつもはカフェのお手洗いの鏡の下に小さなフレームに入れて、
不定期更新で掲示しています。(この場でも、順次アップしてきました)
この前書いた42番目の話ですが何回かの連続ものになるかな、
と思って書いてみたのですが、思いの外、物語がどんどん進んでいって、
ちょっとした短編のような長さになってしまいました。
ですので、カフェの手洗い場での掲示はやめて、
この場でご紹介させていただくことにしました。

一応、カフェを舞台にしたお話で、主人公は30代の女性、という設定です。
楽しんでいただけるとうれしいです。 

cafeイカニカ
平井康二
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二人の居場所 第一回


 昼間からお酒を飲むことがあってもいいと、その日は、そんな気分だった。特に大きな仕事が片付いたとか、何かからようやく解放されたとか、あるいは何かが上手くいったとか、そういう明確な理由があったわけではない。ただ、日差しが春に変わったなと、誰もが感じるような日だっただけのことだ。友人の一人は、春から希望の部署に配属になり、また他の友人の娘さんは希望の中学校に受かり、かと思えば、昔付き合っていた人は、ひとり海外赴任を命じられていた。自分はといえば、この春の日に、ただカフェでお酒を飲んでいる。「何かが上手くいってもいかなくても、春は平等に訪れ、柔らかい日差しが僕らをつつむ」というようなことを、昔よく聞いていたバンドが歌っていたのをぼんやり思い出す。ワインで熱くなった頭でその前後の歌詞を思い出そうとしたのだけれど、上手く思い出せない。でも、ほんとうにそんなゆるい歌だったろうか。平等に柔らかい日差し、なんてね。少し酔った帰り道の日差しは、確かに柔らかではあったけれども。

 カフェから自宅までの帰り道に小さな古本屋がある。いつも入口脇の百円コーナーをチラッと覗いてみるのだけれど、何も買ったことはなかった。店の奥まで足を踏み入れるには、少しの勇気が必要な空気を纏っている。昼からのワインの酔いも手伝って、その日は奥まで入っていった。白髪の老人が居眠りでもしているのだろうと勝手に思い込んでいたせいで、レジに座っていた大学生風の男の子を見た瞬間、「あっ」と声を出してしまった。でも、その男の子は手元から顔を上げることなく、ただ、あなたを認識してますよ、というような雰囲気を醸し出していた。もしかしたら、自分がお酒臭いのかもしれないと思い始めると、どんどん顔が赤くなっていき、本棚を物色することなど出来そうになかった。このまま出て行ってしまっても変な客だと思われそうなので、しばらくその場にただ立ち尽くしていると、

「いつも百円コーナーご覧になってますよね」と、その大学生風が声を掛けてきた。ますます顔が赤くなっていくのが自分でもよくわかるのだけれど、こういう時は、何も言葉が出てこない。


 三ヶ月に一度、歯医者へ行く。虫歯の治療というわけではなく、歯石を取ってもらったり、虫歯になりそうな歯はないかと調べてもらったり、いわゆるメンテナンスだ。子供の頃から歯は丈夫で、大人になってからは歯医者に通ったことはほとんどなかったのだけれど、去年の正月にお餅を食べていたら歯が欠けてしまい、仕方なく知り合いの紹介で歯医者に行き始めたら、なんだかんだと治療を勧められて一年以上も通うことになってしまった。歯医者曰く、もうこのくらいの年齢になると歯も劣化してしまうから仕方ないです、と言うのだけれど、どうも釈然としない。自覚症状がない上に、自分では、よく見えない場所だからなおさら懐疑的になる。一応、医者が治療を勧める箇所の処置は終わったので今はメンテナンスに通うだけだけれど、またいつ治療箇所を見つけられてしまうか毎回ハラハラしてしまう。その歯医者の待合室で、またあの大学生風に会ってしまった。治療を終えて処置室から出てきた彼は、私を見つけて少しバツが悪そうな表情を一瞬見せて、

「こんにちは」と

さわやかに言い放った。私はといえば

「どうも、こんにちは。虫歯ですか?」などと当たり前の質問をして、彼を戸惑わせてしまう。

「毎週水曜日に。通い始めたばかりで」

「そう」

「この前は、失礼しました」

「こっちこそ、私、酔っていたから。ごめんなさいね。また覗きに行きます」

と、先日書店を訪れた際の挙動不審を詫びた。

「ありがとうございます、お待ちしてます」

「サイトウさん」と受付の女性が彼を呼んでお会計をしたので、彼の名がサイトウという事があまりにも簡単に判明した。

「鈴本さん、どうぞ」と処置室から声がかかり、私の名も簡単に彼に知れることになった。お互いに軽く会釈をして、私は処置室へ入って行った。

 サイトウかぁ、とぼんやり考える。全くうってつけの名のように感じる。サイトウ以外ありえないくらい、あの大学生風はサイトウが似合うと思う。私は、鈴本らしいかなぁ、でも、よく字面だけをサラッと見て、スズキさんと呼ばれることも今まで何度かあったので、スズキと呼ばれることにも一応注意を払っているから、そんなに鈴本らしくもならないか、などと変な思考を巡らせながら、歯石除去をしてもらっていると、

「スズキさん、もう少し歯間ブラシをした方がいいですね、このあたり、特に」と歯科助手は、マスクをしたままモゴモゴ言う。こちらは口を開けたままなので、ハイという返事も、「スズモトです」という訂正もままならず、とりあえずわかりましたという意思表示のつもりの言葉になっていない呻き声のような音を発することくらいしか出来ない。

「では、また三ヶ月後に」と会計を済ませ帰ろうとすると、受付の女性に

「サイトウさんとお知り合いですか?」と尋ねられる。

知り合いといえば知り合いだが、サイトウという名を今日知ったばかりだし、なんて返事をしたものかと考えていると、

「彼、なんか有名な賞を取ったみたいですよ、文学の」とその受付さんは言う。

「えっ、そういう人なんですね、古本屋のバイトみたいな感じかと」

「あの古本屋さんは、元のオーナーから彼が買い取ったとかいう話をこの前他の患者さんが仰ってましたよ」

歯医者という場所も色んな噂話や情報が飛び交うのだなと改めて思い、三ヶ月後にはどんな話が聞けるのだろうと変な興味が湧いてくるのだった。(続く)



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by ikanika | 2017-05-18 17:06 | Comments(0)


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