ikanika COLUMN [草まくらの夢]
2020-11-30T21:00:14+09:00
ikanika
CIP コラム
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『 Christmas at Dawn 』
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2020-11-30T21:00:00+09:00
2020-11-30T21:00:14+09:00
2020-11-30T21:00:14+09:00
ikanika
未分類
「コルシカ島のクリスマスって、どんな感じなんだろうか?」 「コルシカ島?」 「そう、地中海の」 「どうして突然そんなこと訊くの?」 「地中海だと雪は降らないだろうし」 「それを言うんだったら、南半球のクリスマスもそうよ」 「それは見たことある、ビーチにサンタが寝そべってるやつ」
ハルトは、去年のクリスマスにそんな会話をマユカとしたことを思い出していた。その時、なぜコルシカ島のクリスマスのことが思い浮かんだのか、ハルトにもわからない。地中海のどこかにあるという曖昧な知識があるだけで、正確な位置さえも知らないくらいなのだから。何か理由があったのかもしれないし、全く理由なんて存在しないのかもしれない。もし理由のようなものがあったとしたら、それは何かの暗示なのではないか、とハルトは思う。いずれ、そこを訪れることになる出来事が将来起こるとか、そういう類の事だ。
去年のクリスマスが終わると世界は少しずつ変化していった。誰も想像していなかった方向に、世の中がゆっくりと、そして確実に下降していくのを、人々はただ見つめるだけの日々が始まった。でも、その変化は目には見えないものだから、多くの人は慌てることなく、ただなんとなく、大人しく受け入れる、という選択をすることになった。ハルトも他の多くの人と同じように、いつもと変わることなく毎日を過ごし、変化を受け入れ始めていた。ただマユカだけは、その変化に抗うように、どこか違う方向に歩を進めはじめているとハルトは感じていた。それがどこへ向かっているのかは、マユカ自身にも見えてはいないようだったけれど。
ハルトは、毎日決まった時間に目を覚まし、ほとんど同じ内容の朝食を食べた。豆から挽いて淹れるコーヒーと、シンプルな食パンにバターとハチミツ。週に何回かはフルーツやヨーグルトを食べることもあるけれど、毎日ではない。そして、三十分くらい掛けて徒歩で仕事場に向かう。自宅でやろうと思えば出来る仕事なのだけれど、プライベートと仕事場は切り離したいと思い、三ヶ月前に今の仕事部屋を借りた。多くの人がリモートワークになって、ストレスを抱えて少しずつおかしくなっていくのをハルトは早々に感じ取っていて、自らがそうならないうちに手を打ったということなのだけれど、新たに発生した家賃は今の収入ではかなりの負担だった。それでも、心身共に健全でいることを優先したいという思いが勝って、その選択をした。 ハルトが仕事場を借りると、週に一日だけマユカが顔を出すようになった。どんな部屋か見てみたい、という理由で初めて覗きに来た日に、マユカは「週に一度だけ、ここに居させて」と真剣な顔で言った。ハルトが返事に困っていると「お掃除とか、買い物とかするから、お願い」と懇願して、じっとハルトを見つめた。一日だけなら仕事に支障があるわけではないし、掃除もしてくれるのなら助かると思い、ハルトは了承した。「でも、ここで何をするつもり?」というハルトの問いには 「ちょっと、準備、いろいろな」という曖昧な答えしか返ってこなかった。 「準備って、何の?」とさらに質問をしても 「まぁ、いろいろよ、これからの」と答えをはぐらかすだけなので、追い追い分かればいいと思い、ハルトは深くは追求しなかった。
マユカは、毎週水曜日にハルトの部屋を訪れた。午前中に掃除と日用品や食料の買い出しを済ませて、午後は自分のパソコンに向かって黙々と何か作業をしていた。ハルトは、最初の頃、マユカが何をしているのか気になったりもしたけれど、数週間経った頃にはマユカがいてもあまり気にならなくなって、自分の仕事に集中することが出来るようになっていた。毎日、パソコンの画面越しにしか人に会わなくなると、全てが現実に起こっていることではないような感覚になってくるとハルトは思う。街で人とすれ違ってもみんなマスクで顔を隠しているので、自分と同じヒトだという意識が薄れていると感じる。ただ自分と同じように動いている物体という程度の認識だと。当然、対面での会話もほとんどなくなりマユカ以外のヒトの肉声をもう随分と聞いていない気がする。会話が感染の最たる要因なのだから仕方がないのだろうけれど、そのうちヒトから声を発する機能がなくなるのではないか、とさえ思う。
マユカの集中は二時間が限度で、二時間パソコンに向かっては、休憩して、またパソコンに向かう、というパターンの繰り返しだった。休憩時間には必ずお茶かコーヒーを淹れ、甘いものを食べる。ケーキの時もあれば和菓子の時もあって、その日の気分で決めているようだった。基本的にはハルトの分も用意されていて、ハルトもマユカのお茶の時間に付き合う。時々リモート会議の時間とマユカのお茶の時間が重なってしまって、食べられない時もあるけれど、そういう時は、ハルトのパソコンの脇にそっとお茶と甘いものが置かれる。マユカは二時間おきの休憩時間をずらすことはしない。まるで何かの儀式のように頑なにそれは守られる。ハルトは、だんだんとマユカのいない水曜日以外にも甘いものがないと物足りなくなって、一人の時も時々、駅前のケーキ屋やコンビニで甘いものを買うようになった。そこでお気に入りが見つかるとマユカにも食べてもらおうと、水曜日に用意することもあった。マユカも必ず自分で買ってくるので、そういう時は各々が用意したものを食べ比べすることになった。多少、量が多くてもマユカは翌日まで取っておくことはせずに、その日のうちに必ず食べた。「食べきれなかったら明日食べればいい」と一度、ハルトが言ってみたら 「それはしないことにしているの。今日のことは今日中に終わらせたいの。明日はいつも新しい日であって欲しいから」と甘い物についての会話にしては少しシリアス過ぎる答えが返ってきた。
マユカが部屋に来て何をしているのかハルトは知らないまま、もう数ヶ月を過ごしている。ただそういう新しい生活の流れが出来たということだけを受け入れている。新しい生活がはじまると新たな習慣も生まれる。習慣になってしまうと、それが日常になり、新しさとか、そういう価値観とは別の存在意義が生まれる。そうやって暮らしというものが形成されていく。一度身についた習慣はなかなか消えない。それが習慣として身についた経緯なども忘れ去られて、あたかも最初からそうだったような気にもなる。どこかの時点で、冷静に、かつ俯瞰的に自らの習慣を見直すようなことをしなくてはならない、とハルトは思う。必ずしも良い習慣だけが身について残っていくというわけではないのだから。「ずっとマユカを見ているけれど、僕の部屋に来て君が一体何をしているのかが未だにわからない。君は準備をすると言っていた、いろいろな。そろそろ何の準備をしているのか教えてくれないか?」 「そうね、きっとそう感じていると思っていたわ、いいわ、教えてあげる」 「ありがとう。それで、何?」 「クリスマスよ、クリスマスを迎える準備」 「クリスマス?」 「ええ、そうよ」 「それはそんなに時間がかかるもの?もう数ヶ月経つけど」 「まぁ、そういうことになるわね。でも、それ以上、詳しくは話せないわ。いまはまだ」 「そうなんだ。もみの木を用意して飾り付けをしたり、プレゼントを選んだりとか、そういうことではなくて?」 「ごめんなさい、何も質問には答えられないわ。その時が来たらわかるから、待っていてほしいの」 「そうか、わかった、そうするよ。その時っていうのはクリスマスのこと?」 「そう、クリスマスよ」 クリスマスまでは、あとひと月くらいだ。ハルトはマユカの言う通りにクリスマスを待つことにした。
翌週の水曜日にマユカはシュトーレンを買ってきた。「ちょうどあとひと月だから、これを少しずつ食べましょう」と言ってテーブルの上にシュトーレンを置いた。 「これを食べ終える時に、君の準備も整うんだね」 「そういうことになるわね。待ち遠しいでしょ?」 「あぁ、こんなに待ち遠しいクリスマスは、まだサンタクロースの存在を信じていた子供の時以来じゃないかな」 「それは何歳くらい?」 「さぁ、覚えていないなぁ」 「そうなの?私は覚えているわ。小学生に上がる前までね。小学生になったら母と一緒にプレゼントを買いに行ったから、もうサンタクロースの存在は信じなくなってしまったの」 「なるほど、わかりやすくていいね、曖昧なところがなくて」 「そうね、大人になったらそう思えるけれど、その時はショックだったわ。サンタがいないなんてね」 「今年は僕からも君に何かサンタらしいことをしなくちゃね、君が何かを準備してくれているんだから」 「いいわ、別に。健康でクリスマスを迎えてくれたら、それだけで」 「健康で?」 「そう」 「あまり言われたことないね、健康でいて、なんて」 「でも、本当にそれだけでいいわ」 「そうか。わかったよ」
ハルトは、「健康でいて」と言われてから今まで以上に手洗いや消毒などに気を使うようになった。人混みを避け、出来るだけ食事も家で済ますように心がけた。そういう生活様式がどこまで感染予防対策として有効なのかは未だにわからないのだけれど、やらないよりはマシだろう、という考えで実行している。ウイルスが世界中に満遍なく広がったように、クリスマスも、世界中のどの国にも平等に訪れる。この先一週間くらいをかけて、もみの木やサンタやトナカイが世界中に出現する。それはあたかも感染が世界中に徐々に広がっていく様子と極似しているとハルトは思う。人々が望むことと、そうではないこと、という大きな違いがあるだけで、現象としてはとても似ていると。ハルトにもクリスマスが訪れる。今年はマユカから何かしらのプレゼントのようなものが約束され、その訪れを待ちわびているクリスマスが。その時、世界がどうなっているのか、誰にもわからない。どんなクリスマスがやってくるのか誰にもわからない。しかし、世界中の人々がその訪れを心待ちにしている。ハルトもそのうちの一人だった。
マユカが買ってきたシュトーレンが小さくなっていく。あともう少しでなくなる。それは、クリスマスが訪れるということだけれど、マユカが何を準備しているのかハルトには未だにわからない。残りの日数を考えれば、あらかた準備は完了しているはずなのだろうけれど、今までとマユカの様子が変わってきたかというと、そういうこともなく淡々とパソコンに向かって何か作業をしている。まるで作家が小説を執筆している風だとハルトは思う。だとすると自分は傍で完成をジリジリしながら待っている編集担当者だろうか、などと空想してみる。あるいはマユカは世界中のネットワークを脅かすウイルスのようなものを密かに開発していて、それをクリスマスに拡散しようとしている、というような、通常ではありえない想像もしてみる。しかしマユカの様子を見ていると、どちらも本当にありえない事でもないのかもしれない、という思いも湧いてくる。同時にハルトはそういう妄想をしている自分の頭がおかしくなったのだろうかとも考える。リモートワークでおかしくなっていく周りの人達を見て、こうして部屋を借りたのだけれど、そういう自分の方がおかしくなってしまったのだろうか、と。ハルトは、なんとなく昨夜から熱があるように感じている。体温計が見つからず、はっきりとはわからないのだけれど。
翌日がクリスマスイブの水曜日の午後、「ハルト、シュトーレン食べよう。もう今日でおしまいよ。明日はクリスマスケーキを作るわ」とマユカが言う。いつもと何も変わらない様子のマユカをハルトは、じっと見つめる。 「なに?どうしたの?聞いてる?」 「あぁ、聞いてるよ、もうクリスマス?」 「そうよ、明日はクリスマスイブ。どうしたの?大丈夫?」 「少し熱があるみたいだ。体温計が無くてわからないんだけど」 マユカは、ハルトの額に手を当てる。 「確かに熱いわ。私、体温計買ってくるから、横になっていて、いい?わかった?聞こえてる?」 「聞こえてるよ、ありがとう」ハルトはそう言って、玄関を出て行くマユカの後ろ姿をぼんやりと眺めた。
マユカが耳元で囁く。「だから健康でいて、って言ったのに」と。 ハルトは一言「ごめん」と言おうとするけれど、声をどうやって出したらいいのかがわからない。 「それだけでよかったのに」とまたマユカの声。ハルトは声の出し方がわからないから、黙っている。何も言わないハルトを見てマユカは涙を流している。マユカの涙は止まることなく流れ続け、ハルトの周りを地中海のような青で満たした。ハルトは白いベッドの上に横たわっている。右手に見える窓からは地中海が見える。そこがコルシカ島だということがハルトには分かる。明日、クリスマスを迎える地中海の島だ。「コルシカ島のクリスマスって、こんな風なのか」と熱で火照った頭でハルトは思う。マユカはどこにいるのかと部屋の中を見渡してみるけれど、その姿は見当たらない。早く体温計を持ってきてくれないかと、考える。早くしないと体温計で測れないくらい、どんどん熱が上がってしまうと思う。その時、島にある立派な劇場からトランペットの音色が漏れて聴こえてくる。クリスマスソングを奏でている。聴いたことのあるスタンダードな曲。ハルトはその曲のタイトルを思い出そうとしてみるけれど、熱のある頭では無理だと思い諦めた。それでもメロディーは覚えていてトランペットの旋律に合わせて鼻歌を歌ってみる。 「あら、ご機嫌ね、そんな風に歌えるならもう大丈夫ね。今夜あの劇場でコンサートがあるの。この島出身の有名なトランペッターよ。チケットがあるから一緒に行きましょう」と部屋に入ってきた女が言う。 「マユカ?」 「私はマユカじゃないわ。あなたマユカを知っているの?」 「あぁ、知っている」 「全部マユカのせいよ、こんな世界になったのは。どうしてやめさせなかったの、あなた」 「やめさせるって?」 「まぁ、もういいわ、終わったことよ、仕方がないわ。幸いコルシカには影響がなかったわけだしね。で、どうするの?コンサートに行くの?行かないの?今夜はクリスマスイブよ。まさかこのベッドに一晩中寝ているつもり?」 「行きたいけど、マユカが」 「またマユカ?マユカがどうかしたの?」 「体温計を持ってくるんだ」 「そうなのね、じゃあ仕方がないわね、じっとそのベッドで待っていればいいわ、そのマユカという女を。私はコンサートに行ってくるわ。多分、この部屋にも音が届くかもしれないわね、あなたはそれを聴いて我慢していればいいわ、じゃあね」と女は部屋を出て行こうとする。 「待って、やっぱり行くことにするよ、コンサートに、君と一緒に」 「じゃあ、早く着替えて支度をして。そんなパジャマじゃ劇場に入れてもらえないわ。男性のドレスコードはタキシードよ」 「タキシードなんて持っていないよ。ここは単なる仕事部屋だから、一度家に帰らないと」 「家はどこ?」 「世田谷」 「それは無理ね、ここはコルシカ島だってこと、わかってる?」 「あー、そうだった」 「仕方がないわ、私が叔父さんから借りてくるから待っていて」 「ありがとう」 女はタキシードを借りに部屋を出て行った。ハルトはまたベッドに横になって女が戻ってくるのを待った。部屋のドアが開きマユカが息を切らして入ってきた。 「買ってきたわ、はい体温計」 「もう大丈夫なんだ、それは」 「どういうこと?熱は下がったの?」 「わからない、けど、僕に今必要なのはタキシードなんだ。コンサートに行くから」 「何を言ってるの?コンサートって何?」 「島の劇場でクリスマスコンサートがあるんだ」 「島?」 「そうコルシカ島」 「ハルト、熱で頭がおかしくなったの?コルシカ島ってなに?それに今はコンサートなんてできないわ、ウイルスの所為で」 「マユカこそ、何を言ってるんだ?ほら、聴こえてくるだろ、トランペットの音色が。さっきからクリスマスソングを奏でている。なんていう曲だったろう、タイトルを覚えてる?僕はメロディーは思い出せるけど、タイトルが思い出せない。この曲、君も好きだって言っていたよね、クリスマスソングの中でこれが一番好きだって」 「ハルト、私には何も聴こえないわ。きっと熱のせいね、幻聴だわ」 「違うよ、ほら聴こえる、よく耳をすましてごらんよ、ねぇ」
ハルトは目を覚ます。どれくらい眠っていたのかわからない。部屋を見渡し、いつものようにパソコンに向かうマユカの背中に視線を向ける。いつのまに戻ったのだろうか、体温計はあったのだろうかとぼんやり考える。寝返りを打つとマユカが振り向いて、心配そうに近づいてくる。「ずいぶん長い間、眠っていたわね。もう日付が変わって、クリスマスイブよ。はい、体温計」 「ありがとう」 「もし熱があったら、念のため検査ね」 「そうだね。ところで、この音楽は何?」 「イタリアのトランペッターの、クリスマスコンサートのライブ盤」 「どうしたの?これ」 「去年、ハルトがコルシカ島のクリスマスってどんな風なんだろうって言っていたでしよ。この前、偶然ネットでこのCDを見つけたの。コルシカ島の劇場でクリスマスに開催したコンサートみたいよ」 「そうか、そのコンサート、男性のドレスコードはタキシードなんだって」 「えっ?どうして知っているの?そんなことを」 「まぁ、いろいろあってね、説明が難しい。それより、マユカのクリスマスの準備はもう整った?」 「そうね、だいたい出来たわ。あとは明日を待つだけ」 「そうか。楽しみだね」 「うん。上手くいけばいいけど」 「上手く?」 「そう、上手くいけば」 「それって、もしかして」 「?」 「いや、なんでもない」 「なに?」 「いや、大丈夫。明日のクリスマスを待つよ」 「うん、楽しみにしていて。それで熱は?」 「少しあるみたいだ」 「そう、それは心配ね。とりあえず寝ていて。私は最後の仕上げをするから。あした検査に行きましょう、ね、いい?」 「わかった。そうするよ」 ハルトは再び目を閉じ、トランペットの音色に耳を傾ける。演奏が終わると観衆の拍手がおこる。タキシードを着た自分もそこで拍手をしている。横を見ると、さっきの見知らぬ女が同じように拍手をしている。そして、おそらくイタリア語だろうか、ハルトに向かって何かを言ったようだけれど意味はわからない。ハルトはとりあえず「メリークリスマス」と言ってみる。女は微笑んで「メリークリスマス」と応えた。コンサートが終わり劇場を出ると、ちょうど日付が変わり、街の教会の鐘が鳴る。ハルトは少し熱っぽく感じ、額に手を当ててみる。やはり熱があるように思う。早く帰ってマユカの買ってきてくれた体温計で計らなくては、と思う。
マユカは、随分と時間が掛かってしまったけれどクリスマスに間に合ってよかったと思う。ハルトは再び目を閉じてから、また長い間眠っている。あまりに静かなので少し不安になって、そっと寝顔を覗き込み、さらに耳を口元まで近づけて寝息を確認する。大丈夫だ、ゆっくりと静かに呼吸をしている。 マユカはデスクに戻り、日付が変わるのを待ってエンターキーを押し、ノートブックを閉じた。これで全てが終わったと思うと安堵で全身の力が抜けていくのがわかる。この数ヶ月、自分ではあまり意識していなかったけれど、きっと緊張していたのだと思う。ようやくそんな日々から解放されるのだ。クリスマスイブの夜なのに、街は静まり返っている。マユカは、ベッドで眠るハルトに「メリークリスマス」と呟き、まもなく訪れる夜明けを待った。
END
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おかしなこと どうでもいいこと ふつうのこと
http://ikanika.exblog.jp/28295210/
2020-11-11T12:35:00+09:00
2020-11-11T14:24:08+09:00
2020-11-11T12:35:43+09:00
ikanika
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「おかしなことになってますね?」「あぁ、ドナルド」「世界一の無法地帯が生まれそうじゃないですか。分断とか略奪とか、私、怖いです」「大丈夫ですよ、まともな人たちもたくさんいるはずですから。四年間、世界中の恥さらしだった、ようやくゆっくり眠れる、
なんて言ってましたよ、ニューヨーカーが」「それ聞くとちょっと安心しますね」「それより、あの、背広にキャップって服装、変ですよね?
なんであんなおかしな格好になってしまうんですかね?
僕には真似できない気がします」「野球の国だからじゃないですか?」「じゃあ、日本だったら相撲の国だから、スーツにフンドシ?」「まぁ、そういうことになるんでしょうか。でも、あなた野球とか上手くなさそうな感じがします」「なんですか、急に」「なんとなく、運動音痴とか?キャッチボールはうまいけどフライが苦手とか?そんな風に」「フライ?」「そう外野フライとか高いやつは取れないみたいな」「そのフライですか。エビとかかと思いました」「なんでここでエビフライの話になるんですか?おかしいです、それ」「そうですよね、でも、きみはタルタル派ですか?それともソース派ですか?」「私は塩派です、基本フライにはなにもかけないか、塩です。
だって衣がベチャベチャになるじゃないですか、何かかけると。
あれ、苦手です。
衣をつけて揚げた意味がないですよね、衣のサクサク感が欲しいんです。
フライとか天ぷらには」「かけてすぐ食べれば、大丈夫ですよ。
あと、ちょっとずつかけるとか」「すぐ、とか、ちょっと、とか、せせこましいくないですか?そういうの。あなたはいつもそうしているんですか?」「してないです、別に。気にせず全部にかけるし、
天ぷらそばに入っちゃったかき揚げも好きです」「だったらそれを私に勧めたらいいと思います。
やったことないことを勧めるのどうなんでしょう?」「きみが塩派だって断言したから塩派の人の許容範囲を想像して、そう言ってみたんです」「許容範囲は、ありません。塩は塩。
無理にソースとか醤油の世界に足を踏み入れなくたって満たされているから平気です」「ちがう世界を体験するのも楽しいかもしれませんよ。
冒険心というか」「フライと天ぷらで冒険する気にはならないです。
どうせなら、私、地下都市とか行きたいです。なんかよくタレントとかが洞窟に潜っていって
発見した的なところあるじゃないですか、あそこに」
「あれ、先にカメラマンとかスタッフが入ってますよね」「そう、だからそっち側です、スタッフとして。
私、タレントじゃないし。
ちなみにあなたは何の冒険したいですか?」「特には」「ないんですか?ないのに私には冒険心がどうとか言うんですね」「おかしいですか?それ純粋な提案、ていう感じです。
提案は提案として自立しているというか独立した存在なんだと思います。
自分がどうとかは関係なく」「意味わからないんですけど、それ。提案が独立した存在とか。あなた哲学者とかですか?」「哲学者ってそんなことを言うんでしたっけ?」「知りません、イメージです、単なる。
哲学者ってこの時代に存在しているのかも知りませんし。
ソクラテスとかそういう時代の人ですよね、きっと」
「いや、そういうわけではないと思います。
大学の哲学部を卒業したら哲学者とか?」「えっ、そうなんですか?哲学者って大学出ないとなれないんですか?もっと自由なイメージだったんですけど、私。
ただ哲学的なことを考えていたら哲学者、みたいな」「どうなんでしょうか、
哲学者の知り合いいないので、正直僕にはわかりません。
少なくとも僕は哲学者ではないと思います」「いや、はたから見たら哲学者風ですよ、あなた」「風って、ほんとはそうじゃないから、風なんですよね?」「まぁ、そうですけど。ほら、なんか理屈っぽい。
そういうところが哲学者風なんですよ」「風って、なんかいけてないですよね、イメージとして。
偽物みたいで」「だって実際、哲学者じゃないのに哲学的なこと言うし。
まさかほんとは哲学部卒だったり?」「いや、法学部です」「じゃあ弁護士だったり?」「まさか。法学部出たからって弁護士にはなれませんよ」「でも、哲学部出たら哲学者でしょ? 同じじゃないんですか?」「ちがいます」「じゃあ、なんで法学部に行ったんですか?」「特には」「さっきもそう言ってました、口癖ですか?それともそういう生き方?生き癖ですか?」「イキグセ?って言葉あるんですか?」「知りません、なんとなく流れで言ってみただけです。
でも、ありそうじゃないですか、
つい無意識にこんな風に生きちゃう、みたいな」「そういうきみのイキグセはなんですか?」「私ですか?わたしは、なんでしょう、
いつも時間を気にして生きているということかもしれません。
たぶん、普通の人よりたくさん時計を見ていると思います。
常に何時何分か把握していないと不安というか気が済まないというか、
そんなイキグセです」「面倒というか、大変ですね、それ。
子供の頃からですか?」「はい、そうです。子供の頃の時計ってすぐ止まるか、
動いていてもいい加減な時間を指していたじゃないですか。
全く信用ならなかったけど、みんなでネジを巻いたり一生懸命面倒を見ていて、
私が時計に時間を教えてあげていたようなものだと思っていました。
わざわざ電話で時報を聞いたりして。
たぶん、そのせいでこうなったんだと自分では思っています。
常に時間を把握していないと気が済まないイキグセは」「なるほど、その分析、正解なような気がします」「ありがとうございます。私もそう思います。
ところで、あなたは時計をしていないんですね、腕に」「腕時計、ということですか?」「はい、それ以外に何が?」「いや、特には」「ほら、また」「あっ、そうですね、口ぐせですね、きっと。
で、腕時計の話ですよね。いまはスマホがあるからそれで十分かと」「みんな、そうですよね。スマホスマホって。
万能の神みたいにいいますよね。いまの人たちは」「だめですか?それ」「ダメじゃないです。ひとの自由ですから。
でも、嫌いです。
なんでもかんでもスマホに頼るのは。
時間は時計の役割です、スマホじゃなくて、そう思うだけです。
時計は時間を知らせることに専念してるからいいんです。
なんでもかんでもやろうとしないから。
そういうスタンスに好感を持つんです」「スタンスですか」「はい、スタンス。
スタンスとイキグセって似てますよね?」
「どうでしょう?
ちょっとニュアンスが違うと私は感じますけど」「ニュアンスですか」「いちいちカタカナのことろ、繰り返さないでいいです。
なんかバカにされてるように感じます。
また、カタカナ使ってる、なんていう風に」「そんな意図はないです。
気に障ったようでしたら謝ります。ごめんなさい。
カタカナといえば、この前、デトックスっていうでかい看板の店があって、
さらに店内にはハイブリッドっていう文字もあって、
なんの店なのか全くわからなくて不思議でした。
そういう流行りのカタカナを並べたいんですかね、その店のひとは」「さぁ、知りません、その店の人のことは。
で、結局なんのお店がわかったんですか?」「はい、たぶん、整体とかそういう身体を整える系の店みたいです」「何と何のハイブリッドなんでしょうか?」「そこまで知りません。入る勇気はなかったので」「怖がりですか?あなた」「怖がりではないと思いますが、
店に入ってまで何のハイブリッドかを知りたいとは思わなかっただけです」「私は知りたいです」「じゃあ、場所教えますから行ってみてください、デトックスに」「もし、何のハイブリッドかわかったら知りたいですか?あなたは」「はい」「やっぱり知りたいんじゃないですか、だったら行けばいいと思います」「だから、自分で行ってまでは知りたくない、というか、その程度で。
もし、きみが知ったら教えてほしいですけど、
きみが知ることがないのであればそれまでの話で」「なんだか面倒な話に聞こえます。その説明。
哲学的な何かみたいに」「今の話に哲学的な何かはないと思いますけど?」「ないと見せかけてある、っていうそういう論法かもしれません、
よく哲学者がやりそうな」「哲学者ってそんなですか?」「イメージです、あくまで、私の個人的な」「またイメージですか。ずいぶん哲学にこだわりますが、
何かあるんですか?その理由みたいなものが」「いえ、ないです。
なんとなくあなたの身体から哲学的な香りのようなものを感じたからかもしれませんが。
でもあなたは法学部でしたから全然ちがいますね。でも、もういいです、哲学の話はやめましょう」「じゃあ、何について話しましょうか?」「芸術について、はどうですか?」「哲学の次は芸術ですか、なんかすごいですね」「すごいってなんですか?」「いや、なんとなく口をついて出ただけです」「私、芸術について饒舌に語られると、なんか、その作品がつまらなくなるんです。
いや、つまらないというか、嘘っぽく感じてしまうんですが、
そういうことってありませんか?」「そうですね、確かに、そういう時もあります。
でも、少しだけ解説してもらわないとなんだかよくわからない物もあるじゃないですか。
そういう時は、饒舌とまでは言わないまでまでも、
なにか方向性というか理解するためのベクトルを
言葉で指し示してほしいと思うことはあります」「それは必要ないと思います、私は。
鑑賞してわからないものはわからないままでいいと思います。
わからない作品としてファイリングしておけばいいと思います。
わからないからといって価値がないというわけではないので。
私の中では」「なんだか、哲学的ですね?」「また哲学ですか?」「いや、それはこっちのセリフです」「えっ?どっちとかあるんですか?」「いや、あるとかないとかじゃなくて、まぁ、いいです。
で、芸術ですよね」「はい、ところで芸術家ってなんですか?
どうやったらなれるんですか?
哲学者とおんなじ感じですか?
哲学的な事を考えたら哲学者、芸術的なことをしたら芸術家って、感じですか?
学歴とか必要ない感じで」「そうですね、似ているかもしれません。
良いところに気づきましたね」「ありがとうございます、褒めていただいて」「いえ、別に、褒めてるわけでは」「違うんですか?
損しました、ありがとうございますなんて言ってしまって。
まぁ、いいです。
あなたはもしかして芸術家ですか?哲学者でもないし、弁護士でもないとなると、その可能性はありますよね?」「いや、全然」「じゃあ、なんなんですか?あなたは」「世の中、哲学者と弁護士と芸術家以外にもたくさん職業というか、
そういうのはありますよ」「まぁ、そうですよね、確かに。
でも、芸術家と哲学者って職業欄に書けるんですか?会社員みたいに。
なんか、怒られそうです、役所に」「役所?」「はい、区役所とか市役所に。
じゃあ、自営業ですね、とか言われそうです。
あるいはフリーランスとか。
あっ、カタカタついでに思い出したんですが、
バイプレイヤーって脇役のことですか?」「たぶん、そうだと思います」「最近、いちいち横文字に言い直しますよね、レガシー、とか」「レガシー?」「はい、政治の世界で最近よく耳にします。
なんなんですかね、あれは。
政治家のレガシーって」「功績とか実績とか、そういうことですかね?」「知りません、私が質問したんですよ、それ。質問返ししないでください。
話がよくわからなくなります。
そもそもバイプレイヤーのことです。
なんで脇役を言い換えたのですか?英語に。
なんか印象がいいとかそういう理由でしょうか?
それとも、意味合いがちょっと違うとかですがね」「そんな気がします」「そんなって?」「意味合いの方です」「どんな?」「まぁ、ニュアンスというか、そういうレベルのことで」「出ましたね、ニュアンス」「あっ、確かに」「あなたも使うじゃないですか、そのカタカナ。
便利なんですよ、カタカナ英語って。
意味が程よく曖昧になって、
でもなんとなく言いたいことは伝わるみたいな。
オブラートにつつんだ感じというか」「オブラートって最近見ないですね、そういえば」「薬が美味しくなったからなんじゃないでしょうか。
だから必要なくなったみたいな」「薬、美味しいですか?」「さぁ、私、薬の飲んでないので、最近。病気になってないんで。あなたは?オブラート、最近見ますか?」「僕も薬飲まないので、わかりません」「じゃあ、オブラートに関して会話にならないですね、私たち」「はい、でも、それはどうでもいいですね、きっと。
カタカナ英語の話ですから、していたのは」「それも、別にどうでもいいと言えば、どうでもいい気がします、私は」「確かに。どうでもよくない話題なにかありますか?最近」「そうですね、やっぱり、アレじゃないですか、アレ」「アレ、ってアレですか?」「そう、アレ」「ですよねー」「でも、あなたのアレと私のアレって同じですか?」「えっ、違うんですか?」「だって、アレしか言ってませんよ、私それでなんで同じだって思うんですか?」「だって、いまアレって言ったらアレしかないじゃないですか」「そうですか?それしかないことなんてないと思います。
あなたにとってはそうでも、私にとっては違うかもしれません」「じゃあ、せーので言ってみますか?アレを」「なんか、それ、恋人同士がやるやつですよね。
レストランのメニュー見て、何が食べたいか言ってみない?とか。
そういう、いちゃつく時にやるやつですよ。
あなたとはそういう関係じゃないので、無理です、私」「でも、メニュー見てやるやつとはちがいますよ、僕らの場合。
アレを言うだけですから」「一緒ですよ、むしろアレって、なんか意味深で、いやらしいです」「えっ、違いますよ、アレの意味じゃないですから」「なんですか?アレの意味って」「だから、アレ」「なんだかわからないんですけど、あなたの言うアレもしかして、下ネタですか?」「違いますよ。もとに戻りましょう」「もとってどこまでですか?」「えーと、どうでもよくない話題です」「でも、思ったんですけど、
どうでもいい話の方が楽しいですよね、きっと。
なんとなく今はそう思います。
だから、どうでもいい話だけしませんか?」「だけ?」「そう、だけです」「わかりました」「じゃあ、私から。ようやく辞めますね、ドナルド」「それどうでもいい話題の最初ですか?どうでもよくない話題の筆頭のような気がします」「じゃあ、きょうの感染者数は584名ですって」「それもどうでもよくないです、確実に」「難しいですね、どうでもいい話って。あなたからお願いします。得意そうですから」「わかりました、やってみます。この前バスに乗っていたら、ガス欠で止まってしまったんです」「えっ、バスガス欠ですか?」「あっ、それバスガス爆発に似てますね」「なんですか?それ、バスガス爆発って」「知りません?早口言葉の一種です。流行りませんでした?」「知りませんし、早口言葉にもなっていない気がします。
そんなに言いづらくないですよ、バスガスバクハツ、
ほら、言えた」「そうですね、言えてますね」「いい感じです」「何がですか?」「どうでもいい話」「そうですか、よかったです」「じゃあ、私も再トライしてみます。例えばですけど、
傘を持っていない時に雨が降ってきたらあなたはどうします?」「なんですかその質問?どうでもいい話ですか?」「まぁ、あまり考えずに答えてみてください」「わかりました。僕はしばらく雨宿りします。
それで、止んでこなかったらコンビニでビニール傘を買います。
透明なやつ」「白ですか?黒ですか?」「何がですが?」「肢、持ち手です」「あぁ、白がいいです」「私も白派です。あと手動。
ジャンピング的なのは要りません。
ビニール傘にその機能は求めていないので。
それに、危ないし水が飛び散るし、
手でゆっくり開きたいです、傘は」「同感です。
あとサイズはどうですか?妙に大きいやつがありますよね。
あれ、濡れないようにってことだと思いますけど、
あれさして歩道歩けないですよね、
他の人に邪魔ですよね、だから、すごく高く持ってみたり、
斜めにしてみたりして歩くので結局濡れやすいというか、
雨を防げないですよね」「同感です。私もなるべく小さいものを選びます。
私、身体も小さいので、あの大きいやつは必要ないです。
ビニール傘についてはほぼ同じ嗜好性ですね、私たち」「はい、そうみたいです。他にそういうのありますかね?」「そういうのって?」「嗜好性が同じものです」「なんかお互いそういうのを探すのって恋人同士みたいです。
やめましょうよ、そういうつもりは、私、ないので。
ごめんなさい」「その言い方だと、まるで僕が振られたみたいなので、やめてくれますか?」「あっ、ごめんなさい。
てっきりそうなんだと、ほんと、ごめんなさい」「いや、だから、その、ごめんなさい、が」
「わかりました、ごめんなさい」「あっ、それ、わざとですね」
「はい。でも、どうですか?このどうでもいい話」「なかなかいいと思います。盛り上がりますね」「そうですか?盛り上がってます?
これ、退屈じゃないですか?大丈夫ですか?」「大丈夫ですよ、十分楽しいです、僕は。
楽しくないですか?」「楽しいです。
でも、そろそろ終わりにします、時間なんで」「時間ですか?時間制限とかありましたっけ?」「そうではなくて、夕食の準備の。あなたは今日の夕食はどうするんですか?」「まだ決めていまん、特には」「また、特には、って。
じゃあ、一緒に食べるっていうのはどうですか?私と。
どうせ、一人分も二人分も一緒ですから、作る手間は」「それ、よく耳にします。
一人分も二人分も一緒ですから、ってフレーズ。
本当なんですか?それ」「厳密には違うと思います。材料とか倍ですから。
たぶん、そういうこととは違った意味合いというか、
別の理由があっての使い方をするんだと思います、このフレーズは」「どういうことですか?」「料理はしないんでしたっけ?あなたは」「はい、ほとんど」「じゃあ、わからないですね、
このフレーズの持つ意味合いというか、ニュアンスは」「あっ、ニュアンス」「そこはどうでもいいです。
どうしますか?
一緒に食べますか?やめますか?」「食べます」「きょうは寒いので鍋にしようと思ってたんです、
いいですか?」
「はい、いいですね」
「一人鍋は寂しいのでちょうどよかったです」
「そうですね、鍋は一人じゃないほうがいいですね。
でも、どうしたら?
まかさ、オンライン鍋では無いですよね?」「あぁ、オンライン飲み会的な。
違います、こっちに来てください、今から。
だいたい一時間後には出来上がってますから、そこを目指して」「了解です、日本酒持って行きます」「いいですね、ありがとうございます。
出来れば純米酒で」「了解です。
ようやく普通の会話してますね、僕ら」「そうですね、あまりにも普通で、つまらない気もしますが」「そういうものだと思います。普通の会話は」「でも普通がいいですね」「そうですか?」「違うんですか?」「いや、いいです、普通で」「では、一時間後、お待ちしてます」「はい、わかりました、伺います」
「では」
「はい、では後ほど」
終わり。
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『HALLOWEEN COOKIES』
http://ikanika.exblog.jp/28272266/
2020-10-22T22:02:00+09:00
2020-10-22T22:02:28+09:00
2020-10-22T22:02:28+09:00
ikanika
未分類
HALLOWEEN COOKIES
ハロウィンクッキー
ある日、君が「かわいいクッキーがあったから」とハロウィンのクッキーを手みやげに持って現れた。お化けや猫やコウモリ、魔女の帽子といったキャラクターを型どったクッキーだ。僕はとりあえず「ありがとう」と言って、それを受け取った。午前中に何十個と嫌になる程、見てきたクッキーだとは、さすがに君には言えなかった。会社が在宅勤務になって、通勤時間がなくなり、少し時間を持て余していたので、住んでいるマンションの一階にあるカフェの手伝いを始めた。それも、もう半年になる。あえて君に言うことでもないと思って黙っているので、そのことを君は知らない。君がカフェで買ってきてくれたクッキーが、僕が早朝に袋詰めした物だとは君が知る由もない。今朝も、欠けてしまって商品にならないクッキーをいくつも持って帰ってきていて、キッチンの戸棚に袋に入れたまましまっていた。君が来たら食べてもらわないといけないと考えていたくらい、たくさん溜まっているのだ。そこに、また君からの手みやげが加算されることになる。これはまずいと思い、その場で二人で食べてしまおうと、すぐに袋を開けてお皿の上に出して君に勧めた。「おいしそうだよ、食べよう」と君に食べるように促す。 「わたしが持ってきたのに、先に食べちゃうのおかしい」と君は僕に先に食べるように勧める。 「だよね、じゃあ」と僕は緑色をした、お化けのクッキーを齧る。 「どお?」と君は小さく笑いながら僕に尋ねる。 「うん、おいしい、美優も食べて」もう何個も食べているクッキーだけれど、あたかも初めて食べるように振る舞う。 「なんだろう?その黒いのは」 「これ?猫じゃない?」 「じゃなくて、黒くしている材料のこと」 「あっ、そっちね。えーと」と君は袋の裏のシールを見る。 「ブラックココアだって」 「へぇー」と言ってみるけれど、当然知っている。そのシールも僕が貼ったのだから。 「こういうの、大変よね」 「こういうのって?」 「だって、一個一個袋詰めして、このシールとかも貼って、でしょ?」 「うん」 「それで、何百円とかで」 袋詰めもシール貼りも僕がやっているのだ。ここでそれを打ち明けると君はどんな反応をするだろうか、と想像する。間違いなく、驚くだろう、そして「なんで?」と理由を尋ねるような気がする。答えは明確で「時間を持て余していたから」だけれども、それを君が納得するかは、わからない。怪訝そうな顔をするかもしれない。理解できないと言うかもしれない。 「ねぇ、聞いてる?」 「あぁ、聞いてるよ、これでいくらだったの?」知っているけれど尋ねる。 「750円」 「まぁ、そんなものか。たくさん売らないと厳しいね」 「私、無理、そういうの」 「そういうの?」 「細かい単純作業」 「わかる、無理そう」 「高山さんは得意そうよね、そういうの、上手そう」 まぁ、実際やっているからね。君が、つい手みやげに選ぶような気の利いた感じの袋詰めとシール貼りをしているからね、と心の中で呟く。 「たぶん、得意。上手くできるよ」 ここまでの会話をして、いまさら真実を打ち明けるわけにはいかない。もう、そういうタイミングを逃している。このまま君に真実を伝えることはやめようと思う。君が真実を知らなくても物事は上手く流れていくのだ、いや知らなくても、と言うより知らない方がいいこともある、という証明、言った方が正解だろうか。 君は残りのクッキーも、美味しい美味しいと言ってとりあえず一袋は全部食べきった。 「結局、わたしの方がたくさん食べてる」と君は笑いながら言う。それでもまだ二袋残っている。 「ぜんぜんいいよ」 「美味しくない?」 「いや、美味しい、ありがとう」 「あとは高山さんが食べて、明日とかに。また買ってくるから」 「うん」 そういうことではないのだけれど、なにも言葉を返すことができずに、僕はただ曖昧な笑顔で君を見る。
カフェのランチ
二時前に高山くんが現れる。彼のいつものランチタイムだ。「こんにちは。まだ、ご飯ありますか?」 「ちょうどあと一つ」 「よかった」と高山くんはいつもの席に座る。本当は、ちょうどあと一つ、ではないのだ。もう、きょうのランチは全部出つくしていて、あるのは自分が賄いで食べようと思っていた物だけなのだ。でもいい、高山くんは、それでも喜んで食べてくれるのだから。いままでも何度かそういうことがあったけれど、あえて「これ、賄いだから」とは言ったことはない。彼がそれに気づいているのかどうかはわからない。もし、気づいていても何も言わないでいるのだろう。彼はそういう性格だと思う。お互いに暗黙の了解。なるべくロスは出したくないのでランチの数を絞っていることは、もう何年も通ってくれている高山くんは知っている。二時近くになれば当然売り切れていることが多いのも知っているはずなのだ。それでも、彼は大抵いつも、この時間に現れてご飯を注文する。あたかも、私が賄い用に一食残しているのを知っているかのように。 他のお客さんは、もう食事は済ませていて、どのテーブルにもランチは出ていない。なので、高山くんのランチだけ他の人と内容が違うということは、彼は知る由もない。場合によっては、他のお客さんが、それに気づいて「あの人だけ私たちと内容が違う」なんて思っているかもしれないけれど、そんなことを口に出すお客さんは、いままで一人もいない。きょうも高山くんの隣席には、女性の三人組がいるけれど、おしゃべりに夢中になっていて、高山くんのご飯のことなんて眼中にない。高山くんは、いつもきれいな食べ方をする。時々、ご飯粒やお惣菜をだらしなく少しだけ残す人がいるけれど、彼はとてもきれいに食べてくれる。よく言われることだけれど、間違いなく躾というか家庭環境によるものなのだろう。会ったことはないけれど、彼の家族の食卓の様子が想像できる。 高山くんは、食べ終えると席を立ち小さな紙袋を持って私のいるカウンターの前に立った。「これ、クッキーなんですけど、マスター食べます?こういうの」とハロウィンのキャラクターらしきものを型どったクッキーがたくさん入った袋を見せる。私が自分で買うにはどう考えても可愛すぎるものだ。しかし 「食べるよ、クッキーとか、甘いもの好きだから」と答える。 「じゃあ、どうぞ、これ」と高山くんは、手に持った手提げからさらに三つクッキーの入った透明な袋を取り出した。 「そんなにたくさんどうしたの?」 「僕が住んでるマンションの一階にカフェあるじゃないですか、そこのです」 「買ったの?」 「いえ、もらったり」 「もらったり?」 「正確には、あそこでバイトしてて、半端なものをもらって、あと彼女がくれたり」 「それのおすそ分けね、バイトしてるんだ、あそこで」 「はい、在宅で時間を持て余してるんで、朝」 「なるほど、いいね」 「そしたら、昨日彼女がそれを買ってきて。僕が袋詰めしてるなんて知らないから。でも、それ僕が袋詰めしてて、たくさんもってるって言えなくて、そんなに一人で食べれないし」 「そうね、言わなくていいことってあるからね、それ、ありがたくもらうよ」 「はい」 高山くんは、私が食べるつもりだった賄いをきれいに食べきって、満足気に帰っていった。私は食べるものが何もなくなってしまったので、とりあえず高山くんがくれたクッキーを齧る。ブラックココアが入ったコウモリの形の真っ黒なクッキーは、私好みの甘さで、とても美味しかった。
黒豚
実家の母から黒豚のしゃぶしゃぶ肉が届く。先日旅行に行った時に、母にお土産をと思って、そこでしか買えないお菓子を配送してもらう手配をした。予定通り届いているか気になっていたのだけれど、母からは何も連絡がなく少しモヤモヤしていた。そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、ある日突然、何の知らせもなく高級な黒豚のしゃぶしゃぶ肉が母から届いたのだった。どう考えても私が送ったお菓子よりも高価なはずで、もしかしたらゼロが一つ違う世界のものかもしれなかった。すぐに母に電話をしてみたのだけれど「東京は大変そうだからお肉でも食べて精を出しなさい」などと言っていつものように、こちらの話を全く聞こうとせず、最後に「あなたの好きな煮物も入れといたけど、すぐに食べて、ダメになっちゃうから」と付け足すように言ってあっさりと電話を切られた。荷物のダンボールには、確かに高級肉の下にタッパーに入った母の煮物が隠れるように入っていた。ちゃんと冷ましてから入れたのだろうか?お肉が痛んでいないか心配になる。冷蔵便で届いたから大丈夫なのだろうけれど、大雑把な母のことだから、もしかしたら、なんとなく冷めたという程度で入れた可能性もある。電話で確認しようかとも思ったけれどやめておいた。せっかく送ってくれたのに、そんなことで電話をしたら母だって気分がわるいだろうし。でも、出来たら早く食べてしまった方がいいように思い、翔平さんに一緒に食べようと連絡をした。母から高級肉が届いたと言うと、翔平さんは「やったー!」と子供のようなリアクションをして「カフェを閉めたらすぐ行く、日本酒がいいよね」と言って、途中の酒屋さんで澤乃井という東京のお酒を買って現れた。ずいぶんの量のお肉だったから食べきれないかと思っていたけれど、翔平さんはお腹が空いていたらしく「全部食べれる?」という私の質問に「余裕」と即座に答えた。みるみるお肉が減っていくのは気持ちがよかった。母の煮物のせいで、悪くなっていないかと心配していたことは、もう忘れてしまっていいと思った。そんなことを目の前で美味しそうにモリモリ食べている翔平さんには言う必要はないだろう。「この煮物も美味しい」と翔平さんが言うので 「そう?好き?」と答えた。 「理美がつくったの?これ」 「うん」 お肉と一緒に母が送ってきたものだとは、なんとなく言えなかった。煮物のせいでお肉が悪くなっていないか心配している自分が判断した咄嗟の嘘だった。後から考えれば、翔平さんが、ちゃんと冷めていない煮物と生のしゃぶしゃぶ肉が一緒に送られてきて、お肉が悪くなっているかもしれない、なんていうことまで想像するわけがないのだから、普通に「お母さんが送ってきてくれた」と言えばよかったのだ。 「私の好きなお母さんの味、教わったの」 と言ってみたけれど、実際に作ったことはなかった。ただ確実にこの母の煮物の味は舌が正確に記憶しているだろうから、忠実に再現できるという自信だけはある。翔平さんは、しゃぶしゃぶも煮物も食べ終わるとカバンをごそごそと探りだして、中から可愛いラッピングのクッキーを取り出した。 「はい、これ、ハロウィンクッキー」 「どうしたのこれ?買ったの?」 「いや、もらった、お客さんに」 「そうよね、翔平さんがこんな可愛らしいの買ってるところ想像できないもの」 「僕もこれは選ばない、きっと。お母さんにもお礼にこれ送ろうかな?クッキー」 「いいよ、そんなことしたら、また倍返しで何か送ってきちゃうから。倍というよりゼロ一つ違うって感じのものを」 「そっか、わかった。美味しかったってお礼だけは伝えといてね」 「うん」 煮物のことで連絡なんてしないでよかった。明日の朝、美味しかったってお礼の電話だけを入れよう。
カフェ・オ・レ
コロナのことがあったから、理美とランチをするのは四ヶ月ぶりになる。それまでは月に少なくとも二回は、インスタグラムとかで気になったカフェで待ち合わせてランチをしていた。外出自粛がなんとなく解けて、ようやく外食が出来るような気分になったとは言え、はじめてのお店に行くのは、なんとなく落ち着かないから、理美の彼、翔平さんの店で会うことにした。翔平さんのお店は繁華街から離れた住宅街にあって、席の配置もゆとりがあるので密を気にしなくて済みそうだったから、ちょうどよかった。待ち合わせの時間より早く着いてしまったので、一人で先に席について理美を待った。翔平さんは、他のお客さんの対応に忙しくしていたので、最初に挨拶をしたきり特に会話もしないでしばらくスマホをいじりながら時間をやり過ごしていた。 理美からラインが届く。 「美奈子、ごめん、乗った電車が人身事故で止まってしまって、いまようやく運転を再開したから」と。 「翔平さんに、ごはんを取り置きしてくれるようにいまラインしたけど、既読にならないからちょっと聞いてみて」とも。 席を立ち翔平さんに声を掛ける。 「理美からで、ごはんを取り置きしてほしいって、翔平さんにもラインしたみたいなんですけど、大丈夫ですか?」 「あっ、そうなんだ、理美、何かあったの?」 「人身事故で遅れるって」 「どのくらい?」 「さぁ、そこまでは言ってないんで、わからないですけど、さっき運転再開したって」 「わかった。ランチ二つね」 「はい、お願いします」 また理美からラインで「あと二十分くらい」と。 「あと二十分くらいみたいです」と翔平さんに伝える。 「先に何か飲む?」ランチタイムで忙しいのに頼んでいいのだろうか、と少し躊躇する。 「そうですね、、、じゃあコーヒーいいですか?」 「了解」と翔平さんは淡々と他のお客さんのランチを用意しながら、その合間にコーヒーを淹れてくれた。本当はカフェ・オ・レにしたかったのだけれど、なんとなく手間が掛かるような気がしてコーヒーにしておいた。翔平さんにとって、カフェ・オ・レとコーヒーとで作る手間かどれくらい違うのかは、わからないのだけれど、自分の心の負担を軽くしたいということで、そうしただけのことだった。 理美は連絡してきた通りに二十分後に現れる。 「お待たせ。美奈子、何飲んでるの?」 「あっ、コーヒー」 「珍しい。いつもカフェ・オ・レなのに」 「うん、最近飲めるようになったのコーヒー」少しの嘘。 「美奈子さん、ミルク要る?」と翔平さんの声がカウンターの中から聞こえる。二人の会話か聴こえていたようだった。 「いえ、大丈夫です」 些細なことだけれど、これでいいのだ。私の優先順位は好きなカフェ・オ・レが飲めることよりも、翔平さんに負担がかからないことの方が上なのだ。それは自分の心の負担の問題であって、他者を思いやってと言うことではなく。
レモンパスタ
美奈子さんと帰り時間が一緒になって、なんとなく「ごはんでも行きます?」と誘ってみたら「いいよ、おごらないけど」と返事が来て会社の近くのレストランに行くことになった。ひとりでも時々帰りに寄っている店だったので、先輩と言えども女性と二人でそこに行くことに少し躊躇したけれど、ほかに適当な店も思い当たらなかった。案の定、店に入るとカウンターにいたオーナーが意味深な眼差しを向けてきたのがわかった。しかし特にリアクションをせずに席に着く。「よく来るの?ここ」と美奈子さんはオーナーの反応に気づいたのか質問をしてきた。 「はい、まぁ、時々」 「そう」と美奈子さんは、それだけ言ってメニューを開いた。しばらく眺めてから 「永井くんに任せる」とパタリとメニューを閉じ、美奈子さんは店の中をゆっくりと見渡した。その仕草にオーナーを含めた店員たちは、少し緊張したように思えた。 前菜やフリットなどいつもオーダーするものをいくつか選んでから、パスタは美奈子さんに選んでもらおうかと思い 「パスタは何がいいですか?」と訊いてみた。美奈子さんは店内に掲げてある黒板の手書きのメニューをしばらくじっと見つめて 「レモンパスタ?」と少し語尾を上げて言った。 「あっ、それ美味しいですよ、僕もよく頼みます」 「じゃあ、それ」と美奈子さんは少し笑みを浮かべて言った。レモンパスタはいつも食べているので、きょうは違うものにしたいと思っていたのだけれど仕方がない。全部食べてまだ追加で食べられそうだったら他のものを頼むことにしようと思う。 美奈子さんは細身でスタイルがいいのに、よく食べることが意外だった。レモンパスタまで食べ終わって「まだ何か頼みます?」と訊いてみると「そうね、まだ食べられそう。もう一つ別のパスタにしようかな。今度は、永井くんが選んでいいよ」 と美奈子さんは、また少し微笑んだ。 「あっ、はい、ありがとうございます」 「食べたことのないもの頼んでみたら?」 「どうしてですか?」 「別に理由は無いわ、なんとなくそう思っただけ」 なんでもお見通しなのだろうかと、メニューに目をやりながら、美奈子さんの顔をちらりと覗き見する。ワイングラスを口元に持っていったまま、空を見ているようだった。覗き見する僕の視線に気づいたのか 「決まった?」とこちらに視線を向けて言う。僕は 「パスタじゃなくてリゾットでもいいですか?」と尋ね返す。 「いいわよ。永井くんが何にしたか、当ててみようか?」 「はい」 「ポルチーニ茸」 「あたりです。どうしてわかったんですか?」 「わかったんじゃなくて、私が食べたいものを言ってみただけ」 僕は美奈子さんがどんな答えをしても「あたりです」と答えるつもりだった。 「一緒でよかったです」と言うと、美奈子さんはまた小さく微笑んだ。
カツ丼セット
「永井、昼メシ行くか?」「あっ、はい、でもこれ片付けてからにしようかと」 「なにそれ?」 「チーフに言われた資料です」 「いいよ、そんなの、あとで。きょうもう戻らないじゃん、チーフ。泊まりロケだから」 「ですよね、じゃあ、行きます」 「長寿庵だよ」 「またですか?坪倉さん週に何回行きます?長寿庵」 「いいじゃん、好きなんだから」 「で、カツ丼ですか?」 「いや、カツ丼セット」 「あー、セットですね」 「そう。永井は?」 「僕は、鴨南蛮にします」 「鴨好きだな、この前もそうだったじゃん」 「好きなんで」 「この前、美奈子さんと飯行っただろ」 「えっ?」 「バレバレ」 「なんでですか?」 「オーナーが言ってた」 「あー」 「ショートカットの美人、多部ちゃん似、だって」 「似てます?」 「オーナーにはそう見えたんじゃない。俺は違うと思うけど」 「じゃあ誰ですか?」 「・・・名前が出てこない」 「誰だろ」 「そのうち思い出すよ。で、どうだった?」 「何がですか?」 「美奈子さん」 「どうって、ただごはん食べただけなんで」 「っても、なにかあるだろ?」 「何かって」 「何かだよ」 「うーん、なんか、お見通しって感じで、ビビりました」 「ビビった?」 「はい、こっちの考えてること、全部わかってる風で」 「例えば?」 「僕が何を食べたいかとか」 「当てられた」 「はい」 「ポルチーニ茸」 「えっ、」 「俺も当てられた」 「ポルチーニ茸?」 「そう」 「行ったんですか?坪倉さんも?」 「あぁ、まぁ、ね」 「・・・」 「・・・」 「カツ丼セットって、カツ煮なんですね」 「そう、自分で乗っけるタイプ。別々に食べてもいい」 「なるほど。初めて見ました、そういうの」 「カツ丼だと、最初から乗っかってくる。なんでセットだとカツ煮なのか、俺もわかんないけど」 「美奈子さんと、よく行くんですか?」 「まぁ、たまにね」 「あっ、来た、鴨南蛮」 「でも、あれだよ、美奈子さん、一緒に住んでる男いるんだって」 「まじですか?」 「この前言ってた」 「本人がですか?」 「そう。がっかりした?」 「まぁ、わかんないですけど、微妙です」 「微妙?」 「はい」 「・・・」 「・・・」 「それ、俺だよ」 「えっ」
牡蠣
いまから突然会いたいなんて連絡したら、どんな風に思うんだろう。昨日会ったばかりなのに、また今日会いたいなんて、ちょっと重いだろうか。でも、もう近くまで来てしまった。あと角を一つ曲がれば坪倉さんのマンションが見えてくる。部屋に居るだろうか、居たとしても、あの彼女も一緒だろうか。だとしたら連絡したら迷惑がられるだろう、きっと。でも、会いたい気持ちを、どこに追いやったらいいのかわからない。断られてもいいから、会いたいという気持ちだけ伝えたら落ち着くだろうか。逆に断られたりしたら、もっとどうしたらいいかわからなくなってしまうのだろうか。「いまから会えませんか?」と、もうスマホに打ち込んでいる。あとは送信をするだけだ。たったそれだけのこと。ジッと画面を見つめる。送信ボタンが指のすぐ近くにある。そっと触れるとあっけなく送信済みになった。簡単なことだった。ここからがしんどい。なんて返事が来るのか、待つのがしんどい。でも、すぐに返事が来る。まるで坪倉さんも手元にスマホを持っていて、私からのメッセージを待っていたみたいに。「いいよ、今どこ?」 「近く」 「うちの?」 「そう、マンション見える。豆腐屋さんのとこ」 「待ってて、すぐ行く」 なんだ、すぐに会えるんだ、簡単。でも、会ってどうする。なにも考えていない。そろそろ夕食の時間だけれど、何か食べたりするのだろうか。とりあえず坪倉さんが来てから考えればいいか、とドキドキしながら待った。豆腐屋さんからいい匂いがしている。「揚げ出し豆腐は五時からです。」と張り紙がしてある。これの匂いかぁ、とぼんやり考えていたら、目の前に坪倉さんが立っていた。 「揚げ出し豆腐ね、ここの美味しいんだよ。買って帰る?」 「えっ」 「うちでご飯食べようよ、いい?」 「いいけど、大丈夫なの?」 「大丈夫。もういないから美奈子は」 「どうして?」 「先週、出て行った」 「そっか」 「だから大丈夫。ワインも買って行こうか、それとも日本酒のがいいかな?揚げ出し豆腐あるし」 「私はどっでもいいです、そんなに飲めないから」
坪倉さんは、手際よくキッチンに立ち、料理をした。私よりもきっと上手だと思う。「お料理、なんでそんなに出来るんですか?」 「今の仕事の前は、レストランにいたから。だいたいなんでも出来るようになった」 「そうなんですね。シェフ?」 「よくある洋食屋だから、そんなに洒落た感じじゃないよ」 「家庭料理に近い感じ?」 「そうだね」 前にお付き合いしていた人も料理人だった。本格的なフレンチのお店にいたせいか、家ではあまり料理をしてくれなかった。作ってくれたのは大体が試作を兼ねた料理で、なんとなく嬉しくなかった。 「彩さん、なにか苦手なものある?アレルギーとか」 「いえ、なんでも大丈夫です」 「牡蠣も?」 「はい、大好きです」 と答えてからもう十年くらい前に、一度あたったことを思い出す。それから一度も口にしていない。でも、好きなことは嘘ではない。大好きで、そのときも確か神戸で牡蠣そばを食べたのだった。体調が悪かったせいもあってか、あたってしまって、旅行は諦めてホテルでずっと寝ていたのだった。 「美奈子ね、うちの後輩のとこに行ったんだよ」とキッチンから坪倉さんの声が聞こえた。 「よくやるよね、そういうこと」 そんな話を急にされても、どうリアクションしていいのかわからない。 「そうなんですね」と小声で曖昧な返事をする。 「はい、出来たよ。食べよう」 並んだ料理の中に、どこに牡蠣があるのかわからない。 「美味しそう」と言ってみる。どうしよう、牡蠣はどこに?と聞いても大丈夫だろうか。でも、並んだ料理はどれも確かにプロ並みの出来栄えだった。たぶん、間違いなく牡蠣も美味しいだろうし、もう十年も前のことだ、あたることなんてないだろうと思って気にせず食べることにした。 「昔ね、美奈子、牡蠣にあたったことがあってね。体調も悪かったせいもあったんだろうけど、だから聞いたの、さっき」 「そうなんですね」としか言えない。でも、まだ一体どれが牡蠣の料理なのかわからない。どうしようか、と考えていると、どの料理も全く味がわからない。きっと全部美味しいはずなのに。
マロンと蜂蜜
少し子供っぽいかと思ったけれど、年に一度のハロウィンなんだから、まぁ、いいか、と思って彩にもクッキーをあげることにした。彼のマンションの一階にあるカフェに先週に続いてまたクッキーを買いに来た。彼は在宅勤務のはずだから部屋にいるのだろうけれど、きょうは彩との約束があるので、会わずに帰るつもりでいた。 開店直後のカフェは、まだ誰もお客さんが入っていなくて、シンとして空気が澄んでいるように感じた。カウンターに並んだクッキーも、誰もまだ手をつけていないので整然と綺麗に、お行儀よく並べられていた。そこから二つ手に取りカウンターに持って行ってお会計をお願いしていると入り口の扉が開いて彼が現れた。 「あっ、美優、どうして?」と彼はひとことだけ口にして私を見つめている。私も同じことを言おうとしたけれど、上の階に住んでいるのだから別に当たり前かと思い直し、彼の質問に答えようとしたら、お店の人が彼に 「きょうもお疲れ様でした、助かりました」と言った。どういうことだろう?お疲れ様でしたって、と不思議に思って彼の顔を見ると、目が泳いでいる。どういうことか訊きたかったけれど、とりあえず彼の質問に答えることにする。 「こらから彩に会うからクッキーあげようかと思って、買いに来たの。このハロウィンの」 「そっか、そうなんだ」 「高山さんのお知り合い?」とまたお店の人が会話に加わる。 「うん、そう」と彼が答える。 「毎日助かってます、ほんとに」とお店の人が私に向かって言う。何を言っているのか、わからないけれど、愛想笑いをしてみる。 「寄ろうと思ったんだけど、よく考えたらあまり時間がないから、きょうは行くね、彩のウチ、鎌倉だから」 「そうだよね、ちょっと遠いからね」 なんだかお互いにへんな距離感で別れる。彩の家に向かう電車の中で、どういうことなんだろうかと、ずっと考える。お店の人の言葉をそのまま受け取ると、彼はお店の為に何かをやっている、ということだろう。一体なにを?考えても分からないから、モヤモヤするけれど今度会ったら聞いてみればいいや、とそのことはもう考えるのはやめることにする。 彩と待ち合わせたカフェで、私はコーヒーとりんごのタルトを、彩はハーブティーとマロンと蜂蜜のケーキを頼んだ。待っている間に、買ってきたクッキーを彩に渡す。 「はい、これプレゼント。ハロウィンクッキー」 「かわいい。ありがとう」 「高山さんのマンションの一階のカフェで売ってるの」 「高山さん、元気?」 「うん、でも、ずっと在宅勤務で、ちょっとストレス気味かも」 「私も」 「彩も在宅勤務なの?」 「そう。週に一度だけ出社」 「そうなんだ。坪倉さんとは?」 「それがね、彼、美奈子さんと別れてね、なんとなく上手くいきそうなの、私たち。でも、牡蠣にあたった」 「牡蠣?」 「そう、この前、彼のウチでご馳走になったんだけど、その時に。十年前に一度だけあたったんだけど、もう大丈夫かと思って食べたら、ダメだった」 「あらー、残念」 「ほんと残念。味は好きなんだけど、ダメみたい。美優はそういうのある?ダメな食べ物、アレルギーとか」 「うーん、特にないかも。あ、ケーキ来た。そのマロンと蜂蜜っていうの美味しそう」 と言ってみたけれど私は蜂蜜がアレルギーなのだ。もし、彩が一口くれるとか言ったらどうしようと内心ドキドキしていた。でも、そんなことはなくそれぞれのケーキをそれぞれに食べた。コロナのこともあるし、一口貰うとかそういうやりとりは、この先あまりやらなくなるのだろうかなどと考える。彩の目の前に置かれた緑色のクッキーのお化けと目が合う。彼がそれを齧っていた姿を思い出して、おかしくなる。もう、ハロウィンも終わりだから、あのカフェではおそらく今度はサンタのクッキーを焼くだろう。そしたら、また彼に買って行こうと思う。お化けのクッキー以上に似合わない気がする。
おわり。
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H u m i d i t y 〜散歩記念日〜0616 (最終話)
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2020-06-16T09:31:00+09:00
2020-06-16T20:21:42+09:00
2020-06-16T09:31:28+09:00
ikanika
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散歩記念日
あなたが作ったカタログをもう一度見返す。最後のページに関係者の名前が記されていて、そこにあなたの名前を見つけて、なんだか嬉しくなる。ART DIRECTOR/SHUN TAKAGAKIとある。まるで私の知らない世界の人のように思える。どんな仕事をしているのだろうか、想像してみてもわからないから今度会ったら聞いてみようと思う。その前に、もう一度、自由が丘にあるそのカタログのお店に行くことにした。あなたが関わっていると思うと、手の届かない値段の家具ばかりだけれど、親近感のようなものが湧いてくるから不思議だった。二度目だったので、お店の人は覚えていてくれて気さくに話しかけてくれた。「こんにちは、また来てくださったのですね」と。 「この前、カタログをいただいて、やっぱり素敵だったのでまた見てみたくなって」 「ありがとうございます。お近くにお住まいですか?」 「はい、一応。歩いてこれるので」 「いいところですよね、この辺りは」 もしかして、立派な一軒家とかを想像されているのでは、と思い慌てて「いえ、私は小さなアパートに一人暮らしで」と付け加えた。 「なので、本当に見るだけで。いつか買えたらいいなぁ、って思っていて」 「ですよね、私も無理」と店員さんのトーンが急に切り替わった。 「私もいつか買いたいと思ってます。なので、ここで働かせてもらって本当にラッキーです」 店員さんは、カタログを持ってきてダイニングテーブルのページを開き 「いつか結婚してお家を建てたらこのテーブル置きたいんです」とあのサンセベリアが乗ったテーブルを指差して言った。 「あっ、このサンセベリア、ウチの、というかウチのお店のなんです」と咄嗟に口にしていた。店員さんは、私が何を言っているのかわからないという顔をして 「えっ、何がですか? ウチのってなんですか?」と不思議そうに言う。急にそれだけを話してもそういう反応になるのは当たり前だと思い、説明し直そうとした時、二階から階段で降りてくるあなたの姿を見つけた。あなたも私に気づいて、少し驚いた表情で近づいてくる。
「どうして?」と、また私は、あの時と同じように、あなたに尋ねる。「きみこそ、どうして?」 それを聞いていた店員さんは 「高垣さんのお知り合いなんですか?」と会話に混ざってくる。 「知り合い、そうだね、ずいぶん昔からの」と言ってあなたは私を見た。知り合いって何だろう、って思ったけれど、それ以外にどんな風に言えばいいのか私にもわからなかったので 「はい、とても長いお付き合いなんです」と言ってみた。少しだけあなたが驚いた表情になったのが、かわいいと思った。店員さんは 「付き合ってるんですか?」とちょっとだけ勘違いをしているような反応をしたので、あなたが少し慌てているのがおかしくなって笑ってしまった。 「桑木さん、ずいぶんストレートな質問するね?」 「えっ、ダメですか? いまの質問? 違うんですか?」 「まぁ、いいじゃないか、そのあたりのことは」とあなたは言葉を濁す。 「ちょうど、これ見てたんです。結婚したらこのテーブルが欲しいって」と店員の桑木さんは、サンセベリアの乗ったテーブルのページをあなたに見せる。 「このサンセベリア、鈴原さんのだよ」とあなたは言う。 「さっきも、それ、言ってましたけど、なんですか? そのサンセなんとかって?」 サンセベリアを知らないだけの話か、と思い「植物の名前です」と教えてあげた。 「撮影のとき、貸してくれたんだよ、それを」とあなたは簡単過ぎる説明をするので、桑木さんはまた不思議そうな顔になる。 「知り合いだからですか?」 私が説明してあげないと、いつまでもこの会話が終わらない。 「撮影スタジオが、偶然、私がアルバイトをしているお店の近くにあって、それでスタッフの方がそれを借りに来て、そうしたら偶然、高垣さんのお仕事だったんです」 「偶然、偶然って、そんなことってあるんですか?」 「あるんだよ、そういうの。今日も偶然だよね」とあなたは言う。 「はい、私はカタログを見ていたら、ちょっと実物を見たくなって」 「そうなんだ。僕は打ち合わせで、撮影の。もう終わったからどこかでコーヒーでも」 「そうですね、いいですね」 桑木さんは 「ほら、やっぱり付き合ってるんじゃないですかぁ」とまた会話に混ざってくる。 「そのテーブル、かなり高いよね? 僕らでも手が出ないよ、さすがに」とあなたは私を見る。「僕ら」というのは、私とあなたのことだろうかと、少し深読みしてしまう。 「高垣さんだったら、全然そんなこと」と桑木さんが言っていると二階から 「美代さん、ちょっといい?」と誰かが呼んでいる。美代さん、って誰だろう、と思っていたら、桑木さんが「ちょっと呼ばれてるので、失礼します」と二階に駆け上がって行って三人の会話がようやく終わった。
私はあなたと店を出て、カフェを探すことにした。駅周辺のお店は、どこもゴミゴミしていてあまり好きではない。そして、どこも混んでいて待たされたりする。どうしようかと迷っているとあなたは「ちょっと歩くけどこの前のところにしない?」と言う。なんとなく考えていることが伝わったようで嬉しい。 「そうですね、私も、もう駅前には用事はないので」
二人で住宅街を歩いてカフェに向かう。この辺りの家はどこも立派で駐車場には外国車が何台も並んでいたりする。あなたもそんな家に住んでいるのだろうかと想像しながら歩いていた。まだ梅雨は明けていないので、雨は降ってはいなかったけれど、着ている洋服が湿度で湿っている感じがする。こんな風に住宅街を歩いていると、やはりまた、あの時を思い出してしまう。あなたもそうだろうか。私達は若かった。まだ手を繋いだこともなかった二人だった。あれからずいぶんと時間が流れて、様々なことがあって、いまこうして再びあなたと並んで歩いている。不思議だと思う。雨の季節に、こんな日がまた訪れるなんて。会えなかった日々のことはもう忘れてしまっていいように感じる。そこだけ、飛ばして再生してしまえば、物語はずっと続いているように見えるだろうから。あまり楽しいエピソードではないから、なくていい。
「今日は、なんの日かわかる?」とあなたが言う。「なんの日って?何かの記念日?」 「記念日かぁ、そうとも言えるかもしれない」 「なんだろう?わからないけど」 「六月十六日」 「あっ、散歩の」 「そう、初めて二人で歩いた日」 「偶然?知っていたの?」 「偶然だよ、今日、きみに会えるなんて思っていなかったから」
あの日も偶然、駅の改札で会ったのだった。学校帰りに。別々の高校で別々の方向に通っていたのに、なぜかあの日は帰りの時間が一緒になった。あなたから誘ってくれたのか、私が歩きたいと言ったのか、もう思い出せない。どちらも何も言わなかったのかもしれない。ただ不器用な感じでなんとなく歩き始めただけのような気もする。「あの時、なんで歩いたか覚えてる?」とあなたに尋ねてみる。 「なんで?」 「そう、あなたが誘ってくれたの? あの日」 「どうだろう、誘うとかそんなことは出来なかったと思うよ、子供だったから」 「そうよね、子供だったものね、私達」 「なんとなく、別々に帰りたくなかったから一緒に歩き出したとか、そんな感じじゃなかったかな」 「手も繋がなかったしね」 「うん」 すると、あなたは私の左手を握った。ハッとしたけれど嬉しかった。久しぶりに触れるあなたの手は、こんな雨の季節なのにサラサラしていた。少しだけ強く握り返すと、あなたは私の方を見て、微笑んでくれた。照れているような表情が好きだと思った。ずっとこのまま、あてもなく歩いていたいと思った。あの日のように。
0616
朝起きて、今日は、六月十六日だと気づく。気中から雨が浸み出すような湿気を感じる。あの日も同じだった。自由が丘で打ち合わせがあるので、赤坂の事務所には行かずに午前中は家で仕事をすることにした。今日は、きみの店は定休日だから、あそこに行ってもきみには会えない、そして定休日だとあのグリーン達の水やりはどうしているのだろうか、オーナーの年配の女性があげているのだろうかなどと、とりとめのないことを考えながらコーヒーを淹れる。ターンテーブルに「Melodies」を乗せ、針を落とす。この季節になると山下達郎のこのアルバムを取り出して聞くことにしている。ちょうど六月に発売されたこの作品には、あの「クリスマスイブ」が収録されていたりするのだけれど、僕の中では、雨の季節と結びついていて、同時にきみの記憶とも繋がっている。音楽が呼び覚ます記憶はきわめて個人的なもので、雨を歌った曲はなかったはずだから、このアルバムを聞いて雨の季節を思い出す人は、あまりいない気がする。1983年の発売日が、今日みたいな湿度の高い日だったことも僕はよく覚えているくらいなのだけれど。人気のある作品だから、きみも聞いたことはあるだろう。もし、僕との記憶に結びついていたりしたら、などと考えながら何度かリピートして聞き、午前中の雨の時間を過ごす。 今日、打ち合わせが終わったら、きみに連絡をしてみようかと思う。六月十六日だから。もし、都合よく会えたら、またこの前のカフェに行って話をするだけでもいいと考える。
自由が丘のインテリアショップで次回の撮影の打ち合わせを終えて、二階の打ち合わせスペースから階段を降りようとすると、きみが桑木さんと話をしていて、一瞬どきりとする。まさか二人は知り合いなのだろうかと。以前、少しだけ桑木さんと親しくしていたことがあった。自宅とこの店が近いこともあり、何度か食事をしたりお酒を飲みに行ったりという仲だったけれど、それ以上の恋愛関係につながるような雰囲気にはならずに終わった。カタログの撮影は、ずっと続けているので、いまでも時々食事をすることがあって、仲のいい友達の一人だった。
「どうして?」ときみが僕を見つけて言う。「きみこそ、どうして?」 その会話を桑木さんは、不思議そうに聞いている。関係を聞かれたら、どう言ったらいいのか適当な言葉が見当たらない。とりあえず、知り合い、ということになるのだろうか。二人は、僕が作ったカタログを見ていたようで、桑木さんは、きみから借りたサンセベリアが乗ったテーブルが欲しいと、言う。もし結婚したら、と。それが何か意味深に聞こえたのは、僕の考えすぎだろうか。その会話の流れで「僕らにも、高くて手が出ない」と言ったら、きみが少し驚いた顔をしたような気がした。「僕ら」という言葉がきみには意味深に聞こえたのだろうか。
偶然にも、連絡をしようと思っていたきみに会えたので、この前のカフェまで歩いて行くことにした。たぶん、きみはゴミゴミした駅前は嫌だろうと思って、そう言ってみたら、賛成してくれた。あの日と同じ雨の季節に、住宅街を二人並んで歩く。あの時は、どうやって手を繋いだらいいのかわからないくらい子供だったと思う。それでも、一緒にいたいという思いは、いまと変わらずあった。いつくになっても、そういう思いは抱くものなのだろう。それを、恋と呼ぶか、あるいはそうではない何かということで済ますのか、その境目はいつも手探りだと思う。いま、僕の傍に歩くきみは、何を求めていて、何を幸せと思うのだろうか。僕の知らない過去があることはわかっているけれど、それらは恐らく今のきみに全て蓄積されているのだろうから、過去の一時期だけを詳細に知ったところで意味はないはずだと思う。今のきみだけを、きちんと見ることで十分だと思う。
きみに、今日が六月十六日だと伝えて、何の日かと尋ねると、わからないと言う。でも、すぐに思い出して「散歩の日」と答えてくれて、僕は嬉しくなる。同じ記憶を忘れずに持っていてくれることが、何よりも愛おしく思う。あの時は、手を繋げなかったけれど、さすがに今ではきみの手を握ることくらいなら出来る。僕は傘を左手に持ち替えて、きみの左手を握った。その手は想像していたよりも小さく、そして冷たかった。きみは少しだけ強く握り返して僕を見る。照れ臭いけれど、こんな風に歩くことを僕はずっと求めていたように思う。あの日と同じ、この雨の季節に。あの頃と違うのは、未来を具体的に考えることが出来る年齢になったことだろうか。もう、いま握っているきみの手を離してしまうことは考えられないし、雨の季節以外にも、こうしてきみと一緒にいる記憶をいくつも積み重ねていきたいと思う。 何日か前に、梅雨入りが宣言されたばかりだから、東京の梅雨明けはまだまだ先だろう。雨の季節が終われば、眩しい光の季節がやってくる。そうしたら、少し背伸びをしてあのダイニングテーブルの似合う部屋を探して、きみにはサンセベリアを用意してもらおう。カフェに着いたら、きみにそう告げて、新しい夏を迎える準備を始めようと決めた。
終わり。
------------------------あとがき
二年前に書いた「六月のふたり」という短編の続編として、この「Humidity」を書きました。主人公のふたりが、再会出来るような話にしたいとずっと思っていて、ようやく実現出来てすっきりしました。最後に出てくる「Melodies」の話は、割と実体験に即していて、発売日は1983年6月8日で、梅雨の真っ只中で、僕は高校生でした。実際に、今でもこの時期によく聞いています。
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H u m i d i t y 〜雨傘〜記憶の扉
http://ikanika.exblog.jp/28133202/
2020-06-15T19:57:00+09:00
2020-06-15T19:57:56+09:00
2020-06-15T19:57:56+09:00
ikanika
未分類
雨傘
雨が降っても、鉢植えにジョウロで水やりをする。店先に出せば雨水で自然と潤うのだけれど、オーナーは「雨に打たれているだけじゃかわいそうでしょ、だから、お願い」と言ってジョウロで水やりをするように私に言った。 雨だと車が多い。店の前の道は渋滞することはほとんどないのだけれど、雨のこの時間帯は通勤する車で少し混んでいる。信号待ちで店の前に泊まっている車をぼんやり眺める。外からは運転席の中はよく見えないので、本当に通勤している人達なのかはわからない。もしかしたら、主婦や老人なども混じっているのかもしれない。雨傘をさして歩くのが億劫だという理由で車を出しているのかもしれない。信号が青に変わったのに店の前から走り出さない車がいる。何をしているのだろうかと運転席の中を見てみるけれど、やはりよく見えない。やがて車はゆっくり走り出し、運転手がこちらを見ている気がして少し怖くなる。何を見ていたのだろうか、雨なのに何故ジョウロで水やりをしているのか、などと不思議に思っていたのかもしれない。
お店が駅から離れているせいで、雨が降るとお客さんは極端に少なくなる。梅雨の時期は、毎日がそんな風なので、売り上げは期待できない。私のアルバイト代の方が売り上げよりも多かったりする日もあって、オーナーにそのことを話したら、最初からそれを想定してやっているから余計な心配はしないで大丈夫だと言われた。本当にそうなんだろうかと思ったけれど、お店の経営のことなどは全くわからないので、ありがとうございます、とだけ答えておいた。 雨でも、わざわざ足を運んでくれるお客さんもいるので、いつも通りに開店の準備をする。きょうもお昼まではお客さんは現れなかった。一時を回ったくらいに、カウンターの裏で、朝、作ってきたおにぎりを食べた。一人での店番なので、お昼ご飯は誰もお客さんがいないタイミングを見計らって、素早く食べなくてはいけない。いつも小さめのおにぎりかサンドイッチを自分で作って持っていくようにしている。今日は、おにぎりを二つ、梅干しと昆布の二種類にした。 ちょうどお昼を食べ終わった頃に、店の前に人の気配がして、傘をたたむ音がした。今日、はじめてのお客さんだ。店の扉が開くと同時にいつものように「いらっしゃいませ」と声を掛ける。珍しく男性のお客さんだった。その人は、私を見つめ、ただ黙って立っている。私も、その人を見つめたまま、動けなかった。雨音だけが聞こえていた。いまが何時で、ここが何処で、そもそもこの瞬間が現実なのか夢なのかさえもわからなくなってしまった。何か言葉を探してみたけれど、その瞬間に記憶にある言葉が全て消え去ってしまったかのように、何も見つからなかった。あなたが何か言って、と心の中で願った。私には言葉が見つからないから、何か言ってと。あなたは、ようやく呟くようにこう言った。 「久しぶり、元気だった?」と。 その声は記憶の中のあなたの声と同じだった。私の耳にいつも心地よく響く、大好きだったその声。「元気だった?」という問いに本当は戸惑ってしまったけれど咄嗟に出たのは「はい」という答えだった。突然、病気だったなどと詳しい説明を始めるなんてあり得ないけれど、話したいことがたくさんあることを、その「はい」の中に込めたつもりだった。その次の言葉は、私からなのかあなたからなのか、どちらから発せられるべきなのか考えていると、店の電話が鳴る。あなたに視線で電話に出ます、ということを伝え、事務的な声音で電話の対応をする。そういう私を見られていることが恥ずかしくもあり、でも嬉しい気持ちもあった。受話器を置き、その流れで私から次の言葉を発した。 「久しぶりです、どうして?」と。 たぶんあなたは「どうして?」という問いに戸惑ってしまったに違いないと感じる。確かに、曖昧な問いかけだと思う。どうして、ここにいるの? どうして、今まで会えなかったの? どうして、に対してあなたが何を答えてくれるのかまでは考えて発した訳ではなかった。様々な思いをひとつの言葉に乗せようとしたら出てきた言葉が「どうして?」だった。あなたは、しばらく考えてから 「どうしてだろう、僕にもわからない。でも、会えてよかった、こうして」とゆっくりと言葉を選んでそう言った。私は、ただ嬉しい気持ちでいっぱいだった。戸惑いや驚きも当然あったけれど、それよりも私を満たしているのは喜びでしかないと感じていた。 一年前には、こんな風にアルバイトであっても仕事が出来るようになるなんて想像していなかった。その時よりも、見違えるほど元気になった私を見てもらえたという気持ちだったけれど、あなたはそんなことは知らない。今の私になるまでの、私に起こった様々な出来事を知らない。同時に私も、目の前のあなたに起こってきた出来事を何も知らない。早くその空白を埋めてしまいたいと思う。たくさんの言葉をやりとりして、何も描かれていない空白の部分に景色を描きたいと。話したいことがたくさんあるはずなのに、お互いに言葉が出てこない。沈黙の隙間に、わずかな雫が零れ落ちるような、ぎこちない会話しかできなかった。それでも、私は良かった。こうして会えた奇跡のような出来事に感謝をしたい気持ちだった。 私の好きなあのカタログをあなたが作っていたことを教えてくれた。そして、この前、カタログを届けてくれたのもあなただったと。あの時、もし、私がお店番をしていれば、もう、あの日に会っていたのだと想像してドキドキした。時間が止まっているようにも感じていたのに、あなたはもうスタジオに戻らないといけないと言う。もっと話がしたいと思っていることを、どう伝えたらいいのかわからない。 あなたは帰り際に名刺を渡してくれた。住所が二つ書いてあり、一つは赤坂の住所で、もう一つはこの店のすぐ近くで、私の部屋とも近い住所だった。 「この近くに?」 「自宅はすぐ近く」 「私もです」 そう言いながら、鼓動が早くなっているのがわかる。たぶん、顔も赤くなっていたに違いない。次は近くのカフェで会う約束をして、あなたは雨傘をさして帰っていった。
記憶の扉
「あのグリーンには、いつもきみが水をあげていたんだ」「そう。雨の日でも」 「雨で自然と潤う気がするけど」 「雨水だけだとかわいそうでしょ、ってオーナーが」 家の近くのカフェで、きみと待ち合わせをした。お互いの家がこんなに近くだったことに驚いた。歩いて僅か十五分くらいの距離だった。いままで道端でばったり会っていてもおかしくなかったのに、会わなかったのには何か理由があるように感じる。 「偶然会っていてもおかしくはない距離だね」と言うと、きみは少し戸惑った顔をした。何かを言い淀んでいる。 「どうしたの?」 「私、まだこの辺りに住んで間もないので」 「そうだったんだ、その前は?」 きみは言葉を探しているような表情だ。聞いてはいけなかったのだろうかと思い 「ごめん、あまりプライベートなことを聞きすぎるのはよくないね」と話題を変えようとした。 「いえ、大丈夫です。でも」 「でも?」 「驚かないで聞いてください。ずっと病院に」 やはり聞いてはいけなかったように思う。話したくないことだったら話さなくてもいいと思い 「きみが話したくないことなら、知らなくていいから、無理に話さなくても、大丈夫だよ」と言い、きみの次の言葉を待った。 「はい。あまり詳しくはまだ話せないかもしれないけど、ただ、あなたには知っていてほしいとは思っていて」 「うん」 「今はすっかり元気になって、まだ、そんなに普通の人みたいには出来ないこともあるけど、アルバイトも出来ているし、変な心配をしてもらうと、申し訳ないというか、ごめんなさい」 「きみが謝ることなんてないよ、何も。話してくれてありがとう」 再会を果たせたけれど、離れていた時間を埋めていく作業は、そんなに簡単にいくものではないのかもしれない。知らなくてもいい過去は知らないままに過ごしていくことが出来ればそれでもいいのだろうけれど、全てを知った上でこれから先を過ごすことを選びたいと僕は考えていた。きみがそれを望むかどうかはまだわからないけれど。 最後にきみの手を握って砂浜を歩いた記憶は、ついこの前の事のようにも思えるし、それ自体が夢の中での出来事だったようにも感じることがある。それくらい記憶は時間と共に褪せていくもので、その褪せた色を自分の都合の良いように何度も塗り直していくうちに、本当あったことはわからなくなっていく。いま、僕の中にあるきみの記憶は、僕が僕に都合の良いように塗り替えられたものでしかないのかもしれない。
「あなたはいつから?この街に?」「僕は、もう十年近く」 「最後に会った時もここ?」 「最後って?砂浜?」 「違う。覚えていない?」 「いつだろう、その後に僕らは会っていたっけ?」 「私が見かけただけなのかなぁ」 「どこで?」 「自由が丘の駅のホーム、というか私は電車に乗っていたわ」 「五年前くらい、だよね」 「気づいていたの?あの時」 「もちろん。僕はきみが気づいていないと思っていた。何も顔色を変えなかったから」 「突然で、びっくりしてしまって、動けなかったの、私」 「そうだったのか。きみからは見えていなかったんだろうって、ずっと思っていた」 「あなたは黒いTシャツにグレーのバックを肩からかけていた。そして白いコンバースにジーンズ。いつものあなただった。すごい久しぶりだったけど、なにも変わらないなって思って」 「ドアが閉まる前に駈け込めばよかった」 「似合わないわ、そんなの」 お互いの記憶を擦り合わせて、真実が少しずつ見えてくる。 「どこに行こうとしていたの?あの時は。横浜方面だったよね?」 「病院かな」 またそこへ話が流れていく。 「あなたは?」 「僕は、家に帰るところだった。その時もここに住んでいたから」 「そっか、もう、ずいぶん昔のように感じるけど、五年かぁ」 きみはコーヒーカップを両手で包むようにして持ち上げ、一口だけ飲んで、じっと遠くを見ているような眼をして何かを考えている。
「今日も雨だけど、あの時も梅雨の時期だったよね」「あの時、って?」 「散歩した時。学校帰りに」 「六月の十六日だよ、あれは」 「日付まで覚えているの?」 「よく覚えている。毎年思い出していた」 「本当に?」 「本当だよ、雨の季節になると、きみを思い出した」 「私も」 外は静かな雨が降っている。雨音はしないけれど湿度が雨の様子を伝えていて、あの時のように僕らを湿らせている。 「来年も雨の季節を迎えられますように、っていつもお祈りしていたの。雨音がするとあなたの足音のように感じてしまって、あっ、もしかして来てくれたのかなぁ、なんてドキドキしたり。いま思うと、おかしいけど」 きみが病室のベッドに横たわる姿を想像して胸が痛くなる。僕はそんなきみのことを何も知らないで過ごして来た。遡れない過去の日々の色彩が薄れていく。きみのために何か出来たのではないかと、いまさら思ってみても何の意味もないのだけれど。
「これから、時々、会える?」「もちろん」 「よかった」 「お店にも時々行っていいかな?」 「でも、あなたが好むようなお店じゃないわ、女の子達が喜ぶ雑貨ばかりよ」 「あそこに行けばきみがいるから」 「いいけど、オーナーがお店番の時もあるのよ、この前みたいに」 「確かに、あれはタイミングを逃していたね」 「きっと、またそんな風になりそう」 きみが笑う。僕は、それだけで嬉しくなる。
つづく。
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H u m i d i t y 〜カタログ〜白いジョウロ
http://ikanika.exblog.jp/28131907/
2020-06-14T19:13:00+09:00
2020-06-14T22:40:45+09:00
2020-06-14T19:13:07+09:00
ikanika
未分類
カタログ
アルバイトをしている雑貨屋さんの定休日に、毎週必ず駅前の本屋さんに行く。ずっと病院にいたので読みたくても読めない本が、たくさん溜まっていて、そのひとつひとつを順番に買って読んでいる。駅前の小さな書店では、取り寄せないと手に入らないものもたくさんあって、買いに行っては取り寄せをお願いして、ということを繰り返している。入院している間に、ネットの世界はずいぶん便利になったようで、本なんてネットで買えば済むことなのに、と友達には言われ続けているのだけれど、家で宅配の人をずっと待っていることがどうも苦手で、ほとんどネットショッピングは利用しない。それに書店の本棚を眺めるのと、サイトがお勧めする一覧を見るのは全く違う行為だと思う。便利であることだけを求めているわけではないし、やはり、実店舗の本屋さんを応援したいという思いもある。 本屋さんで普段はあまり見ない雑誌のコーナーをなんとなく眺める。知らない雑誌の名がたくさんあって、なんだかドキドキする。私が本屋さんに来られなかった期間に世界が私の知らないものになってしまったように感じる。インテリア関係の雑誌だと思われる一冊を手に取る。巻頭に素敵な暮らしぶりをしている人達の部屋が紹介されていて、自分の部屋の味気なさに改めて気づかされる。とりあえず生活が出来ればいいという感覚で揃えた家具や日用品は、誌面の素敵な暮らしぶりには登場しない。もう少し、きちんとした暮らしをしたいという欲求がめきめきと湧いてきて、とりあえずその雑誌を買って帰った。家に着いて、雑誌を隅々まで読んで、実際に家具や日用品が買えるお店が紹介されている巻末のページまで細かくチェックした。さらには、気になる広告のお店も調べて、休みの日にいくつかのお店に足を運んでみようと決めた。 家から歩いても行ける自由が丘駅の周辺にも、雑誌に紹介されていたお店がいくつかあり、広告が載っていたお店の本店もあった。実際にお店に行って誌面で見たのと同じ家具を見てみたけれど、どう考えても自分の部屋の大きさとは不釣り合いで、その家具に囲まれて生活している自分の姿が想像できなかった。さらには広告を出していたお店は、どの家具もとても高価すぎて、いまのアルバイト生活では買えそうなものは見当たらなかった。だけれど、どれも自分の好みのテイストで、いつかはこういう家具に囲まれた生活がしたいと思って、無料で配っていたカタログだけをもらって帰って来た。カタログを眺めて、妄想だけはどんどん広がる。それも、あなたと一緒に暮らしている部屋を想像してしまって、その度に、ありえない、ありえないと、独り言を言ってみたりした。それでも、部屋にいて手持ち無沙汰だとカタログを手に取り、未来の自分の部屋を想像すると楽しい気分になれた。まだまだ、これからどんな未来でもやってくる可能性があるはずだ、なんて思ったりして。
定休日の翌日にお店に行くと、オーナーが珍しく先に来ていた。いつも通り鉢植えを店先に出してジョウロで水をあげていると「由佳ちゃん、ちょっとお使い頼まれてくれる?」とオーナーに声をかけられた。 「私が店番してるから、駅前の携帯屋さんにこれを持っていって修理をお願いしてきてほしいの。私、もうああいうお店に行ってもお店の人が説明している言葉がなんだかわからないのよ、カタカナばかりで。代わりにお願い」 確かに、私だってなんのことを言っているのかわからないIT用語みたいなものは、どんどん増えている気がしている。病院にいたから、なおさら置いていかれていると思う。とはいえ、オーナーよりはまだわかるだろうから、代わりに行くことにした。 オーナーは、修理と言っていたけれど、単純な再設定をしてもらうだけの作業だったみたいで、ものの五分くらいで用事は済んだ。店に戻ると、オーナーがインテリアショップのカタログを開いて見ている。私がこの前お店でもらってきたカタログと同じものだった。 「ただいま。無事に終わりました」 「ありがとう、助かったわ」 「そのカタログ、どうしたんですか? 私もこの前、駅前のお店でもらってきました。素敵ですよね、そんな家具のある家で暮らせたら」 「これ? いま、なんか男性が来て、撮影でお世話になったので、どうぞ、って置いていったの、これを。なんのことだかわかる? 由佳ちゃん。何か雑貨とか貸した記憶ある?」 「いえ、あっ、もしかして、ちょっといいですか、カタログ見せてもらって」 ダイニングテーブルを撮影してあるページに、サンセベリアが写っていたのを思い出した。開いてみてみると、店先のものと葉の感じが似ているように思い、カタログを店先まで持って行って、見比べてみた。確かに、同じ葉っぱのようだった。 「オーナー、すいません、実はこのサンセベリアをお貸ししたんです。撮影に」 「これ? なんで? いつ?」 「少し前ですけど、あそこの撮影スタジオのスタッフの人が来て、どうしても今、必要なんです、ってお願いされて。ごめんなさい、黙ってて」 「そんなことがあったの、まぁ、別にいいわよ、そのくらいは。こんなグリーンで良ければね」 「以前、オーナーが店に来た時に、あのサンセベリアの前に座っていた若い男性、覚えてません?」 「あー、あったわね、そんなこと。でも、今日、これを届けてくれた人はもっと年上で、なんか素敵な人だったわよ」 「そうなんですね、じゃあ、あの若いスタッフとは別の人ですね」 まさか、毎日眺めていたこのカタログに店先のサンセベリアが写っていたなんて、全然気がつかなかった。不思議な偶然があるものだと思い、ますますこのカタログの家具が欲しくなってしまった。
白いジョウロ
ディレクションをしたカタログが刷り上がってきた。会社に勤めていた時から担当させてもらっていたインテリアブランドで、独立をしてからも、ありがたいことに、仕事を回してくれた。そのブランドの商品は、年々価格が上がっていって、今はもうハイブランドの家具という位置づけで、とても自分では手を出せない値段のものばかりだった。カタログは何度も校正をして見ているので、ザッと仕上がりの具合だけ確認するためにページをめくる。ダイニングテーブルのページを見て、そうだ、と思いつく。このサンセベリアを貸してくれたあの店に、お礼を兼ねてこのカタログを届けようと。きみがジョウロで水をあげているという妄想も手伝って、すぐに行かなければと心がはやる。明日、事務所に行く途中に寄って直接手渡ししようと決めた。 開店直後くらいに行けば、誰かがグリーンに水をあげているかもしれないと思い、その時間を狙って訪ねた。店先のグリーンにはすでに水があげられていて、撮影時よりも成長して大きくなっていたサンセベリアも置いてあった。店には年配の女性が一人、店番をしていた。「こんにちは」と声をかけ、撮影時にサンセベリアを貸してもらったお礼を言うと、何のことを言っているのかわからない、というような表情をした。 「そんなことがあったんですね、アルバイトの子に聞いておきます」と、こちらが期待していたやりとりとは全く違う展開で、なんとなく残念に思い、店を後にして、赤坂の事務所に向かった。
午後から、林原と次の撮影の打ち合わせがあり、アシスタントの卓也君と二人でやってきた。「カタログ、あのサンセベリアを借りた雑貨屋さんに渡してきたよ」と卓也君に伝えた。 「あっ、ほんとですか、ありがとうございます。喜んでましたか? あの人」 「あの人、って、年配の人じゃないよね?」 「はい、店番をしていたきれいな人です」 「きょうは、年配の人しかいなかった、違う人だね、卓也君が会ったのは」 「はい、たぶん、別の人です」 「そうか、その人に直接渡せればよかったけど、まぁ、仕方ないか」 妄想の中の、ジョウロで水をあげているきみの姿が消えずに残ってしまった。 「高垣さん、次のスタジオどうします? また、あそこでいいですか?」 「広さ的に大丈夫なら、僕は構わないよ、家から近いし」 「そうですよね、すぐですよね、あそこから」 家が近いというのもあるし、あの雑貨屋についでに顔を出してみようかとも考えていた。卓也君が言う、きれいな人、に会ってみたかった。
撮影当日も、朝から雨が降っていた。連日の雨で街中が湿っている。その湿度に比例するように、きみの記憶の輪郭がくっきりと見えてくる。しかし、その記憶は、今はどこにも繋がってはいない。途切れた時間を埋めることが出来るのかは、わからないけれど、せめて、今という時間のどこかへ繋がっていてほしいと思う。そうすれば、記憶から手繰り寄せていくことも出来るかもしれないのだから。 この雨だと、店先のグリーンに水をあげる必要はないだろうと考えながら、車で雑貨屋の前を通る。しかし、誰かが白いジョウロで水をあげている。雨なのに。後ろ姿しか見えないけれど、この前の年配の女性ではないことは確かだった。信号待ちで雑貨屋から少し離れたところに停車した。ジョウロで水をあげる女性が通りを眺めている。雨を手で避けるように額のあたりに右手を当てて。信号が青に変わり、徐々に女性に近づく。スピードを緩め店の前では、ほとんど停まった状態になる。後方の車のクラクションが鳴った気がしたけれど、僕はその女性から視線をそらすことができなかった。遠い記憶のきみと目の前でジョウロを手にした女性が一本の線で繋がっていく。全身に鳥肌が立つような、痺れと熱が身体を駆け巡る。そして息苦しくなるほどの強い胸の高鳴り。僕の頭はこう認識した、間違いなく、きみだと。まさかと、自分の目と脳を疑ったけれど、間違いない。きみも一瞬、こちらを見たように思えたけれど、車の中は、外からだと見えづらいはずだから、それは思い過ごしだろうと思う。車を止めて、窓を開けて声をかけようとも考えたけれど、撮影時間が迫っていたので、後で時間を作って必ず来ようと思い、そのまま通り過ぎた。僕の鼓動は、冷静さを失いずっと強く高鳴っていた。 雨に呼び覚まされた記憶と現在とが必死に結びつこうと接点を求めて近づいていく。しかし、その遠い距離は簡単には縮まらない。湿度の高い重たい空気がそれを邪魔しているように感じる。車を降り、スタジオに入り、深呼吸をして心を落ち着かせる。いつもの撮影スタッフの顔触れをひとりひとり確認して、現実の世界にきちんと足をつけて立っている感覚を確認する。さっき見たジョウロを手にするきみと、目の前でカメラを手にする林原が同じ世界にいるとは思えない。どちらかが現実ではないように感じる。どちらも現実のはずなのだけれど、それさえも確信が薄れている。 昼が過ぎ、二時予定の次の撮影のモデルの到着まで待ち時間ができる。時刻は午後一時二十七分。この間にあの雑貨屋に行けると思い、スタッフに少し外出すると断って、スタジオを出た。まだ、雨が降っている。傘をさし歩き出す。どこか宙を浮いているような感覚。傘に当たる雨音が僅かに聞こえる。すぐに雑貨屋の前に到着する。店先のサンセベリアに雨がかかって緑色が濃くなっているように思う。これは、毎朝きみがあげている水で育っているのか、などと考え、店の前にしばらく立ち尽くす。ゆっくり傘をたたみドアを開け店に入った。 「いらっしゃいませ」ときみの声が聞こえる。 僕は 「久しぶり、元気だった?」 と言おうとしてみたけれど、きみの姿を前に、何も言葉が見つけられなかった。
つづく。
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H u m i d i t y 〜サンセベリア〜返却
http://ikanika.exblog.jp/28130297/
2020-06-13T12:16:00+09:00
2020-06-13T12:16:52+09:00
2020-06-13T12:16:52+09:00
ikanika
未分類
サンセベリア
雨の季節がまたやってきた。もう、これからは毎年この季節を迎えられることが、何よりも嬉しい。あと何回? と自問していた頃、私は雨の匂いと共にあなたのことをずっと考えていた。どこで何をしているのかは、全く分からなかったけれど、雨音があなたの足音のようにも聞こえてきて、雨の季節が来ると、あなたが段々と近づいてきてくれているような気がしていた。そして、もうじき会えるはずだなんて妄想をしていた。この世界にあなたがいることは間違いないのかもしれないけれど、どこかで偶然出会える奇跡が自分の身に起こってくれるなんてありえないだろうと思いながら。それでも、街に出ればあなたの影をいつも無意識に探してしまう。ずっと、病院のベッドにいたせいか、街を歩く人たちと上手く歩調を合わせられずに、いつも自分が邪魔者扱いされているような気分になる。そんな風に街を戸惑いながら歩いている私の姿を、あなたが見つけてくれて、どこかへ連れ出してくれないかと思うけれど、それは妄想でしかないこともわかっている。
少しずつ社会生活に慣れていくために、家の近くの雑貨屋さんでアルバイトを始めた。オーナーに代わって店番をするだけだけれど、お客さんと会話をすることが楽しい。今までの自分を考えれば、こんな風に普通の日常を過ごすことが出来るだけで満足しなくてはいけないのかもれしないけれど、ここで偶然あなたに出会えたりしないかと想像していたりする。 店の軒下にオーナーは幾つも鉢植えを置いていて、朝は、まずそのグリーンに水をあげることから始める。水道はお店の中にしかないからジョウロに水を入れて、店内と外を何度も行ったり来たりする。その鉢植えの一つにサンセベリアがある。病室にも同じ柄のサンセベリアがあって、毎日それに水をあげていた。病室の窓辺は、朝の時間帯にしか陽が当たらないので、なかなか成長しなかったけれど、店の軒下のサンセベリアは、この時期だからだろうか、毎日成長していることが明確に分かるスピードで大きくなっている。時々、その鉢植えを売り物だと間違えて、値段を聞かれることがある。雑貨屋に鉢植えが売っていても不思議はないので仕方がないのだけれど。昨日は近くの撮影スタジオからやってきた若いスタッフに、どうしてもいま撮影で使いたいので、なんとか譲ってくれないかと困った表情をして懇願された。近くにグリーンを扱っている花屋などないので、どこかを紹介するわけにもいかず、とりあえずオーナーに相談をしたかったのだけれど、そういう時に限って連絡が取れなかった。私の勝手な判断で売るわけにはいかないので、考えた末に、貸し出すことにした。スタジオまでは、歩いてすぐだから、終わったら、その日のうちに返して貰えばそれで良いと思って。しかし、閉店間際にまたスタッフが走ってやってきて 「撮影が長引いてしまって、明日の朝、返却に来ますので、すいませんが、よろしくお願いします」と深々と頭を下げてお願いされた。朝なら、まぁ、いいかと思い快諾したのだけれど、もうじき開店時間なのに、まだ返しにきていない。オーナーが店に来る前に、返却しに来てくれるだろうかと、スタジオのある方向を気にしながら、開店時間を迎えた。もうオーナーが来てしまうとハラハラしていると、昨日のスタッフがサンセベリアを抱えて走ってくるのが見えた。同時に、裏の駐車場にオーナーの車のエンジン音がした。オーナーが現れるのとほぼ同時にサンセベリアも到着し、鉢植えを前にしゃがみ込んでいる若いスタッフを見てオーナーは「ごめんなさい、それ、売り物じゃないの」とにこやかに言って店に入っていった。若いスタッフと私はしばらく目を合わせて、共犯者同士のような不思議な連帯感を感じていた。 「ありがとうございました」とスタッフは深々と頭を下げて帰っていった。
返却
「卓也、グリーンどこ?」カメラマンの林原がアシスタントに大きな声をかける。卓也君は、何を言われているのか分からないという表情をしている。 「昨日、事務所の玄関に出してきたやつ、持って来た?」と林原がさらに卓也君に問い詰める。どうやら卓也君は、忘れてきたようでテンパっている。僕の書いた撮影の為の簡単なスケッチには、テーブルの上にサンセベリアが乗っている。それがないと殺風景になってしまうので、何かグリーンは必要だった。林原がアシスタントにどう指示をするのか見守っていたけれど 「どうすんだよ、お前?」と問い詰めているだけで、解決する感じがしなかったので、助け船を出すことにした。 「スタジオの前の通りを右に少し行くと雑貨屋があって、その店先に確かグリーンを置いていたから、見てきてよ」と。 「わかりました」とアシスタントの卓也君は走ってスタジオを出ていった。 「高垣さん、すいません、こっちのミスなのに。ありがとうございます」と林原は恐縮している。彼とはもう何年も仕事をしているので、この程度のミスで現場が険悪になることはなかった。しばらくすると卓也君がサンセベリアの鉢植えを抱えて戻ってきて 「借りてきました!」と言う。 「買ったんじゃなくて?」と林原。 「はい、売り物じゃないと言われて」 「それで、貸してくれたの?」 「はい、閉店までに返却すれば大丈夫です!」 卓也君は、得意げな表情で言う。 「まぁ、いいか」と林原は、なんと言ったらいいのかわからないというような顔をして、僕を見た。 「結果オーライ」と僕は軽く答えて撮影が再開した。
カット数が多かったのでクライアントにひとつひとつ確認しながら進めていたら、予定時間を過ぎていることに気づいた。 「グリーン、返すんだよな?」と林原が気づいて卓也君に声を掛けると、卓也君は 「ちょっと、明日返却で大丈夫か聞いてきます!」とまたスタジオを走って出ていった。 「高垣さん、あと2カットで終わりです」と林原は時計を見て言う。 「じゃあ、1時間はかからないね」と確認し、クライアントに進行状況を説明した。自分にアシスタントがいればそういうことはアシスタントに説明してもらえばいいのだけれど、フリーになってからは、全て一人でやると決めたので、細かいクライアントとの調整も自分でやっている。アートディレクターなんていうとカッコいい仕事に思われるけれど、ほとんどの時間は、調整、擦り合わせ、根回しなどといった政治家のようなことをしている。しかし、それで、現場がスムーズに進めばいいことなので、そういう仕事が重要であることは間違いない。会社で分業していたときは、そういうことは他の誰かがやってくれていて、自分はディレクションのみに専念出来ていたのだと、こういう経験をしてようやく分かる。他にもフリーになって知ることがたくさんあって、いかに自分が周りのことが見えていなかったのかを理解した。 撮影が終わり、外に出ると雨の季節の湿気が身体にまとわりつく。いつもこの季節になると、またきみのことを思い出す。もう、ずいぶん昔のことなのだから、自然と記憶が薄れていくものと思っているのだけれど、そういうわけにはいかないようで、湿度によって細胞の奥の方から遠い記憶が呼び起こされるように思う。きみが、どこで何をしているのか、元気でいるのかどうか、何も知らないことで想像する物事の範囲は際限なく広がってしまう。例えば、もし同じような業界にいれば、現場で会うこともありうるのではないかと想像したりもする。その時、僕はきみになんと声をかけるだろうか。たださりげなく「久しぶり、元気だった?」などと言えるだろうか。できれば、そんな風に穏やかに再会をしたいと思うけれど、イメージ通りに振る舞えるか自信はない。
スタジオの駐車場から車を出し、サンセベリアを借りた雑貨屋の前に差し掛かる。軒下のグリーンは、店内に仕舞われ店は明かりも消えシンとしている。あのグリーンは、売り物ではなかったのかとぼんやり考える。そして、毎日誰かが店先に出し、水をやっている風景を想像する。ジョウロを持っているのがなぜか、きみのように思えて、ハッとする。まさかそんなことはあり得ないだろうと、妄想を振り払い、店を通過し自宅のある方向へハンドルを切る。明日の朝、あのアシスタントの卓也君がサンセベリアを返しにわざわざあのスタジオまで来るのだろうか。自分の家からだったら訳ない距離なので、代わりに返しに行ってもいいと思い、林原に電話をしてみた。 「高垣さんにそんなことまでやってもらっては、申し訳ないです。卓也の凡ミスなので、あいつにやらせますから大丈夫です」とあっさり断られた。まぁ、そうだろう、林原からすれば、それも卓也君の教育の内なのだろうから、わざわざ僕に出て来られては困るというのも理解できる。あの雑貨屋にきみがいるなんて、あり得ない妄想から発した考えだ。大人しく引き下がることにした。きみの存在を確認するのであれば、近くなのだから、何かを買いに行けば済むことでもある。今度時間が出来たら立ち寄ってみようと考えながら、まさかね、と独り言を口にしていた。
つづく。
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べールクトとコルバス 006(最終話)
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2020-06-10T19:31:00+09:00
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ikanika
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006
バーの扉を開けると、やはり、いつもの席にあの男が座っていた。「最後にもう一度会えるといいと思っていた。会えて嬉しいよ、お洒落をしてきてくれてありがとう。湖畔の森に行ったら、もうそんなお洒落は必要ないだろう、恐らく。そういう道を選んだのは正解だと思う。君が思っているように、もっと早くそうしても良かったのかもしれないが、2005年とかにね。でも、物事にはタイミングがある、そのタイミングを外してしまうと、なかなか上手くいかないことの方が多いから、それを正確に見極めないといけない。そういう意味では、今がそのタイミングだと思うよ。もし、2005年に動いていたら、違う道を歩んでいたかもしれない。 来る時のタクシーでニュースを耳にしだだろう。今、ベールクトという場所は、世界中から注目されている、残念ながら悪いことで。あそこは、2005年に一度、独立を企てたことがある。それが地図に残っている。鷲の頭のような形をしたあのエリアだ。誰が言い出したのか知らないが、一部の人間があそこをベールクト、犬鷲と呼び出した。単純にその形からの俗称としてだけれど。そのせいかはわからないけれど、独立を望む人間たちも自らをベールクトと言い出した。肉食で強いイメージだからちょうど良かったのだろう。それがあのベールクト自治区だ。細菌兵器を隣国が売りつけるには、うってつけのタイミングで内乱が起きた。開発したばかりの兵器の威力を実際に試すことができるのだから、ほとんど無償で提供した。それで、世界はコルバスを開発したあの隣国に一目を置かざるを得なくなった。 世界の勢力図が変わろうとしている。これから先、どうなっていくのかは、わからない。この先は、人類の叡智と理性が試されるだけだ。誤った選択をすれば、滅びていく道を歩むかもしれないし、そういう選択がなされずに済む可能性だってあるだろう。けれど、どうだろう? 今までの歴史を見ていけば、そんなに楽観はできないはずだ。君たち二人が選んだ湖畔の森は、少なくとも東京よりは良い。首都東京は、もうすでにコルバスの街だ。コルバスから逃れることは出来ない運命を走り出している。しかし、今から二人が暮らす湖畔の森も所詮は人が暮らす地球上にあるわけだから、未来永劫、平穏だとは言い切れない。でも二人が暮らしている間くらいは、平穏な日々が送れるかもしれない。オレはこの先も、東京という街が存在し続ける限りは、ここにいると思う。いつまで、東京があるのかは、わからないけれど。もしかしたら、二人より先に、東京ごと消滅しているかもしれないけどね。今夜は会えて良かったよ、これからは湖畔の森の暮らしを楽しんで。 あと、言っておくけれど、君たちの好きなTOKYO ADAGIOは湖畔の森で聞いてもつまらないと思うよ。前にも言ったが、東京には東京の音があって、パリにはパリの音がある。だから、湖畔の森の音を新たに探した方がいい。きっと、あそこには、あそこで聴かれるべき音があるはずだから。今夜は、ここで最後にTOKYO ADAGIOを聴いていけばいい。じゃあ、二人とも元気で、また会えるといい」
黙っている僕ら二人を見て、マスターは「彼はなんて?」と声を掛けてきた。 「最後のお別れを」 「と言うと?」 「マスターにもお伝えしようと思って来たのですが、僕らは東京を離れます。なので、ご挨拶をと思って」 「どちらへ?」 「湖のある森に」 「それは、彼の予言と関係が?」 「いえ、それは特にないのですが、空気と水の味がわかる場所を探して、たどり着いたのがそこだったんです」 「いいですね、それは。東京は、本当の空気の味も、水の味もわかりませんからね」 「はい」 「でも、私は思うんですけど、彼の言っていたベールクトとコルバス、あなた方が今から行こうとしてる場所と何か関係があると思いますよ、きっと」 バーには、TOKYO ADAGIOが繰り返し流れ、3回目のリピートが終わる頃、僕らは店を後にした。それが、二人の最後の東京の夜だった。
湖畔の森は、思い描いていた通りの、空気と水の味がわかる気持ちのいい場所だった。日が昇ると目覚め、夕暮れと共に一日を終えるという生活のリズムは、身体が地球のリズムと共鳴しているような快感を覚える。 今、東京がどういう街になっているのかは、ニュースなどから情報を得ない限り、耳には入ってこない。当然、ベールクトやコルバスに関しても、今の二人の暮らしには、遠い世界の出来事として、忘れ去られている。知らなければ知らないで済むことは、そのままにしておけばいい。それよりは、今日の空気と水の味がきちんとわかることの方が大切なことだと思う。
夕暮れには、いつも家の裏の深い森の上空を大きな翼を広げた鳥が、獲物を探して優雅に舞っている。「ねぇ、あの立派な翼の鳥はいったい何? とても強そうだけど」 きみが夕暮れの空を見上げて尋ねる。 「なんだと思う? きみも知っている名だよ」 「私も知っている鳥の名前なんて、いくつもないわ、何? 教えてよ」 「ベールクト、犬鷲だよ、あれが」 「そうなの? ここに犬鷲がいること知っていたの? 最初から」 「知らなかった、僕だって。ここに移ってきてから、あの鳥が気になって調べてみたんだ。そうしたら、ここが日本に幾つもない犬鷲の生息地だっていうことがわかった」 「そんな偶然って、あるのね」 「偶然だって言うことも出来るけれど、予言通りだって僕は思った」 「予言って、あの彼の?」 「そう、あの男の言っていたベールクトとコルバスっていうのは、遠い国のあの出来事だけではなくて、僕らの進むべき道を指し示していたんじゃないかってね」 「そうなの?」 「そんな風に解釈した方が、楽しいと思っている。東京は、コルバスの街だって彼はいった。その時はやっぱり、東京はベールクトが使ってしまったコルバスの犠牲になるのかという想像をした。もしかしたら、これからそうなってしまうのかもしれないけれど、それは、僕らがどうこう出来るレベルの話ではない。そんなことじゃなくて、もっと身近な話として、彼の言葉を解釈した方が正解なのかなって考えた。カラスだよ、東京の朝は、カラスの街。それだけの話。そして、僕らが出会えたこの場所は、犬鷲の生息地だった。そのことをあの男は、予言したんだ」 「なんかそう考えると、可愛く思えるね、彼」 「不気味な予言者っていうのは、失礼な先入観だったのかもしれない」 「だとしたら、もう一度、会ってみたい気もするけど」 「彼は東京と運命を共にすると最後に言っていたから、無理だと思う」 「でも、試しに今夜、あの夜と同じご馳走を作ってみてもいい?」 「いいけど。万が一、現れたらおかしいね、こんな田舎に」 「それで、あのCDも用意しておいてくれる?」 「TOKYO ADAGIOね。でも彼は、この地ではこの地で聞かれるべき音があるって言っていた。だから、それじゃなくては駄目なような気がする」 「だとしたら、それはなに?」 「ひとつだけ、思いつくのは、In maggioreかな」 「それは、何?」 「PAOLO FRESUというトランペッターとバンドネオンがDANIELE DI BONAVENTURA。この二人が奏でるとてもロマンチックな作品だよ。TOKYO ADAGIOもロマンチックだったから、彼は気に入ってくれるかもしれない。そして、それはルガーノで録音されている。ここの場所をイメージしたのは、実はこの作品があったからで、あそこにも、湖と山があって、スイスは北に行けば犬鷲も生息しているしね。ここと共通するものがいくつもある。この湖畔の森は、東京みたいな都市と違って、当然ジャズクラブもないし、録音スタジオもないから、厳密にここで録音された音というのは、存在しない。なので、今夜は試しにIn maggioreにしてみようと思う」
犬鷲の棲む湖畔の森に、遠くルガーノで録音されたIn maggioreの音が響く。彼の耳にはどんな風に届くだろうか。そして同時に、東京の夜がまだ刺激的で魅惑に溢れていた時代を思い返す。忘れていた過去を少しだけ掘り起こしてみる。夕闇と共に立ち現れる高層ビル群の夜景に心を躍らせて、喧騒の中を漂い、美食と快楽らしきものを求める多く人々で溢れ、幻想でしかない光り輝く未来へと駆り立てられていた時代を。今でも東京は、そんな風に存在しているのだろうか。出来れば東京はいつまでも、そうあってほしいと思う。もし彼が現れたら訊いてみよう、東京はまだ、TOKYO ADAGIOが響いても似合う街かどうかを。
END
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べールクトとコルバス 005
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2020-06-09T19:12:00+09:00
2020-06-09T19:12:14+09:00
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ikanika
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005
「少し前から考えていたんだけど、そろそろ東京を離れてみないか?」
「離れるって?」 「別の場所に暮らすんだ、東京のような都市ではなく」 「どうしたの急に?」 「急にでもなくて、実は。いつからだろう、東京はもういいかなって、思い始めていてね。十分楽しんだと思う、僕は。きみがどう感じているかはわからないけれど。もしかしたら、本当は随分前に、もう東京を離れていた方が良かったのかもしれない、とさえ思う。例えば2005年くらいには。何か、きっかけがあれば、そうするべきだったのかと。どう思う? 今の東京は、あのマスターが言うように、ただの焼き直しでしかないと思う。実は何も魅力的なものはないのに、ただ漫然と暮らしている気がするんだ、東京というだけで」 「じゃあ、どこで暮らすの?私たち」 「まだ、そこまではわからないけれど、なんとなくイメージだけはあってね」 「どんな?」 「綺麗な水があるといい」 「あとは?」 「空気、きちんと深呼吸出来ること」 「空気と水?」 「そう、空気と水の味がわかる場所がいいと思う」 「水と言っても、海とか川とか、湖だったり、雨や雪もあるわ。どこのどんな水が必要?」 「海よりは、湖がいい。緑が育つくらいの雨は必要、乾いた土地よりは、その方がいい。雪国で育ったわけではないから、雪とは戦えない気がする。そういう場所が見つかれば自ずと飲み水も美味しい気がする。例えば、昔、二人で行ったマッジョーレ湖とかルガーノみたいなところかな」 「賛成。でも、そんな場所って、日本にあるとしたら、どこなんだろうね?」 「それを、これから探そうよ、きっと楽しいと思う」 「わかった。私も考えてみる」
コルバスの新聞記事を読んだからか、東京のカラスの多さが今更ながら気になって仕方がない。もう何十年と朝のゴミを漁るカラスの姿は目にしてきて、それが当たり前の光景として人々の中には存在している。朝の街は、人間よりもカラスの数の方がはるかに多い。見慣れてしまうというのは怖いもので、カラスは夕焼けの空に飛んでいて、どこかへ帰っていくものだと昔の歌のような認識をしている田舎の人にとっては、東京のカラスは異常なものに違いない。異常を異常と感じない感覚は、カラスのことに限らず東京には山ほどある気がする。すぐに思いつくのは、あの満員電車だ。赤の他人とあんな風に長時間密着するなんてありえないはずだ。恋人同士でもあるまいし。あの時、満員電車がなくなり、人々はホッとしていた。あれが正常な状態なのだと気づいた。しかし、それもつかの間、またすぐに元に戻ってしまった。学習能力のない欲望に忠実な東京の人間がたくさんいること証明してしまった。やはり、そんな東京から早く離れるべきだったと、いま少しだけ後悔している。けれど、遅すぎることはないとも思う。きみと二人なら必ずどこかに僕らが望んだ場所が見つかり、今までの過去を忘れて、新たな日々を平穏に送れると思える。それは、何か具体的な根拠があるわけではないけれど、根拠などないからこそ感じられる確信のようなものなのだった。
何日か経って、きみが候補地をいくつも挙げてきた。「単純に直感。いろんなことを調べようと思えば、ネットでなんでもわかるかもしれないけれど、そういう情報はあえてない方がいいと思うの。誤った情報ではないかもしれないけれど、判断を左右することにはなるでしょ。それよりは、そこに足を運んで感じたことの方が大切だと思うわ、私は。もし、そこがあなたのイメージする条件を満たしていなくても、それはそれ。どっちを優先するかは、その時、話し合いましょう、どう? そんな感じで」 「僕はきみの判断は、いつも信じられると思っているから賛成だよ。僕には出来ない判断というか、直感があると思う。それを尊重するよ、ありがとう」
きみが挙げてきてくれた土地を順番に巡る旅を何ヶ月か続けた。気づいたのは日本の地方都市はどこも同じような顔をしていて面白味がないということ。東京の真似をしようとしているわけではないのだろうけれど、大資本が入って開発されたと思われる街は、どこも同じ顔になる。東京クローンと呼べばいいのかもしれない顔。そんな街に東京を出てわざわざ行く理由はどこにもない。だったら東京に留まればいい話だ。もう僕らが望んだ場所は、やはり日本にはないのかと諦め始めた秋の始まりの頃に、大きな湖が見える山あいの町を訪ねた。東京よりも気温が低く雪も多いのではないかというイメージがあったので候補地の中では後回しにしていた場所だった。行ってみるとやはり、湖のある景色は美しく、イメージしていたマッジョーレ湖やルガーノという町のイメージと少し繋がった。 湖畔の市街地を抜け、山間部に入ってしばらくすると、小高い丘に出た。そこから少し見下ろす感じで遠くに湖が見えた。丘の裏の森には、湖に続いていると思われる川が流れ、水は澄んでいて、手ですくって飲んでみると、よく冷えていて美味しかった。川の周りには濃い緑の森が茂り、鳥が囀っていた。風が時おり吹き抜け、きみの髪をなびかせ、木立を揺らす。僕はもう直感的に、ここにきみと二人で暮らすことになるだろうと思っていた。 「気持ちいいね、ここは」 「うん。やっと出会えたわ、きっと、ここよ、間違いないわ」 「僕もそう思う。すぐに準備をしようか」 「早くここで暮らしたいわ、私は」
東京を離れ湖畔の森で暮らす準備を始めると、あんなに魅力的に思えていた東京の街が廃墟のように思えてくる。その廃墟に過密に暮らす人々の中に自分たちも含まれていることを思うと気分が悪くもなってきた。週に何度か湖畔の森と東京を行き来していると、東京の異常さが、さらに濃厚に感じられる。時間はあるので、引越しの荷造りも自分たちで少しずつやっては、荷物を積んで、湖に車を走らせた。 キッチンで器を包んでいた新聞の見出しに目が止まる。東アジアでの内乱の記事で「ベールクト自治区にて内乱、死者数百名か」という文字を見つけたからだった。どうやら、ベールクトと呼ばれる自治区での内乱で、市民の命が奪われ、国際世論の批判にさらされているらしかった。しかし、もう東京を離れて湖畔の森で暮らすことにした僕らには遠い異国のそんな出来事はどうでもよかった。かつてベールクトとコルバスという言葉に敏感になっていたけれども、過去を忘れると決めてからは、もう関心を持つことはなかった。その記事のことは、きみにも話さずに、そのまま荷造りを進めた。
時間はかかったけれど、あと何回かの往復で、引っ越しが終わるだろうと先が見えてきた頃、きみがもう一度、あのバーに行ってマスターにお別れを告げたいと言った。そんな風に過去を振り返ることを、きみがしたいと言い出したことに驚いたけれど、最後にもう一度だけ東京の夜を見てもいいと思い、出かけることにした。最後だから、もう二度と着ることはないと思えるドレスとスーツでお洒落をして。自宅までタクシーを呼んで、バーのある青山まで走ってもらった。窓から眺める東京の夜景はやはり美しいと思う。煌びやかであるからこそ感じる虚しさも含めて、人々を引きつける光を放っていた。カーラジオからはニュースが流れている。引っ越しの準備を始めてからは、テレビやラジオ、ネットのニュースなどには、ほとんど触れていなかったので、耳に入ってくる情報がすべて新鮮に聞こえる。窓から外を眺めているきみの耳にも新鮮に聞こえているに違いなかった。
「先週、ベールクト自治区が使用した細菌兵器コルバスによる死者は、数千人にのぼるとみられ、近隣諸国への影響も懸念されています」とラジオで男が言う。 東京の夜景がタクシーの窓に流れていく。僕もきみも黙ったままだ。今、ラジオから流れたニュースは、現実のことなのだろうか、と耳を疑う。さらには、このタクシーが走っている東京も、すでに幻なのではないかという錯覚まで覚える。 「ねぇ、いまのニュース、聞こえたわよね?」 「あぁ、聞いていた。きみにも聞こえていたということは、これは現実なんだね」 「そうみたいね。いい? 彼の話をしても?」 「仕方ない、もう忘れていたことだけれど」 「このことだったのよね? ベールクトとコルバス、って」 「間違いなく、そうだと思う。でも、僕らには、もう関係ないよ、湖畔の森に行くんだし」 「だといいけど。遠い世界での出来事だっていうことで、済むのかしら? いまのニュース」 「そこまでは、わからない。たぶん、世界中が心配しているだろうけれど。あの時みたいに、何をどう心配したらいいのか、わからない状況だと思うけどね」 「そうね、また繰り返しね」 「いつものように」 「もしかしたら、バーで会えるかも、今夜は、彼に。こんなにお洒落して来たし」 「たぶん、会えるだろう。その時に訊いてみようか、今のニュースのことを。たぶん、詳しく知っているだろうから」
続く。
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べールクトとコルバス 004
http://ikanika.exblog.jp/28125207/
2020-06-08T19:40:00+09:00
2020-06-08T19:40:40+09:00
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004
きみが夕方から、ずっとキッチンに立ち料理をしている。「今夜、あれ、TOKYO ADAGIO聴こうよ。もし、彼が来てもいいようにお料理してるから」 「わかった。セカンドステージの時間がいいと思うから、九時くらいがいいと思う」 「了解。それまで少し飲んで待ちましょう」 今夜、彼に会えるだろうか。会えたらまず何から聞こうか。地図を買ったと言ったら驚くだろうか、いや、そんなことはもう知られているだろう。きっと謎解きが出来ていないことを、嘆き、呆れて笑うに違いない。 「ねぇ、そろそろ時間かなあ」 「じゃあ、聴いてみようか。少し部屋を暗くして」 きみの表情を見ると、やはり少し笑っている。 「やっぱり笑うんだね」 「だから、きゅん、ってなってるの」
TOKYO ADAGIOは、極めてロマンチックな作品だ。2005年の東京の夜がどこもこんな風だったのかはわからないけれど、少なくともこれが演奏された青山界隈はこんな空気感を求めて集まった人々が多くいたに違いない。あの男がこれが好きだとすると、謎の予言者というキャラクターには似合わずロマンチストなのかもしれない。 二曲目に差し掛かった時、窓辺に置いてある籐の椅子に、あの男が腰掛けているのがわかった。部屋はさっき照明を落とした時よりも更に暗くなっていた。男はおもむろに話し出す。「どうやら、招待してくれたみたいだね、ありがとう、嬉しいよ。少しずつ仲良くなれているようで。いつも彼女にばかり話しかけているけど、もちろん君のことも気に入っているから安心していい。ずいぶんジャズに詳しいみたいじゃないか。良いよな、ジャズは、セクシーでロマンチックだ。聴く側も演奏する側もスタイルがある。オレはそういう世界が好きなんだ。歴史もある、マイルスなんてもう化石みたいに昔の人間だけど、未だに熱い血を感じる。その辺の若造には到底たどり着けない世界にいる。最高だよ。このTOKYO ADAGIOは、2005年に残された録音としては、最高の部類に入ると思う。東京にいる時はこれを必ず聴くことにしている。ニューヨークにいたら、そこの音を聴くし、パリにいたら当然パリの音がいい。街には街に生まれた音があって、それぞれに必然があってそこで鳴っている。どこで聴いてもいいわけじゃないんだ。過去を忘れるのはいいことだと、この前言ったじゃないか? こんな風に昔のジャズを聴くなんて矛盾してると思わないか? でも、違うんだよ、優れた演奏はいつでもアップデートされている。時代に即していくことを宿命づけられている。だから、いま2005年のこれを聴いても心地いいんだ、わかるかい? じゃあ、本題に入ろうか。いや、その前に、彼女が用意してくれたご馳走を少し頂こうかな。そうじゃないと、料理をしてくれた人に失礼だから」 男は、きみの作った料理をゆっくりと丁寧に口に運んで、味わっている。どこか貴族のような優雅な所作だと思う。不気味な男という印象がどんどん薄れていき、古くからの友人のような気もしてくる。僕らは、彼の次の言葉を待つ。 「とても美味しい、ありがとう。よく料理をしない人間は、作ってくれた人に感謝もしないで当然のように食べるじゃないか、そういうのは気に入らない、全然駄目だよ。そんな奴は、泥水でもあげとけばいい、どうせ味なんかわからないんだから。君は、いつも美味しい、ありがとう、と言って食べているじゃないか、知っているよ、それが正常な感覚だと思うよ。 で、本題だ。ベールクトには近づいているよ、2005年の地図を見ようとしたのは正解だ。地図のあの場所に何があると思う? たぶん調べても何もわからないだろうけれど。これからだから、あそこにみんなが関心を持つのは。今は、ただの山でしかない。よく注意して見ておいた方がいい。そうすればコルバスのことも自然と見えてくる。TOKYO ADAGIOはこの曲で終わりだったかな、確か。あとは二人でゆっくりリピートして聴くのがいい、ロマンチックな夜を」 男の声は、まるで楽器のように響く。ジャムセッションをしているように、夜に溶け込んで、聴く側の鼓膜を心地よく震わせる。きみも僕もその演奏に聴き惚れているように、ただ耳を傾けるだけだった。
「彼、来てくれた」 「きみの料理を褒めていた」 「嬉しい、なんか。あなたが地図を探したこともね」 「あぁ、よかった。少しだけ謎解きが出来ているようだね」 「ベールクトでこれから何が起こるの? 怖いこと? みんなの関心が集まることってなんだと思う?」 「残念ながら、いいことだとは思えない。最初に彼は言っていた。命が失われていると。僕らは、それを見て見ぬ振りをして、なかったものとしようとしているとね」 「そうね」 「僕らに出来ることは、それまで東京の夜を謳歌することくらいなんじゃないかな、2005年のように」
時間がゆっくりと進んでいるのか、早急にどこかへ滑り落ちていくように流れているのか、東京の夜景を俯瞰していると、どちらなのかわからなくなる。高層ビルの最上階のラウンジで、きみと僕は、あの男を待っている。「昨夜、あのビルの最上階に来るように、って彼から伝言があったの。夢なんだけどね」ときみは朝食をつくりながら言った。 「あのビルって?」 「天王洲に出来たばかりのビル、あるでしょう? あそこ」 「この前、車で近くまで行ったあそこ?」 「そう。あなたも夢を見てから、地図を探すことにしたじゃない、だから私も夢に従ってみたい」
ラウンジでは、さっきからビルエバンスみたいに痩せている神経質そうな男がピアノを弾いている。決して上手くはないのだけれど、どこか気になる演奏をする。まだ若いのだろうか、オールバックにした額の生え際が綺麗に揃っていない。その髪型もエバンスを意識してのことだろうか。あの男に言わせれば、エバンスも化石のようなものだ、ということになるのだろうと、考えていると、きみが席を立ち、窓際のテーブルに移動した。そのテーブルに、あの男が足を組んで座っている。きみが振り向き、手招きをする。手元のグラスを持ち、僕もテーブルに移動し、あの男の正面に座る。きみは男のすぐ隣に座って、いまにも手が触れそうなくらいの距離で、男の眼を見つめている。男は、窓の外の夜景を見たまま何も話そうとはしない。きみもその様子を見つめたままだ。僕が何かを口にしなければ永遠にこのままのように思い「こんばんは」と言ってみた。 男は、ゆっくりと僕に視線を移し 「あの若者のピアノはどうだ?」と尋ねる。 「上手くはないけれど、気になる演奏をする」 「オレもそう思って、じっと聴いていた、いい演奏だ。もしかしたら何年か後に有名になっているかもしれない。あいつは、きちんと未来だけを見ている。まるでエバンスのように見えるけれど、エバンスなんてきっと知らない。過去に興味がないのだろう、だから良い。すべてが焼き直しみたいな世界に、ああいう若者が現れると目を引く、貴重な存在だよ」 男はまた夜景に眼をやり黙ってしまった。ここに呼び出した目的はなんだろうか、ただあの若者のピアノを聴きに来たわけでもないだろうに。 「この夜景をよく覚えていた方がいい。今夜はそれだけ言いに来た」 男は、立ち上がりピアニストに何か耳打ちをして消えて行った。「MY LOVE AND I」が聴こえてきて、そこがあたかも2005年の東京のような錯覚に陥る。きみは、僕の手を握り、東京の夜景を愛おしそうに見つめている。
「何かが近づいているの?」帰りのタクシーできみが呟く。「そうなんだろうけれど、僕らにどうしろというんだろうか、あの男は」 僕は、少し苛立っていた。たとえ、ベールクトとコルバスの意味がわかったとしても、その先に何か出来ることがあるのだろうか。何も出来ないのであれば、何も知らないままの方が良い。僕らはもう未来に多くを望んだりはしていない。このまま平穏な日々を少しでも長く過ごすことが出来れば、それでいいのだ。何か重要な秘密を知らされて、世界を救うなんていう役目を与えられても、申し訳ないが、丁重にお断りしたいと思う。もし、明日、あの東京の夜景が消えてしまっても、もう十分堪能してきた世代なのだから。男の真意がわからないまま、帰宅した。 「少し、と言うか、一旦、あの男のことを忘れてみないか。僕はなんだか気分が悪い、あの男の言うことに、いちいち気を揉むのが」 「そうね、確かに、私たちにとって必要な話なのかは、わからないわね、そうしてみましょう」 また、男が夢に出てこないことを祈りながら、眠りにつく。幸いその夜からは僕の夢にもきみの夢にも、あの男が現れることはなくなった。
きみが珍しく朝の新聞を真剣に読んでいる。「ねぇ、コルバスだって、これ」と紙面を指差している。どうやら隣国が開発した細菌兵器の名前が、そうらしい。なんのためにそんなものを開発しているのか意味がわからない、と思いつつも、このタイミングで、コルバスという名前はやめて欲しかった。あの男は、もう実在しない予言者だということにして、僕らの間では一旦は忘れることにしたのだから。ここでまた、あの男の話を持ち出すのは気が進まなかった。きみも戸惑いの色を隠せないでいるようで、紙面を見つめたままじっと黙っている。 「あまり考えなくていい、単なる偶然だよ。コルバスなんて星座の名前だし、ありふれている。あの国の考えそうな名前だよ、不穏な黒い鳥といえばカラスくらいしか思い浮かばなかっただけの話」 「そうよね、もう、過去のことよね」 「はい、コーヒー入ったよ」 「ありがとう」 やはり、こんな日常には、あの男は似つかわしくないと思う。どこで道を誤ってしまったのかわからないけれど、ひとまず僕らの前からは消えてもらうことにして正解だと思う。
続く。
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べールクトとコルバス 003
http://ikanika.exblog.jp/28124128/
2020-06-07T20:19:00+09:00
2020-06-07T20:19:09+09:00
2020-06-07T20:19:09+09:00
ikanika
未分類
003
「犬鷲は、ベールクト、そして、カラスは、コルバス。どこかで耳にしたことない? この二つ」「さぁ、あまり耳にしたことのない言葉だと思う。コルバスは、星座にあるけれど、他は知らない」 「私たちがあまり耳馴染みのない言葉というのが、ミソなのかも」 「というと?」 「隠語にするには、うってつけということ」 「隠語かぁ」 「会話の中にそれが混じっていても、なんとなくわからない事を言っているって流してしまいがちでしょ。それが必要なのよ、きっと。これから少し意識してみましょう、この言葉を」 「わかった、何かが見えてくるといいけど」 しかし、その後も、日常の中で、ベールクトもコルバスも耳にしたり目にすることはほとんど、というか全くなかった。隠語でさえもなく、ただ本当に隠された物事を指しているだけなのかもしれない。口にしてはいけない物事と、目にしてはいけない物事。あの男は、その二つが問題を引き起こすと言っていた。命が失われているとも。つまりは命に関わる出来事が起こるということなのだ。
きみは、バーに忘れてきた傘を取りに行きたいと言う。あの男の言った通りに、きみは傘を忘れてきた。それは、またあの男に会えるというサインでもある。「また、会えるように服を選ばなくちゃ。ピアスは決まっているけど、もう夏だからこの前と同じ服は着れないわ」 「僕もジャケットは、さすがに熱い。特に東京では無理だ」 「でも、彼の基準で言うと、ジャケットは必要なんじゃないかしら?」 「そうかもしれないけど、いまの時代は、もう誰も着ていないよ、夏には」 「彼は現代に生きているわけではないから、そういう理屈は通らないわ、きっと。たぶん2005年くらいの感覚なんじゃないかしら。まだ震災もウイルスも知らない時代」 「2005年かぁ。なんか分かる気がする。あのバーで流れていたジャズも2005年の演奏だよ、確か」
遅い時間に家を出て、バーに向かう。人々の帰宅と逆の方向に出かけて行くのはどこか楽しい行為だ。僕は一番薄い生地のジャケットを羽織り、きみは、ほとんど素肌と同化していると思える白のシルクのワンピースを着て、もちろんタクシーで。外は外出自粛ではなくても誰も出歩かない、というか出歩けない季節だ。
彼以外に誰もいないことを願ってバーの扉を開ける。しかし、彼の姿はなく、マスターだけが一人、グラスを磨いている。 「こんばんは」とマスター。 「こんばんは」僕ときみが声を揃える。 「その表情だと、彼はいないのですね?」 「はい」 「とりあえず、傘を」 「ありがとうございます」 「いつもので?」 「はい、お願いします」 今日は、Charlie Haden ではない。 「マスター、あの人がいる時は、いつもCharlie HadenのTOKYO ADAGIOだったんです、もしよかったら、流してくれませんか?」 「いいですよ、2005年のね」 「はい。マスターは、2005年もここで店を?」 「そうですね、ここにいました」 「どんな時代でしたか?」 マスターは、しばらく考えてから 「いまに、似ている」と言って、僕らの前にカクテルを置いた。 「やっぱり、僕らもそんな風に感じていたんです」 「バブルは、とうの昔に終わっていたのに、東京の夜だけは、どこか未来を夢見ていた。幻想でしかないはずなのにね。その何年か後の震災なんて当然知らないし、だれも想像していなかったし、その後のウイルスも。でも人々は、どこか冷めていたということも言えるかもしれないと、いまは思う。本当のことを知った上で、未来を夢見る、という風に、少しの矛盾を感じながら、でも、欲望には忠実に生きるみたいな感覚かな。一旦は成熟したのかもしれない、あの時代に。その後は全て焼き直しだよ。新しいものなんて一つもない。全て今までに見て知ったことだと感じる。それでも、いいんだろうけれどね、若い人たちにとって真新しく感じるものであれば。でも、本質的にはもう終わっている時代だと思うよ、今は。せめて出来ることと言えば、奥さんのように過去を全て忘れていくことかな。なまじ過去を記憶してしまっているから、未来を夢見ることを楽しめないのかもしれないから。なんの蓄積もなければ全てが新鮮さ。でも、それは、頭の中での話で、身体が細胞レベルで記憶してしまっていることもある。私の場合は、全てのお客様のことだったりね。誰にでもそういう消せない記憶があるのは仕方がない、それと上手く付き合って、消せる記憶は消していくのがいいね。どうかな?彼は現れたかな?」 カウンターの奥の席を見てみたけれど、その姿はなかった。 「残念ながら、今夜は来ないみたいです。でも、マスターのお話を聞けて良かったです」と、きみは満足げに微笑んだ。
帰りのタクシーできみは尋ねる。「あのTOKYO ADAGIOって持っているの?」 「あるよ、家に」 「帰ったら聴かせて」 「家で聴くの?」 「そう」 「昔、よく夜中に聴いていた。部屋を暗くしてね」 きみは、しばらく黙って、微笑んでいる。 「どうしたの?」 「かわいい、って思って」 「なにが?」 「いまの、部屋を暗くして、って言うのが」 「かわいいの? それ?」 「そう、女性はそう思うよ、きゅん、ってね」 「よくわからないけど」 「わからなくていいけど。帰ったらやってみよう、それ」 「馬鹿にしてる?」 「してない、楽しみ」 「ならいいけど」 「もしかしたらさ、あの彼、現れないかな?」 「ウチに?」 「そう、だってマスターの言うことが本当なら、あのバーじゃなくても、どこにでも現れておかしくない? 気分がフィットした場所とか時間に現れるみたいなことだったりしない?」 「もし、ウチに訪ねてきてくれたら、手厚く接待しようか」 「賛成」 その夜は、さすがに遅くなったので、TOKYO ADAGIOは、後日、聴くことにして、早々にベッドに潜り込んだ。すぐに隣で、きみは寝息を立てて、眠ってしまった。別々に暮らしていた頃、お互いにおやすみが言えずにいつまでもメールのやり取りをしていた。今よりもまだ若かったから、寝不足にもなんとか対応できた。二人で寝不足になっていることが、楽しくも感じられた。懐かしさと過ぎていった日々を思い、胸が熱くなる。過去を忘れる、と言うきみは、あの頃のことも忘れているのだろうか。それとも消せない記憶として細胞の中に蓄積されているのだろうか。出来れば時々思い出して欲しいと思うけれど、忘れているからこそ、きみらしいのかもしれないとも思う。おやすみを言って、僕も眠りに落ちた。 夢の中にあの男らしき人物が現れたのだけれど、彼の顔の記憶が曖昧なせいで、あの男だと断言が出来ない。けれども、夢の中の男は、世界地図を広げて東アジアの一箇所を指差し「ここがベールクトだ」と言っていた。そんな国は、存在しないと僕が言うと、信じるか信じないかはお前次第だ、と地図を畳んで部屋を出ていった。その部屋は、うちのリビングで、キッチンにきみが立って何か料理をしていた。そして「ほら、気分を害したんだわ、彼」と言って、あの男の後を追って部屋を出ていった。僕も、そのあとを追って行こうとするのだけれど、ソファから立ち上がることが出来ずに足掻いて、目が覚めた。時計を見ると、まだ明け方の四時過ぎだった。傍のきみは、まだ寝息を立てている。水を飲みにリビングに行ったけれど、あの男の姿も世界地図も当然あるわけもなく、ただ薄明かりの中に聴こうと思って取り出してきていたTOKYO ADAGIOのCDがテーブルに見えただけだった。
世界地図などは、今はどの端末でも容易に見ることが出来て、あえて印刷した地図など買うことはなくなった。日々更新される世界情勢を考えれば、印刷などしてしまうとすぐに古くなって使えなくなってしまうのだから、当然と言える。しかし、端末上で見るサイズの世界と、ある程度の大きさの印刷した地図を広げてみる世界とは、どこか違う気がする。地図を広げて世界の全体像を把握するその姿は、戦時中の司令官を想像させる。夢の中のあの男も、そんな風に地図を広げて「ここがベールクトだ」と言っていた。思いついて、2005年当時の世界地図を買いに行くことにした。あの時代の世界地図がいま買えるのかはわからなかったけれど、その地図に、もしかしたらベールクトという国があるような気がしたからだった。神田の古書店を何件か巡って、ようやく地図を多く扱う店に出会う。大量の展示の中から探し出すのは難しそうだったので、店の人に尋ねて探してもらうことにした。難なく店員は、2005年の世界地図を探し出し「最近、珍しく続けて売れるんですが、何かあるんですか?2005年に」と言う。そんなことがあるのかと、こちらも不思議に思い 「なんとなく、今が2005年と似ているみたいですよ」と言ってみる。 「似ている?」 「そう、時代の空気感というか、匂いが」 「それで地図を?」 「まぁ、僕の場合は、ちょっと夢に出てきたから、気になって」 「なるほど」と店員は、まだ不思議そうな表情をしていたけれど、早く家に帰って地図を広げたかったので、それ以上の話はせずに店を後にした。他にも地図を買う人がいるというのは、あの男のせいなのだろうか、いろんな場所に出没しては、地図を広げて「ここがベールクトだ」と言っているのだろうかと、想像が広がる。帰宅して、本を読んでいたきみに声をかけて、地図をダイニングテーブルに広げる。 「どうしたの?地図なんて」 「あの男がね、こうやって地図を広げていたんだ」 「いつ?」 「夢の中だけどね、それで何かヒントがあるんじゃないかと思って」 「犬鷲とカラスの?」 「そう」 「彼は、ここがベールクトだ、と東アジアのあたりを指差して言っていた。だから、この辺り」 「ベールクトなんて国、あるの?」 「どうだろう、僕も知らない」 東アジアのあたりをくまなく見てみるけれど、当然ベールクトなんていう国はない。しかし、かなり小さいけれど、一部分だけ薄い灰色に塗られていて、何も書かれていないエリアを見つけた。隣国との境は国境線ではなく何かの目安のように点線で囲まれている。 「ここはなんだろうね? 何も書かれていない」 「どこ?」 「この灰色の部分」 「ほんとだ、ねぇ、私の方から見ると、なんとなく嘴のように見えるけど、鷲の。こっちから見てみて」ときみが言う。きみの側に回り込んで見てみると確かに、鳥の頭の部分にも見える。 「これのことかなぁ、犬鷲、ベールクトって」 「じゃあ、カラスは?コルバス」 「どうなんだろう、頭と嘴の形だけだと、犬鷲もカラスも大差ないと思うけど」 「そうよね、確かに」
地図上のその場所が、何を意味しているのか調べることにして、とりあえず地図には付箋を貼っておいた。ネットで現在の地図を探し、同じ場所を見てみると2005年にあった嘴のようなエリアは、無くなっていた。モンゴルの一部ということになっているのだろうか、その存在は確認できない。2005年当時のみ存在していた国家あるいは独立自治区ということだろうか、国際法上は、国家として地図には掲載出来ないけれど、なんらかの理由でエリアを区切る必要があったのだろうか。ベールクトと検索しても、犬鷲の説明くらいしか出てこない。もしかしたら、あの男が地形から勝手にそう呼んでいただけかもしれない。通称でも俗称でもない、単に彼が名付けた呼び名。しかし、あのエリアが存在した理由と消えた理由はあるはずだと思う。一時期であったにせよ、2005年には確実に地図上に存在していたのだから。まずは、地図の発行元に問い合わせてみることにする。該当部署などはわからないので、とりあえずメールで事の次第を説明して訊いてみた。翌日、すぐに返答が来たけれど、当時制作に携わった人間はすでに退社していて、もとになった資料なども存在せずに、あのエリアがどういう場所だったのかは不明だという。こうなると次にどこを当たればいいのかがわからない。外務省や国際政治の専門家か、そのあたりだろうけれど、当てはないし、知りたい理由も、あの男の夢が発端だと言うと相手にしてくれそうもない。どうにかして、あの男に会って、もう少し詳しく話を聞いてみたいけれど、その方法も手探りのままだ。
続く。
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べールクトとコルバス 002
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2020-06-06T17:47:00+09:00
2020-06-06T17:47:28+09:00
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ikanika
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002
きみがキッチンに立ち、朝食を作っている後姿を眺める。トーストに綺麗に、いちごを並べている。「もう終わっちゃうと思うと寂しくて」 「なにが?」 「いちご」 「いちご?」 「また来年まで食べられないのよ、だから、もう最後だと思ってたくさん食べてるの、今」 「そんなに好きだったの? いちご」 「そうよ、言ってなかったっけ? いちごが一番好きだって」 「好きなのは知っていたけど、一番とかは、そこまで」 「そう、じゃあ、覚えておいて、いちごが一番よ」 多くの答えあわせを繰り返してきたつもりでも、まだまだ小さなことで発見があるのが楽しい。生活を〝うすのろ〟だということも出来るけれど、違った見方をすれば、発掘作業のような長丁場のアトラクションのようにも思える。人生を長いと考えるか短いと考えるか、そして、その人生を誰とどんな風に過ごすかで暮らしの景色は大きく変わる。いま、きみのいる暮らしの景色は、僕がこのタイミングで望んでいたもので、そんな風に望み通りの日々が流れていることに感謝もしつつ、不思議なものだ、という思いも強くある。きみが過去を忘れていくように、僕も少しずつ過去の色彩を薄めていくことに慣れてきた。そうすることで、見えてくるものは、未来でしかなく、だからと言って、その未来に何か多くのものを望んでいる訳ではない。ただ、先に進んでいく道が続いている、という姿だけで充分だと思う。さらには、行き止まりになったら、ただ立ち止まればいいのだとも思えるようになった気がする。なんとか道を探し出して無理やりにでもどこかへ進む必要もないかと。無理に切り開いた道は、その先もずっとそういうことを繰り返さなくてはならないスタートラインでしかないことを知ってしまったから。そして、その道は後戻りができないことも。
あの夜、マスターは「予言のようなもの」だと言っていた。一つめは、海鳴りと深海魚、二つめは、微粒子と太陽、そして、犬鷲とカラス。これが予言だとすると、何を意味しているのか、謎解きのようだと思う。あの男がもし存在していないとしたら、僕らが出会ったあの夜のあの男は何者なのだろうか、ただマスターは、認めている、とは言っていた。もう何度かあのバーに足を運んで話を聞きたいと思う。誰も他にお客のいない時間を狙って。
「やっぱり、東京の夜って、いいね」ときみが言う。「うん、これからは時間を作って少し出歩いてみる?」 「それもいいいかな、って私も考えてた」 「たぶん、あの時からみんな夜の街に出掛けることに、価値を見出さなくなったんだと思う。確かに良い面もあったと思うよ、家にいることでね。でも、街には街の魅力と大切な何かがある気がする。特に僕らの世代とっての東京の夜の街は、なんか特別なもののような気がする」 「街は人が集って初めて街だものね」 「そうだね。ある意味、平和であることの象徴だと思うよ、街に人がいることは。そういう時代には、それをきちんと謳歌しないと、いつもそんな風だとは限らないし。人が作り上げた東京の夜は、すぐに壊れてしまう砂上の楼閣だから」 「もしかしたらさ、あのバーに行く時は、きちんとドレスアップしていった方が良かったのかも、礼儀として。そうしたら、あの男性も機嫌よく現れてくれたかもしれないわ」 「なるほど。スタイルを重んじる気がするね、彼は」 「今度は、この前と同じヒールとピアスしていってみようかな、ね」 「いいアイデアだと思う」 「他にどこか、行きたいところある? 東京らしい場所」 「僕は、やっぱり東京タワーのあたりかな」 「私は、天王洲の辺」 「いろんな東京を巡ってから、最後にあのバーに行くっていうことにしようか」 「賛成、楽しそう」
平和な時間が続くと何かざわざわしてくる。そんなはずはないと、どこかに隠されているに違いない時限装置のようなものを探し出したくなる。見つけ出したところで、もう止める手段がないのはわかっているのだけれど。ただ起動するのを見つめるだけで。ブレーキの効かないスポーツカーを競って作り続け、壊してはまた作り、という歴史を見続けていると、またか、としか思わなくなる。あの男の言っていたのも、そんな風なことなのかもしれない。犬鷲とカラス。スポーツカーのコンセプトにでも出てきておかしくはない。あるいは、高性能の何か、の呼び名。予言者はいつの時代も存在する。それは人が求めた結果、存在することになるのであって、自らの因果を予言者のせいにして、わずかでも罪悪感を減少できればという浅はかな心理の賜物だと思う。だとしたら、僕らが出会ったあの男は、僕らが自ら生み出したということも言える。あの男に僕らは何かを求めているのかもしれない。それに対する彼の回答が、犬鷲とカラスなのだろうか。
きみと東京タワーを見上げる。今はもう電波塔としての役割はなく、ただ東京のシンボルとして、そこに建っている。他にも高さだけで言えばそれを上回る塔は、東京に限らず日本中にいくつも存在する。しかし、東京タワーは、やはり特別な感じがする。あの時、エレベーターの使用が控えられたのを機に、一時期、階段だけで展望台に上ることが出来たけれど、今はもう上へは登れない。人々が、ただ見上げるだけの存在になった。それもいいのかもしれない。記憶にある東京タワーから見える東京の景色はもう過去のもので、更新されることはない。そして、この先、そこに戻ることはなく、ただ消えていった過去でしかない。「毎日、いろんな事が終わっていくでしょ。そのひとつひとつをいちいち記憶していたら、いくら容量があっても足りないわ。だから、残さないでいいと思ったの」きみが過去を忘れていく理由を少し明かしてくれる。 「でもね、コンピュータのデータを完全に消去するのが難しいのと同じで人の記憶も完全には消せないこともあるの。どうやっても」 「じゃあ、きみにも消えていない過去があるということ?」 「あるわ」 「よかった」 「どうして?」 「なんとなく」 「変なの。でも、消えていなくても、もうそのデータは取り出せない場所にあるから、見ることはないわ」 「絶対に?」 「たぶん、そう。もし、出てくる事があったら、それは、何かが完全に終わる時とか」 「終わる時?」 「うん、わかんないけど、そんな気がするだけ。ねぇ、そろそろあの人に会いにいってみない?」 「そうだね、いってみようか」
バーの扉を開けると、カウンターのあの席に男が座っていた。僕らが声をかける前に、彼から話しかけてきた。「久しぶり、元気だったか?そのピアス、落としていったの見ていたよ。似合っているから見つかってよかったじゃないか。そのくらいお洒落をしていないと、この街とは釣り合いが取れない。今日は正解だよ、二人ともいい感じだ。でも、今夜は雨は降らないから、その傘は必要なかった。たぶん、忘れていくよ、この店に。そして、また取りに来ることになる。そうしたら、また会えるかもしれない、その時に。今日は、この前の続きを話そうか?それとも別の話題がいいかな? そうだ、彼女は、過去は忘れていいと言っていたね、いい考えだと思う。覚えていたところでなんの役にも立たない。役に立たないというか、役に立てる頭が残念ながら人にはない、と言った方がいいかもしれない。批判しているんじゃない、そういう風に出来ているという話だ。でも、あたかも過去から学んで、なんて言う頭の悪い奴が偉そうにして、世界を動かしている。それが、現実だ。常に未来だけを見ていて大丈夫なんだ、本当は。そうすれば次に何が起こるかが自然と見えてくる。それが、この前話したことだ。覚えているか? 犬鷲とカラスのことを。そのことを常に考えていた方がいい。それが未来を見ることになる」 男は、席を立ち、またトイレに消えていった。僕らは、質問をしたくても言葉を発する事が出来なかった。ただ黙って聞くしかなかった。マスターにはやはり見えていないのだろう、いつものように、純白の布巾で黙々とグラスを拭きながら、僕らのオーダーを待っている。 「もしかしたら、またあの男ですか?」 とマスターが口を開く。 「はい、いまそこに」 「そんな気がしました。でも、今夜は、他にもお客さんがいるので、その話は、別の機会にしましょう」 「わかりました」 「何を飲まれますか?」 「いつものを、お願いします」 きみはずっと黙ったままで、男の言葉を思い出しているように見える。 「どうしたの?」 「うん。あの人、私たちに何かを伝えに来ているんだわ、きっと」 「犬鷲とカラスのことを解明しないといけないのか? 僕らは」 「そうだと、思う」 「でも、なにも手がかりがない。きみは何か思い当たることある?」 「ないけど、何かを感じる、未来の何かを」 「そうか、それはきみが過去を忘れていっているからだよ。あの男の言うように、それがいいんだろうね」 「褒められるなんてね、おかしい」 「彼と話が合いそうだよ、きみは。この前から、きみにばかり話しかけている」 「なに? もしかして嫉妬しているの?」 「少し」
夏が近い。東京の暑さは年々ひどくなり続け、いまは日中に外出をするものはいない。日が暮れたとしても、注意を怠ると体調を崩すことになる。もはや人がまともに住める場所ではないのだけれど、これだけ多くの人が他に行くところがあるわけではない。だから住み続ける。住み続けるうちに、感覚は麻痺していき、いずれは住めば都となり、東京以外には住めないなどと言い出すことになる。そういう人々に東京は支持され、未だに首都としての機能を担っている。これだけネットワークが整備されたのだから、東京に首都機能を集中させる意味があるとは思えないのだけれど、地方に機能を分散させることが出来ずにいる。単純に利権の問題でしかないのだろうけれど、我々有権者は、そういう政治家を選ぶしか選択肢がない。ずっとそうやってきて、この国は先進国の仲間入りをしてきた。 あの時だって、世界が不思議に思う自粛施策で難を逃れた。誰が見ても、無能な策でしかなかったのに、なぜか上手くいった。世界は日本を謎の国として認識するしかなくなった。謎めいた日本国家は、その後も様々な謎を残していって、ある種、特殊な国としての立ち位置を確立した。今、またこの国は、ぼんやりと平和で平穏な日々を謳歌していて、その空気感は世界中から羨ましがられているように思える。あの国の人々だけは、成長していく未来が存在していると思っている唯一の民族だと言われて。もし、地球以外に人類が住める星があったなら、日本以外の国の人々はそこへの移住を望んだだろう。「地球は、日本にくれてやる」と、某国の大統領が言ったことがあったけれど、本当にそうなっていたかもしれない。幸か不幸か、いつまでたっても地球以外に人類が住める星は、見つからず、今に至っている。見切り発車で、他の星に発っていった人々がいるにはいるけれど、彼ら彼女らのその後は、どの国でも報じられない。相当数の人間のはずだけれど、何事もなかったかのように扱われている。ウイルスの犠牲者とはゼロがいくつも違うはずだ。
続く。
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ベールクトとコルバス 001
http://ikanika.exblog.jp/28121548/
2020-06-05T16:11:00+09:00
2020-06-05T16:11:56+09:00
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ikanika
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001
いつ頃だろうか、前にもこんな時代があったような気がする。体の感覚が覚えているだけで、何か明確な出来事を記憶しているわけでない。デジャヴのような曖昧な既視感ではなく、実体験として体に染み込んでいることは間違いない。幸せな時代であったか否か、と問われれば確実に幸せだったと答えられる。実際には、ただ執行猶予のような時間だったとしても。
人々の顔からは不安の要素が消え、どこか安堵の空気が漂っている。だからと言って、曖昧な未来を楽観しているわけではないのは明らかだ。あの時代を経験したことは記憶に新しいのだから。
人は忘れていく。自分も同じように忘れていく。都合のいいように記憶は置き換えられ綺麗に塗り替えられていく。
確実に違うのは自分の身体が老いていること。いつの年代でも精神的には常に中学生や大学生の感覚に戻れるものなのだけれど、生物としての衰えは確実に進んでいる。それを嘆くつもりはなく、ただ、もういいだろう、という感覚で受け入れている。
明け方のベッドで、きみは
「長生きしてね」と冗談なのか本気なのかわからない調子で呟いた。僕は冗談を受け流す感覚で笑いながら 「まだ、そんな歳じゃないよ」と言ってから、いや、そうとも言えないのか、と自問した。 「だってこの先、いちばん長く一緒にいたいから」と今度は、少し真面目にきみは言う。 「そうだね」とだけ答え、これから先の未来の日々を想像してみる。すでに体験してきたことの焼き直しのような映像しか浮かばないのだけれど、傍に眠るきみの存在だけは、僕の未来に新たに書き加えられたことは間違いなかった。
毎朝、マンションの管理人が決まった時間に、律儀に外を箒で掃除をする音がする。サッ、サッ、サッ、と一定のリズムで繰り返されるその音は、起き抜けの頭には何かの呪文のように聞こえる。今朝も、その音が聞こえる。「何?この音は?」ときみは尋ねる。 「管理人が箒をはいている音」 「そっか、いいね、なんか」 「僕には呪文のように聞こえる」 「呪文?なんて言っているの?」 「何かは、わからないけど」 「どんな事だろうね、いいことならいいね」 「うん」 きみは、いつもどこか少し先を見ていて、過去を忘れていく。それを羨ましいと思う。過去は忘れていいものだと、いつの日からか決めたと言う。その理由を知りたいと思ったこともあるけれど、わざわざ聞くこともないかと、今はそのままを受け入れている。 朝は、僕がコーヒーを淹れ、きみがトーストを作る。特に決めたわけではないけれども、自然とそういう役割分担になった。他にも家事の分担のようなものが自然と生まれて、日常のストレスになるようなことが何もないのが不思議であり、心地よい。 過去は忘れていくのに、なんでも理由を知りたがるきみは、些細な事柄でも、その理由をいつも探っている。探ったところで理由が明らかになるようなことばかりではないのだけれど、純粋に「理由探し」が好きだから、それでいいと言う。大切なのは結論よりプロセスなのだと。そして、世の中に存在する結論なんてありきたりのことしかないからと、さらりと言う。
土曜日の午前中に、近くの公園まで散歩をすることが日課のひとつになっている。その習慣も思えばあの時代に生まれたものだということを二人とも、もう忘れている。多くの人も、きっとそうに違いない。あの時と違うのは、手を繋いで歩けることだろうか。僕は、きみの爪の形が好きだから、手を繋ぎながらも時々、指先できみの爪をなぞり、その形を確認する。きみが、それに気づいているのかどうかはわからない。春と梅雨の間の気持ちのいい季節だった。「ツツジが一番好き」ときみは言う。 「どうして?」 「理由?」 「いつも理由を知りたがるから」 「そこには、理由はないわ。なんとなく」 「そういうものか」 「あなたを好きになった理由がわからないのと同じ」 「どうコメントしていいのかわからないな、それは」 「そういうことになっていた、ってこと」 「運命論?」 「それとも少し違う気がするけど」 「そうなんだ」 「うん」 手を繋いでいても、きみは僕の少し後ろを歩く。僕からはその姿が見えない。どうしていつも後ろを歩くのか?と一度尋ねてみたことがある。 「あなたの姿を見たいから」というのがその答えだったけれど、そうすると僕からはきみが見えないと言うと 「私はそんなに見られたくないから」と答えられ、そういうものかと、とりあえず、納得した。 そんなきみが今日は珍しく僕の手を引くように急ぎ足で少し前を歩いている。理由は明確で、お気に入りのパン屋のメロンパンが売り切れてしまうからだ。午前中の早い時間でないと売り切れて買えない可能性があるのだ。東京には、数え切れないほどパン屋がある。そのどれもが大概美味しい。しかし、現れては消え、という淘汰を繰り返し、常に新陳代謝をしているように感じる。東京という街そのものの象徴のように。 前を歩くきみの髪が風になびいている。ずいぶん伸びた気がして 「髪、伸びたね」と声をかける。 「あなたが伸ばしてみたら、って言ったから」 「いつ?」 「忘れたの?ひどい」 「言った気もするけど、なんか、こう、会話の流れじゃない?そういうの」 「流れだとしても、そう思っているってことじゃない」 「まぁ」 「だから、あなたのためよ、これ」 「ありがとう、素敵だよ」 「取ってつけたように言わないで」 「じゃあ、なんて?」 「冗談よ、あなたが喜んでくれれば、それでいいの、髪の長さなんて」 と言って、きみは繋いでいた手を離して、パン屋に駆け込んで行った。なんて可愛らしい女性なんだろうと、その後姿を見て思う。同時に、これは、アーウィン・ショウの小説のようだな、と気づき、おかしくなる。
繁華街があるような都心の街にはほとんど行かなくなったけれど、何ヶ月かに一度はライブを見に表参道や青山に行く。立ち並ぶビルは、建て替わっているけれど街全体の作りと空気感は、よく遊び歩いていた時代と大きくは変わっていない。いつの時代でも、この街を必要としている世代がいて、やがて卒業し、また新たに人が集う。そうやって街は、新陳代謝を繰り返し生き続けている。僕もきみも、この街に足繁く通っていた時代があったけれど、当然その当時はお互いに知っていたわけではない。どこかで偶然、同じ時に同じ店にいた可能性はあったかもしれないけれど、それをいま確認する術はない。曖昧な記憶だけを辿るくらいしか。しかし、あたかも一緒に過ごしていたような感覚を味わうことが出来るのは、おそらく同じ嗜好性のもとに、その時代を謳歌していたからだろうと、お互いの記憶を擦り合わせていくと、そう思える。連日連夜、海外からアーティストが来日して公演をおこなっている都市なんて、東京以外にはあまりない。その姿は、20年くらい前の東京の姿とほとんど同じように見える。その時代を知っていなければ、そんなことは感じないで、ただ東京の夜を楽しんでいればいいのだろうけれど、僕らはそういうわけにはいかない。いつ何時、この日常が終わるかもしれないということも知っているから。脆く儚い現実を前に、少しだけ、息苦しさを覚えながらも、煌びやかであればあるほど虚しさも増していくのだけれど、そういう世界を全て肯定して楽しみたいという欲求も強くあって、その矛盾を楽しんでいる。きみは珍しくいつもより高さのあるヒールを履き、僕もジャケットを羽織って、その時間を過ごす。過去の全てを消し去り、あたかも、東京には明るい未来がこの先も待っているかのように振る舞うのがルールであるかのように。
「二人は覚えているか?あの匂いを」とライブの後に立ち寄ったバーで隣り合わせた男が言う。「一緒だと思う、今が。どういうことかわかるかい?」男は、きみに向かって話し続ける。 「その時、犬鷲とカラスが問題を引き起こすことになる。だれもそれを止める方法を知らない。だから、それ自体が存在しないということにする。目の前で命が失われていっているのに。それが出来るのが我々人間なんだ、わかるかい?」 きみは愛想笑いをしながら、相槌をうっている。 「ところで、その時、二人は、どこにいると思う?」と男に聞かれて、きみは戸惑っている。僕が間に入り 「その時、っていうのはいつのこと?」と男に聞き返す。 「犬鷲とカラスに世界の目が向く時だよ、知りたくないか?」と男は真顔で言う。男はトイレに立ち、しばらく帰ってこない。不気味な男から逃れるように、その隙を狙って僕らは店を出て、タクシーで家まで帰った。 「あの人の言っていた犬鷲とカラス、ってなんのこと?」ときみはタクシーの窓から都会の街並みを見ながら言う。 「さぁ、わからない。ただ酔っていただけじゃないか」 「そうかなぁ、酔っていた感じはしなかったけど。不思議な眼をしていたわ」 「そう?どんな」 「なんか、こう、黒目が空洞、っていうか?どこかに繋がっているような」 「僕には、わからなかった」 「暗かったからね、でも、私の距離からだとよく見えたの、それが」
翌朝、きみはピアスを片方失くしたみたいだという。どこかの道で落としたならもう見つからないだろうけれど、とりあえずライブ会場と帰りのタクシーとバーに連絡をして、探してもらうことにした。そのどこかになければ諦めるつもりで。夜になりバーから連絡があり、見つかったという。郵送してもらうのも手間だと思い、近いうちに取りに行くことにして電話を切った。「僕が何かのついでに取ってくるよ」 「でも、一緒に行こうよ。せっかくだから、ちょっと買い物とかしたいし。この前はライブだけだったから」 「そう、わかった。いつがいい?」 「今度の土曜日かな」 「じゃあ、そうしよう」 「もしかしたら、また居るかなあ、あの人」 「あの人?」 「犬鷲とカラス」 「あの不気味な男か。会いたいの?」 「なんか気になる」
土曜日の夕方、少し街を歩くつもりで家を出る。買い物といっても特に欲しいものがあるわけではなく、文字通りウィンドウショッピングだ。高級ブランドのショップは、いつの時代も現実離れしたディスプレイをしている。どこに着ていくことを想定して作られたのかわからない服をマネキンが纏っている。そのマネキンも普通の人の手足のバランスではない。すべてが架空の世界の出来事のような演出だと思う。そのショップから、庶民的な格好をしたカップルが出てきたりするから、さらに不思議な光景だと感じる。何もかもが、ちぐはぐな都会の見慣れた風景。売る側も買う側もわかってやっているのか、お互いがお互いに分かり合えていないのかさえもわからない。きみはどのショップにも結局入らずに「お腹すいてきたから、何か食べよう」と子供のような目をして言う。 「何が食べたい?」 「この後、あのバーよね」 「うん」 「じゃあ、とんかつ」 「? バーと、とんかつって何か関係ある?」 「ない。いや、あるといえばある」 「よくわかんないけど、とんかつ食べよう」 青山の老舗のとんかつ屋は、未だに人気があって、少しだけ並んでから入ることが出来た。当然、昔、来ていた時とは料理人も違っているだろうし、もしかしたら、食材の全部が違うのかもしれない。それでも同じような満足感を得られるのは、どこかに秘密があるのか、食べる側が所詮素人で鈍感だからなのだろうか。きみは、よく歩いたからか残さず食べ終わり、デザートを選んでいる。 「バーでも、アイスとかはあると思うよ?」 「うん、でも、なんか、いま食べたい」 また子供のようなことを言う。しかし、結局決められず店を出る。バーに行くにはまだ少し早い気がして、街を歩くことにした。店は閉まっていても、電飾を灯して、その美しさとセンスを競い合っている。昔のCMのように、二十四時間ずっと戦っているのだ。時代錯誤だと言えばそうだろうし、それを楽しむ余裕も大切だとも言うことも出来るだろうし、何が正解かは、そこに答えはない。個人がそれぞれに感じていればいいことなのだ。そういうことが出来る時には、やればいいし、いずれ出来なくなる時も来るのだから、必ず、と心の中で呟いたりもしてみる。 「ねぇ、昔、ここに洋書屋さんあったよね?」 「もう、ずいぶん前になくなったと思うよ」 「そうよね、もう、ネットで探した方が早いよね、海外にあるやつも探せるしね」 「手に取った時の重みとか、質感とかは、もうどうでもよくなってしまったのかね」 「それ言っちゃうと、見るだけだったら本にしなくてもいい、ってことになるよ」 「確かに。もはや化石と同じか」 「ねぇ、バーにあの人が、もしいたら、聞いてみて」 「なにを?」 「犬鷲とカラスのこと」
バーの営業時間としては始まったばかりだったので、先客は誰もいなかった。ピアスを取りに来たことを伝え、カウンターの端の席に座る。この前、あの男が座っていた席だ。何十年か振りに口にするカクテルの名前が今でも通用するのかわからなかったけれど、バーのマスターは、我々よりも確実に歳上だったので、躊躇なくオーダーをしてみた。マスターは顔色ひとつ変えずにカクテルを仕上げ、僕らの前のコースターの上に静かに置いた。もう何百何千と繰り返された所作だとわかる優雅な動きだった。「お二人は、もう三十年とか四十年前に来られてますね、ここに」 「まさか、覚えているんですか?」 「はっきりと顔を覚えているわけじゃありません、当然。でも、お客さんは、ひとりとして同じ人間はいないんです、当たり前ですが。ですから、その人にしかない佇まいというかオーラみたいなものは、みなさんお持ちです。それを記憶していて、私の身体のどこかが反応するんです。会ったことのある人が来ると」 「僕らは、一緒に来たことはないんですが」 「そうですか、そこまではわかりませんでしたが、お二人とも以前、来られています、確実に。それも同じくらいの時期にね。もしかしたら、同じ日の同じ時間かもしれません。そんな風に身体が感じています」 僕ときみは顔を見合わせ、なんとなく嬉しくなる。 「やっぱり昔、会っていたのかもね、それも、ここで」 「だとしたら、お互い魅力に欠けていたのかも」 きみは悪戯っぽく笑う。その表情は僕を幸せにする。 「でも、きみは何も記憶していないんだよね?」 「そうね、何も。あなたも覚えてなんかいないでしょ?」 「さすがに、昔過ぎる」 「結局、一緒なの、過去なんて、そういうものよ」
バーには、まだ僕ら二人だけだ。ピアスも無事に受け取れたし、あとはあの男を待つだけだった。試しにマスターに、あの男について聞いてみようと思う。他に客もいない訳だし。「マスター、この前僕らが来た時に、この席に男性が座っていたと思うんですが? わかりますか?」マスターは、ちらりとこちらを見て、目線で次の言葉を促した。 「それで、犬鷲とカラスの話をしていたんですが、その男性は。今日も来たりしますかね?」 マスターは、純白の布巾でグラスをゆっくり磨きながら黙っている。僕の言葉が届いたのかどうかもわからないくらい表情に変化がない。 しばらくの沈黙の後、ようやく口を開く。 「奥様、なのかな? あなたもその男性を?」と、きみに尋ねる。 「はい、二人で話を聞きました」 「そう」またマスターは黙ってしまった。店に流れるジャズの音量を少し絞り、マスターが話を始めた。 「ちょうどまだ誰もいないので、少しお話しします。時々、そういうお客さんがいらっしゃいます。あなた方のような。犬鷲とカラスの話をしていた男のことを尋ねられる。以前は、海鳴りと深海魚だったかな、そのあとは微粒子と太陽、だった。今は、犬鷲とカラスのことを言っているようです。でも、私はその男のことは知りません。見たこともありませんし、当然この店で会ったこともね。でも、存在はしていると思っています。いや、存在しているかいないかというよりは、認めていると言った方がいいかな。ある種の予言のようなことです、その男の話は」そこまで話したところで若い男女が入ってきて、マスターは何事もなかったように話をやめた。ジャズが再び流れ始め、夜の東京が始まった。ジャズの演奏は、確かCharlie Haden だ。昔よく聴いていたから身体が覚えている。TOKYO ADAGIOというライブ音源、2005年の録音。この近くにあったジャズクラブで録られたものだった。マスターは、その夜はもう男の話をすることはなく、当然、男も姿を現さなかった。
続く。
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なにも。
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2020-05-21T09:37:00+09:00
2020-05-21T09:37:16+09:00
2020-05-21T09:37:16+09:00
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〜 なにも。〜
「あなたは、今日なにしてますか?」
「僕ですか?なにもしていません」
「なにも、って、なにも?」
「取り立てて説明するようなことはなにも、 という意味でのなにも、です。 朝起きて、顔洗って、歯磨きして、コーヒー淹れて、 パン焼いて、目玉焼き作って、キャベツのサラダ作って、 お風呂掃除して、観葉植物にお水あげて、 という程度で、他には、なにも」
「それ、なにも、に入るんですか? 私の中では、それは色々やってる部類に入ります。 私は、朝からずっとベッドでゴロゴロしています。 さっき、冷蔵庫にプレーンヨーグルトがあったので、 直でスプーンで食べてしまいました。美味しかったです」
「直でスプーンで? なにもかけたりなにかと混ぜたりしないでですか?」
「はい」
「本当になにもしていないんですね。 僕だったら、多分、いちごジャムかけたり、 リンゴがあれば混ぜたりしたと思います。 その方が断然美味しいと思います」
「いいんです、ヨーグルト本来の味を楽しみたいので」
「その、本来の味って、よく食レポとかでみんな使いますよね? なんですか?本来の味って?」
「なにもしないことだと思います。 そんな程度で私は使っています。他の人は知りません。 もっとポジティブな意味で使っているのかもしれませんが、 私にはわかりません」
「きみの方がよっぽどなにもしていないことが判明しましたね、 なので、僕のなにもしていない、という前言は撤回します。 ごめんなさい。 で、なんで連絡してきたのですか? 何か用事があったんですよね?」
「いえ、特になにも」
「また、なにもですか?」
「はい、なにかないと連絡してはいけないのですか? ただ、なにもすることがなかったので、連絡してみただけです。 何かしましょうよ? なにもすることがないので」
「いいですよ、でも、いま、この状態でなにが出来ますかね?」
「なんでも出来ますよ、今の世の中。 なにも出来ないことなんてないと思えるくらいに 便利になっていますから」
「例えば?」
「そうですね。この前、レコーディングしてました。 有名な歌手が」
「レコーディングするんですか?僕たち」
「いえ、例えばの話です。 例えば、って聞かれたからそう言ってみただけです。 でも、私とあなたで、レコーディングするとしたら何がいいですか?」
「例えば、スピッツ」
「スピッツ、って犬ですよね?」
「そのスピッツじゃないです、バンドです」
「よく知りません、音楽のことは。特にバンド事情はなにも。 私が知っているのは、バッハとかブラームスくらいです。 あと、かろうじてショパンくらい。 ベートーベンも知っています」
「それ、音楽の授業の話みたいですね。 もしかして、そこで止まっているんですか?」
「止まっているってなんですか? 音楽って進んでいるんですか?」
「まぁ、進んでいるのかどうかは知りませんが、 たくさん他にも音楽ってありますよね、そういう意味で。 最近、好きで聴いている曲とかないんですか?」
「音楽聞きません、なにも、私。 別になくても大丈夫な体質なので、多分。 だからスピッツは、犬しか知りません。 でも、参考までにどんな歌を歌っているんですか?その犬は」
「犬ではないんですけど、四人組の男性バンドです。 チェリー、とか、ロビンソン、とか、スパイダー、とか」
「カタカナばかりですね。 スピッツチェリーロビンソンスパイダーですか。 よく私にはわからない世界のように思います。 それをあなたはレコーディングしたいのですね?」
「まぁ、よくカラオケで歌うので、そこそこ上手く歌える程度ですが」
「私、カラオケも行ったことないので、さらによくわかりません」
「一度も?」
「はい、一度も」
「じゃあ、他のことを考えましょうか。 例えば、オンライン飲み会、みたいのはどうですか? 最近よく耳にしますよね?あれ」
「いいですね、何飲みます?あなたは」
「僕は、とりあえずビール」
「私は、シャンパンで。で、これどこにオーダーするんですか? 誰か配達してくれるんですか?このオンライン飲み会は?」
「いえ、違います。 自分で用意して、パソコンの前で、飲むんです。 なので、きみが今シャンパンを持っていないと成立しません。 持っていますか?」
「持っていません。今、家にお酒はなにもありません。 ダメですね、これ」
「はい、ダメです」
「いいですよ、あなただけビール飲んで。私はお水で大丈夫です」
「それ、つまらないと思います」
「そうですか? よく飲み会でも、私は、お水で、なんて言っている女子いますよね? それでも、みんな楽しそうにしているじゃないですか」
「それは、違う目的があるからじゃないですか?」
「違う目的?」
「はい」
「なんですか?その目的」
「なんていうか、ナンパ?」
「ナンパ、ですか? ナンパされにお水飲み会に行っているんですか? あの女子達は?」
「お水飲み会、って新しい言葉ですか?」
「知りません、今、つい出た言葉です」
「なかなかいいと思います、その、お水飲み会、って、 オンライン飲み会に似てて」
「そうですか、ありがとうございます。 ちょっと私、喉が乾いたんで、水飲んできます。 待っていてください」
「わかりました」
「キッチン近いので、すぐです。 お待たせしました」
「お帰りなさい、本当に早いですね。 その部屋、どんな間取りになっているんですか?」
「多分、不動産屋さんの規定だと、1Kだと思います。 でも、とても広いんです。全体は。 全部繋がっているんで。子供のキャッチボールくらいはできます」
「でも、そことキッチンは近いのですか?」
「そうです、近くです。なので、全体を見渡す端っこにいる感じです。 なにも置いてないので無駄に広いのかもしれませんけど、 開放感が欲しかったので、気に入っています」
「いいですね。なんか今時な感じがします。 リノベーションというやつですよね」
「そうだと思います。 リノベーションとリフォームの違いが私にはよくわからないのですが、 リノベーションの方が、今っぽいですから、 そういうことにしておきます。 ちなみにあなたの部屋はどんな感じですか?」
「僕は、一軒家です。古い。 二階建てで、一階に八畳と六畳と台所、二階に六畳が二つです」
「一人でそんなに広い家に住んでいるんですか?」
「はい、でも。犬がいます」
「スピッツですか?」
「違います、雑種です」
「スピッツだったら面白かったのに、残念です」
「そうですね、気が利かなくてすいません」
「いいえ、大丈夫です。冗談ですから。 雑種とミックスって、一緒ですか? いつからですかね、ミックスって言い出したの。 昔はみんな雑種でしたよね」
「どうなんでしょうか?よくわかりません、僕には。 でも、ちょっと違う気もします。 厳密には知りませんが、 ミックスって混ざり具合がわかっている気がします。 うちのは、全くなにもわかりません。保護犬ですので」
「混ざり具合ですね、なんとなくそんな気がしますね。 今度調べてみましょう。 でも、その保護犬、可愛い気がします、なんとなく。 なにも根拠はありませんし、みたことないですけど。 ちなみに名前はなんですか?」
「ハーグです」
「ハーグって意味は?」
「特にないです。なんとなく語感で。 あまり甘ったるいのは呼ぶのが恥ずかしいので、 それで、声に出して考えました」
「声に出すのは、いいですね。 実際、しょっちゅう呼びますからね、犬の名前は。 私も今、ハーグ、って声に出してみました。 割と大きな声で。いい感じです。 お隣さんから、変に思われているかもしれませんが」
「そうですね、急に犬を飼い出したと思われてしまうかもしれませんね」
「それは、どうでしょうか? ハーグって名、犬だってわからないですよ、 犬としてメジャーな名前ではないですから。 ただ、ずっと家にいて頭がおかしくなったって 思われるくらいじゃないですか。外出自粛で」
「確かに、そういう人、多そうですね。 怖いですね。みんなおかしくなる前に、終わって欲しいですよね」
「もうだいぶ、おかしくなっているんじゃないでしょうか?みんな。 ちなみにあなたは大丈夫ですか? おかしくなってないですか?」
「どうなんでしょうか? 本当におかしくなっている人は自分ではわかんないですよね、 そういうのは」
「確かに、そうですね。 でも、このやりともおかしいかもしれませんから、 あまり深く考えないようにしましょう。 おかしくなっていたら、 そのうち、誰かがお迎えに来るでしょうから」
「誰が来るんですか?」
「政府から派遣された、そういうのの専門の人でしょうか? そして、どっかの施設に搬送されると思います。 私たちみたいな人ばっかりがいる」
「怖いですね。なんとか逃げ出しましょう」
「どこからですか?」
「施設です」
「外に逃げたら、まだウイルスいっぱいですよ、きっと。 だから、施設にじっとしていてなにもしない方がいいと思います。 怖いけど」
「どっちにしても怖いですね。 怖い話は、やめましょうよ。楽しい話がいいです」
「わかりました。やめましょう。 楽しい話ってありますか?私思いつかないんですけど。 そんなに楽しい人生を送ってきていないので」
「人生って大げさですね。まだ若いのに」
「そんなに若くないです。本当は」
「本当は、ってどこかで嘘ついているんですか?」
「それは、ないです。履歴書もちゃんと書きました。 でも、女の人って、なんだかんだ自分の年齢より若く見られたいんで、 化粧とか洋服とかで、そんな風にしているんで、そういう意味で」
「確かに、男は逆ですね、 大人に見られたいとか、年上に見られたいとか、 頼り甲斐がありそうだって見られたいとかで、 実年齢より上がいいですね。 芸能人は違うかもしれませんが、 郷ひろみ、とかって一体幾つなんでしょうかね? もう、孫がいる年ですよね、どう考えても」
「誰ですか?その郷さん、って」
「あ、知らないですよね、歌手です」
「ごめんないさい、私、なにも」
「大丈夫です。バッハとかですもんね」
「はい、そこ止まりで進んでないので。 でも、郷、って変わった名前ですね」
「多分、芸名です。詳しくは知りません。 僕も一般人の知り合いで、郷さんは、いません。 西郷さんとかはいますけど」
「西郷さんと知り合いなんですか? あの西郷さんと関係ありますか?」
「どの?もしかして、せごどん、ですか?」
「はい。私、大ファンなんです、西郷隆盛。親戚ですか?その人」
「さぁ、どうなんでしょうか、 関係があるかどうか聞いたことがないので、わかりません」
「今度、聞いてみてください」
「わかりました」
「できたら、オンライン飲み会とか、したいです」
「ほんとですか?その人、せごどんと関係があったとしても、 あなたの好みの男性かはわかりませんけど」
「いいです。血が繋がっていれば」
「血ですか?」
「はい、血です。 仮に、その血を受け継いだ子供を産んだとしたら すごいことだと思いませんか?西郷さんの血ですよ?」
「まぁ、そうですけど。かなり話が飛躍していませんか、それ」
「いいんです、人生何があるかわかりませんから。 西郷隆盛の子孫産めるなんてすごいことです」
「また、人生ですか、人生好きですね」
「たまたまです。あなたは人生って言葉使わないんですか?」
「どうでしょうか、あまり意識したことないです。 でも、使っているのかもしれませんね、なんとなく流れで」
「私の人生も流れです、なにも深い意味はありません。 だから、あなたがいちいち人生に反応するのが、 私としてはなんだか不思議です。 たぶん、世の中の人、いっぱい人生人生って言ってますよ。 特にこんなご時世なんで、この先どうなっちゃうのかなぁ、って、 考える機会も多いですし。 この先の人生、ウイルスと共存かなぁ、とか」
「共存できるんですかね、ウイルス?」
「できるんじゃないですか? 私たち、いろんな菌と共存しているみたいだし、 仲良く、というかうまく付き合えば、 お互いそんなに干渉し合わないで、みたいに」
「人と、一緒ですね、その感じ。 あなたは、人付き合い得意ですか?僕、イマイチ不得意で」
「そんな風に思えませんけど? カラオケ行くし、西郷さんと知り合いだし、犬飼ってるし、 私なんか、なにもないですよ、ヨーグルト直食いだし、 スピッツも郷ひろみも知らないし、オンライン飲み会やったことないし、 私からすれば、社交的ですよ、断然」
「でもこんなになってしまうと社交的ってことが命とりですよね。 人と交わらないことが推奨される世の中なんて、 想像してなかったですよね」
「そういう意味でいうと、私、いい感じなんでしょうか? 時代に合っているというか」
「まぁ、そうとも言えますけど。 ずっとこのままだと、社会全体が破綻してしまうかもしれないので、 いいとも言えませんが」
「そうなんですかね?社会全体が変わればいいじゃないですか? ウイルス共存社会に」
「もっともらしい言葉ですね。それ」
「ありがとうございます。具体性のない言葉ですけど。 ニュースのコメンテイターみたいな人が言う」
「はい、言いそうです。僕、思ってるんですけど、 『今の東京は二週間前のニューヨークです』って 煽っていた人、今、どうしてるんですかね?」
「言ったこと忘れてますよ、きっと。都合よく。 そういうものですよ、気にしなくていいです。 それより、私、自粛生活が終わることが怖いんです」
「なんでですか?いいじゃないですか」
「だって、なにもしないでいつもこんな風なんで、 自粛生活の実感ないんです、実は。いつも通りで。 だから、正々堂々となにもしないでいられたのに、 自粛しなくていいってなったら何かしないといけないじゃないですか」
「別に、いいじゃないですか。いつもそうなら、そのままで。 なにかしなくちゃいけないならすればいいだけで、 なにもしなくてやっていけるんならそれはそれで」
「でも、世間の目が」
「見えてませんよ、みんな。テレワークとかになって、 さらに分断されてますから、みんながなにしてるかなんて 本当のところは、なにも。コロナ分断社会ですから」
「それ、私のウイルス共存社会に対抗してます?」
「まぁ、なんとなく」
「でも、あなたと私、 そもそも、なにもしてない、のなにも、 の解釈がずいぶん違っていたので あなたのいうこと信じていいのでしょうか?」
「確かにそうでしたね。 お互いのこともっと知らないとですね。 いくら分断社会と言えども。 僕もあなたのことを全然、 というかなにも知らないと思いますし」
「あなたは、私のことを知りたいんですか?もしかして」
「はい。だから、こんなやりとりしているんです」
「なるほど。じゃあ、いいですよ、なんでも聞いてもらって。 なにも隠し事はないんで」
「なにも?」
「はい、なにも」
おわり。 ]]>
恋について語りましょう。
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2020-05-20T11:46:00+09:00
2020-05-20T11:46:17+09:00
2020-05-20T11:46:17+09:00
ikanika
未分類
〜 恋について語りましょう。〜
「やっぱり、これは私へのラブレターでしょうか? そうであったら嬉しいのですが、 私の思い過ごしだったら、恥ずかしいです。 身体がふわふわしている感じがします。 これは、恋の症状だと、私は思っています。 もし、治す薬があったとしても、 しばらくはこのままでいいと思ってしまうのは、 かなり重症かもしれません。 重症患者は、それ相当の施設に搬送されなくてはなりません。 だから、そこへあなたが連れて行ってください。 こうなってしまったのは、あなたの責任ですから。 早く、お願いします。緊急搬送的なスピードで」
「もし、あれがラブレターじゃないとしたら、なんなのでしょうか? 僕はお医者さんではないので、 きみの症状がなんなのかまでは、わかりませんし、 救急隊員でもないので、搬送もできません。 ごめんなさい。 ただ、その症状を緩和する方法を考えてみたいと思います。 少し、時間をください。 それまで、なんとか持ち堪えてください。市販の薬とかで」
「市販の薬って、効くんですか? おすすめは、ありますか?」
「例えば、Charlie Hadenなんか、よく聴きます」
「よく聴く? よく効くのが、いいです」
「大丈夫です。よく効きます。TOKYO ADAGIOとか、特に」
「言っていることが、よくわかりません。 でも、ネットで探してみます。そのCharlie Hadenとやらを。 効くかどうか、試してみます。 本当は会ってお話がしたいのですが、無理ですよね、今は。 ウイルスたくさんいるし。 このウイルス、いつまでいるんでしょうかね? ずっといなくならなかったら、どうしましょう。 私たち、ずっと会えないですよね。一生」
「いま会えないのは仕方がないから、 どうだろう? もう少し恋の始まりの余韻を楽しんでみるというのは。 実際、もう始まってしまっているのかもしれないけれど、 まだ、その指先にも触れていないし」
「私の指に触れたいんですか? ヘンタイですか?」
「僕は、ヘンタイではないと思います。 ただ、きみにもう少し近づきたい、 あるいは近づいて欲しいという気持ちの表現です」
「なんか、それ、心がざわざわします。 あなたは、私に近づいてほしいのですか?」
「そう」
「だったら もう近づいています。もっと?」
「そう、もっと。 僕には思い切り手を伸ばしても、 まだ届かない距離にいるように思えるけれど、違う?」
「きっと、伸ばしている向きが違うんだと思います。 もしかして方向音痴ですか?笑。 すぐ近く、息がかかるくらいの距離にいます。 見えませんか?」
「だとしたら、近すぎて見えない」
「屁理屈。 じゃあ、見えなくても私の心がざわざわしている音は聞こえるでしょ?」
「そうだね、聞こえる気がする」
「嘘つき。 なんか、このやりとり、へんです。やめましょう」
「はい、ごめんなさい」
「あなたは、私にラブレターなんか書かなくても、モテそうですけど?」
「どうなんだろう、よく分からないけれど、 一番好きな人からは、 なかなかアプローチされないというのは確実にあります。 だから仮にモテていたとしても実感が薄いのかもしれません。 いまだったら、きみからアプローチされたら、 モテてる実感が湧いてくるな、きっと。 これは、告白になるけどね」
「なんか、プレイボーイ的な、告白の仕方ですね、それ。 本心か、よくわからないので、 あなたが私のことをどのくらい好きなのか、教えてください。 わかりやすい例を挙げて」
「先生みたいな、言い方ですね。わかりました。 この前、 きみに会えない時のために、 とりあえずきみの写真を集めてみました。 思ったよりたくさんあって、 テーブルの上に並べてみたら、 自分がちょっと危ない犯罪者みたいに思えてきて、 慌ててやめました。 頭の中で考えてるくらいがちょうどいいと 思いました。 どうですか?こんな感じで、先生」
「ダメですね、やっぱり、あなたはヘンタイの要素があるようです。 そんなのでは、点数は差し上げられません」
「じゃあ、きみが例を挙げてみてください」
「わかりました。 恋をすると夜更かしになるじゃないですか、 というか寝不足になりますよね。 きのうも眠れなくて、きょうも眠れそうにありません。 それにご飯が喉を通りません。 つまり不健康になります。 それが、私です」
「また、病気の話ですか?」
「じゃあ、聞きます、 健康的な恋がしたいのだけれど、どうしたらいいのですか?」
「だから、僕はお医者さんではないと、さっき言いました」
「そうでしたね、ごめんなさい」
「いえ、そんなに素直に謝らなくても、大丈夫です」
「あぁ、でも、どうしよう、私、ずっとあなたのことを考えています。 正直な話、こんなこと、しばらくなかったから、 どうしたらいいのか、わかりません」
「急にどうしたんですか? 情緒不安定ですね。 僕も、一日、きみのことを考えて終わります。 考えてみたところで、何かが変わるのかは、分からないのだけれど。 でも、考える。不思議です」
「考えるって、具体的になにを考えているんですか? ただ、会いたいとか、手をつなぎたいとか、そういうこと、ですか? それとも、もっと大人のことですか?」
「それは、言えません」
「どうしてですか?」
「いいじゃないですか、その辺は。 話は変わりますが、 僕はこの前から、考えてることがあります。 僕たちに何か通ずるものがあるとしたら、 その一番は、 お互いにパートナーがいるのに こうしてやりとりしてしまうことじゃないかと」
「じゃあ、やめますか? これ」
「嫌です。やめません」
「だったら、そこは触れずにおきましょう。 お互いのために、その方がいいと思います。 安全安心が一番です」
「なんか聞いたことがある言葉ですね? 誰が言ってたんでしたっけ?」
「政治家とか偉い人だと、思います。 抽象的な事を言っていれば許される立場になると、 それくらいしか言うことがないのだと思います、そういう人たちは。 だから、みんなおんなじ事しか言わなくて、つまらないのです。 偉い人たちは」
「同感です。でも、政治批判はやめておきましょう。 どこで、だれが聞いているかわかりません、いまの世の中。 盗聴されているかもしれませんし、 このやりとりも誰かが見ているかもしれません」
「だれか見れるんですか? これ?」
「見れます、たぶん。システム部の人とか」
「システム部?って誰ですか?」
「誰でしょう? 誰か知らない人です、たぶん。 知り合いではないと思います。 誰かシステム部に知り合いいますか?」
「システム部の知り合いは、いません、たぶん。 でも、そういう人って、身分を明かしてないんじゃないですか? 個人情報保護の観点から」
「政治家みたいな言い方ですね」
「政治の話しはナシでしたね、ごめんなさい」
「いえ、そのくらいなら大丈夫ですよ。 さっき、途中でしたよね?確か」
「何がですか? なんか全部途中ですよ、私たち。 何か結論めいたものが欲しくて これやってるわけじゃないじゃないですか。 恋の話、ってそういうものですよね?」
「恋の話をしてたんでしたっけ? 僕たち」
「そうだったと思います。そうですよ、あなたのラブレターが発端で」
「そうでした。じゃあ、恋の話から脱線しないように、 もう一度、軌道修正しましょうか」
「いいですよ。 私、モヤモヤしているんです」
「それ、恋の話ですか? また病気の話になりませんか?」
「恋の病の話は、オッケーですか?」
「まぁ、そうですね、 それは、病と言っても お医者さんが相手にしてくれない部類のことなので、 オッケーです」
「よかったです。 私のモヤモヤ、これ、なんですか? 恋の病ですか?」
「それだけだと、わかりません。 一度、そのモヤモヤをそのまま僕にぶつけてみてください。 受け入れる準備はあります。たぶん、どんなボールでも。 ただ、あまりに大暴投だと、見ないふりをしてしまうと思います」
「大暴投してしまうかもしれません、私。 自信ありません、ストライクゾーンに投げるの」
「ストライクじゃなくても、大丈夫です。 ストライクは難しいですよね、僕も、たまにしか投げられません」
「でも、あなたは、どストライクです。私には」
「上手いこと言いますね。 恋の話をスポーツに例えるのってなんなのでしょうね?」
「照れ隠しじゃないですか? たぶん」
「なるほど。正解な気がします」
「たぶん正解です」
「じゃあ、僕も。 きみは、一本勝ちです、僕には」
「なんですかそれ?」
「いまいちでしたね。僕は苦手かもしれません。スポーツに例えるの」
「そのようですね。無理に例えなくていいです。別に。 単なる照れ隠しですから。照れがない人は必要ないじゃないですか。 あなたみたいにラブレター書けたら必要ないですよ、きっと」
「僕もそんな気がしてきました。 そもそも、 これはラブレターですか?って、なんでそんな風に思ったのですか? あんなに情熱的に愛を語ったのに。伝わりませんでしたか?」
「たぶん、情熱的過ぎて、のぼせてしまったんだと思います。 私たち日本人には、ちょっと熱すぎたんだと思います。 身体がふわふわしてしまったくらいに」
「僕も日本人です」
「知ってます。でも、特殊なんじゃないでしょうか、あなたは。 そんな気がします。出会った時からそう感じていました」
「僕らの出会いを覚えているんですか?」
「はい、当然です。稲妻に打たれた感じでしたから」
「青い?」
「なんですか? 青い、って?」
「青いイナズマ、って知りませんか?」
「知りません」
「スマップです」
「スマップは、世界に一つだけの花、です。それ以外は知りません。 私の世代は、嵐ですから」
「嵐、本当に解散するんですかね?」
「知りませんし、どうでもいいです」
「ファンじゃないのですか?」
「違います、世代、と言っただけです。 あなたの世代は、誰ですか?アイドル」
「アイドルは、知りません。洋楽しか興味がなかったので」
「洋楽、っていう言葉が、世代を感じます。 今はもう、洋楽とか邦楽とかないみたいですよ。 ネット社会ですから、世界中が一つみたいになってしまって」
「そうなんですね。知りませんでした。 もう、時代に乗り遅れていますね、僕は」
「たぶん、そんな気がします。残念ながら。 でも、それでもいいと、私は、思います。 時代なんてそもそも乗り物じゃないし。 どうせ乗るなら、早いスポーツカーがいいです、私。 あなたは、運転免許もってますか?」
「はい、当然です」
「いまの世の中、それ、当然じゃないですよ、 持ってない若者多いみたいですよ。 ほら、やっぱり、乗り遅れてる」
「でも、持っていた方がいいですよね? でないと、早いスポーツカーに乗れませんよ」
「それは、そうでした。あなたが乗り遅れていてくれてよかったです。 今度、ドライブに連れて行ってください」
「どこに行きたいですか?」
「どこでも、いいです。行き先は。 ドライブの目的は、純粋に、早いスポーツカーに乗ることなので。 純粋なドライブです」
「純粋なドライブ?」
「そうです。 帰りにラブホテルによってやろうとか、そういう下心のない、 純粋なドライブです」
「みんなラブホテルに行くわけじゃないですよ、きっと」
「あなたは行ったことないのですか? プレイボーイのくせに」
「僕は、プレイボーイでもないですし、 ラブホテルにも行ったことはありません」
「行かなくても済んでしまったのですね?」
「どういう質問ですか?それ」
「別に、どうもこうもありません」
「なんで、ラブホテルの話になったんでしたっけ?」
「ドライブです」
「そうでした。 だったら、首都高速がいいと思います。 C1をずっと回っていれば、どこにもたどり着かないし、 スピード出せるし、夜景もきれいだし」
「だから、夜景とかは必要ないんです。純粋なので」
「そうでしたね。ごめんなさい」
「でも、C1だと、ガソリンスタンドないですよね? ガソリンなくなったら、どうするんですか?」
「そんなに、走るんですか?」
「わかりませんけど、ちょっと心配になって」
「満タンにしてスタートすれば、満足するくらい純粋に走れると思います。 最近の車は燃費いいですから」
「私が乗りたい早いスポーツカーは、燃費悪いと思います」
「例えば?」
「フェラーリとか?」
「フェラーリに乗りたいんですか?」
「わかりません、例えばです。他には、ポルシェくらいしかしりません。 早いスポーツカーだったら、銘柄はこだわりませんから、大丈夫です。 でも、あなたは早いスポーツカーもっているんでしたっけ?」
「持っていません。僕が持っているのは、普通の車です」
「普通ってなんですか?」
「マツダです」
「マツダ、いいですね」
「マツダ好きですか?」
「はい、国産だと、マツダだけ許せます。あとは、好きではありません。 理由は、特にないです。ただ、なんとなくです。 広島出身でもないですし、カープ女子でもないので。 あえていうなら、マツダ女子です」
「マツダ女子って、いるんですか?」
「知りません、勝手に言ってみただけです」
「じゃあ、マツダでドライブで、いいですか? 首都高速を」
「はい、お願いします。デートみたいですね。 ていうか、 そもそもデートしたくて、ラブレター書いたんじゃないんですか? あなたは」
「そうです。ようやくたどり着けました」
「長かったですね。 でも、そもそも私たち、 そんな風に会ってしまってはいけないんじゃないんでしたっけ?」
「その辺りの話は、触れない約束しましたよね?」
「そうでした。安全安心第一でした」
「運転も安全安心第一でします」
「上手いこと言えたって思ってます?」
「だめですか?」
「今ひとつ、つまらないです、それ。私の好みではありません」
「じゃあ、取り消して、謝ります」
「それ、政治家みたいです」
「また政治の話にもどりそうですね。 僕たち、もしかしたら政治の話、好きなんでしょうか?」
「それは、百パーセントないと思います。だってあの人たち」
「あっ、ちょっと待ってください、そこまでで」
「そうですよね、盗聴というか、システム部ですね」
「はい。安全安心第一で」
「そうですね。何事もそれですね。いいこと言いますね、あの人たち」
「急に褒めるのも嘘臭いので、微妙ですね。 でも、きみのそういう変わり身の早さは、好きです。 カメレオンみたいで」
「カメレオン好きなんですか?」
「わりと」
「でも、あれ、そんなに瞬時に色変わりませんよね。徐々にですよね」
「そうでしたっけ?記憶があいまいですね、その辺。 テレビとかだと早回ししたりするので、 本当はどんななのか、わからないですね」
「本物、見たことないんですか?好きなのに」
「わりと好きなだけで、そんなに好きなわけではありません。 カメレオンより、犬が好きです」
「なんの話ですか?犬って。 普通、カメレオンより、カエル、とかじゃないですか? 犬だとジャンル違いすぎると思います」
「まぁ、そうですけど、爬虫類全般、そんなに興味ないので、 話題をずらしたかったんです」
「カメレオンを持ち出したのは、あなたです」
「はい、でも、犬の話の方がいいです」
「どうぞ、ご自由に」
「犬、嫌いですか? 猫派ですか?」
「その犬派猫派、ってなんなのでしょうかね? 私は、鳥派です」
「鳥派ってことばあるんですか? 初めて聞きました」
「あってもいいと思います。 ペットとしてはスタンダードじゃないですか? あなたは、犬派、猫派、それとも鳥派?そんな使い方で」
「亀もスタンダードです」
「亀派? ですか? 私、亀、嫌いです。臭いし」
「あれ、亀が臭いんじゃなくて、水だと思います。 亀に罪はないと思います」
「どっちでも、いいです、それ。 あなたは亀を擁護しますね? 亀派ですか?」
「すいません、いま頭の中で、 カメハメハ、という言葉が浮かんでしまいました。 そういうのも、嫌いですよね?」
「はい、やめてください。そういうの」
「わかりました」
「で、犬の話がしたいんですよね? 私は鳥の話がいいんですけど」
「じゃあ、やめましょう。共通の話題のがいいですよね」
「私たちに共通の話題ってなんですか?」
「あれじゃないですか」
「あれじゃわかりません」
「恋」
「そうですね、恋について、語りましょう」
おわり。
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