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べールクトとコルバス 004




004




 きみが夕方から、ずっとキッチンに立ち料理をしている。

「今夜、あれ、TOKYO ADAGIO聴こうよ。もし、彼が来てもいいようにお料理してるから」

「わかった。セカンドステージの時間がいいと思うから、九時くらいがいいと思う」

「了解。それまで少し飲んで待ちましょう」

  今夜、彼に会えるだろうか。会えたらまず何から聞こうか。地図を買ったと言ったら驚くだろうか、いや、そんなことはもう知られているだろう。きっと謎解きが出来ていないことを、嘆き、呆れて笑うに違いない。

「ねぇ、そろそろ時間かなあ」

「じゃあ、聴いてみようか。少し部屋を暗くして」

きみの表情を見ると、やはり少し笑っている。

「やっぱり笑うんだね」

「だから、きゅん、ってなってるの」


 TOKYO ADAGIOは、極めてロマンチックな作品だ。2005年の東京の夜がどこもこんな風だったのかはわからないけれど、少なくともこれが演奏された青山界隈はこんな空気感を求めて集まった人々が多くいたに違いない。あの男がこれが好きだとすると、謎の予言者というキャラクターには似合わずロマンチストなのかもしれない。

 二曲目に差し掛かった時、窓辺に置いてある籐の椅子に、あの男が腰掛けているのがわかった。部屋はさっき照明を落とした時よりも更に暗くなっていた。男はおもむろに話し出す。

「どうやら、招待してくれたみたいだね、ありがとう、嬉しいよ。少しずつ仲良くなれているようで。いつも彼女にばかり話しかけているけど、もちろん君のことも気に入っているから安心していい。ずいぶんジャズに詳しいみたいじゃないか。良いよな、ジャズは、セクシーでロマンチックだ。聴く側も演奏する側もスタイルがある。オレはそういう世界が好きなんだ。歴史もある、マイルスなんてもう化石みたいに昔の人間だけど、未だに熱い血を感じる。その辺の若造には到底たどり着けない世界にいる。最高だよ。このTOKYO ADAGIOは、2005年に残された録音としては、最高の部類に入ると思う。東京にいる時はこれを必ず聴くことにしている。ニューヨークにいたら、そこの音を聴くし、パリにいたら当然パリの音がいい。街には街に生まれた音があって、それぞれに必然があってそこで鳴っている。どこで聴いてもいいわけじゃないんだ。過去を忘れるのはいいことだと、この前言ったじゃないか? こんな風に昔のジャズを聴くなんて矛盾してると思わないか? でも、違うんだよ、優れた演奏はいつでもアップデートされている。時代に即していくことを宿命づけられている。だから、いま2005年のこれを聴いても心地いいんだ、わかるかい?

 じゃあ、本題に入ろうか。いや、その前に、彼女が用意してくれたご馳走を少し頂こうかな。そうじゃないと、料理をしてくれた人に失礼だから」

 男は、きみの作った料理をゆっくりと丁寧に口に運んで、味わっている。どこか貴族のような優雅な所作だと思う。不気味な男という印象がどんどん薄れていき、古くからの友人のような気もしてくる。僕らは、彼の次の言葉を待つ。

「とても美味しい、ありがとう。よく料理をしない人間は、作ってくれた人に感謝もしないで当然のように食べるじゃないか、そういうのは気に入らない、全然駄目だよ。そんな奴は、泥水でもあげとけばいい、どうせ味なんかわからないんだから。君は、いつも美味しい、ありがとう、と言って食べているじゃないか、知っているよ、それが正常な感覚だと思うよ。

 で、本題だ。ベールクトには近づいているよ、2005年の地図を見ようとしたのは正解だ。地図のあの場所に何があると思う? たぶん調べても何もわからないだろうけれど。これからだから、あそこにみんなが関心を持つのは。今は、ただの山でしかない。よく注意して見ておいた方がいい。そうすればコルバスのことも自然と見えてくる。TOKYO ADAGIOはこの曲で終わりだったかな、確か。あとは二人でゆっくりリピートして聴くのがいい、ロマンチックな夜を」

 男の声は、まるで楽器のように響く。ジャムセッションをしているように、夜に溶け込んで、聴く側の鼓膜を心地よく震わせる。きみも僕もその演奏に聴き惚れているように、ただ耳を傾けるだけだった。


「彼、来てくれた」

「きみの料理を褒めていた」

「嬉しい、なんか。あなたが地図を探したこともね」

「あぁ、よかった。少しだけ謎解きが出来ているようだね」

「ベールクトでこれから何が起こるの? 怖いこと? みんなの関心が集まることってなんだと思う?」

「残念ながら、いいことだとは思えない。最初に彼は言っていた。命が失われていると。僕らは、それを見て見ぬ振りをして、なかったものとしようとしているとね」

「そうね」

「僕らに出来ることは、それまで東京の夜を謳歌することくらいなんじゃないかな、2005年のように」


 時間がゆっくりと進んでいるのか、早急にどこかへ滑り落ちていくように流れているのか、東京の夜景を俯瞰していると、どちらなのかわからなくなる。高層ビルの最上階のラウンジで、きみと僕は、あの男を待っている。

「昨夜、あのビルの最上階に来るように、って彼から伝言があったの。夢なんだけどね」ときみは朝食をつくりながら言った。

「あのビルって?」

「天王洲に出来たばかりのビル、あるでしょう? あそこ」

「この前、車で近くまで行ったあそこ?」

「そう。あなたも夢を見てから、地図を探すことにしたじゃない、だから私も夢に従ってみたい」


 ラウンジでは、さっきからビルエバンスみたいに痩せている神経質そうな男がピアノを弾いている。決して上手くはないのだけれど、どこか気になる演奏をする。まだ若いのだろうか、オールバックにした額の生え際が綺麗に揃っていない。その髪型もエバンスを意識してのことだろうか。あの男に言わせれば、エバンスも化石のようなものだ、ということになるのだろうと、考えていると、きみが席を立ち、窓際のテーブルに移動した。そのテーブルに、あの男が足を組んで座っている。きみが振り向き、手招きをする。手元のグラスを持ち、僕もテーブルに移動し、あの男の正面に座る。きみは男のすぐ隣に座って、いまにも手が触れそうなくらいの距離で、男の眼を見つめている。男は、窓の外の夜景を見たまま何も話そうとはしない。きみもその様子を見つめたままだ。僕が何かを口にしなければ永遠にこのままのように思い

「こんばんは」と言ってみた。

男は、ゆっくりと僕に視線を移し

「あの若者のピアノはどうだ?」と尋ねる。

「上手くはないけれど、気になる演奏をする」

「オレもそう思って、じっと聴いていた、いい演奏だ。もしかしたら何年か後に有名になっているかもしれない。あいつは、きちんと未来だけを見ている。まるでエバンスのように見えるけれど、エバンスなんてきっと知らない。過去に興味がないのだろう、だから良い。すべてが焼き直しみたいな世界に、ああいう若者が現れると目を引く、貴重な存在だよ」

 男はまた夜景に眼をやり黙ってしまった。ここに呼び出した目的はなんだろうか、ただあの若者のピアノを聴きに来たわけでもないだろうに。

「この夜景をよく覚えていた方がいい。今夜はそれだけ言いに来た」

男は、立ち上がりピアニストに何か耳打ちをして消えて行った。「MY LOVE AND I」が聴こえてきて、そこがあたかも2005年の東京のような錯覚に陥る。きみは、僕の手を握り、東京の夜景を愛おしそうに見つめている。


「何かが近づいているの?」帰りのタクシーできみが呟く。

「そうなんだろうけれど、僕らにどうしろというんだろうか、あの男は」

僕は、少し苛立っていた。たとえ、ベールクトとコルバスの意味がわかったとしても、その先に何か出来ることがあるのだろうか。何も出来ないのであれば、何も知らないままの方が良い。僕らはもう未来に多くを望んだりはしていない。このまま平穏な日々を少しでも長く過ごすことが出来れば、それでいいのだ。何か重要な秘密を知らされて、世界を救うなんていう役目を与えられても、申し訳ないが、丁重にお断りしたいと思う。もし、明日、あの東京の夜景が消えてしまっても、もう十分堪能してきた世代なのだから。男の真意がわからないまま、帰宅した。

「少し、と言うか、一旦、あの男のことを忘れてみないか。僕はなんだか気分が悪い、あの男の言うことに、いちいち気を揉むのが」

「そうね、確かに、私たちにとって必要な話なのかは、わからないわね、そうしてみましょう」

 また、男が夢に出てこないことを祈りながら、眠りにつく。幸いその夜からは僕の夢にもきみの夢にも、あの男が現れることはなくなった。


 きみが珍しく朝の新聞を真剣に読んでいる。

「ねぇ、コルバスだって、これ」と紙面を指差している。どうやら隣国が開発した細菌兵器の名前が、そうらしい。なんのためにそんなものを開発しているのか意味がわからない、と思いつつも、このタイミングで、コルバスという名前はやめて欲しかった。あの男は、もう実在しない予言者だということにして、僕らの間では一旦は忘れることにしたのだから。ここでまた、あの男の話を持ち出すのは気が進まなかった。きみも戸惑いの色を隠せないでいるようで、紙面を見つめたままじっと黙っている。

「あまり考えなくていい、単なる偶然だよ。コルバスなんて星座の名前だし、ありふれている。あの国の考えそうな名前だよ、不穏な黒い鳥といえばカラスくらいしか思い浮かばなかっただけの話」

「そうよね、もう、過去のことよね」

「はい、コーヒー入ったよ」

「ありがとう」

 やはり、こんな日常には、あの男は似つかわしくないと思う。どこで道を誤ってしまったのかわからないけれど、ひとまず僕らの前からは消えてもらうことにして正解だと思う。





続く。





by ikanika | 2020-06-08 19:40 | Comments(0)


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