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べールクトとコルバス 002





002





 きみがキッチンに立ち、朝食を作っている後姿を眺める。トーストに綺麗に、いちごを並べている。

「もう終わっちゃうと思うと寂しくて」

「なにが?」

「いちご」

「いちご?」

「また来年まで食べられないのよ、だから、もう最後だと思ってたくさん食べてるの、今」

「そんなに好きだったの? いちご」

「そうよ、言ってなかったっけ? いちごが一番好きだって」

「好きなのは知っていたけど、一番とかは、そこまで」

「そう、じゃあ、覚えておいて、いちごが一番よ」

 多くの答えあわせを繰り返してきたつもりでも、まだまだ小さなことで発見があるのが楽しい。生活を〝うすのろ〟だということも出来るけれど、違った見方をすれば、発掘作業のような長丁場のアトラクションのようにも思える。人生を長いと考えるか短いと考えるか、そして、その人生を誰とどんな風に過ごすかで暮らしの景色は大きく変わる。いま、きみのいる暮らしの景色は、僕がこのタイミングで望んでいたもので、そんな風に望み通りの日々が流れていることに感謝もしつつ、不思議なものだ、という思いも強くある。きみが過去を忘れていくように、僕も少しずつ過去の色彩を薄めていくことに慣れてきた。そうすることで、見えてくるものは、未来でしかなく、だからと言って、その未来に何か多くのものを望んでいる訳ではない。ただ、先に進んでいく道が続いている、という姿だけで充分だと思う。さらには、行き止まりになったら、ただ立ち止まればいいのだとも思えるようになった気がする。なんとか道を探し出して無理やりにでもどこかへ進む必要もないかと。無理に切り開いた道は、その先もずっとそういうことを繰り返さなくてはならないスタートラインでしかないことを知ってしまったから。そして、その道は後戻りができないことも。


 あの夜、マスターは「予言のようなもの」だと言っていた。一つめは、海鳴りと深海魚、二つめは、微粒子と太陽、そして、犬鷲とカラス。これが予言だとすると、何を意味しているのか、謎解きのようだと思う。あの男がもし存在していないとしたら、僕らが出会ったあの夜のあの男は何者なのだろうか、ただマスターは、認めている、とは言っていた。もう何度かあのバーに足を運んで話を聞きたいと思う。誰も他にお客のいない時間を狙って。


「やっぱり、東京の夜って、いいね」ときみが言う。

「うん、これからは時間を作って少し出歩いてみる?」

「それもいいいかな、って私も考えてた」

「たぶん、あの時からみんな夜の街に出掛けることに、価値を見出さなくなったんだと思う。確かに良い面もあったと思うよ、家にいることでね。でも、街には街の魅力と大切な何かがある気がする。特に僕らの世代とっての東京の夜の街は、なんか特別なもののような気がする」

「街は人が集って初めて街だものね」

「そうだね。ある意味、平和であることの象徴だと思うよ、街に人がいることは。そういう時代には、それをきちんと謳歌しないと、いつもそんな風だとは限らないし。人が作り上げた東京の夜は、すぐに壊れてしまう砂上の楼閣だから」

「もしかしたらさ、あのバーに行く時は、きちんとドレスアップしていった方が良かったのかも、礼儀として。そうしたら、あの男性も機嫌よく現れてくれたかもしれないわ」

「なるほど。スタイルを重んじる気がするね、彼は」

「今度は、この前と同じヒールとピアスしていってみようかな、ね」

「いいアイデアだと思う」

「他にどこか、行きたいところある? 東京らしい場所」

「僕は、やっぱり東京タワーのあたりかな」

「私は、天王洲の辺」

「いろんな東京を巡ってから、最後にあのバーに行くっていうことにしようか」

「賛成、楽しそう」


 平和な時間が続くと何かざわざわしてくる。そんなはずはないと、どこかに隠されているに違いない時限装置のようなものを探し出したくなる。見つけ出したところで、もう止める手段がないのはわかっているのだけれど。ただ起動するのを見つめるだけで。ブレーキの効かないスポーツカーを競って作り続け、壊してはまた作り、という歴史を見続けていると、またか、としか思わなくなる。あの男の言っていたのも、そんな風なことなのかもしれない。犬鷲とカラス。スポーツカーのコンセプトにでも出てきておかしくはない。あるいは、高性能の何か、の呼び名。予言者はいつの時代も存在する。それは人が求めた結果、存在することになるのであって、自らの因果を予言者のせいにして、わずかでも罪悪感を減少できればという浅はかな心理の賜物だと思う。だとしたら、僕らが出会ったあの男は、僕らが自ら生み出したということも言える。あの男に僕らは何かを求めているのかもしれない。それに対する彼の回答が、犬鷲とカラスなのだろうか。


 きみと東京タワーを見上げる。今はもう電波塔としての役割はなく、ただ東京のシンボルとして、そこに建っている。他にも高さだけで言えばそれを上回る塔は、東京に限らず日本中にいくつも存在する。しかし、東京タワーは、やはり特別な感じがする。あの時、エレベーターの使用が控えられたのを機に、一時期、階段だけで展望台に上ることが出来たけれど、今はもう上へは登れない。人々が、ただ見上げるだけの存在になった。それもいいのかもしれない。記憶にある東京タワーから見える東京の景色はもう過去のもので、更新されることはない。そして、この先、そこに戻ることはなく、ただ消えていった過去でしかない。

「毎日、いろんな事が終わっていくでしょ。そのひとつひとつをいちいち記憶していたら、いくら容量があっても足りないわ。だから、残さないでいいと思ったの」きみが過去を忘れていく理由を少し明かしてくれる。

「でもね、コンピュータのデータを完全に消去するのが難しいのと同じで人の記憶も完全には消せないこともあるの。どうやっても」

「じゃあ、きみにも消えていない過去があるということ?」

「あるわ」

「よかった」

「どうして?」

「なんとなく」

「変なの。でも、消えていなくても、もうそのデータは取り出せない場所にあるから、見ることはないわ」

「絶対に?」

「たぶん、そう。もし、出てくる事があったら、それは、何かが完全に終わる時とか」

「終わる時?」

「うん、わかんないけど、そんな気がするだけ。ねぇ、そろそろあの人に会いにいってみない?」

「そうだね、いってみようか」


 バーの扉を開けると、カウンターのあの席に男が座っていた。僕らが声をかける前に、彼から話しかけてきた。

「久しぶり、元気だったか?そのピアス、落としていったの見ていたよ。似合っているから見つかってよかったじゃないか。そのくらいお洒落をしていないと、この街とは釣り合いが取れない。今日は正解だよ、二人ともいい感じだ。でも、今夜は雨は降らないから、その傘は必要なかった。たぶん、忘れていくよ、この店に。そして、また取りに来ることになる。そうしたら、また会えるかもしれない、その時に。今日は、この前の続きを話そうか?それとも別の話題がいいかな? そうだ、彼女は、過去は忘れていいと言っていたね、いい考えだと思う。覚えていたところでなんの役にも立たない。役に立たないというか、役に立てる頭が残念ながら人にはない、と言った方がいいかもしれない。批判しているんじゃない、そういう風に出来ているという話だ。でも、あたかも過去から学んで、なんて言う頭の悪い奴が偉そうにして、世界を動かしている。それが、現実だ。常に未来だけを見ていて大丈夫なんだ、本当は。そうすれば次に何が起こるかが自然と見えてくる。それが、この前話したことだ。覚えているか? 犬鷲とカラスのことを。そのことを常に考えていた方がいい。それが未来を見ることになる」

 男は、席を立ち、またトイレに消えていった。僕らは、質問をしたくても言葉を発する事が出来なかった。ただ黙って聞くしかなかった。マスターにはやはり見えていないのだろう、いつものように、純白の布巾で黙々とグラスを拭きながら、僕らのオーダーを待っている。

「もしかしたら、またあの男ですか?」

とマスターが口を開く。

「はい、いまそこに」

「そんな気がしました。でも、今夜は、他にもお客さんがいるので、その話は、別の機会にしましょう」

「わかりました」

「何を飲まれますか?」

「いつものを、お願いします」

きみはずっと黙ったままで、男の言葉を思い出しているように見える。

「どうしたの?」

「うん。あの人、私たちに何かを伝えに来ているんだわ、きっと」

「犬鷲とカラスのことを解明しないといけないのか? 僕らは」

「そうだと、思う」

「でも、なにも手がかりがない。きみは何か思い当たることある?」

「ないけど、何かを感じる、未来の何かを」

「そうか、それはきみが過去を忘れていっているからだよ。あの男の言うように、それがいいんだろうね」

「褒められるなんてね、おかしい」

「彼と話が合いそうだよ、きみは。この前から、きみにばかり話しかけている」

「なに? もしかして嫉妬しているの?」

「少し」


 夏が近い。東京の暑さは年々ひどくなり続け、いまは日中に外出をするものはいない。日が暮れたとしても、注意を怠ると体調を崩すことになる。もはや人がまともに住める場所ではないのだけれど、これだけ多くの人が他に行くところがあるわけではない。だから住み続ける。住み続けるうちに、感覚は麻痺していき、いずれは住めば都となり、東京以外には住めないなどと言い出すことになる。そういう人々に東京は支持され、未だに首都としての機能を担っている。これだけネットワークが整備されたのだから、東京に首都機能を集中させる意味があるとは思えないのだけれど、地方に機能を分散させることが出来ずにいる。単純に利権の問題でしかないのだろうけれど、我々有権者は、そういう政治家を選ぶしか選択肢がない。ずっとそうやってきて、この国は先進国の仲間入りをしてきた。

 あの時だって、世界が不思議に思う自粛施策で難を逃れた。誰が見ても、無能な策でしかなかったのに、なぜか上手くいった。世界は日本を謎の国として認識するしかなくなった。謎めいた日本国家は、その後も様々な謎を残していって、ある種、特殊な国としての立ち位置を確立した。今、またこの国は、ぼんやりと平和で平穏な日々を謳歌していて、その空気感は世界中から羨ましがられているように思える。あの国の人々だけは、成長していく未来が存在していると思っている唯一の民族だと言われて。もし、地球以外に人類が住める星があったなら、日本以外の国の人々はそこへの移住を望んだだろう。「地球は、日本にくれてやる」と、某国の大統領が言ったことがあったけれど、本当にそうなっていたかもしれない。幸か不幸か、いつまでたっても地球以外に人類が住める星は、見つからず、今に至っている。見切り発車で、他の星に発っていった人々がいるにはいるけれど、彼ら彼女らのその後は、どの国でも報じられない。相当数の人間のはずだけれど、何事もなかったかのように扱われている。ウイルスの犠牲者とはゼロがいくつも違うはずだ。






続く。

by ikanika | 2020-06-06 17:47 | Comments(0)


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