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feminite _ フェミニテ PT/07




PT/07





 瑠花のいなくなった今では、このマンションは広すぎる。彼女が使っていた奥の部屋は、丸ごと空いている。家具は、二十代の頃から使い続けているものが多いから、自然とアンティークの風合いになっていて、時々訪れる男友達は「ほぼ、お前のカフェと一緒だな」というコメントを残していく。多分、成海さんもそういう印象を受けるだろうと思っていると

「やっぱり、少しだけ、カフェとは雰囲気が違いますね」と言った。

「そう?」

「なんだろう、プライベートな香りがするのかなぁ、本当の恭史さんがいるみたいな」

「本当の僕?」

「はい、カフェでの恭史さんは、やっぱり、マスター、で、ここにいるのは、恭史さん、っていうのかなぁ。わかります? 言っていること」

「なんとなく。でも、結構、個人的な嗜好が強いお店だと思うけど?」

「でも、違います、何かが」

「それは、いい意味で?」

「はい、そうです」

「よかった」

「やっと、本当の恭史さんに近づけたような」

「いままでの僕は、本当じゃなかった?」

「そういうわけではないと思うんですけど。とにかく、よかったです、来て」


 冷蔵庫にあるもので、簡単な食事を作り、お酒も少し飲んだ。答えあわせ、というよりは、ただ、どこにでもあるような日常の会話が続いた。もう、答えあわせは、終わりにしてもいいように思う。

「奥にもお部屋があるんですか?」

「うん、あっちの奥に一部屋」

「寝室?」

「いや、寝室は、そこの扉」

「じゃあ、あそこは?」

「あそこは、瑠花の部屋。パートナーね、元。もうルガーノだけど。だから空っぽ」

「そっか、空っぽかぁ。あっ、写真は?」

「写真?」

「私の」

「書斎だよ」

「見たい」

「いいよ。行こうか、ついて来て」


 隠れ部屋のような書斎の扉を開けて、成海さんを中へ招き入れる。大人二人が立つと、少し狭く感じる。扉は開けたまま、明かりをつける。ダウンライトに照らされて、成海さんの三つの手が浮かび上がる。成海さんはお酒がまわっているのか、肩が恭史の胸に少し当たるくらい近くに立ち、じっと写真を見つめている。そして、自分の手を、三枚の写真と見比べるように前にかざし、恭史を振り返った。

「どう?」

「どうって?」

「本物だよ」

「うん、きれいだね」

「前も、言ってた、それ。あの時、ちょっとドキッとした」

「今は?」

「ドキドキしてる」

 恭史は、成海さんが、かざしていた手をとり、両方の腕で、成海さんを後ろから包み込むように抱きしめた。成海さんは少しだけ恭史に体重を預けながら、身体を反転させて口づけをせがむように顔を上げる。恭史は躊躇うことなく、この前より、長い口づけをした。成海さんからは、最初の時と同じ香水の香りがした。


「これはなんていう香水?」

「フェ・ミ・ニ・テ・デュ・ボ・ワ」

「覚えられない、それ」

「いいよ、覚えなくて、私の香りだって覚えてくれれば」

「この前もこれだったよね?」

「そう、恭史さんに会うときは、これにしようって、決めてるの。好きでしょ?」

「いい香り。でも、この前は、会うなんて思ってなかったでしょ?」

「そうね、会うことになっていたんじゃない、私たち」

「そんな」

「きっとそう」

 恭史には「レアケース、出会っちゃうこともあったり」という瑠花の声が聞こえた。


 その夜、成海さんは最終電車で帰った。あのまま腕をほどかずに、彼女を抱くことは躊躇われた。瑠花と過ごしたこの部屋では、成海さんもそれを望まないだろうと思えたから。部屋には、さっきまで成海さんがそこいたことの証のように、甘い香りがする。恭史の気持ちを弄ぶように、香りは薄れたかと思うとまた現れ、鼻腔を繰り返し刺激する。帰ったばかりなのに、すぐにでも、また会いたいと彼女に伝えるのは、あまりにも節度を欠いた大人らしからぬ行動だろうかと、一度は躊躇したものの、今の恭史は、それを抑えられるだけの冷静さは持ち合わせていなかった。成海さんは、もう寝てしまっていて、朝まで読まれることのないメールだろうと思いつつ「今すぐにでも、また会いたい。おやすみ」と書き、送信した。シャワーを浴び、寝室で横になるとメールの着信音が鳴る。鳴海さんからだった。「おやすみなさい」恭史は、そのたった一言を何度も見返し、空が白み始める頃、眠りについた。





「成海さん、今日は、答えあわせとは、少し違う時間になると思うけど、いいかな?」

「はい、大丈夫です」

「いま、こうして目の前に、成海さんがいる。嬉しい、という気持ちはもちろんあるけれど、まだ、信じられない、という感覚も消えていない」

「それは、私が信じられない、というのも含まれているの?」

「違う、そういう意味じゃない。僕は、成海さんを信じている。信じる信じないという次元ではないかな。もっと深いところで、繋がっていると感じている」

「嬉しい、私も」

「でも、というか、だからこそ、なのかもしれないけれど、そこに横たわる不安を取り除きたいと思っている」

「不安なの?」

「成海さんは不安ではないの?」

「そう聞かれると、ちょっと考えてしまうけれど」

「その不安がどこから来ているのか、僕にはわからない。わかっていれば、そこをなんとかすればいいと思う。ひとつ、可能性としてあるのは、僕らが一度、離れ離れになってしまった、という事実があること」

「でも、それは、私たちにはどうしようも出来ないことだったって思っているけど?」

「確かに、そうだと思う。だとしたら、僕らは、いつでも、どうしようも出来ないことと、一緒にいなければ、いけないのかなぁ? それを、取り除く方法はないのか、と思う」

「恭史さんは、いつも、というか、なんでも自分の手でなんとか出来るって思っている人なんだと思うわ。悪い言葉で言うと、他人の手を借りなくても、自分でなんとかするって、いう感じ。でも、そんな人って、すごく少ないと思うの。多くの人は、お互いに持ちつ持たれつ、っていうか人を頼って生きていると思うの。私も、両親だったり、いまだったら、恭史さんを。それは、イコール自分ではどうしようも出来ないことがあるっていうことを受け入れる、っていう意思表示でもあるの。だから、その時は、みんな、お願いね、って。だから、恭史さんの言う、不安みたいなものは、取り除くんじゃなくて、受け入れているの。それで、どうしようもなくなったら、誰かを頼ればいいと思って。その相手は、私にとっては、恭史さん。恭史さんが誰を頼るかは、恭史さんが決めくれればいいのだけれど、もし、それが私だったら、嬉しいわ。そのために、私はいると思いたいの」

「僕は、成海さんを頼ればいいと?」

「そう、簡単にいうと、それだけ。それで、どう? 不安が消えていく気がしない? 本当は消えてはいないんだけどね。そういう相手がいることで、見えなくなるの、不安なんて」

「うん」

「私も、不安だって考え始めたら、ずっと不安よ。せっかく出来上がったパズルだって、少しの不注意で、全部バラバラになってしまうでしょ? それくらい、危ういと思うの、私たち。でも、お互いに頼るものがあれば、そんなに危ういなんて思わないで、毎日暮らしていける気がしているの。想像だけど、瑠花さんと恭史さんは、二人とも、どちらかに頼ったりはしていなかったと思うわ。自分でなんとか出来ちゃう二人だったから。でも、私は違うの。私が違うってことは、恭史さんと私の関係は、瑠花さんのそれとは違うっていうこと。それはわかっていてほしい」

「わかっているつもりだよ、それは。成海さんは、瑠花の代わりでは、決してないから」


「ありがとう。ちょっと、おしゃべりしすぎたみたい。疲れちゃった」

「ごめんね、僕が変なことを言い出したから」

「大事な答えあわせのひとつだった気がする」

「そう思ってくれたらよかった」

「なんて言うか、課外授業みたいな感じ?」

「そうね、課外授業とはちょっと違うかな」

「じゃあ、何?」

「なんだろう、進路指導?」

「確かに、そんな感じかも。でも、結局は自分が何をしたいかよね、進路指導を受けたとしても。そうだったでしょ?」

「うん」

「恭史さんは、そういう人なの。だから、いいのかもしれないけれど」

「ずいぶん放任主義な進路指導の先生だね」

「だって、私達、もう大人になっちゃったから」

「そうなんだよね」


「今日も少し飲んでいく?」

「うん、そうする」

「じゃあ、ちょっと待ってて、準備するから」

「うん」





つづく。





by ikanika | 2020-05-14 10:32 | Comments(0)


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