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feminite _ フェミニテ PT/04



PT/04




 「この曲は何ですか?」と、時々、お客さんに尋ねられる。その度に、恭史は、成海さんとの、はじめての会話を思い出す。成海さんの場合は「さっきの曲、なんですか?」だったけれど。もし、あの時、成海さんが「この曲」と言っていたら、即座に演奏者とタイトルだけを答えて、それで彼女との繋がりは終わっていたかもしない。そうならなかったのも、今となっては何かの運命だったのでは、と思ってしまう。20200402というプレイリストは、いまでも時々、カフェで流している。今日、成海さんが来た時には、やはり20200402を流していようと思う。タイミングよく、James Taylorが流れてくれれば、いいのだけれど、それは出来過ぎだ、とも思う。


 五時ちょうどに、成海さんは現れた。黒いシックなワンピースに、同じく黒の薄手のカーディガンを肩から羽織っている。

「よかった、間に合った」と言うのが第一声。

「大丈夫だよ、お店は六時までだから」

「だって、最初の授業に遅刻は印象悪いじゃないですか」と成海さんは、ふざけて笑ってみせた。この前の涙の印象を消しておきたいと思っているのだろうかと、成海さんの心の内を読み取ろうと試みたけれど、まだ、そんな風に彼女のことが分かる訳がない。

「どうぞ」とカウンターの席を勧める。

「ここは、マスターとのおしゃべり席ですね」と成海さんは言って、羽織っていたカーディガンを脱いだ。露わになった白い肩に、一瞬どきりとする。その視線を、そのままメニューを持つ手元に移すと、やはりネイルは、きれいに手入れされていた。


「コーヒーをください」

「はい」

「前と同じですか?」

「何が?」

「豆」

「あっ、一緒。ずっと一緒。自由が丘から送ってもらってる」

「楽しみ」

 コーヒーが落ちるまでの間、成海さんは、立ち上がって店内をゆっくりと見て回っている。恭史は、手元のコーヒーに注意しながら、成海さんの様子を伺う。

「これ、一緒ですね」と椅子の背もたれを触っている。確かにそれは唯一、自由が丘の時から使っている椅子だった。

「よく覚えてるね?」

「はい。凄いでしょ?」

「凄いと思う」

「あの時の写真、ずっと部屋に貼ってたから」

「あの時って?」

「撮影、文房具の」

「そういうことか。その椅子、写ってるんだ」

「うん、そう」

「僕も、部屋に写真あるよ」

「もしかして、私の手?」

「正解。三枚とも額装している」

「ほんと?」

「うん、ほんと」

「やっぱりフェチだったんですね?」

「成海さんの手のね」

「その方が、危ない」

「はい、コーヒー」

「ありがとうございます」

 成海さんは、ゆっくりと、ひとくち飲んで

「おいしい」と独り言のように呟いた。

 毎週、答えあわせをしよう、と約束をしたけれども、何をどこから、どう話をしていけばいいのか、恭史にも分からなかった。学校の授業のように、カリキュラムがあって着地点があるわけではない。到達する場所があるとした、それはどこなのだろうか。成海さんと二人で、どこに向かおうとしているのだろうか。恭史は、どこへ行きたいのか、そして、成海さんも。そこには、どんな景色が広がっているのか。出来れば、いままで二人が見てきた、どの景色よりも、あたたかな光に満ち、やわらかな風が吹いていたらいい、と恭史は思う。答えあわせは、それを見つけるための儀式みたいなものなのだろう。避けては通れない儀式なのだ。


「じゃあ、答えあわせ、する?」

「そうだね」

「まず、どこから?」

「うん、どうしようか」

「難しいですね、最初」

「そうなんだよ、答えあわせをしよう、なんて言ってみたけど、僕もどんな風にしたらいいのか、アイデアがあった訳じゃないから」

「でも、どこからでも、いいんじゃない? パズルみたいに、最初の一つ目のピースなんて、絵のどの部分かなんて、わかんないし。とりあえず、始めちゃえば。そしたら、だんだん見えてくるから」

「そうだね、確かに」

「最初のピースは、マスターので、お願いします」

「わかった。じゃあ、どうしようかな」

「はい、なんでも、どうぞ」

「うん。一人で帰ってきたの?」

「はい、一人です」

「ご両親は?」

「母は、行ってから三年後に。で、父は向こうで再婚しました。去年」

「そうか、お母さん、残念だったね」

「はい、でも、幸せだった、って、最期は言ってくれましたので。父は母が亡くなってから、牧場みたいなところで働き始めて、そもそも軽井沢の田舎に行ったのも、そういうところで働きたいっていう理由なんですけど、そこで知り合った方と、去年。なので、スイスの田舎の牧場にいるんです、今」

「なんか、スイスとか行ったことないから、思いつくのはハイジの世界のイメージくらいしかないけど」

「まぁ、でも、そんな感じです、ちょっと違うとこもあるけど、説明難しいので、とりあえずハイジの世界を想像してもらって大丈夫です」

「で、成海さんは?」

「私のこと?でも、私の順番でもいいですか?」

「あっ、そうだね」

「マスター、どこに住んでるんですか? いま」

「今は、ここから歩いて五分くらいのマンションに、一人で」

「ひとり?」

「パートナーみたいな人はいるんだけど。彼女は、ルガーノの友達のところ」

「ルガーノ? 同じスイスに?」

「そう、もう一年になる。お互い、それくらいの距離感がいいと思ってる感じだから、今は」

「そうなんですね」

「成海さんは?」

「私も、ひとりです、もちろん交際していた人はいました、向こうで。でも、いずれは日本に帰るつもりだったので、そんな深い関係にはなれなくて、気持ち的に」

 少しずつ、パズルが埋まっていくのが心地いい。知らないことが消えていくのが快感なのだろうか。しかし、流れていった時間のことを事細かに知ったとしても、あまり意味はない。僕が瑠花のことを事細かに話さないように、成海さんにも話さないでおこうとしていることがあるに違いない。誰もいないはずはない、十年間、僕らの歳の健康な男女が普通に暮らしていれば、恋愛のひとつやふたつあって当然で、何もない方がおかしい。でも、そういう過去の情報が必要なのではない。恭史には、だんだんと答えあわせのやり方が見えてきた。流れていった時間よりも、これから僕らの間に流れていく新しい時間のことの方が大切で、そこにつながっていく、必要な情報だけ、答えあわせをすればいいのかもしれないと。これは、これから二人に訪れる時間を心穏やかに歩いていくための儀式なのだ。気づくと店は閉店時間を過ぎていた。


「ちょっと、店閉めるから、待ってて」

「はい、でも、私、帰りますよ」

「お腹、すいてない?」

「少し」

「どうせ、僕も一人だから、ここで、何か作るよ、残り物だけど。それだけ、食べて帰れば?」

「でも」

「でも? 何か、用事ある?」

「いえ、大丈夫です」

「じゃあ、そうしよう」

恭史は、残り物で簡単なご飯を作り、ワインを開けた。

「なんか、いい感じの夕食になりましたね。ありがとうございます」

「こっちこそ、どうせ一人だから、ありがとう」

「いただきます」

「どうぞ。成海さん、今、仕事は?」

「フリーで少しだけデザインのお仕事を。昔、お世話になった人に、帰国の時に相談させてもらって」

「そうか」

「でも、いま、田中さんからお話をいただいてて、マネージメントをやってくれないかって」

「田中さんの?」

「はい。田中さん、全部お一人でやっているみたいで。でも、最近、かなり忙しいとかで、そろそろマネージャーが必要かなって思っていたんですって。そのタイミングで、私が帰国するのを知って、ぜひ、って言ってくださっていて。どう思います?」

「写真業界というかカメラマンの世界は、よく知らないけど、この前もレセプションにたくさん人来てたし、いい話なんじゃないかな」

「ですよね。やっぱり。お受けしようかなぁ」

「うん、そうしたら」

「わかりました。ありがとうございます」

「今日の、答えあわせ、どうだった?」

「どうって、楽しかったです。知らないことがなくなっていく感じが」

「よかった」

「でも、今みたいに、普通におしゃべりしているのも、楽しいです」

「まぁ、この時間も、答えあわせみたいなものだよね。放課後の居残りって感じで」

「はい、確かに。放課後って、なんか楽しかったですよね?」

「うん、僕は、中学の時、好きだった女の子が、同じ部活にいたから、放課後の練習が待ち遠しかった。その為に、学校行ってた感じだった」

「私は、テニス部だったんですけど、陸上部の先輩が好きで、放課後に、いつも校庭で、その人が練習しているのを見てました」

「僕、陸上部だったよ、ハードル」

「えっ、その人もハードルでした」

「なんと。偶然」

「私、ハードルやってる人、好きになっちゃうのかなぁ」

「僕のハードルやってるとこ見てるわけじゃないから、それは違うんじゃない?」

「ですよね、確かに。おかしなこと言ってますね」


 成海さんを駅まで送り「また、来週」と言って、改札口で別れた。答えあわせは、まだ始まったばかりだけれど、恭史は、十分に満たされた気分だった。あと、何度かの答えあわせで、もう二人がたどり着く景色が見えてくるような気がする。一方で、そんなに簡単にいくものだろうか、という不安も、感じるのだった。それは、十年前がそうであったように、自分たちではどうしようもできない出来事が、いつでも起こりうることを知っているからだった。




つづく。





by ikanika | 2020-05-11 09:12 | Comments(0)


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