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feminite _ フェミニテ PT/02




PT/02



「これ、マスターが持っていたピースですか?」

「うん、そうだよ。それが全て」

「そっかぁ、どうしよう」

「何が?」

「どれも上手く嵌らないの、私のと」

「そんなことは、ないよ、かしてごらん」

「ねっ、ダメでしょ、私たち、また、離れてしまうの?」


 嫌な夢で目覚める。キッチンまで行って、水を飲む。まだ、ようやく鳥が活動を始めた時刻で、部屋は静まり返り、冷蔵庫のモーターの音だけが、わずかに聞こえていた。瑠花がここにいた時には、このくらいの時間から何やら仕事を始めていた。「朝のが、はかどるの、気持ちいいよ。恭史も早起きすればいいのに」と、よく言われた。いま向こうは何時だろうかと、起き抜けのぼんやりとした頭で考える。いつまで経っても時差の感覚がつかめない。瑠花がルガーノに行くと言いだしたのは、去年の正月で「一年くらい、ルガーノの美奈子のところに行ってくる、いいよね?」と、どこか親戚の家に泊まりに行くような言い方だった。恭史も、特に困ることもないと思い、詳しい理由も尋ねずに「美奈子のとこ? うん、いいよ」と答えた。それから、まもなく一年になる。しかし、帰ってくる気配はない。瑠花からは、気の向いた時にだけ、様子を伝える写真が送られてくるけれども、ほとんど説明のようなコメントはないので、いったいそれがどこで、誰なのかわからない写真だけが溜まっている。まぁ、元気そうだから、特に心配することはないかと、今は、それぞれの暮らしを楽しんでいる。

 夢の中の成海さんの「ねっ」が耳から離れない。まだ口ぐせだろうか。もう一度、ベッドに戻るには中途半端な時間なので、そのまま起きることにした。夕方には、成海さんに会っているということが、まだ信じられない。その状況を想像すると、やはり宙を歩いているような頼りなさを覚える。忘れていた「臆病者」という言葉が浮かぶ。十年が経って、またそこに戻ってしまったのだろうか。成海さんに告白した自分は、どこかへ消え去っているように思う。

 お湯を沸かし、コーヒー豆を挽き、ハンドドリップをする。毎朝の儀式のように。カップを持って書斎に入り、三つの成海さんの手を眺める。灯していないけれど、セードルブルーが香る。いつもは、特別な考えもなく着替えを選ぶのだけれど、夕方のことを意識すると着ていく服が決まらない。早仕舞いはするけれど、昼間はいつも通りカフェの営業がある。着替えを持っていくというのも仰々しいから、結局、いつもの服で落ち着く。考えてみれば、成海さんは、カフェに立つ自分しか知らないのだ。それが突然、パリッとしたスーツなど着ていったら、きっと、おかしく思うだろう。「マスター、どうしたんですか?」と小さく笑って言うに違いない。


 カフェは四時で閉めて、ギャラリーに向かう。到着は、おそらく五時を過ぎるだろうけれど、それくらいがちょうどいい。自分の方が早く着いてしまって、待ち構える感じになってしまうのは避けたい。足取りは軽い。朝まであった浮遊感は多少、薄れたけれど、地を踏む感触を確認しながら歩く。そうしているうちに、ギャラリーのある路地にたどり着いた。もう、目の前だ。この前来た時の閑散とした状態とは違い、ギャラリーの前に人だかりが出来ている。週末だから、もしかしたらレセプションのような日なのだろうか、という考えがよぎる。恭史は、正直、苦手なのだ。そういう不特定多数の集まりが。店側に立ち、明確な役割があって、そういう場にいるのは良いのだけれど、客としてその場にいると、どうしていいのか、いつもわからない。初対面の人間や、なんとなく面識がある、という程度の人との会話が上手く出来ない。成海さんがその中にいたとしても、積極的に近づくことなど出来そうにない。田中さんと成海さん以外に知り合いがいるとも思えない。しばらく、遠目に見ていることにした。時刻は五時半を過ぎている。間違いなく、あの中に成海さんがいると思うと、また鼓動が早くなるのがわかる。臆病者だな、と思い、大きく息を吸い、そしてゆっくり吐く。


「マスター?」後ろから声がした。聞き覚えのある声。間違いなく成海さんの声だとわかる。

「お久しぶりです」と、またその声が言う。

 振り向くとすぐ目の前に、成海さんが立っていた。明らかに大人の女性になっているのを、佇まいから感じる。なにがどう変わると、そう思えるのかは、わからないのだけれど、十年前に、まだ残っていた少女の名残りのようなものは消え去り、ひとりの大人の女、として、そこに存在していた。恭史は、十年という歳月を、あえて、なかったことのようにさりげなく声をかけようと思う。

「成海さん、久しぶり」と、それだけをとりあえず、口に出してみた。上手く、さりげなく言えただろうか。

「はい。帰ってきました」

「うん、おかえり」

 二人には言葉がない。話したいことが、抱えきれないほどあるのに、どちらからも言葉が出てこない。恭史は、いま、こうして手を伸ばせば触れられる距離に成海さんがいることだけで、満たされている気分だった。成海さんも、同じように感じているのだろうかと、恭史は、成海さんの瞳の奥に入り込むように、視線を止める。

「ただいま」成海さんの瞳が少しずつ、潤んできているのが、恭史にはわかる。ここで、自分がこれ以上、何かを口にしたら、その瞳から涙が溢れてくることもわかる。恭史は、右の腕を成海さんの背中に回し、そっと抱き寄せた。はじめて触れる成海さんの身体は、温かく、そして少し震えている。恭史は、その震えを抑えてあげようと、回した腕で、さらに強く成海さんを抱きしめた。恭史の肩に、涙がこぼれたのがわかる。一粒ではなく、両方の瞳から、とめどなく流れる涙が、恭史のシャツに染み込む。恭史には、涙がいつ止まるのか、回した腕をいつ離せばいいのか、わからない。永遠にそのままかもしれない。それでも、いい。この十年、一日たりとも忘れることが出来なかった愛しい人が、いまこの腕の中にいるのだから。どのくらいそうしていたのか、わからない。そして、レセプションに集まった人々に好奇の目で見られていたかもしれない。それでも、成海さんは恭史の腕の中から離れようとはしなかった。

「成海さん、もう、大丈夫?」

腕の中で、頷いたけれど、声にはならない声がするだけだ。


「成海さん、もう、大丈夫だよ。もう、大丈夫だから」

恭史が回していた腕をほどくと、成海さんは、顔を上げ、両腕を恭史の首に回し、抱きつき、軽く唇が触れ合うくらいの、短い口づけをした。突然の口づけに、驚いたのは恭史だった。成海さんは、泣き腫らした目をしていたけれど、小さく微笑み

「会いたかった」

と涙声で言った。





つづく。





by ikanika | 2020-05-09 10:19 | Comments(0)


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