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湖のほとりで。 「森の十字路」spin-off-1




 

1.



 今頃、あの二人は何をしているだろうか。私の書いた小説の中では、仲睦まじい日々を送っているはずだけれど、現実は、そういうわけにはいかない。密かに仕込んでおいた仕掛けが、ゆっくりと動き出すように、今日、私は、まず一歩を踏み出すことにした。その為に、昨日、ヘアサロンで髪をバッサリと切り、ネイルも綺麗に整えた。準備は万端。午後、担当編集者の赤坂さんとの打ち合わせの為に、優斗くんの会社に行く。いつもならカフェとかで打ち合わせをするのだけれど、敢えて会社で、とお願いをした。理由は、賞をいただいたお礼を改めて社長さんにしたいから、ということにしたけれど本当はそれだけではない。優斗くんに会えればと密かに思ってのことだった。このままずっと彼の秘密であり続けることをやめることにした。心と身体に正直になることにした。彼は驚くだろうか、それとも喜んでくれるだろうか。あるいは、そのどちらでもなく、困った顔をするのだろうか。なんとなく困り顔の彼が思い浮かぶ。そして彼は、こう言うだろう。

「山下さん、お久しぶりです、どうしたんですか、きょうは? 赤坂さんと?」

「うん、そう。でも、優斗くんにも会えるかなって思って」

彼は言葉に窮する。

「困る? そんな顔してるよ?」

「いえ、そんなことないです」

「ならよかった」

 まずは、そのくらいの会話だけでいい。イメージトレーニング。実際には外回りとかで会えないかもしれないのだけれど、会社に来た、という事実だけでも伝わればいい。


 約束の時間の分くらい前にビルの前に着く。社員数、十名くらいの会社にしては立派なビルだという印象だけれど、実際には三階のワンフロアーの一部分だけを借りていて、同じ階に別の会社がいくつかオフィスを構えている。前にここに来たときは、はじめての出版契約書にサインをするためだった。それ以来だから一年ぶりくらいになる。エレベーターを待っている時から、優斗くんが現れないかと周囲に気を配っていたけれど、そんなテレビドラマのような出会いは、普通はない。簡素な受付のようなカウンターの前に立ち

「失礼します」と声をかけると、小柄な赤坂さんが走ってきて

「わざわざご足労いただいて申し訳ありません」

と深々とお辞儀をする。会社でと指定したのは私なのだから、そんな風にされるのは、ちょっと違うと思いつつ、軽く

「いいえ、全然、大丈夫です」と答えておいた。天井までは届いていないパーテーションで区切られたミーティングスペースに案内され

「しばらくお待ちください」と、また赤坂さんは深々とお辞儀して、去っていった。おそらく社長さんを呼びにいったのだろう。待っている間、オフィスから電話をする声や、打ち合わせをする声が聞こえてきて、その中に優斗くんの声がないかと注意して耳を傾けてみたけれど、それらしき声は聞こえてこなかった。やはり外回りに出かけているのだろうか。営業職なのだから当然か、と考えていると、社長さんと赤坂さんが戻ってきた。社長といえども私より若い。まだ三十くらいだと赤坂さんが言っていたのだけれど、見た目はもっと若くて、聞かされてなければ優斗くんとあまり変わらないのではないかと思える風貌をしている。

「友絵さん、わざわざご足労いただいて申し訳ありません」社長さんも赤坂さんと同じことを言う。隣で赤坂さんは頭を軽く下げている。よくある挨拶のシーン。

「いえ、こちらこそ、お忙しいのにお時間をいただき、ありがとうございます。きちんと賞のお礼を申し上げていなかったので」

「お礼だなんて、僕らは何もしていませんから、友絵さんの作品が評価されただけで。本当によかったです。僕らも、とても嬉しいですよ」

「はい、ありがとうございます」赤坂さんがまた深々とお辞儀をする。この子は何度お辞儀をするつもりなのだろうか、数えてみようかと思う。社長さんは、やはり忙しいと見えて、少しの間だけ世間話をして席を立った。そんなに話をすることもなかったので、ちょうど良かったと、ほっとする。赤坂さんも、やはり社長さんと同席すると緊張するようで、社長さんが去ると、いつもの文学少女っぽい雰囲気に戻った。わかりやすい子だなぁ、と思い

「やっぱり緊張するの?社長さんは」と聞いてみた。

「はい、別に厳しいとか恐いとかは、ないんですけど、なんとなく」

「見た目は、優斗くんと変わらない感じなのにね」

「確かに、そうなんですけど、なんかちがうんですよね、あっ、柏田くんに会いました?」

「いえ、会ってないけど、いるの?」

「さっきまで、いたんですけど、もう出かけちゃったかなぁ」と赤坂さんはパーテーションの間からオフィスの方を覗き込む。

「友絵さん来るよ、って言っておいたんですけど」

「いいわよ、別に」と思っていることとは真逆の事を口走る。そして、少し鼓動が早くなっている。居るのか居ないのか、どっちなんだろうか。赤坂さんとの打ち合わせの最中も、ずっと落ち着かずに過ごすことになってしまい、あまり身のある内容の話しは出来なかった。

「とりあえず、あと二つ、来月中にいただけると嬉しいです」と赤坂さんに最後に釘を刺され、打ち合わせは終わった。やっぱり優斗くんは出かけてしまっていたようで、結局、会えず仕舞いでビルを出た。


 駅に向かって歩き始めると、前から優斗くんが走ってくるのが見えた。まさか、安っぽいテレビドラマのような出会い方?と思っていると、もう目の前に優斗くんが息を切らして立っていた。

「間に合ったー、山下さん、お久しぶりです」出版社の人達は、みんな「友絵さん」と呼ぶのだけれど、優斗くんだけは「山下さん」と呼ぶ。それが、いつもなんとなく嬉しかった事を思い出す。

「こんにちは。書店まわりしてたの?」

「ちょっと納品漏れのクレームで、届けに行ってきて。山下さんが来るって聞いたんで、会社で待ってたんですけど」

「でも、よかった、会えたから」

「はい、よかったです。急ぎます?これから時間あります?」

「大丈夫」

「じゃあ、ちょっと、お茶でも」

 昨日、髪も爪も綺麗にしておいてよかったと思う。優斗くんがそんなことを知らなくても、それはそれでいい。私の気持ちの問題だから。でも、髪はずいぶん短くしたつもりだから、それくらいは気づいて欲しいのだけれど。無理な注文だろうか。

 カフェに向かい合って座るのが、なんだか恥ずかしい。横並びの方が気が楽なのだけれど、向かい合う席しか空いていなかった。コーヒーを二つ注文して、少し沈黙してしまう二人。

「髪、切りましたね」気づいてくれた。

「そう。いままで一番短いかも」

「そうですよね、僕が知ってる中でも一番短いと思いました」

「優斗くん、焼けてるね」

「基本、毎日外回りなので、自然と焼けますね、特にこの時期、紫外線多いので」

「最近、男の子もファンデーションとか塗るんでしょ?」

「みたいですね、大学生とかは。僕は塗りませんけど、友達とかは塗ったり塗らなかったり、人によって」

「ふぅ~ん」

カップを持つ私の手元に優斗くんの視線を感じる。

「昨日、塗ったの」

「はい、きれいです」

「爪フェチだもんね、優斗くん」

「フェチではなくて、なんだろう」

「絵里も言ってたよ、爪のこと言われたの初めてだって」

「それは、偶然そういうシチュエーションの仕事だったから、目が行っただけで」

「それがフェチなんじゃない?目が行くことが」

 そんなくだらない会話が延々と続くことが嬉しい。そして、普通ならばこの辺りで「未樹さんは元気?」などと聞くのだろうけれど、それはしない。そう決めてきたから。優斗くんも、当然、未樹さんの話が出るだろうと思っているに違いない。だからこそ、しないのだ。

「絵里さんは、元気ですか?」これは、未樹さんの話への布石だろうかと思う。

「うん、元気。でも、旦那さん、次はミュンヘンなんだって。今度は一緒にくっついていくみたい」

「そうなんですか」

「ニューヨークは興味ないけどミュンヘンは行きたい、とか言ってた。そう、それだから、大倉山のあの家にね、お姉さん住んで、って言われてて」

「おー、いいですね」

「でも、家あるし」旦那と別居中なのだが、それは言わない。

「ですよね」

「他人に貸すとね、帰りたい時に帰ってこれないから、って。たぶんミュンヘンも行ってみて飽きちゃったら、一人で戻ってくるつもりなんじゃない」

「自由ですね、相変わらず」

「私も絵里を見習って、自由奔放に生きようかと思って、これから」

「何するんですか?」

「考え中」とだけ、とりあえず答える。今日がその一歩のつもりなのだけれど。



 デビュー作で賞なんか取ってしまったから、次回作への期待が大きすぎて、全然書くことができない。このまま一発屋で終わってしまってもいいとさえ思うときもある。赤坂さんも「二作目が大事なんです。読者も業界関係者も注目してますから、そこでいいものが出せれば評価は盤石になります。頑張りましょう」と鼻息が荒い。趣味で書いて気まぐれにブログにアップしていた小説を、新人編集者がみつけて本にしたら賞を取ってしまった、ということだから、一発屋で終わる背景は完璧に揃っている。どちらかというと二作目が評価されることの方がレアケースだと自分でも思う。最後に書いたのが優斗くんとの事で、それ以降は何も書いていない。赤坂さんは、いろいろとテーマとかアイデアをくれるけれど、どれも自分のこととしては受け入れられない。小説なんだから、自分のこととしてなんていうのは必要ないのかもしれないのだけれど、プロだという意識もないので、自分の実体験から生まれた何かでないと書ける気がしない。その為には、やはり優斗くんみたいな存在が必要なのだ。


 絵里のミュンヘン行きが正式に決まった。「あと、ひと月後に行くことになったから、お姉さんよろしくお願いします」と連絡が入る。よろしくお願いします、とは、何をどう、よろしくなのかが、わからなかったので「家どうするの?」と返信をした。やはり、他人に貸すことは考えられないから、私に時々使って欲しいという。それは、言い方を変えれば単に留守中の管理人になって欲しいという事でしかない。あんな大きな家、掃除するだけでも大変だ。それなりのお手当てをもらったとしても、進んで引き受けるような話ではない。どうしよう。誰か私達姉妹に近しい人で住んでくれそうな人はいないだろうかと考える。親戚の顔が何人か浮かぶけれど、親族となると余計な気を使い、面倒なことにもなりそうな気がして、すぐに候補から消えた。旦那とは今別居中だから、彼の知り合いというのも今は考えられない。優斗くん?居た、ちょうどいい人が居た、優斗くんが居た、と思いついて、絵里にすぐに連絡をする。

「優斗くんは?」

「優斗くんがどうしたの?」

「住んでもらうの」

「えっ?」

「絵里の家に、優斗くんに住んでもらうの、どう?」

「あー、優斗くんね。はい、はい、良いかも。でも、まだ仲良くしてるの? お姉さん」

「まぁ、この前も会ったし」

「でも、未樹さんと一緒に住んでたりしてないの? いま」

「どうなんだろう? わかんないけど」

「それ、重要じゃない?」

「そうね」やっぱり未樹さんのことを脇に置いて優斗くんと関わるのは無理なのだ。

「その辺は確認するけど、絵里は良い? もし優斗くんが住んでくれるってことになっても」

「うん、大丈夫。二人ともよく知ってるしね」

「未樹さんも一緒でいいの?」

「違うよ、二人ともって、私とお姉さん、っていう意味で」

「あっ、そっか」

「優斗くんも、さすがに未樹さんと一緒に、ここに住むとは言わないでしょ、わかんないけど」

「それもそうだね」

ということで、優斗くんに相談することにした。相談というと聞こえがいいけれど、私達姉妹としては、もう、そうしてもらうことにしよう、という決定事項としての話、という感覚ではあった。





つづく。


by ikanika | 2020-05-03 11:46 | Comments(0)


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