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「森の十字路」(11)


優斗くん


ご無沙汰です。

びっくりしたでしょ?

小説は、ずっと好きで書いていたのですが、

本好きの優斗くんに読まれるのは、

ちょっと恥ずかしかったので

黙っていました。

赤坂さんが声を掛けてくれたのは

本当に偶然です。

まさか、優斗くんの会社だったとは

びっくりでした。

書籍化のお話は、最初はお断りするつもりでした。

自分の小説が本になるなんてね。

でもあまりにも赤坂さんが熱心なので、

まぁ、記念に、という程度でお受けしました。

新たに一編、書き下ろしをと言われて、

どうしようかなと考えた時、

今の私に思い浮かんだのは、優斗くんとのことでした。

優斗くんが、なにをどう感じていたのか、わかりませんが、

あなたが近くにいたあの時間は、

私にはちょっと刺激的な日々でした。

真夜中に手を繋いで走ったりなんて、いつぶりだろう、って感じで。

覚えてる?だからあの時の気持ちを思い出しながら、

新しく一編、書いてみました。

小説なので、主人公の私は、

本当の私とイコールというわけではないですが、

あなたに伝えたかった想いは、そこに投影されています。

どこまでがフィクションで、どこまでが本当の私の想いなのかは、

書き終えてしまうと

正直、もうわからなくなってしまっている感じです。

なんていうと、ずるいですか?

もしかしたら、未樹さんが読むことになった時、

ちょっとただでは済まなくなるかな、って思ったりしてますが(笑)

赤坂さんに渡してある原稿はまだ途中のものですが、

つい昨日、最後まで書き終えたので、添付します。

たぶん、大きな直しはないと思います。

読んでみてくださいね。

感想、聞かせてくれたら嬉しいです。

では、また。


山下




 メールには、ワードの原稿が添付されていて、優斗は早速開いてみる。『繋いだ左手』と題されたその短編を読んでいる間、山下さんが近くにいた数ヶ月前の日々に戻っているようだった。淡々と描かれる日常の中に、時折、山下さんの想いだと読み取れる箇所が現れる。その度に、優斗は頭が熱くなり、胸の奥の方がチリチリとした。紛れもなく、その主人公の女性は恋をしていて、その恋心に抗いつつも、それが平凡な毎日を前に前にと推し進める糧となっているようだった。恋の相手は、優斗がモデルと思われる卒業を来春に控えた大学生で、主人公の女性は山下さん本人と思われる主婦だった。二人の間に起こる出来事は、優斗にとってはまだ鮮明に記憶していることばかりで、これをフィクションだと言い切って小説として世の中に発表していいのだろうかと思う。そのことを知っているのは、著者である山下さんと優斗だけなので、二人がそれでいい、と言えば世の中の人々はフィクションだと思って小説を楽しむだけのことなのだけれど。ただ未樹も世の中の人々と同じように受け取るかどうかはわからない。小説の主人公二人を優斗と山下さんに置き換えた時、未樹は少なからず動揺するだろう。主人公の女性は、こう言う。

『わたしは、彼の秘密に成れているのだろうか?それならば、嬉しい』と。

山下さんの真意が聞きたかった。どこまでをフィクションとして読んだらいいのかは、優斗にも判断がつきかねる。さらに物語は、明確な終わりを持たず、その後も続いていくというニュアンスで突然断ち切られる。続きは、今現在の自分達が引き継がなくてはならないとでも言うように。山下さんは感想を聞かせてくれたら嬉しいと言っていたけれども、もはや小説の感想を伝えるというよりも、これからの二人の関係についてきちんと話をしなくてはならないのではないかと優斗は思う。このまま小説として発表され、未樹の元に届くことになるとしたらなおさらだと。山下さんには、感想を直接お伝えしたいので、どこかで会えないかという旨のメールを送って返信を待った。夜のうちには返信はなく、とりあえず翌日も会社だったので眠ることにした。朝、いつも通りに目覚め、メールを確認すると山下さんからの返信があった。




おはよう、優斗くん。

早速読んでくれたみたいで嬉しいです。

ありがとうございます。

来週の火曜までは主人も出張でいないので、優斗くんの都合のいい日で大丈夫です。

場所もお任せします。

お返事待ってますね。


山下




 こんな風に軽いトーンの返信をもらうと、いちいち山下さんの真意なんかを詮索するのもバカらしく思えて来るのだけれども、あの小説を読んだ後に二人きりで会うとなるとやはり要らぬ妄想を掻き立てる。小説の多くの部分がフィクションだとしてもだ。書店まわりのついでに昼間にどこかで会うのがいいように思い、赤坂さんとよくランチに行くカフェで、金曜日の午後二時に約束をした。あのカフェだったらゆっくり話が出来そうだし、なんとなく仕事の延長だと考えることも出来ると思ってのことだった。

 約束の金曜日に時間通りにカフェに着くと、すでに山下さんはカウンターから一番遠い奥のテーブルに座り、店内をぼんやり眺めていた。優斗に気づくと軽く手を振り微笑んだ。考えてみると、バイト先の塾と絵里さんの家でしか会ったことがなかったので、こうして外で見る山下さんは、やはり男性であれば優斗でなくても目を惹きつけられる美しさがあると思った。そう考えると途端に緊張してきて、山下さんの向かいに席に座るまで、自分の動きがぎこちなくなっているのに気づいたのだが、だからといってどうすることもできなかった。

「久しぶり」

と山下さんは優斗の緊張に気づかないふりをして声をかける。

「あっ、はい。お久しぶりです」

「なんか食べるよね?」

「はい」

「何がオススメ?」

「日替わりの定食があればそれです」

「そう。訊いてくれる?あるかどうか」

マスターに訊いてみると、ちょうど二つあるということだったので、二人で定食をオーダーした。

「よく来るの?ここ?」

「はい、赤坂さんに何度か連れてきてもらって。彼女のお気に入りみたいで」

「そっか。優斗くんのセレクトだとしたら、ちょっと女性向きだと思った。未樹さんと来る店なのかな、って」

「未樹とはまだ来たことないです」

「未樹さんは元気?」

「はい、一応」

「一応?」

「なんとなくですけど、進路のことで迷ってるみたいで。一人で色々考え込んでしまってる気がします。僕も自分のことでいっぱいいっぱいであまり力になれない感じで」

「優斗くんに言って欲しいんじゃない?」

「言うって、なんて?」

「わかんないけど、一緒に居たいと思ってるよ、未樹さんは。それはどんな形でもいいから。留学をやめても、一緒にアメリカに行くにしても、優斗くんと一緒であればどの選択肢でも良いんだと思う。彼女は」

「そうなんですか?だって未樹は勉強したいことがちゃんとあって、それで」

「あっ、ご飯来た。食べよっ」

と山下さんは、優斗の話を遮り黙ってごはんを食べ始めた。しばらく二人で黙って食べていたのだけれど、優斗は言いかけたことの続きを話しはじめた。

「勉強したい事があるから留学したんです。そして、さらにまた勉強したいって」

「でも、あなたから離れることは望んではいないわ。そうまでして勉強したいとは思ってないはずよ」

「なんでそう思うんですか?そう言ってました?」

「言ってないけど、わかる。優斗くんにその気が無いんなら、仕方ないけど」

「無いわけでは」

「ないの?」

「でも、まだ就職したばかりだし」

「別に養ってあげるとかそういうんじゃないよ。一緒にいるっていう選択肢の話」

「選択肢?」

「そう。彼女は決められないのよ。苦手というか、いちいち思い悩んじゃうタイプでしょ。だから、あなたが手をひいてあげればそれでいいの。その選択に対してあとから何かを言ったりはしないから、そういう子よ。私がね、あれを書いたのは、未樹さんがあなたから離れない選択をするように、って、思ってということもあるのよ。捕まえておかないと、横取りしちゃうよ、って。ほんとに横取りするつもりなんてないから、心配しないで。それは絵里の専売特許だから」

と言って笑った。

「山下さん、読ませてもらって、正直、なんか、この辺が、胸の辺りがチリチリしました」

「チリチリ?」

「はい、チリチリ痛い感じ」

「それは、恋の表現?」

「そうなのかもしれません、でも、わかりません」

「私も恋をしているような感覚ではあったかもしれないわ、あの頃は。でも、未樹さんに会って、自分のことはどうでもよくなって、彼女が心配でね、ずっと。なぜかわかんないけど。ちょっと似てるからかなぁ、よくわかるの」

「似てますか?」

「うん、顔とかの話じゃないよ」

「わかってます」

「考え方というか、感じ方というかね」

「だから、ですかね」

「だから?」

「なんか好きになってしまったのは」

「告白?」

「はい、僕、山下さんが好きなんですよ、ずっと。だから困ってるんですよ、きっと」

「ありがと、でも、人妻よ」

「わかってます」

「じゃあ、優斗くんが選ぶべきは、未樹さんよ」

「わかってます」

「なら、そうして。小説はね、私の思い出として書いてるの。小説の中だったら、本当のことが言えるの、自由でいいわ。でも、現実ではね、いろいろ厄介なことになるでしょ。自分の思い通りになんかならないことの方が多いし。あれを読んだからって旦那さんは私が本当に浮気をしているなんて思わないわ。よくできた小説の中のお話だって褒めてくれるかもしれない。実際には、優斗くんに恋していたとしてもね。そういう本当の自分を記録として残しておくための小説。それが現実よ」

「僕と山下さんは、現実には恋をしてはいけないということですか?」

「そうよ。とりあえずはいろんな人に秘密にしておかなくちゃいけないでしょ?」

「はい」

「そんな不自由な恋はするべきじゃないということ。中にはそういうスリルみたいなことを楽しめる人もいると思うけど、私は嫌」

「彼の秘密に成っていたら、嬉しい、って書いてましたけど」

「そう、それはつまり、私に恋をしてくれているという証拠だから。でも、それだけでいいわ。秘密を暴露して、いろんな人を不幸にして、自分だけが幸せになるなんてことは、あり得ないと思うから。優斗くんは?」

「はい、でも、やり場がないというか、山下さんに対する気持ちはどこに置いておけばいいんですか?」

「ん~ん、難しいわね。優斗くんも小説でも書いてみたら。赤坂さんも書いてるって言うし」

「書けませんよ、普通の人は」

「私だって普通の主婦よ」

「いや特殊な才能のある主婦です」

「特殊な才能、ってそれ、褒めてるの?けなしてるの?」

「褒めてます、当然」

「ありがと」

「あの話は続きがあるんですか?唐突に終わってますけど」

「どうだろ?続きは優斗くん次第じゃない。小説になりそうだったら書くし。思い出の記録だから」

「なんか緊張するなぁ、どうしよう」

「読者はね、結局はハッピーエンドを望んでいるんだって赤坂さんが言ってたわよ」

「編集者としてはそうなんでしょうけど。この場合のハッピーエンドってどれですかね?」

「さぁ、赤坂さんに訊いてみたら。今朝、原稿送ってあるから、もう読んでる頃よ」

「えっ、もう送ったんですか?あのまま?」

「うん、だって締切だし」

「じゃあ、あのまま出版ですか?」

「赤坂さんからOKが出たらね」

「ちょっと赤坂さんと相談します」

「相談?きっとあのままよ。赤坂さんから直しを指示されたことなんて無いから。それより、この先どうしたらいいか訊いたほうがいいと思うけど。もたもたしてたら未樹さん、迷子になっちゃうよ、きっと。ちゃんと手をひいてあげないと」

「はい」

「噂をすれば、赤坂さんからメールよ」

「なんて?」

「えっと、ちょっと待ってね」

赤坂さんからのメールが長かったようで山下さんは、しばらくメール画面から目を離さずに真剣に読んでいた。

「なんかね、終わり方が唐突すぎるので、書き直すか、続きをお願いします、だって。締め切りは、上と相談します、って」

「なんと。どうしますか?山下さん?」

「どうって、優斗くん次第じゃない、それこそ。私はそれを記録するだけだから」

「えーっ」

「ハッピーエンドよ、あなたの会社が望んでるのは。締め切りもあるから、早くしてね」

と山下さんはいたずらな笑顔で優斗を見つめて、コーヒーを二つマスターにオーダーした。


 会社に戻ると赤坂さんが近づいてきて、A4サイズの封筒を優斗に手渡した。

「これ、読んでみて。原稿」

tomoeさんのですか?」

「そう。それで、お願いがあるの」

「エンディング、というか続きの話ですよね?」

「なんで知ってるの?」

「さっきお会いしてきました、山下さんに。それで、ご本人からも、エンディングはあなた次第、みたいなことを言われてきました」

「どういう意味?」

「ちょっとここだと話しづらいので、ご飯いきません?帰りに」

「うん、わかった」

「じゃあ、その時に」



 会社の近くの雑居ビルの四階にある小さな洋食屋で赤坂さんを待った。エレベーターのない古いビルなので、階段を上がってくる足音でお客さんが近づいてくるのがわかる。徐々に大きくなるヒールの足音は踊り場で一旦休んでいるようで、なかなか店のドアを開けるところまでやって来ない。ドアが開いて息の上がった赤坂さんが現れる。

「やっぱり、キツイ、階段」

と、なんとか言葉にして優斗の前に倒れこむように座る。優斗は、いつもここに来たら食べることにしているポークソテーを、赤坂さんはオムライスをオーダーした。年配の女性が一人で切り盛りしているので、料理ができるまで少し時間がかかる。かえってそれが話をするにはちょうどいいと優斗は思っている。飲み屋ではない店では、食事が済んだら席を開けるのがマナーだと思っているので、あまり早くに料理が出来上がっても都合が悪い。こんなに古いビルの四階で階段しかないので、やってくる客は、顔馴染みばかりのようで、席の回転などに気を回す必要もないのだろうけれども。

「それで、エンディングの話」と赤坂さんが早速、話を切り出す。

「はい」

「どういうことなの?」

「赤坂さんが言う通りあの小説のモデルは、僕と山下さんです。どこまでがフィクションでどこまでが現実かは、山下さん本人も僕も曖昧です。お互いの想いのようなものは実際口にしていない部分がたくさんあるので。ただ主人公たちに起こっている出来事は、実際に僕たちの間にあったことです。山下さんは、それを記録として小説にしてみたと言ってました。記録だからこの先のストーリーは実際に僕がどうするかで、決まるんだって。だから、ハッピーエンドでお願いって。でも、この場合のハッピーエンドが僕にはわかりません。読者が求めているハッピーエンドが。赤坂さんはどう思います?」

「ちょっと待って、それは、つまり、これから柏田くんがどうするかを書くっていうこと?」

「はい、そうです」

「でも、締め切りまで時間がないわよ」

「それも言われました、急いでって」

「ほんとに急いでだわ。どうしよう、どうしたらいいの?」赤坂さんはオムライスを食べる手を止めてしばらく考える。

「わかった、じゃあ、編集担当としてのエンディング案ね。やっぱり多くの読者はね、あなたと同級生の彼女がうまくいくことを望んでいると思うの。このままだと彼女が可哀想というのが想定する読者の意見だと思うわ。でもね、ごく普通に、人妻の主人公に別れを告げて、彼女と一緒になるっていう簡単な解決方だと小説としてはつまらない。なにか一捻り二捻り欲しいわね、やっぱり」

「あの、それを僕にやれと?」

「案よ案。でも、tomoeさんが記録として書いてるって言うんだったら、実際に起こらないと小説にはならないんでしょ?どうしたらいいかなぁ」

「一応訊きますけど、締め切りっていつですか?」

「あと一週間って社長には言われてる。来週末には入稿」

「一週間かぁ」

「でも、tomoeさんが書く時間を考えると、そんなには無いわよ。実際にはこの土日でエンディングじゃない?」

「なんですか、それ、ちょっと無理ですよ」

「でも、やってみてよ、なんか。さすがにいまのままの終わり方だと本にはならないというのが会社としての見解だから」

「会社の見解?」

「そうよ」



つづく。




by ikanika | 2020-04-14 10:16 | Comments(0)


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