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「森の十字路」⑼


 日曜日は四月だというのに、コートや手袋が必要なくらい寒い一日だった。改札口で待ち合わせた三人は声を揃えて、寒い寒い、と首をすくめていた。山下さんが大きなバックを抱えていたので

「なんですか?それ」と優斗は尋ねた。

「枕。今日は泊まるつもりだから」

「枕?」

「自分のじゃないと眠れないの、だから」

「いつも持って行くんですか?」

「絵里のとこに行くときはね」

「私は、枕、要らない派です」と未樹が会話に加わる。

「いいわね、それ」

「はい、頭低くしないとダメなんです。なんか苦しくなって」

「そんなひといるんだ」

「子供の頃からずっとです。でも、すごい坂ですね、ここ」と言って、未樹は先頭を元気に歩いて行く。少し遅れて優斗は山下さんとそのあとをついて行く。山下さんが小声で

「やっぱり手袋してないのね?」

と言って、手袋をした自分の手をポケットから出して優斗に見せる。それは、冬の夜、山下さんが優斗に貸してくれた手袋だった。少し前を歩く未樹には、その山下さんの声は聞こえていないはずなのだけれど、優斗は、その話はナシ、の意味合いで自分の唇に人差し指を立てて当てた。

「なに、それ?」

という山下さんの声に未樹が反応したように振り向き

「もうすぐですか?」

と尋ねる。優斗は、慌てて

「あそこに見えるモダンなカッコいい豪邸」

と即座に答える。未樹は

「えー、すごい!」

と言って坂道を駆け上がっていった。

「なに、どういうこと?」

山下さんが怪訝そうな顔をする。

「手袋の話、未樹の前では、ちょっと無しで」

と優斗は小声で言って、未樹の後を走って追いかけた。



 ダイニングテーブルには、この前のように既に料理が並べられ、着席をすればすぐに宴が始められるようになっていた。玄関での出迎えから、絵里さんはいつもにはない緊張感を漂わせていた。それは、姉である山下さんを前にした時の状態なんだろうと優斗は解釈した。姉妹の距離感を優斗は的確に把握しようと二人の交わす会話や、視線の動きをさりげなく、かつ注意深く観察していた。未樹は、一番年下の女性としての立ち位置をきちんと見つけて、そつなくその場に溶け込もうとしていた。とりあえず、念願の顔合わせに乾杯してから

「絵里のごはん、いただきましょう!」

と姉である山下さんが場を仕切り、会はスタートした。

「これ全部、絵里さんが作ったんですか?」

とテーブルに並んだ料理を眺めながら未樹が尋ねる。

「うん、そう。何か食べられないものとかある?」

「ないです。なんでも食べます。全部美味しそうです」

「じゃあ、どんどん食べて」

と言う絵里さんは、まだどことなくいつもと様子が違うように優斗は感じていた。

「優斗くん、絵里さんの料理、食べたことある?」

と突然、未樹に訊かれて、優斗は一瞬、どう答えたらいいのか判断がつかず、固まっていると、絵里さんが代わりに

「一度だけ、ね」

と答えた。特に隠す必要のないことで、山下さんも事情を知っている出来事だと判断して

「そう、一度、三人で集まるはずだったんだけど、山下さんがこれなくなっちゃって」と言うと

「二人だけで?」

と未樹が訝しむ。

「でも、大丈夫よ、未樹さん、何もないから」

と絵里さんがフォローしてくれた。

「いえ、そう言う意味で言ったんじゃないので」

その会話を聞いていた山下さんは何か言いたげに優斗に視線を向けていたのだけれど、その件については何も触れず

「じゃあ、早速、絵、お願いしようかな」と話題を変えた。

「はい、そうですね」

と未樹は、持ってきた絵を鞄から取り出し山下さんに渡した。A4より一回り大きいサイズで、いかにもアメリカらしい薄いピンク色の荒い手触りの紙に包まれていた。絵は二つとも同じ色目の木製の額縁に入っていて、山下さんは一枚ずつさらりと見ると、ひとつを絵里さんに渡した。

「これなんだぁ」

と山下さんは呟き、じっと絵を見つめている。絵里さんも、しばらく黙ったまま絵を眺め

「これ、私なんだ」と少し嬉しそうに言った。

「お姉さんの見せて」と絵里さんが言うと

「はい」

と山下さんは自分の絵を絵里さんに渡し、代わりに絵里さんの絵を受け取った。絵里さんは

「この赤い服、私も欲しかったの覚えてる。でも、欲しいって言えなかったから、お姉さんが着れなくなってお下がりが回ってくるのを待ってたわ。でも、結局、回ってきた記憶がないけど」

「お気に入りだったから、ずっと着てたもの。それに、ワンピースだったから、背が伸びてもそれなりに着れたの」

「優斗くんも見る?」

と山下さんが言うと二人は両方の絵を優斗に渡した。

「お二人の顔は、似ているというか、ほぼ一緒に見えます」

「父にはそう見えていたんじゃない?二人とも一応、父親似だったから」

「爪もですよね?」

と突然、未樹が言う。一瞬、何ことを言っているのか山下姉妹は分からずに

「えっ?」とお互いの顔を見合わせた。

「優斗くんが、お二人の爪の形が一緒だって」

と未樹が続けると

「あぁ、そんなこと言ってたね、優斗くん」

とようやく山下さんは優斗の言っていたことを思い出し、絵里さんも

「言ってた言ってた、これね」

と未樹の方に爪が見えるように手の甲を向けた。山下さんもその絵里さんの手に自分の手を並べて見せた。

「確かに」

と未樹は二人の手を見比べて納得する。

「でしょ、一緒でしょ」

と優斗は三人がこうして仲良く会話をしている様子を見て、なんとなくホッとしつつも、夜道で握った山下さんの手と、夢の中とお別れ会で握った絵里さんの手を未樹が見比べているこの状況は、ちょっと普通ではないと思っていた。

「ところで、この絵、どうやって貰うことができたの?」

と山下さんが未樹に尋ねる。

「はい、ちょっと嘘、というか勝手に作り話をしてしまって。そのギャラリーの新しいオーナーは、NOT FOR SALEだから、幾らと言われても売り物じゃないから売れないって、ずっとそればかりで。だから、実は、その絵の姉妹は、子供の頃に住んでいた家が火事で無くなってしまって、その時に子供の頃の思い出の写真とかも全て失ってしまったんだという話にしてしまったんです。子供の頃の姿が残っているのは父が描いたこの絵だけなんだと。だから、なんとか二人に渡したいって。そうしたら、ちょっと考える、って言ってくれて、しばらくしたら連絡がきて、やっぱり売り物じゃないから勝手に値段をつけて売るわけにはいかない、っていうから、全然ダメだと思ったら、売れないけどプレゼントすることは出来る、って」

「なんだ、良い奴じゃん」

と絵里さんがいつもの絵里さんらしくなってきた。

「そうなんです、良い人だったんです。そういうわけで、こうしてここにあります」

「火事は無かったけど、子供の頃の写真がないのはあってるわ。父は写真を撮るくらいなら自分で絵を描くよ、って言ってほとんど写真を残さなかったの。だから、半分くらいは本当よ。ありがとうね、未樹さん」

と山下さんは、改めて頭を下げた。

「いえ、勝手に作り話してしまってごめんなさい」

「謝らなくていいよ、全然。デザートもあるから持ってくる」

と絵里さんは、キッチンに立った。

「未樹さんの話を聞いていい?」

と山下さんが切り出し、ちらっと優斗に視線を投げる。

「私の何をですか?」

「これからのこと。優斗くんも、聞きたいよね」

「まぁ、でも、今でなくても」

「一人であれこれ考える時間も必要だけど、言葉にしてみると、以外といろんなことが見えてきたりするものよ」

「はい、でも、まだどうするか。とりあえず留学してた一年分は、こっちで通わないと卒業はできないので。一部、単位の振り替えはしてくれるんですが。あとは、こっちで卒業をせずにまた向こうに行くこともできるんで、転籍みたいな感じで。選択肢はいくつか」

「前も行ったけど、どうしたいかよね」

「はい、どうしたいんでしょう」

「何がどうしたいの?」

とデザートをもって絵里さんが戻ってくる。

「未樹さんのこれから」

「優斗くんとのこと?」

「それもあるけど、色々、大学のこととかよ」

「優斗くんは、どうして欲しいとかあるの?」

と、絵里さんに振られて、戸惑う。正直、自分のことで精一杯で、未樹の将来のことまでは考える余裕はなかった。ただ近くにいて欲しいという程度のことしか、頭になかった。

「優斗くん、社会人になりたてで余裕ないと思うよ、人のことまでね?」

優斗がまだ黙っていると未樹が先に口を開く。

「いいの、優斗くんは。優斗くんの選んだ道を進んでくれれば。私がまごまごしているだけで、迷惑かけちゃうから」

「まごまごしてないよ、未樹は。ちゃんと考えて進んでると思うよ。僕がどうこう言える問題じゃないから」

「考え過ぎて、どこにも向かってない気がしてるの。早く社会に出て、ちゃんと優斗くんと対等に話がしたいって思うし。多分、優斗くんが今、会社でどんなかって話を聞いても、本当のところはわからないんだって思うし、私の知らないところにどんどん行ってしまうような」

山下さんも絵里さんも黙って聞いている。二人が未樹の話を聞いて何を思っているのか、その表情からは、優斗には全く想像ができない。

「今日は、そのあたりの話はやめましょう。あとで二人でよく話し合いますから」

と優斗は極力明るく締めようとしたのだけれど、ただ大事な問題から逃げ出そうとしているようにしか聞こえなかったのではないかと不安になる。未樹は、もう言葉を発するつもりは無いようで、絵里さんの作ってくれたデザートのケーキをゆっくりと少しずつ口に運んでいた。

「じゃあ、優斗くんの社会人デビュー一週間の感想でも聞こうかな」と山下さんが話題を無理やり移してくれた。

「感想ですかぁ、ただ長い一週間でした。まだ何者でもないということを毎日痛感してます。こうしてみんなといる時間と、会社の人と過ごす時間とは、別の世界の出来事のように感じてて、その二つの世界が全くリンクしていないんです。また明日から会社ですけど、今日の続きに明日があるという気がしてません、なんていうか、どっかのタイミングであっち側の世界に移動して、またこっち側に戻って、みたいな感覚で」

「慣れよ、それは」

「はい、先輩もそう言ってましたけど」

山下さんは、そう言いながら、お酒が弱いみたいで、さっきからデザートフォークをもったままウトウトし始めていた。

「お姉さん、寝ちゃいそうだから、今日は、そろそろお開きね」

と絵里さんがテーブルのお皿を片付け始めた。未樹も一緒にキッチンに入って二人で洗い物をしている間、優斗は絵里さんの家の本棚から気になる本をいつくが取り出して、ページをめくっていた。初めて見る作家の小説のタイトルが気になって、冒頭の部分を読んでいたら、どこかで読んだことがある文章だった。




『私はね、いろんな岐路があったとして、どこかの道を選んで進んだとするじゃない、でもそれは自分で選んだように思えるけど実は自分が選ばれただけだと思っているの。自分の意思とか希望とかではなく。

あなたは、ほんとうに自分で選んできたって思える?』



と続く。どこで目にしたものだろうか、と思い出そうとしてみるけれども、すぐには思い出せない。以前、実は読んでいたものか、書店まわりをしている時に目にしたのか、あるいは読んだ記憶自体が間違いか、と考えていると、キッチンから未樹と絵里さんが戻ってきた。

「あっ、それ」

と未樹が優斗の手にしている本を見て声を上げる。

「どうしたの、それ?」と未樹。

「ここの本棚に。絵里さんが読んだもの?」

と絵里さんに装丁を見せる。

「そう、それは、この前まで読んでた」

「ここからの引用よ」

と未樹が言って、優斗はようやく思い出した。

「未樹のメールかぁ」

「絵里さん、この冒頭の部分、覚えてます?」

「うん、自分で選んだように思ってる道は、本当は選ばれただけ、とかいうやつよね」

「はい」

「未樹さんも、そんな風に考えた方が、気が楽かも、きっと」

「ですよね」

と未樹は、ぼそっとつぶやく。優斗も同じように、そんな風に明日から森を歩いてみようかと思う。山下さんは、絵里さんのところに泊まっていくことになったので、未樹と二人で絵里さんの家を出て、駅までの坂道を下った。夜になって気温はさらに下がっていたけれども、どこか春の匂いが空気に混ざっているのが心地よい。手袋をしていない優斗の冷たい手を、未樹は探るように握った。

「冷たい」

「うん」

「やっぱり手袋してないじゃない」

「うん」

「するようになったって言ってたよね?」

「うん、でも、やっぱり、またやめた」

「なんで?」

あれは、山下さんの手袋だから、と心の中で呟いてから

「もう春だしね」

と言って未樹の顔を見る。すぐ隣にいて手を繋いでいても、未樹がどこか遠くにいるように優斗は感じて、繋いだ手を強く握り直した。未樹は俯いたまま強く握り返して

「春って、なんか残酷」

と言った。優斗の繋いだ手は、ずいぶん暖かくなっていた。




つづく。




by ikanika | 2020-04-12 11:02 | Comments(0)


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