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「森の十字路」⑸


 模擬テストの採点が終わってから、塾で山下さんに会うことはほとんど無かった。山下さんは、午後早くに来て、夕方には帰るので、優斗とは、ほぼ入れ替わりになる。絵里さんの家に行く件でメールを返したのだけれど、それ以降返事がなく、待ち合わせ時間や場所をどうしたらいいのかがわからないままになっていた。塾で会えたら話が早いと思ったので、その日は、いつもよりも少し早めに行ってみたら、控え室に山下さんの姿があった。

「山下さん」

と声を掛けると、

「早いのね、よかった、連絡しなきゃって思ってて。絵里のウチに行く話、ちょっと私は行けなくなっちゃったの。旦那が行くはずのツアーがね、中止になって、家にいることになったから。風邪ひいちゃって声が出ないんだって。ヴォーカルの人が。中止にするかギリギリまで様子を見てたみたいなんだけど、今朝中止が決まったみたい」

と採点の手を休めずに話す。

「そうなんですね、残念です」

「そう、だから、柏田先生、一人で行く?」

「僕だけで?」

「そう。絵里は大丈夫じゃない、サシでも」

「あ、でも。二人きりというのも、なんか」

「なんか?なに」

「ちょっと、よくないかと」

「人妻だから?」

「まぁ」

「絵里にいま聞いてみるわ」

と山下さんは、その場で絵里さんにラインをした。

ほら、見て、山下さんは絵里さんとのやりとりを優斗に見せる。

『大丈夫、優斗くんには、変なことしないから一人でご飯食べにきてって伝えてください』

とあった。

「ねっ、住所送っておくから、行ってきてたくさんご馳走してもらってきたら」

と山下さんは話をまとめてしまった。山下さんにしても絵里さんにしても、サクサクと手早く物事を決めるよく似た姉妹だと思う。


 日曜日のお昼に、絵里さんの家のある大倉山の駅を降りた。冬晴れの穏やかな空が広がっていた。絵里さんの家は、線路沿いの急な坂道の途中にあって、見るからに新築で、立派な一軒家だった。周りの家とは明らかに違う目を惹くデザインの建物で、表札の大江の文字も、アルファベットで、OOEとあり、ほとんど鉄のアート作品にしか見えないものだった。インターホンを押すと、どうぞ、という絵里さんの声が聞こえて、門のロックが解除された。玄関までのアプローチを歩いていると、ドアが開きエプロン姿の絵里さんが出迎えてくれた。絵に描いたような、可愛い若奥様という出で立ちだった。手土産に持参したワインがこの家に似つかわしいランクの代物なのか自信がなかったが、とりあえず手渡し、ダイニングテーブルの席に着いた。料理上手だという山下さんの言葉通り、テーブルには沢山の料理が並び、すでに食べられる状態になっていた。絵里さんもエプロンを外し、優斗の向かいの席に座る。

「持ってきてくれたワイン、開けようかな」

と絵里さんは、ボトルとオープナーを優斗に手渡す。慣れない手つきで、栓を開け、乾杯をした。優斗は、少し緊張しながら絵里さんの手料理に手を伸ばし、昼から飲むワインに自分がまだ酔っていないことを都度確認し、二人きりの食事を楽しんだ。食事がほとんど食べ終わり、ボトルのワインも飲みきった頃に、絵里さんは、優斗に尋ねる。

「アメリカの彼女、春に帰国よね?」

「はい」

「その時までには、はっきりしないとね」

「はっきり?」

「そう、はっきり」

「何をですか?」

「私たち」

「あ、はい」

「なんで、こんなことしてるか、わかる?」

「こんなことって、付き合ってるってみんなを騙してることですか?」

「そう、お弁当まで作ってね」

「わかりません、ただの遊びですよね?それ以外になにか理由があるんですか?」

「ただの遊びで、みんなを騙して楽しいと思う?」

優斗は少し考えてから、正直に答えた。

「僕は、絵里さんと秘密を共有していることが楽しいです」

「秘密かぁ、そんな風な考え方もあるわね、確かに。私はね、最初は普通に、なんか可愛い男子が入ってきたなって思って、ちょっとからかうつもりだった、正直いうとね。主人もいるし、流行りの不倫みたいなことは興味がないっていうか、そんなことは自分とは無関係なことだと思っていたわ。でもね、あなたがお姉さんと知り合いだってことがわかってから、何かが変わってきてしまったの。あなたがお姉さんのことを詳しく知っていることに嫉妬したわ、ご主人のこととかね。私の主人のことは知らないのに。私は、お姉さんより、あなたに近づきたいって思ったの。冗談でもあなたと交際していることになって、なんだか嬉しかったわ。私は、いつも姉の持っているものが欲しくなってしまうの。それは子供の頃からずっと。お姉さんが綺麗なお洋服を買ってもらったら、私も同じじゃなきゃ嫌だった。母は、本当のお母さんを亡くしてしまったお姉さんのことをかわいそうに思っていたから、私よりもいろんなことを気にかけていたと思うの。それは、子供の私には納得のいかないことだった。なんで、実の子供よりも他人が生んだお姉さんを可愛がるのかって。大人になって、そのことを理解するようになっても、身体にしみついてしまっているそういう思いは時々芽を出すの。理解することと、現実に思ってしまうことは別の話なのね。だから、あなたをお姉さんから奪いたかった。別に、あなたはお姉さんと付き合っていたわけではないけどね。あなたが、お姉さんと私の爪の形や仕草が似ているって言ったとき、ますますあなたが欲しくなってしまったかもしれないわ。私は私よ、って変に対抗意識が湧いてしまってね。だからと言ってね、お姉さんのことは大好きよ。時々、泊まりに来るくらいだから。でも、それとは別の事ね、姉の物をほしがってしまうというのは。わかるかなぁ?」

「なんとなくですけど、理解はできる気はします、でも、僕は一人っ子ですし、男なんで、本当は何も理解なんてできていないかもしれませんけど。想像でしかないかもですね」

「そうね、でも、想像してくれるだけでもうれしいわ」

「正直、僕は、絵里さんも山下さんも、どちらも好きですよ。その好きは、恋愛感情に繋がるものなのかどうかはわからないですけど。アメリカにいる彼女のこともありますし。でも、遠距離になったとき、お互いに暗黙の了解というか、思っていることがあって、それぞれ一人で暮らしている以上、何があるかわからない、というか、縛り合うのは無しにしようって。一年間、遠距離のまま続けばそれでいいし、もし、お互いに何かの出会いがあってもそれはそれで自然なことなんだと思うようにしようって」

「ずいぶんドライね」

「でも、ちゃんと続いています。ほぼ毎日連載のコラムみたいにメールは届きますし、僕もマメに返信しています。でも、絵里さんと山下さんのことは、彼女には話していません、なんとなく、秘密にしておくべきかと思ってしまって」

「今日、予定通りお姉さんと来ていたら、こんな話にはならなかったのにね。でも、幸いといっていいのかわからないけど、二人きりだったから本当のことを話してしまおうって。なんだか面倒な姉妹でしょ、ごめんね」

 翌日の月曜日、絵里さんはお弁当を作ってこなかった。それで、周りのみんなは、二人の関係は終わったのだと解釈したのだけれど、実際には、日曜日を境に、お互いの距離は今まで以上に縮まったと優斗は感じていた。


 未樹からのメールに返信をしないで数日が過ぎていた。春からのことは優斗自身もわからない。ただ勤め先が決まっている、ということだけでどんな人達に囲まれて、どんな生活になるのかなんて想像してみたところで無駄だと思った。同じように春からの未樹とのこともそう感じていた。今の段階で、何か言うことがあるとは思えなかった。それでも未樹は何かしらの返信を待っているはずなので、なんとか言葉を絞り出してあげたいとは思う。それも、あまり将来のことについて深刻にならないように、軽妙なエッセイみたいなものでも書ければいいと。優斗は、最近読んだ松尾スズキのエッセイを片手に自らの近況を、面白おかしく書いてみようと試みたのだけれど、思いつく話題は、絵里さんか山下さんとのことばかりで、どこをどう切り取っても未樹が笑ってくれる内容にはなるとは考えられなかった。しかし、ありきたりの励ましのメールを送ったところで未樹にとっては何にもならないことは明白で、であれば、やはり山下姉妹の話を少し書いてみようと決めた。近況報告という程度の内容で。





未樹へ

 こんばんは。なかなか返信が出来なくてごめんね。未樹の思っていることは想定の範囲内だったから、とりあえず大丈夫だよ。春からのことは、春になったら考えようよ。正直、僕もどんな生活になるのかわからないので。

今日は、近況を報告します。ちょっと不思議なことが起こっているのでね。バイトの話は少ししていたと思うけど、そのバイト先での出来事です。塾のバイトでは、山下さんという何年か前のトレンディドラマに出ていた女優似の奥さんがいます。ずっとその女優の名前が出てこなかったんだけど、このまえ深津絵里だと判明しました。で、一方、図書館での週一のバイト先にも、絵里さんというとても可愛らしい奥さんがいます。絵里さんは、とくに似ているタレントは思いつかないけど、小さくて可愛いという感じ。山下さんとは向かい合って座って一緒に採点作業をします。絵里さんとは、向かい合って本のリストの付け合わせとかをします。自然とふたりの手元を見る機会が多くて、ある時、ふと気づいたんです、爪の形が同じ、だと。そして、ペンを持って書く仕草も極めて似ていると。そうしたら、ある日、絵里さんが「山下さん、知ってるでしょ、山下友絵。私の姉よ」と言うんです。自分の旧姓は、山下絵里、で姉は夫婦別姓だから、結婚してもそのままなんだと。でも、二人の顔は姉妹というほどそんなには似ていない。そうしたら、母親が違うからと。お父さんは同じで、画家というか美術の先生だから、二人とも名前に絵がつくんだって。そんな偶然で、僕は今、美人の山下姉妹とバイトをしている日々です。あと、絵里さんのご主人は、単身赴任でアメリカにいるみたい。未樹と出会ってたらさらにびっくりだけど、まさかね。ニューヨークみたいだし。


また、書くよ。

じゃあ、おやすみ

優斗




優斗くん

メールにある画家のお父さん、名前は何?




返信、はやいね。

名前は聞いてないんだけど

なんで?




山下良嗣かなぁ?

だとしたら、

ちょっと、知っているというか

山下さん姉妹に訊いてみてくれる?




わかった。

訊いてまた連絡する





ありがとう

おやすみ

未樹




おやすみ

優斗




 月曜日の昼休み、優斗は絵里さんと並んでいつものように休憩室でランチを食べ、他のみんなが化粧室に席を立ったところを見計らって、絵里さんに尋ねてみた。

「画家のお父さん、って良嗣って言いますか?」

「そう、なんで?知ってるの?」

「いや、ちょっと、もしかしてって、話で」

「知り合い?」

「はい、彼女が知ってるかもって」

「彼女って、アメリカの?」

「はい」

「珍しい。そんなに一般的に有名な画家じゃないわ。アメリカのギャラリーに何枚か絵はあるみたいだけど。彼女、なんで知ってるんだろうね?」

「さぁ。訊いておきます」

「そうね、教えて、理由が気になるわ」

「はい」





未樹へ


山下姉妹のお父さんは、

未樹が言う通り、山下良嗣です

なんで知ってるの?って

絵里さんが不思議がってたよ

そんなに一般的に有名ではないのに、って


優斗




そうでしたか。

実は、家の近くによく行くギャラリーがあって、

そこに、山下良嗣の作品が二枚あります。

小さな女の子を描いたもので、タイトルは、『赤い服の友絵』と、『柿の木と絵里』です。それで、もしかしてって。びっくりするような偶然、ってあるものね。

是非、絵のモデルになっている友絵さんと絵里さんに会いたいです。

春に帰る時の楽しみが増えました。

未樹





 まさか、こんな風に、未樹と山下姉妹とがつながることになるとは、と優斗はその偶然に何かの意味を見出そうと考えてみたりした。未樹と山下姉妹とが出会う必然性が実はどこかにあるのかもしれないとか、優斗のちょっとした浮ついた心持ちを誰かが正そうとしたのか、とか、さらには、この繋がりには更なる展開が待っていて、これはまだまだ序章に過ぎないのではないか、など妄想は際限なく広がる。近況報告などと言って、山下姉妹とのことを未樹に知らせなければ、春の帰国時には、二人のこれからの事だけを考えればよかったのだが、こうなってしまうと、春になってバイトを辞めて、社会人としての新しい生活が始まったとしても、優斗の周りには山下姉妹の二人のことが付いて回ることになる。それが、いい事なのか厄介ごとの種なのかは、まだ判断が付かない。遠くにいる未樹と日々テーブルの向かい側に座っている山下姉妹と、どちらが今の優斗の生活に影響を及ぼしているかといえば、やはり手の届く距離にいる二人の姉妹だった。未樹が帰国し、女性三人が一緒にいるシーンを想像してみると、一体どんな会話が交わされるのかと落ち着かない顔でただ黙って座っている自分の姿が浮かんでくる。このまま行けば、未樹と山下姉妹が会うことになるのは確実で、いまさらそれを回避する術は、優斗には思いつかない。しかし、会ったからといって何か不都合なことがあるだろうか、と開き直る自分もいる。山下さんの手を握ったことと、バイト先のみんなを騙す為に、絵里さんと交際していることにしたこと、の二点に関しては、未樹の気分を害することになるかもしれないとは思うけれども、それ以外に三人が会って困ることはない、と言い切れる。手を握ったことだって、夜道で咄嗟に山下さんを守る為にした事だし、絵里さんとの嘘の交際だって子供じみたお遊びだ。その時の心の揺れ具合を除けば、ごく日常的な出来事でしかない。優斗の心がどう動いたかを未樹が想像し、読み取ろうとするようなことはありえないというのが、とりあえずの優斗の結論だった。




 中学生の高校入試の時期が近づいてきて、山下さんは、ほぼ毎日、塾に採点にやってきていた。塾のオーナーの高畑夫妻は、試験を目前に控えたこの時期は、とにかくテストを繰り返し行い、慣れることが重要だと考えていた。いまさら、新しい知識を身につけようとしても、もう時間がない、とにかくテスト慣れることが、点数を確実に取れる最良の方法だと。よって山下さんの出番が尋常じゃなくなるのだった。訂正し正解を記すという採点ではなく、ただ何点獲得したかを早くかつ正確に生徒に伝える、という任務を課せられているのだった。優斗の目の前に座って、赤いサインペンをサクサクと気持ちいい音をさせて操っている山下さんの手元は、やはり美しく、優斗は自分の分の採点をしながらも、その手元にチラチラと視線を向けていた。

「柏田先生、集中しないと終わらないわよ」

と山下さんに言われて、ハッとする。山下さんの手元を見ながら、未樹の帰国の事を考えていた。それから、以前、夜道で繋いだ山下さんの手の感触を思い出そうともしていた。

「あっ、はい。いい音しますね」

「音?なんの?」

「赤ペンが、サクサクって」

「サクサク?あぁ、紙に擦れる音ね。サクサク、とはちょっと違う気がするけど、なんだろ」

「はまる擬音がないですね」

「サッ、と、サクッの間くらいね」

「山下さんのチカラ加減ですかね、僕のはそんなにいい音ではない気がします」

「たぶん、答案用紙がたくさん積み重なってたほうがいいんじゃない?柏田先生のとこは薄いから、ほら」

と山下さんは自分の前に積まれた答案用紙の厚みを優斗にアピールする。

「そっち終わったら手伝ってくれる?いい?」

「はい、もちろんです」

「じゃないと、またあの怖い夜道送ってもらわなくちゃならなくなるわ」

「送りますよ、いつでも」

「とにかくサクサクやりましょ」

と山下さんは採点に集中して無口になってしまった。優斗は、早く終わらせたい気持ちと、内心、山下さんを送って帰りたい気持ちとのせめぎ合いをしつつ、自分の分を終わらせ、山下さんの前に積まれた答案用紙の下半分くらいを抜き出し自分の前に置いた。

「そんなに出来る?」

「わかりません、山下さんが先に終わったら、戻しますから」

「そうして」

と、二人はまた黙って採点を進めた。

「ほんとだ、いい音します」

「でしょ」

とだけ言って、また、無言で採点をする。残りの答案用紙の枚数からすると明らかにこの前と同じく送って帰らなくてはならない時間になりそうだったので、

「どこまでやりますか?」

と優斗は尋ねてみた。

「終わるまで。送ってね、柏田先生」

と山下さんは答案用紙からチラッと一瞬視線を優斗に向けただけで、採点の手を休めずにそう言った。優斗は、「はい」とだけ答え、送っていくことが確定したので、採点に集中した。

 帰り道、優斗は二人のカバンを乗せた山下さんの自転車を押し、その前を山下さんは手ぶらで歩いた。冬の空は澄み渡り、蒼く冷たい月あかりに頼りなさは感じられなかった。山下さんは、手袋をした手をコートのポケットに入れ、顔の半分をマフラーに埋めていた。何かを優斗に向かって言ったのだけれど、口元はマフラーに埋もれていたので、何を言ったのか聞き取れなかった。

「なんて言ったんです?モゴモゴしてて聞き取れませんでした」

「寒いね、って」

「それだけですか?もっと長かったと思います」

「それだけでいいの。柏田先生、手袋ないの?」

「はい、いつもしないんです、なんか、はめてる感じが好きではなくて」

「でも、自転車乗るには必需品よ。貸そうか?」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃなさそう、真っ赤よ、ほら、冷たい」

と、山下さんははめていた手袋を外し、ハンドルを握る優斗の手の甲を握りしめた。

「うわ、あったかい」

「でしょ、だから手袋したほうが、いいって、ほら、私はポケットに手入れてるから」

と、手袋を貸してくれた

「流石に小さいです、伸びちゃいますよ」

「そうね、でも、大丈夫、いいわ」

「なるべく伸びないように、あんまり深くはめないようにします」

「ありがと」

と、また山下さんは自転車の前を先に歩き始めた。

「このまま真っ直ぐだと、またあの道ですよね?」

「そう」

「行くんですか?」

「迂回する道は、こっちからだと急な登りよ、そっちいく?」

「いや、平坦な方がいいです」

「自転車もあるし、怖くなったら二人乗りで逃げよう」

「はい、わかりました」

この前の路地に差し掛かると、山下さんは

「やっぱり、怖いね」

と言い出し、

「自転車漕いで、後ろに乗るから」

と、後ろの荷物置きに横向きに飛び乗り、優斗の腰に抱きついた。

「早く!」

と山下さんに急かされるのだけれど、二人乗りだと、そんなに急に加速はできず、走った方が早いと思える速度で不気味な路地を走り抜けた。

「このままウチまで行っちゃって」

「警察とか見回りしてません?」

「こんな時間にお巡りさんいるの?」

「こんな時間だからいるんじゃないですか?酔っ払いとか、こうやって二人乗りする人達が現れるから」

「そういうもの?」

「たぶん」

「じゃあ、降りる、手も冷たいし」

「ですよね、手袋僕がしちゃってるし、すいません」

と、また前を歩く山下さんを追いかける形で優斗は自転車を押しながら歩いた。山下さんは、振り向いてまた何か言葉を発したようだったけれども、さっきと同様にモゴモゴして聞き取れない。

「また、モゴモゴしてます。なんて?」

山下さんはマフラーを顎の下まで引き下げて、

「今日ね、ウチに絵里が来てるの、寄っていく?」

と言う。思いもよらない質問に優斗は答えに窮する。

「この前、三人で会えなかったし、どう?」

「いや、でも、こんな時間だし、今日は」

「ウチは大丈夫よ、旦那さんもいないし」

「はい、でも」

と言っていると、山下さんの家の前に着いていた。この前の絵里さんの話を聞いた後では、どんな顔をして三人でいればいいのか、想像できなかったので、

「ほんとに、今日は、帰ります、ありがとうございます。お疲れ様でした」

と自転車を山下さんに返して、優斗は逃げるように不気味な路地の迂回路の坂道を下っていった。

「お疲れ様ー」

と山下さんの声がしたので振り返って手を振ろうとしたら、その手には、山下さんの小さい手袋が窮屈そうにはまっていた。



つづく。




by ikanika | 2020-04-08 12:27 | Comments(0)


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