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「森の十字路」⑶

 未樹に返事を書こうと思い、再度メールを読み返す。なぜ留学する必要があるのかと、何度も尋ねては納得のいかない時間を過ごしていた時のことを思い出す。未樹が学びたいことがあるということを、優斗自身無理やり納得させて、空港で見送ったのだった。それを今になって、選択が誤りだったかもしれないなんて言われても、どう返信をしたらいいのかわからない。「会いたい」と言われて嬉しい気持ちよりも、なんだか釈然としない気分の方が先に立つ。だったら、いかなければ良かったじゃないかと、未樹が言われたくない言葉が頭をめぐる。未樹の手をひいて一体どこへ導いていけばいいというのだろうか。お互いの進むべき道なんて、優斗にもわからない。来年の四月から社会人だと言われても、それはただ時間が経過することと同じくらい、そういう流れになっている、という感覚でしかない。いくつもの選択肢から、自らの判断で進むべき道を決めたというようなことだとは思えなかった。




未樹へ


 会いたい気持ちは、僕も一緒です。君がいない日常は、アルバイトと僅か二コマの授業で過ぎていきます。塾のバイトも図書館のバイトも主婦の方々に囲まれて、ちやほやされています。最近、同じ夢を繰り返し見ます。頼りない月あかりの中を、平坦で真っ直ぐにどこまでも続く道を僕は歩いています。途中、急な上り坂との分かれ道があるのだけれど、僕は平坦な道を選びます。わざわざ、上り坂をいくこともないかと。でも、歩き始めるとその平坦な道はいつまでも終わらないのではないかと思えてきます。ゴールのない、ただ真っ直ぐな道です。僕は誰かに手をひいて正しい道へ導いてくれないかと思い始めて、夢は終わります。その手が、君の手であったら良いのに、と思いながら。

僕も、未樹と同じです。自分が進んでいる道が正しい選択だったのかなんて、わかりません。ただ日々は流れていきます。僕らが離れて過ごした時間は、もう過ぎて行ってしまった時間でしかありません。やり直したり、取り戻したりできるものではありません。残念ながら。君の言うように、その選択がこれからの僕らにとってどんな影響があるのかは、僕にもわからない。ただ早く春が来て、君がいる東京で新しい生活が始まることを想像して、なんとか毎日を過ごしています。君と手を繋いだ時の感覚を忘れてしまわないうちに帰って来てほしいと思っています。いま深夜の三時前です。これから、寝ます。また、頼りない月あかりの道を歩いている夢を見るかもしれません。その時は、手を握って正しい道のゴールまで導いてくれると嬉しいです。


おやすみ

優斗




 優斗は、夢の中で手を繋いだのが未樹ではなかったことは、ずっと秘密にしておこうと思った。相手が絵里さんだというのは、ただ、一緒に過ごしている時間が長いというのがその理由だと考えるようにした。未樹の代わりに、自分の心の中に他の女性の居場所が出来たなんていうことは、あってはならないことだと考えていた。ただ、あの夢以来、図書館で会う絵里さんの存在に必要以上に気を取られている自分がいる。たとえば、爪の色や髪の香り、普段ならば、あえて気に留めない些細な仕草などに優斗の意識は持っていかれるようになっているのだった。

 月曜日、図書館に行くと、普段と少し違った空気が流れていた。何かあったのだろうかと、廊下で絵里さんに会ったので尋ねてみた。

「倉庫の横の給湯室の水道が壊れて、倉庫に置いてあった本が濡れてダメになっちゃったみたい。土日の休みの間に」

「倉庫の本って、今度のイベントで並べるやつですよね?」

「そうね、どうするんだろう、イベント」

チーフは、優斗の姿を見つけると、駆け寄って来て、

「ちょっと、運ぶの手伝って。とりあえず濡れちゃった箱を外に出すから」と相当、慌てていた。台車を使って何往復かして、濡れてしまった本を運び出したけれども、一度濡れてしまった本はもう処分するしかないと判断され、とりあえず、駐車場の脇に積み重ねられた。すぐに水道管の工事は終わり、昼前には何事もなかったように主婦たちはいつもの仕事に取り掛かっていた。ただ週末のイベントの担当になっていた絵里さんとチーフだけは、その対応に追われていて、深刻な表情で電話のやりとりや、来客の対応に追われていた。イベント自体は結局、中止になり、その日は通常の業務が終わってもチーフと絵里さんだけは残り、中止に伴う後処理をすると、終礼でみんなに説明があった。終礼後、優斗はチーフに呼び止められ、相談を持ちかけられた。

「優斗くん、今週さ、どこか出られる日ないかな?本の片付けをしなくちゃならなくて、大江さんと僕だけじゃ手が足りなくて。どう?」

「火曜日と木曜日は、塾のバイトなので駄目なんですけど、水曜と金曜なら来れます」

「そう、じゃあ、お願いしていいかな?細かなことは大江さんと打ち合わせしてくれる?ねぇ、大江さん、いい?優斗くんとお願い。水曜日と金曜日に来てくれるから」

とチーフが絵里さんに声をかけると席を立って、

「お願いします」

と軽く首を傾げ、少しだけ微笑んだように優斗には思えた。絵里さんとの打ち合わせの間、優斗はボールペンをもつ絵里さんの手元をぼんやり眺めて、その動きや爪の形が山下さんにそっくりなのに気づいた。今いる場所が図書館のメンテナンススタッフの部屋ではなく、塾の狭い控え室であるような錯覚に陥っていた。

「優斗くん、聞いてる?」

と絵里さんに言われて、ハッとする。

「メモしなくて大丈夫?リストに印するとかくらいしないと忘れない?」

「あっ、はい」

「もう、明後日にしようか?朝から来れるの?」

「はい、いつもの時間に」

「じゃあ、一緒にチェックしながらやるから、よろしくね。今日は終わり」

と、絵里さんは帰る準備を始めた。途中の駅まで、一緒に帰ることになって、二人で駅までの道を並んで歩いた。

「優斗くん、塾のバイトって、どこでやってるの?」

「家の近所です。ほんとに小さな個人経営の」

「それってもしかして高畑塾?」

「知ってるんですか?高畑塾」

「やっぱり」

絵里さんは、優斗の顔を意味ありげに覗き込む。

「山下って、知ってるよね?」

「山下さん?」

「山下友絵」

「はい」

「それ、私の姉」

「えっ、お姉さん?」

「私は、旧姓、山下絵里」

「でも、山下さん、結婚してますよね?」

「別姓のままみたい。旦那の希望で。私も旧姓のままのが、よかったなぁって、大江絵里よ。言いづらいしカタカナで書くと変でしょ、オオエエリ」

「確かに。びっくりだなぁ。でも、姉妹かぁ」

「どうしたの?なんかがっかりしたような言い方」

「いや、なんか似てるなぁ、って時々感じていて」

「そう?全然顔違うけど」

「いや、爪の形とか、仕草とか?」

「爪?」

「はい」

「なんか警察か探偵みたいね、そんなとこ見てたの?」

「まぁ、この前ずっと塾で山下さんと一緒に採点してたので、ボールペンを持つ手元が記憶に残ってて、さっき絵里さんの手元を見ていたら、なんか一緒だって思って」

「なるほど。それだけ?」

「それだけ?他に何か?」

「なければ良いの」

優斗は、山下さんと手を繋いだ時の話は触れずにおいた。絵里さんと繋いだのは、夢の中であった訳だし。

「絵里さんと友絵さん、ってどっちも絵がつくんですね」

「そう、よく気づいたね。父が絵描き、というか美術の先生だったの。中学校の。それで」

「よく会うんですか?山下さんと」

「たまにね。旦那さんが出張でいない時とかお姉さんずっと一人になっちゃうから」

「確かに。ツアーですもんね」

「聞いてるの、その話?」

「はい、この前、帰りが遅くなった時に、ご主人何してるんですかって」

「そう。私には聞かないの?」

「あっ、そうですね。ご主人は?」

「アメリカ」

「アメリカ?」

「そう単身赴任中」

「僕の彼女もです」

「アメリカ?」

「はい、サンディエゴに」

「ウチのはニューヨークよ」

「西と東ですね」

「淋しくない?彼女と離れて」

「慣れました、やっと」

「やっと、って初々しいね。ウチは居なくて楽チン」

「そういうもんですか?」

「私はね。一人も好きみたい。最初は、単身赴任ってきいて、淋しくなるかなぁって思ったけど、そうでもなかったの。今はメールとかスカイプとかあるし、アメリカだろうが、どこだろうが距離は感じないでしょ。もう来年帰ってくるし。二年限定だから」

「彼女も来春帰って来ます」

「そう。優斗くんは就職でしょ。彼女は?」

「よくわかりませんけど、また大学に戻って、大学院に行くかもとか前は言ってました」

「その方が距離ができるかもね。社会人と学生の方が危ないよ」

「危ない?」

「環境が変わるもの。学生の感覚とはやっぱり違ってくるものよ」

「絵里さんもそうでした?」

「そうね、学生時代に付き合ってた人とは就職したら別れたわ。なんか周りの環境が変わると共感できるものっていうか、共有できるものが違って来てしまって、なんか違うなぁって気持ちになって。お互いにだと思うけど。だから仕方ないって思えるものよ。今は、会いたいでしょ?」

「はい」

「彼女も会いたいって言うでしょ?」

「はい」

「そういう風に思っている間に結婚とかしちゃえばいいんだと思うけどね」

「いや、まだ結婚とかは」

「普通はそう考えるわよね、わかる。でも、それもありよ、たぶん」

「そうなんですか?」

「あっ、もう次で私は降りるから」

「そうでしたね」

「お疲れ様」

「お疲れ様でした。明後日、行きますので」

「はーい。じゃあね」

と絵里さんは、電車を降りた。





「この前は、ありがとう。無事に帰れた?」

と山下さんは、先に控え室で採点を始めていた。この前の夜に、手を繋いで、というか送って帰ってから今日が初めて会う日だった。何か二人の距離や関係性に変化を感じたりするかもしれないと想像して来たけれど、山下さんはいつも通りの山下さんで、さっきまで家で寛いでました、というようなラフな格好でボールペンを握っていた。それでも、ハッと目を引く雰囲気があるのが不思議だった。

「はい、帰りの道は大丈夫でした」

「そう、よかった。今度はもうあの道は通るのやめようね」

と山下さん言う、今度、という言葉に何か意味を想像してしまうのは、考えすぎだろうかと、優斗は返事をせずにただ山下さんをぼんやり見つめていた。

「何?なんかついてる、髪とか変?何?」

「いや、ついてないです」

「また、すっぴんだ、こいつ、とか思ってる?」

「いや、そんなことは」

「早く始めなよ、採点。また遅くなっちゃうよ」

と言われて、その方がいいなぁ、と内心思いながら、山下さんの向かいに座った。しばらくは、おしゃべりをしないで、黙々と採点を続けた。山下さんが、急に

「休憩!」

と言い放って、ボールペンを置いてお茶を入れに席を立った。優斗の分も持って戻ってきて

「絵里から聞いたよ」

と、優斗の顔を覗き込む。

「あっ、はい、そうなんです。図書館で。一緒で。妹さんと。びっくりしました。絵里さんが。まさか」

と優斗は文章にならない言葉をただ並べていた。

「あの子、可愛いでしょ、小さくて」

「はい、大学生みたいです。同じクラスにいてもおかしくない感じです」

「そうよね。私と母が違うの」

「えっ、異母姉妹ということですか」

「そう。私の母は、私がまだ三歳だった時に亡くなったの、病気で。だからほとんど記憶にないんだけどね。絵里は、再婚相手の子供。父は絵描きって聞いてるよね?」

「はい、美術の先生をしていたと。でも、お二人、似てますよね。仕草とか、爪とか」

「爪?」

「はい」

「そんなとこ見てたの?」

「目の前でずっと採点しているんで、自然と目に入って記憶してしまったんです、きっと。この前、絵里さんの手元を見て、そっくりだと思いました。ペンを持って何かを書いている仕草とか」

「そう、父の血が強いのね、きっと。手を繋いだ感じも一緒?」

「手を?」

「冗談よ。絵里の手を握ったことなんてないでしょ」

「あっ、はい」

「まかさ、あるの?」

「ないです」

と言いつつ、夢ではあります、と心の中で呟いてみる。

「実は、明日も図書館のバイト行くんです。ちょっとアクシデントがあって、絵里さんとその残務処理を一緒にやります」

「それは、ご苦労様。山下姉妹漬けの毎日ね」

「光栄です」

「じゃあさ、今度、絵里のウチでご飯食べる時一緒にいこうよ。絵里は料理上手なのよ。私は駄目だけど」

「是非、ありがとうございます」

と言ってみたものの、こんなに二人と仲良くなってしまって大丈夫なのかと、なぜだか少し心配になる。未樹に何をどこまで報告すべきなのか、もうすでにわからない。



つづく。





by ikanika | 2020-04-06 12:25 | Comments(0)


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