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「森の十字路」⑵

 夢の中では、また頼りない月あかりの中を歩いていた。しかし、今度は誰かと手を繋いで導かれるように。その手の温もりのお陰で、先々の不安は消えていて、どこまでも続く真っ直ぐな夜道も誤った選択ではないと思えていた。優斗は、その手の正体は当然、未樹だと思って繋いでいたのだけれど、月あかりにぼんやり見えるその手の主は、どうやら未樹ではなく絵里さんのようだった。それに気づいた優斗は、未樹に隠し事をしているという後ろめたさを感じつつも、絵里さんと繋ぐ手を離すことが出来ずにいた。目が醒めると、もう昼を過ぎていた。手には、まだ夢の中で繋いでいた絵里さんの手の感触が残っていた。実際には絵里さんの手を握ったことなどないので、その感触は単なる妄想なのだけれど。寝ぼけた頭で今日の予定を考える。昨日は、図書館に行ったので、今日は火曜日。ということは夕方から塾のバイト。中学生は期末試験が近いので、模擬テストをやることになっていたことを思い出す。ということは、山下さんも採点に駆り出されているはずだった。いつも優斗が一人で占領している控え室に、山下さんも採点の為のスペースを作るので、狭い密室に二人きりになる。たまにしか顔を合わせないので、ついついお互いにおしゃべりをしてしまい、時々オーナー夫妻に注意されてしまう。「おしゃべりばかりしてないで、手を動かしてください」と。夕方までの時間をどうしようかと思案しながらベッドから抜け出せずにゴロゴロしてスマホのメールを開く。明け方に未樹から長いメールが届いていた。ベッドに寝転んだままそのメールを読み返す。




優斗くん、こんにちは。

 今日は本を読みました。久しぶりに日本語の本です。半年に一度、姉がオススメの小説を何冊かまとめて送ってくれるのです。有名な作家のものもあれば初めて読む作家のものもあって、何が届くのか、いつも楽しみにしています。今、読み終わったものは、初めて読んだ作家のものです。その中に、こんな会話のやりとりがありました。


「私はね、いろんな岐路があったとして、どこかの道を選んで進んだとするじゃない、でもそれは自分で選んだように思えるけど実は自分が選ばれただけだと思っているの。自分の意思とか希望とかではなく。

あなたは、ほんとうに自分で選んできたって思える?」

「そのつもりだよ」

「でも、きっと、ここにいるのは、選ばれたからよ。選んできたんじゃなくて。次にどの道を行くかは、自分では決められないわ。世界はそういう風になっていると思うの。私がここにいる理由だって正直全然わからないわ。ただ私なりに生きてきた結果としていまはここにいるの。思うんだけど、自分では気がつかないほんの些細なことにも選択肢があるの。ごく普通に日常的にやってきたことにも本当は全て選択肢があって、でも、そのひとつひとつを選んできたなんて思えないの。選択っていうとなんだかとても大きな決断みたいだけれど、そういうんじゃなくて、上手く言えないけど。そういう些細な物事を自分の意思でひとつひとつ選んできたって言える?」

「仮にそうだとしても、それでもいいと思う。いきなり全ての選択を自分でしろって言われても難しいし。でも、少しは自分で選んできたって思いたい。それできっと何かが変わるはずだよ」


 私、ちょっと、ドキッとしたの。今、私がこうして一人でアメリカに来たのは、本当に自分で選んだ道なのかなって。この人の言うように、本当は自分の意思で選んだわけではなくて、ただそういう風になることになっていた、というだけなのかなって。なんで優斗くんと離れてここに来る必要があったのか時々わからなくなる瞬間もあるし。勉強したいと思っていたことは、本当に望んだことなのかどうか、って。でも、もうこうして何ヶ月も優斗くんに会えない時間を費やしてしまっているので、それに見合うなにかを得て帰らないと、意味がないなぁと思って頑張っています。いま、優斗くんは、どんな時間を過ごしていますか?私のことを時々でも考えてくれたりしますか?正直、不安な気持ちになることがあります。自分の選択が正しかったのかどうか。本当に自分が選択したとしたら、この道を歩いていなかったのかもしれないと。この先、日本に戻ることにはなると思うけれど、いま優斗くんと離れてしまっているこの時間が何か取り返しのつかない結果に繋がっていくんじゃないかって不安に思ってしまいます。なんでそんな風に考えてしまうのか自分でもよくわからないんだけどね。私が帰国する時には、優斗くんはもう社会人なんだと思うと、ひとり取り残されてしまったようにも思います。私は、本当は誰かに導いて欲しいと思っているのかもしれません。歩むべき道を誰かに手をひかれて歩いて行きたいんだと。その手が、優斗くんだったらいいのにな。


おやすみなさい。

未樹





 「その手が、優斗くんだったらいいのにな」という未樹の言葉を何度も読み返して、さっきまで残っていた絵里さんの手の感触を忘れようとしてみたけれど、握り合った手の感触はなかなか消えずに居座り続けた。


 塾の模擬テストの採点は思いのほか時間がかかった。特に英語は記述式の問題が多かったので、スペルを確認し、正しい答えを記してあげるという手間のかかる作業だった。中学生の筆記体のスペルは、相当癖のあるものが多く、本人が何を書きたかったのか、というところまで踏み込んで見ていかないとフェアな採点ができないのだった。普段は英語の採点はしない山下さんも、優斗があまりにも手間取っていたので、自分の採点が終わったら手伝うと言ってくれた。すでに、夜の十時近くになっていたので、

「旦那さんとか、大丈夫ですか?」

と一応聞いてみた。

「今日は、泊まりの出張でいないから平気」

と、さらりと答えが返ってきた。

その質問をキッカケに、二人のおしゃべりがまた始まった。

「山下さんの旦那さんって、何してる人ですか?」

「エンジニア」

IT系ですか」

「違う。PAよ」

PA?」

「あっ、わかんないかPA。コンサートとかでさ、おっきなテーブルみたいのにたくさんのツマミがついたやつわかる?あれを弄るの」

「わかります、あのPAかぁ。じゃあ、有名なアーティストとかのツアーとかにも行くんですか?」

「そうね、大体、担当している人は決まっているみたいで、基本、その人のコンサートにはどこにでもついていく。だから今夜は、名古屋」

「ちなみに誰のコンサートですか?」

「佐野元春」

「へぇ、知ってます」

「でも、柏田先生の世代だとあんまり聞かないでしょ?わたしも、ちょっと世代が違うけど、旦那がやってるから聞くようになった感じ」

山下さんは、優斗のことを柏田先生と呼ぶ。オーナー夫妻は、優斗くんと呼ぶのだけれど、山下さんは頑なに、柏田先生だった。一度、「優斗でいいですよ」と言ってみたら「生徒さんたちが聞いているかもしれないから、先生の方がいいでしょ」ともっともな回答をされたので、それ以来、柏田先生と呼ばれることをすんなり受け入れた。

「山下さんは、結婚して先生を辞めたんですか?」

「うんん、違うわ、結婚は関係ないの。だってツアーに出てしまうと一ヶ月とか帰ってこなかったりするし、私が仕事をしていても、全然問題ないし」

「じゃあ、なんでですか?」

「合ってなかったのかな、先生」

「そうなんですか?」

「うん、子供たちは好きだったんだけど、父兄というか、親御さんたちとのやりとりがうまくできなかったから」

「モンスターペアレント?」

「まぁ、そういう言葉もあるけど、もともと人付き合いが得意じゃなかったし、本当は大学に残って研究者とか、論文を黙々と書いたり、そういう感じになりたかったの。でも、ちょっと先生やりながらでも、研究というか勉強もできるかな、とか考えて。子供も好きだったし。でも、違った。先生って、授業以外の雑務が山ほどある世界なの。それはなってみないとわからなかったわ。親御さんとのやりとりもその一つだけど。だから、すぐに辞めた。体調を崩したっていう理由でね」

「病気に?」

「なってないわ、本当は。でも、あのまま続けていたらきっと、病んでたと思うの。だから、辞めて正解」

「柏田先生は、内定してるんでしょ?」

「はい、一応」

「どんな会社?」

「出版社です、小さな」

「へぇー、でも、出版業界も大変そうよね」

「みたいですね、でも、僕が行く会社は、かなりニッチなジャンルの本しか出さないようなので、もともとパイが小さい世界でやってきたから出版不況とか以前の問題だと、面接のとき言われました」

「大丈夫?そこ?」

「はい、大丈夫ですよ、小さければ小さいなりの生き残り方があると、社長さんは笑っていましたから」

「そういうものかもね」

「はい、これからは、小商いだと」

「コアキナイ?」

「小さな商売ってことです」

「あぁ、その商いね。柏田先生、よっぽど本が好きなのね、図書館でもバイトしてるんでしょ?」

「はい、月曜日だけ」

「楽しい?」

「はい、たくさんの主婦に囲まれて」

「そうなの?」

「はい、僕以外は、みんな人妻です」

「あー、気をつけてね」

「何をですか?」

「何って、あれよ、ハニートラップというか、誘惑」

「そんな感じでもないですよ、まぁ、冗談半分で、言い寄ってくる感じのことはありますけど、みなさん本気じゃないですよ。僕も彼女居ますし」

と言いながら、昨夜の未樹のメールと、絵里さんの夢を思い出す。

「でも、綺麗な奥さん、っているでしょ?」

「います。でも、いつも思ってたんですけど、山下さん、って女優さんに似てる人いますよね?名前が出てこないんですけど、よくトレンディドラマに出てた」

「誰?言われたことないわ」

「なんだっけな、思い出せないですけど、その女優さんに似てますよ、だから美人だなぁって」

「何それ?私が?」

「はい。いつも、すっぴんぽいですけど」

「ここに来るのに、バッチリメイクはしないでしょ」

「でも、美人の片鱗は伺えます」

「ありがとうございます」

おしゃべりをしながらでも、採点は進み、ほぼ終わりが見えてきたので、山下さんには先に帰ってもらおうかと思って、時計を見るともう十一時半をまわっていた。

「山下さん、こんな時間なんで、もう、大丈夫です。あとは、一人で出来ます」

「ここまでやったら、一緒よ、最後まで付き合うわ」

「本当に大丈夫ですよ」

「いいの、旦那も居ないし」

そこにオーナーの奥さんがお茶を持って来てくれて、

「友絵ちゃん、まだ大丈夫なの?」

と心配そうに尋ねる。山下さんは、

「はい、主人は出張でいないんです、だから」

「そう。優斗くん、帰りは友絵ちゃんのウチまで送ってあげてね、夜道は危ないから」

と奥さんに言われたので、

「はい、そのつもりです。たくさん手伝ってもらいましたので」

と答えた。

「じゃあ、ここの電気だけ消して帰ってね」

と奥さんは、自宅である隣の母屋に戻って行った。

「私、一人で帰れるから大丈夫よ」

「いや、送ります」

「だって、自転車よ、私。柏田先生は?」

「マラソンで並走します」

「坂道よ」

「平気です、無事を見届けますので」

「そう、ありがとう」

「もう、出れますか?」

「大丈夫よ」

山下さんは自転車の鍵を外して、サドルにまたがると、

「あっ、」と言って止まった。

「何か?」

「パンクしてる、後ろ」

「あっ、ほんとだ」

「来る時は大丈夫だったのに、なんで」

「いたずらですかね」

「もー、どうしよう。押していくのも重いのよ、電動アシストだから」

「僕が押しますよ」

「無理、ほんと重いから。もう、今日は置いて帰る」

「ここに?」

「そう、だから、歩きで帰る。三十分くらいで着くわ」

「送ります」

「ありがとう、さすがに一人歩きは怖いわ」

山下さんの家は優斗のアパートのある方とは反対方向になるのだけれど、構わず歩き出した。街灯もまばらで、月あかりに助けられて歩く感じになった。住宅街に入るとさらに街灯が減り、月あかりも頼りなくなってきて、山下さんは、後ろの暗闇を振り返り、

「いつも、この辺、嫌な感じなの、昼間でも」と呟く。

「何がですか?」

「なんかあるじゃない、へんな雰囲気というか、淀んだ空気が漂ってる路地みたいなとこ」

そう言われると優斗もなんだか、誰かに見られているような気配がして、山下さんの手を握り、小走りで路地を走り抜けた。山下さんも繋いだ手を強く握り返して、優斗と一緒に玄関の前まで走った。

「ありがとう、なんだったんだろうね、あそこ」

「はい、誰かに見られてる感じがして」

「確かに。柏田先生、帰りは、こっちから降りて行って。少し遠回りだけど、街灯も明るいから」

「わかりました。さすがにあそこを一人で通る気にはなりません」

「ほんと、ありがとう、気をつけてね」

と山下さんは、手を振った。優斗も、同じように手を振り、言われた方向に坂を下った。さっきまで繋いでいた山下さんの手の感触は、なぜか夢の中の絵里さんのそれと同じように感じた。


つづく。


by ikanika | 2020-04-05 11:03 | Comments(0)


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