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「森の十字路」⑴

 月あかりを頼りに、夜道を歩く。ふらつく足元に冷気がまとわりつく。この先に安らげる場所があるはずだと思って、なんとか歩みを進めてみるけれども、本当のところは、止めてしまいたい。もうその先には何もないのだと誰かが証明してくれたらどんなに楽かと思う。その誰かが君であったら尚一層、楽になる。与えられた選択肢はこの道か、もう随分前に通り過ぎてしまった急な登り坂しかなかった。敢えて登り坂を選ぶ必要もないだろうと、この平坦な真っ直ぐに伸びる道を選んだのだった。終わりの見えない直線の道を。選択を誤ったと結論を出すにはまだ早いのかもしれないのだけれど、頼りない月あかりの下では、誰しもがそう思っても仕方がないはずだと、言い訳を考えている。そして、目覚まし時計が鳴る。夜道を歩くことから解放されてホッとするのも束の間、押し黙って歩く駅までの道と、その先の満員電車を想像して、まだ夜道の方がマシだ、と優斗は悪態をつく。スマホのメールをチェックする。真夜中に未樹からメールが届いている。恐らく向こうでは昼休みに当たる時間帯に。他愛のない話題が毎日、連載のコラムのように律儀に届く。いつしか、それを読みながらコーヒーだけの朝食の時間を過ごすようなった。未樹の学校が休みの日には、違った時間帯に届くこともあるのだけれど、大抵こっちが寝ている間に届くので、すぐに返信をしなくても大丈夫なのが優斗には救いだった。未樹が敢えてそうしているのか、ただメールが送れる時間がそこに限られるからなのかは知らない。彼女がどんな環境で暮らしているのかという詳細は、聞かないようしている。知ってしまえば、具体的な様子が想像出来てしまい、要らぬ妄想をしてしまうのではないかと思ってのことだった。アメリカに留学をしたいと思っているという話は付き合い始めた最初の頃に聞いていたのだけれど、実際に留学をすることになるのは随分先の話だと思っていた。しかし大学の三年間は、これといって何も身に付かないまま月日が過ぎていって、未樹は三年生の冬が終わる頃に、渡米した。なんであんな下品で傲慢なトップがいる国に行きたいのか、正直理解できなかったけれど、未樹は未樹で、学びたいことがあるから、とその目的を曲げなかった。

「行くことにしたから」と未樹はコーヒーのカップを両手で包みながら言った。何のことを言っているのか最初はわからなかったから

「どこに?」と反射的に答えた。

「アメリカ、留学」

しばらく言葉が出てこなかったのだけれど、黙っているわけにはいかなかったので

「やっぱり行くんだ」と、優斗は、今思えば相当に沈んだトーンで言ったのだった。

「うん、ごめん」

「別に、あやまることないけど」

「けど?」

「なんか、暇になっちゃうな、って」

「優斗は優斗で、私がいたら出来ないこととか、自由にできるよ、だから」

「そんなこと、別にないよ。一年だよね?」

「そう。みんなが卒業する春に帰ってくる」

「そっか、もう卒業かぁ」

「うん、だから、ちょっと、なんか、ね」

「なんか、なに?」

「取り残される、っていうか、不安っていうか」

「大丈夫だよ、未樹は」

「なんで?」

「なんとなく、そう思う。僕の方こそ、どうするか決めないと、就職」

「出版社でしょ?」

「まぁ、でも、それでいいのかなぁ、よくわかんないよ、なんとなくそう思ってるだけだから」

 留学のことを伝えられた日は、そんな曖昧な会話しかしなかった。しなかったというよりは、出来ななかったという方が正しいかもしれない。本当は、もっと言いたいことがあったはずなのだけれど。



 優斗は早々に内定も決まり、四年生では授業も二コマだけ取れば卒業はできる状態だったので、毎日時間を持て余していた。未樹がいれば、二人でいろんなところに出かけたりもしただろうが、一人でどこかへぶらぶらと出かける気にはならなかった。週に三日だけアパートの近所の学習塾で中学生に英語と社会を教える講師のアルバイトをして、月曜日だけは、都心にある公立の図書館で本のメンテナンスの手伝いをした。大学の友人の多くは飲食店やネット関係の会社でアルバイトをしていたけれども、同世代との付き合いが面倒だったので、敢えて世代の違う人たちに囲まれるバイト先を選んだ。近所の塾は個人経営なので、六十代の夫婦がほぼ全教科を教えていて、時折、三十歳くらいの元先生という主婦が採点の手伝いなどに顔を出していた。山下さんというその主婦は、昔よくトレンディドラマに出ていた女優に似ていると思うのだけれど、ほとんど化粧もせずに、家事の途中で手伝いに来ましたという風情で登場するので、だれも、ほんとうは美人だということを意識していない。図書館もさらにたくさんの主婦に囲まれた職場だった。本のメンテナンスのスタッフ部屋には、だいたい二十人くらいの主婦がいて、気安いおしゃべりをしながら傷んだ本を綺麗な状態に直していた。よく見ると相当に難しい作業をしている人もいるのだけれど、手元をよく見ない限り、単純な内職をしている主婦という風にしか見えなかった。男性は、そこのチーフと優斗の二人だけで、チーフは多分五十代なので、二十代の若者の優斗は、主婦たちから専ら力作業の人員としてあてにされている。確かに、職人並の技術を要する本のメンテナンスは、優斗にはできそうになかった。それでも、手が足りない時は、簡単なメンテナンスの作業をやらされるのだけれど、教えてくれる役目の主婦たちは、文字通り手取り足取り教えてくれる。扱うものが本なので、手元で細かい作業をすると指導役の主婦と必然的に必要以上に接近して教えてもらうことになる。よって、教える役目に当たらなかった他の主婦の視線がバチバチ飛んでくるのを感じながら作業をすることになるのだった。とりわけ、絵里さんという職場一の美人と言われている奧さんとの作業になった時には、職場中の視線が優斗と絵里さんのツーショットに注がれることになった。優斗と絵里さんがどうこうなるとか妄想でもしているかのようだった。確かに、絵里さんみたいな美人の奥さんとの作業は楽しいということは否定はしないけれども、それ以上の関係を持つことなんて優斗は想像したこともなかった。一度だけ帰りの電車が絵里さんと一緒になって、途中の駅まで話をしながら帰ったことがあった。どうやらその姿をだれか他のスタッフが目撃していたようで、あらぬ妄想はそれから湧き出たもののようだった。絵里さんは、そんな妄想も噂も全く気にしていないようで、朝、廊下ですれ違うと「優斗くん、おはよう」と、わざと周りに聞こえるくらいの大きな声で呼びかけてくる。優斗は、正直恥ずかしい気持ちもするのだけれど、そんな風に元気に声をかけられると、満員電車でげんなりしていた気分もなんとなく晴れてくるように感じるのだった。



 未樹から真夜中のメールが、三日届いていない。いままでそんなことは一度もなかったので心配になって、こっちからメールを入れてみた。「元気?大丈夫?」とだけ。さすがにすぐに返信があるはずもなく、四時間後くらいにメールの受信を知らせる音が鳴る。






優斗くん、

メール出来なくてごめんなさい。

色々あって少しナーバスになっていたみたい。

でも、大丈夫。

あぁ、でも、優斗くんに会いたいです。

また、メールします。

ありがとう。

おやすみなさい。




 未樹からのメールは、具体的なことは何も伝えてはこなかったので、優斗はますます心配になる。「会いたいです」なんていう言葉が未樹から出てきたのは初めてかもしれなかった。この次にどんな内容のメールを返したらいいのか、わからない。また未樹からコラムの連載のようなメールが再開してくれれば心配もやわらぐのだろうけれど、果たしてそんな風にすぐに元どおりになるものだろうか。返信の言葉が見つからないまま、その日は眠りについた。


つづく。


by ikanika | 2020-04-04 10:20 | Comments(0)


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