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揺らぐポートレイト  連載第三回

 七瀬さんの顔は、やはり雪仁の記憶にはなく、しかし、紛れもなくプールで見たクロール美人は、彼女に間違いないと思いながら二人の会話を聞いていた。

「雪仁、香津海だよ、覚えてる?七瀬さん」

「うん、お久しぶりです」

「こんにちは」と七瀬さんは、また小さな声で言った。こんなに小さな声で話す子だったろうかと、記憶を辿ってみるけれども、当然何も思い出せない。

「ということで、いいよね、雪仁」と美苗が言ったのだけれど、その前の会話を全く聞いていなかったので、適当に、

「うん、いいよ」と答えてみたら、どうやらこれから七瀬さんはうちに来て一緒にご飯を食べるという話になっていたらしい。

「ネバネバ素麺だけど、いいの?」と二人に聞くと、美苗が

「素麺、大好きだって」と答えて、七瀬さんは横で頷いていた。二人は車の後部座席に座り、ずっとおしゃべりをしている。聞こえるのは美苗の声ばかりで、時折、七瀬さんの声が聞こえるのだけれど、やはり小さな声なので内容までは聞き取れない。家に着くと、とりあえずビールで再会を祝い乾杯をした。雪仁は、冷蔵庫にあるものをかき集めてつまみをつくりながら、いつまでも続く女子トークを聞くとはなしに聞いていた。ネバネバ素麺が出来上がったので雪仁も一緒にテーブルに着いた。

「いただきまーす」と、すでに散々つまみを食べているのに美苗は元気に言って、七瀬さんにも、「どうぞ食べて」とすすめ、「わたしがつくったんじゃないけどね」というお決まりの一言を付け加える。

「でね、香津海、メール送ってないって」

「そう、じゃあ、広瀬さんとも結婚してない?」

「誰ですか、広瀬さんて?」と七瀬さんは小さな声で質問した。

「メールアドレスがね、ktmhrs76だったの、でね、そのアルファベットは、母音抜きだって雪仁が言うから、ktmは、カツミで、hrsはなんだ、ってことになって、ヒロセじゃないってことになって、つまり、七瀬香津海は、結婚して広瀬香津海になったんだよって妄想してたの」と美苗が説明した。

「すごい推理ですね。でもひとつあってます。アドレス、わたしも母音抜きです。ktmnnsです」

「ほんと?すごい」

「ほら、母音抜きって、よくやるよね?」

と雪仁が七瀬さんに同意を求めると

「はい」とまた小さな声で答えた。

「そうなの。あたしは知らなかった。そういうの、雪仁から聞くまで。じゃあ、あたしは、mnkしかないよ、母音抜きしたら。飯岡美苗」

「美苗みたいな名前の場合は微妙だね」

「微妙っていうか、そこから名前推測できないよ、絶対。飯岡なんて、kだけだもん」と言うと、七瀬さんのツボにはまったようで、顔を真っ赤にして笑いをこらえていた。

「じゃあ、誰だろうねメール。もう組み合わせ考えるの無理。ktmhrsは、ヒロセカツミしか考えつかない」

「まぁ、放っておけばいいよ。あれからメール来てないんだし、七瀬さんにはこうして会えたんだから」

「そうね。香津海、半年前から奥沢なんだって。住所は奥沢だけど、駅は、九品仏?」

「そう、商店街の方です」と七瀬さん。

「ヒロセカツミは、深沢だからな。ちなみに、七瀬さん、クロール上手い?」と雪仁は試しに聞いてみる。

「クロール?水泳の?」

「そう水泳」

「はい、水泳部でした」

「もしかして、あそこのジムに行ってたり?」

「はい、通ってます」

「美苗、クロール美人だよ、七瀬さん」

「ほんと?」と美苗はネバネバ麺を頬張りながら言う。

「さっきも行ってた?」

「はい、でも泳いではいません。帽子を忘れて、更衣室に。それを取りにだけ」

「じゃあさ、先週かな、朝、泳いでた?」

「えーと、水曜日に」

「ジムまでは、歩き?スポーツウェア着ていく?あそこの交差点通るよね?」

「尋問だよ、雪仁」

「はい、スポーツウェア着て歩いて、あそこの交差点は通ります。見られてました?なんか変なことしてました?」

「いや、大丈夫。見かけただけだから」

「実在したね、クロール美人」

「なんですか?そのクロール美人って」

「雪仁、説明して」

「水曜日の朝に、僕も泳ぎにいったんだけど、他には誰もいなくて監視員もいなかったからプールの真ん中でぷかぷか浮いてみた。なんでそんなことしたかと言うと、ずいぶん前からよく見る夢があって、それは真夜中のプールで浮いている夢でね、浮いていると昔片想いだった女の子が現れて、クロールを教えてくれるという夢。だからね、真夜中じゃないけど実際に試しに浮いてみた。そしたら誰かが飛び込んできて、綺麗なフォームでクロールをしていたので、見惚れていた。その日以来、クロール美人には会えていなくて、いつかまた現れるんじゃないかと期待してプール通いをしていた。美苗も会ってみたいと、どっちのクロールが綺麗か競争したいという。でも、全然現れないから、美苗には浮いているうちに寝てしまって夢を見たんだって言われて、そう思い始めていた。クロール美人は、夢の中のまぼろしだと。でも、七瀬さんに話を聞くとそのクロールをしていたのは七瀬さんで、夢ではなかったということがいま判明したというわけ」

「でも、まぼろしだったほうが、よかったかもですね、ロマンチックで。私じゃなくて」

「いや、事実がわかってよかった。そんな異次元的な話は興味ない人間だから、七瀬さんでよかった」

「いまだに夢に出てきてしまうその片想いの人に会いたくないんですか?」

「中学生のイメージで止まってるから、会わないほうがいいよ」

「でも、会わないとずっと夢見ません?」

「だからね、あたしが片想いの人になりかわることにしたの。ね?」

「どうやって?」

「絵を描いて。肖像画。あそこの」と言って

寝室のドアを少しあけて、絵を七瀬さんに見えるようにした。

「いい絵ですね。飛び込み台。でも、絵を描くとどうしてなりかわるんですか?」

「夢の中でね、その女の子は、ぼくに自分の肖像画を描いて欲しいと言うんだ。描いてくれたら、その代わりにクロールを教えるからと。もしクロールが出来るようになったら、僕は片想いじゃなくなってその子と付き合えるかもと。だから美苗の中学生の時の肖像画を描いて美苗を片想いの相手だったことにした。わかった?」

「もし、私を描いたらどうなるの?雪仁さんの片想いの相手になってしまうのかしら?」

「もう、美苗を描いたから、それはないよ、たぶん」

「じゃあ、描いて欲しいです」

「七瀬さんを?」

「はい、いまの私じゃなくて、中学生の時の私を」

「写真とかある?」

「なにもないんです。だから描いて欲しいんです」

「なにもないって?」

「大学二年の時、一年間だけ休学して父の転勤についてラオスに行っていて、日本に戻る時に荷物を送ったら、一部荷物が紛失してしまったんです。日本のトランクルームとかに預けていけばよかったんですけど。中学生の時の写真とか、昔の記念品とかはなくなってしまって。だから中学生の自分が欲しいんです」

「そうか、そんなことが。でも、どうやって描こうか?」

「雪仁さんの想像で、いいです。片想いの人に似てしまっても」と言って小さく笑った。

その表情は、どことなく片想いの子を彷彿とさせた。

「描いてあげなよ」と美苗も言うので、とりあえずいまの七瀬さんをスケッチさせてもらい、そこから中学生の時の七瀬さんを想像することにした。完成までは、少し時間がかかるかもしれないことを了承してもらい描き上がったら連絡をすることにした。七瀬さんは、歩いて帰れるというので、マンションのエントランスまで降りて見送った。

「かわいかったね、香津海」

「七瀬さんて幾つ?美苗より若いんでしょ?」

「同じ」

「そうなの、なんで敬語なの?」

「派遣で私が先輩だったから?あと、体育会系なんじゃない、ああ見えて、水泳部でしょ」

「そういうこと」

「じゃない、上下関係はきっちりするタイプ」

「美苗とは、ちがうね」

「あたしも体育会系よ」

「でも、なんか違う」

「育ちが違う、香津海、お嬢様よ」

「そうなの?」

「長野に別荘持ってた。派遣の時、一回行ったよ。すごかった。掃除機がね、壁にあるの」

「どういうこと?」

「各部屋の壁に穴があいていて、そこに管というかパイプ?掃除機の先っぽのところを差し込むとグイーンって吸い込むの。それで、ごみは外のタンクみたいなところに回収されて、そこにごみの回収車が来る」

「なんかテレビで見たことある、それ」

「豪邸のスタンダードなのかなぁ」

「じゃない。奥沢の家も凄いのかなぁ」

「どうなんだろうね、一人暮らしって言ってたけど。で、描けるの?想像で」

「わかんない、っていうか、どうなっちゃうかね」

「いずれにしても、美人だからいいよね」

「確かに」

 翌日から七瀬さんのスケッチを眺めながら、彼女の中学生時代を想像してみるのだけれど、どういう風にイメージしたらいいのか、考え方のポイントがわからず、作業は全く進んでいない。よくテレビとかで、芸能人の卒業アルバムの写真と今現在の美人になった写真を比較して見せられたりするけれども、おそらくそういう作業を頭の中でして描いていけばいいのだろうということはわかる。しかし実際そんなことができるのかというと、たぶん無理だ。特殊メイクでも老けメイクは、かなりの歳まで可能だけれど、大人が中学生になるというのは、子役の仕事だ。なので、ネットで七瀬さんに似ている子役を探してみるが、中学生女子のサイトばかりを見ていると自分が変質者みたいに思えてきて、すぐにやめた。結局、勝手に妄想するしかないという結論に至り、手はじめに自分の中学校の卒業アルバムを開いて、そこに七瀬さんがいたとしたらというイメージトレーニングをしてみた。お金持ちのお嬢様で声が小さい、というキャラクターがクラスにいる、と考えるとかなり具体的にイメージが湧いてきた。髪は長く真っ直ぐでサラサラ、シャツもソックスも見事に真っ白だ。成績優秀だけれど、余計なクラス委員とか係はあえてあてがわれない。あくまで七瀬さんは七瀬さんで、そこにいるだけでいいのだ。当然ピアノも弾けて、運動は、球技は苦手だけれど、足は早く、体は柔らかく体操は得意。なぜなら小さい時からバレエをやっていたから。加えて、水泳が好きで、とても綺麗なフォームでクロールをする。なぜなら、別荘にプールがあるから。これだけの情報が揃えば、描けそうだけれど、相当な美人中学生が誕生することになる。大丈夫か?中学生の雪仁は、本当に七瀬さんに片想いをしてしまわないか、と心配になる。ここでさらに美苗から新たな情報がもたらされる。

「香津海からメールでね、中学生の時は、メガネをしていたんだって。目が悪くて。だから雪仁に、メガネありでお願いします、って、オッケー?」

「オッケーだけど、中学生のメガネ美人って、難問だなぁ」

「確かに。中学生の男子ってメガネしてる女子が実はメガネを取ると可愛い、とか考えないもんね」

「そうなんだよ。水泳の授業で初めてメガネをとった顔を見て、ドキっとする」

「先にさ、メガネなしで描いて、後からつければいいんじゃない?」

「絵だからね、うまくいくかね?メガネの落書きしたみたいにならないかなぁ、フィギュアとかならその手があるけど」

「そっか、イタズラ書きだね、それ」

「まぁ、でもわかった。メガネは重要ポイントだな」

「がんばれ、雪仁!」

 雪仁が自分の部屋で、七瀬さんを描いていると、美苗が突然ドアを開けて、

「カツマヒロシ」と言う。

「誰?」

「勝間博よ、カメラマンの」

「誰だっけそれ?」

「何度かさ、取材で来たじゃんウチに。あのインテリア取材の時も。スキンヘッドの」

「あぁ、スキンヘッド。が、どうしたの?」

「メールよ、あのktmhrs」

「ほんとだ」

「苗字が先だけど、あとsと最後にhがないけど、いいんだよね、これ母音抜きだよね」

「厳密な決まりはないから」

「じゃあ、絶対そうだ。ビンゴ」

「よくわかったね」

「雑誌見てたら、勝間さんの写真があって、カツマ?カツミ?同じじゃんって。そしてヒロシ、ヒロセではなく」

「探偵みたいだな、美苗」

「で、1976年生まれだから、76」

「そこまで調べた」

「ウィキで」

「個人情報ダダ漏れ」

「でも、返信しない方がいい?万が一、人違いの可能性あるかな?やっぱりヒロセカツミが実在したりとか」

「大丈夫だと思うけど。念のため、勝間さんの知り合いに聞いてみたら?アドレスと、あと最近深沢に引っ越したかとか」

「そうだね、そうする。誰か編集者の子が知ってそう」

「ちょっと見て。どう?」と描きかけの七瀬さんを美苗に見てもらった。

「カワイイ」

「カワイイよね、こんな子がクラスにいたら男子全員好きになるよ」

「でも、香津海は、本当にこんなだったかもよ」

「いいかな、こんな感じで仕上げて」

「でも、メガネはこれから?」

「そう」

「それ次第じゃない。メガネ描いたら可愛くなくなるかもよ。メガネが似合わないかもよ」

「そっか、メガネないとダメかな?」

「ダメだよ、香津海の思い出なんだから。雪仁の好みは関係ないの」

「確かに。でも、美人は大抵メガネ似合うから大丈夫か」

「まぁ、そうだけどね」

「メガネ描いたらまた見て」

「いいよ。雪仁、音楽やめたら絵描きになりなよ。あなたの中学生時代描きます、とか言って」

「美人限定でね」

「客は選べないの」(続く)


by ikanika | 2017-09-06 19:16 | Comments(0)


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