【連載】二人の居場所 第一回

はじめに

カフェをはじめてから書き始めた「一人の居場所」という雑文は、
いつもはカフェのお手洗いの鏡の下に小さなフレームに入れて、
不定期更新で掲示しています。(この場でも、順次アップしてきました)
この前書いた42番目の話ですが何回かの連続ものになるかな、
と思って書いてみたのですが、思いの外、物語がどんどん進んでいって、
ちょっとした短編のような長さになってしまいました。
ですので、カフェの手洗い場での掲示はやめて、
この場でご紹介させていただくことにしました。

一応、カフェを舞台にしたお話で、主人公は30代の女性、という設定です。
楽しんでいただけるとうれしいです。 

cafeイカニカ
平井康二
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二人の居場所 第一回


 昼間からお酒を飲むことがあってもいいと、その日は、そんな気分だった。特に大きな仕事が片付いたとか、何かからようやく解放されたとか、あるいは何かが上手くいったとか、そういう明確な理由があったわけではない。ただ、日差しが春に変わったなと、誰もが感じるような日だっただけのことだ。友人の一人は、春から希望の部署に配属になり、また他の友人の娘さんは希望の中学校に受かり、かと思えば、昔付き合っていた人は、ひとり海外赴任を命じられていた。自分はといえば、この春の日に、ただカフェでお酒を飲んでいる。「何かが上手くいってもいかなくても、春は平等に訪れ、柔らかい日差しが僕らをつつむ」というようなことを、昔よく聞いていたバンドが歌っていたのをぼんやり思い出す。ワインで熱くなった頭でその前後の歌詞を思い出そうとしたのだけれど、上手く思い出せない。でも、ほんとうにそんなゆるい歌だったろうか。平等に柔らかい日差し、なんてね。少し酔った帰り道の日差しは、確かに柔らかではあったけれども。

 カフェから自宅までの帰り道に小さな古本屋がある。いつも入口脇の百円コーナーをチラッと覗いてみるのだけれど、何も買ったことはなかった。店の奥まで足を踏み入れるには、少しの勇気が必要な空気を纏っている。昼からのワインの酔いも手伝って、その日は奥まで入っていった。白髪の老人が居眠りでもしているのだろうと勝手に思い込んでいたせいで、レジに座っていた大学生風の男の子を見た瞬間、「あっ」と声を出してしまった。でも、その男の子は手元から顔を上げることなく、ただ、あなたを認識してますよ、というような雰囲気を醸し出していた。もしかしたら、自分がお酒臭いのかもしれないと思い始めると、どんどん顔が赤くなっていき、本棚を物色することなど出来そうになかった。このまま出て行ってしまっても変な客だと思われそうなので、しばらくその場にただ立ち尽くしていると、

「いつも百円コーナーご覧になってますよね」と、その大学生風が声を掛けてきた。ますます顔が赤くなっていくのが自分でもよくわかるのだけれど、こういう時は、何も言葉が出てこない。


 三ヶ月に一度、歯医者へ行く。虫歯の治療というわけではなく、歯石を取ってもらったり、虫歯になりそうな歯はないかと調べてもらったり、いわゆるメンテナンスだ。子供の頃から歯は丈夫で、大人になってからは歯医者に通ったことはほとんどなかったのだけれど、去年の正月にお餅を食べていたら歯が欠けてしまい、仕方なく知り合いの紹介で歯医者に行き始めたら、なんだかんだと治療を勧められて一年以上も通うことになってしまった。歯医者曰く、もうこのくらいの年齢になると歯も劣化してしまうから仕方ないです、と言うのだけれど、どうも釈然としない。自覚症状がない上に、自分では、よく見えない場所だからなおさら懐疑的になる。一応、医者が治療を勧める箇所の処置は終わったので今はメンテナンスに通うだけだけれど、またいつ治療箇所を見つけられてしまうか毎回ハラハラしてしまう。その歯医者の待合室で、またあの大学生風に会ってしまった。治療を終えて処置室から出てきた彼は、私を見つけて少しバツが悪そうな表情を一瞬見せて、

「こんにちは」と

さわやかに言い放った。私はといえば

「どうも、こんにちは。虫歯ですか?」などと当たり前の質問をして、彼を戸惑わせてしまう。

「毎週水曜日に。通い始めたばかりで」

「そう」

「この前は、失礼しました」

「こっちこそ、私、酔っていたから。ごめんなさいね。また覗きに行きます」

と、先日書店を訪れた際の挙動不審を詫びた。

「ありがとうございます、お待ちしてます」

「サイトウさん」と受付の女性が彼を呼んでお会計をしたので、彼の名がサイトウという事があまりにも簡単に判明した。

「鈴本さん、どうぞ」と処置室から声がかかり、私の名も簡単に彼に知れることになった。お互いに軽く会釈をして、私は処置室へ入って行った。

 サイトウかぁ、とぼんやり考える。全くうってつけの名のように感じる。サイトウ以外ありえないくらい、あの大学生風はサイトウが似合うと思う。私は、鈴本らしいかなぁ、でも、よく字面だけをサラッと見て、スズキさんと呼ばれることも今まで何度かあったので、スズキと呼ばれることにも一応注意を払っているから、そんなに鈴本らしくもならないか、などと変な思考を巡らせながら、歯石除去をしてもらっていると、

「スズキさん、もう少し歯間ブラシをした方がいいですね、このあたり、特に」と歯科助手は、マスクをしたままモゴモゴ言う。こちらは口を開けたままなので、ハイという返事も、「スズモトです」という訂正もままならず、とりあえずわかりましたという意思表示のつもりの言葉になっていない呻き声のような音を発することくらいしか出来ない。

「では、また三ヶ月後に」と会計を済ませ帰ろうとすると、受付の女性に

「サイトウさんとお知り合いですか?」と尋ねられる。

知り合いといえば知り合いだが、サイトウという名を今日知ったばかりだし、なんて返事をしたものかと考えていると、

「彼、なんか有名な賞を取ったみたいですよ、文学の」とその受付さんは言う。

「えっ、そういう人なんですね、古本屋のバイトみたいな感じかと」

「あの古本屋さんは、元のオーナーから彼が買い取ったとかいう話をこの前他の患者さんが仰ってましたよ」

歯医者という場所も色んな噂話や情報が飛び交うのだなと改めて思い、三ヶ月後にはどんな話が聞けるのだろうと変な興味が湧いてくるのだった。(続く)



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by ikanika | 2017-05-18 17:06 | Comments(0)


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