『青い月と、嘘つき』




青い月と、嘘つき

                       





 雨音が聞こえる。枯葉が詰まっている二階の雨樋から一階の屋根に規則的に水が滴り落ちる。時折、休符を挟み、変拍子のようなリズムになるのが真帆の集中を妨げる。雨樋に枯葉が詰まっているのはわかっているのだけれど、二階の雨樋なんてどうやって掃除をしたらいいのかわからない。そういう業者がいるのだろうか、いたとしても他に色々と修繕を勧められて面倒なことになりそうだと思い、わざわざ探すことまではせずにいる。雨の度に、尚樹がいたら掃除をしてくれただろうか、と想像しては、その考えを振り払うように頭を左右に大袈裟に振る。もう締め切りまで時間がないのに、まだ一番のAメロまでしか書けていない。サビに「青い月」と「うそつき」という二つの言葉を入れ込んで欲しいという指示を受けているので、それに辻褄が合うような歌い出しのストーリーにしなくてはならない。それが想像以上に手間取っている原因だった。アイドルグループの楽曲は、いつもは受けないのだけれど、作詞家デビューしたての頃に相当にお世話になったディレクターからの依頼だったので断りきれずに受けてしまった。斉木というそのディレクターは、五年ぶりくらいにメールをしてきて「今は、アニメとアイドルグループをやらないと食っていけない」と、ほとんど全ての音楽業界関係者が口にしそうな理由で、本当にやりたい「良質なポップス」の仕事とは別に、時々、単発でアイドルの仕事を受けているのだと言っていた。急なタイアップが決まった楽曲だから時間がないと泣きついてきた上に、サビの歌詞の指定までくっついてきたのだった。「ドラマの主題歌で、青い月とうそつき、がストーリーの軸になっているんです」と言うのだけれど、全く話の内容が想像できなかった。

「じゃあ、脚本を読ませてくれれば、書けそうです」と伝えると、脚本はまだ完成していないと言う。「とはいえ、ラブストーリーですよ」と斉木は乱暴な一言でその話題を終わりにした。要は、主演のアイドルのスケジュールの都合で脚本の完成を待たずに、主題歌を先に録音しなくてはならないというのが現実のようで、すでに曲は完成していて、作曲家が自分で仮歌を歌ったデモテープも送ってきていた。

「この仮歌って、YTさんですよね?」

「はい、そうです。ストック曲を無理言っていただきました。なので、仮歌の歌詞は無視して下さい。それは、YTさんが元々入れていた歌詞なので」

と斉木は言っていたのだけれど、仮の歌詞にしては、完成度が高く、ほぼ完成していると言えなくもない状態だった。YTさんは、自らもシンガーソングライターとして人気のアーティストで、おそらくこの楽曲もいずれはご本人が発表する予定で制作していたものではないかと推測出来た。真帆はYTさんのファンでもあったので、その完成している歌詞を聴きながら新たな歌詞を嵌めていく作業はきわめてやりづらかった。加えて「青い月」と「うそつき」という指定までありながら脚本はない。YTさんの元の歌詞のサビは

「さよならを言えたなら

 君は今も

 夏の日差しの中で

 微笑んでいる」

だった。「さよならを言えたなら」の部分を、そのまま「青い月とうそつき」とちょうど文字数的には歌えるのだけれど、全体の歌詞をそのサビから完成させていっていいのだろうか。「青い月」と「うそつき」というキーワードがもつ意味合いは、やはり脚本がないとわからない。加えて元々の仮歌の歌詞が邪魔をして、デモテープを聴きながらの作業が非常にやりづらかった。

「歌詞付きじゃなくて、ラララとかで歌ったのとか、楽器でメロディ弾いたデモテープとかない?言葉が邪魔して書きづらいわ」と斉木に言ってみたものの

「YTさんもご存知の通り忙しい方なので、これしか今は」という返事だった。

「最悪、僕がラララで歌い直すとかは出来ますけど。カラオケはあるので」

「それは、要らないわ。斉木くんの声聴きながら歌詞は書けない」

「ですよね」

と斉木は引き下がった。どうしてそうなったのか今となっては思い出せないのだけれど、昔、半年くらい斉木と付き合っていた時期があった。作詞家になりたてで、まだ世間知らずだったとしか説明のしようがないのだけれど、必死にヒット曲を作ろうとしていた斉木に惹かれていたのかもしれなかった。同じ目標を抱く同志として。しかし業界には甘い誘惑が山ほど散りばめられていて、若い斉木は、歌手デビュー予備軍の可愛らしい少女と真帆を二股にかけていたので、真帆の方から、あっさりと別れを告げた。しかし、その後、斉木はディレクターとしての才覚をメキメキとあらわして、確実にヒット曲を生み出すディレクターへと成長していった。男女の関係は終わったものの、斉木とは何曲も作品を作って、その多くは真帆の代表作となるくらいにヒットし、いまの安定した作詞家としての立ち位置を獲得する土台となったのだった。なので、いまだにヒット曲を生み出し続ける斉木には一目置いていて、感謝もしている。ただひとりの男としては、認めていない。

 雨は更に激しくなり、雨樋からは、ポタポタという雫ではなく、もう水道を捻ったようにずっと水が流れ落ちている。変拍子の雫よりはその方が集中できたのか、気がつくと一気に二番の歌詞まで書き上がった。あとは、サビの繰り返しを少し考えれば完成しそうだった。時計を見ると深夜二時半を回っていた。尚樹はいま何をしているのだろうかと、ぼんやり考える。メールをしてみようかとスマートフォンに手を伸ばして、やっぱりやめようと液晶画面を伏せる。

「どこに行っても、作詞家だったら仕事はできるんじゃない?東京じゃなくても」という尚樹に

「だめなの、ここじゃないと」と冷たく言い放ってしまったのは自分だった。本当は、東京じゃないとだめな理由なんてなかったはずなのに。尚樹は、特に理由を問い詰めることはしなかった。問い詰めてくれれば、もっともな理由を考えたりしたかもしれない。自分を正当化するための。その後に、尚樹は

「じゃあ、しばらくは離れて暮らすことになるね」と言った。

真帆は「うん」とだけ答え「本当は東京じゃなくても大丈夫」だと、「ついていく」とは言えなかった。大学の研究室に努める尚樹から、風力発電の現地調査で北海道に行くことになったと告げられたのは、今から一年くらい前のある夜だった。最初は、出張で行くことになったのだと勝手に思っていた真帆は「いつから?」と軽く返事を返した。

「たぶん、正式には四月の新年度からだけど、準備とかで三月の中くらいからは、ほぼ行ったきりかなぁ」という尚樹の言葉で、出張ではないのだと気付いて驚いたのだった。

「えっ?転勤ってこと?」

「まぁ、普通の会社で言うと、そんなところ。研究室だから、長期の現地調査って感じ」

「でも、引っ越すんでしょ?どのくらい?」

「全てが順調に行けば二年。やってみないとわからないことも多いから、約束はされてないんだけど。二年で見通しが立たなかったからプロジェクト自体が見直されると思う」

「どこに住むの?」

「これから探すけど、風車の建てられる所は基本周りには何もない場所だから、そこに通うということは結構田舎だと思う」

「北海道でしょ?寒いでしょ?」

「それはそうだろうね」

「大丈夫?」

「大丈夫、って、大丈夫だよ。こっちに比べれば多少は不便だろうけど、日本だしね。電気もガスも水道もちゃんとあるよ」

「そうね」

真帆は、出張だと勘違いして対応してしまったバツの悪さも手伝って、なんだか変な質問ばかりしている自分に気づいていた。本当は、二人の関係はどうなるのだろうかということがいちばん気になっているのだけれど、そういう話題は尚樹の口からは一度も出てこなかった。暗黙の了解として、尚樹の中には何か決定事項があるかのように。だとしたら、何が暗黙の了解なのだろうか。真帆は、尚樹に訊いてみたいと思っているだけれど、どう切り出したらいいのかわからない。自分自身がどうするつもりなのか、どうしたいのかがはっきりとしていないからだった。尚樹とは恋人として付き合ってはいるけれども、同棲をしているわけでもなく、結婚の約束をしているわけでもない。お互いになんとなくこのままの関係を続けて行けば何かしらの着地点に到達するのだろうというくらいにしか、将来のことは考えていなかった。こうして目の前に、尚樹の北海道への転勤という現実を突きつけられて、なにかを決断しろと言われても、なにをどう考えたらいいのか、そう簡単に頭が回るわけはなかった。その夜は、二人の今後についての話題にはならずに、何日か後に、尚樹が北海道で住む物件探しに行くという話になった時に

「真帆はどうする?」と尚樹がようやく訊いてきた。

「どうって?」

「向こうで部屋を探すにしても、一人で住むのと二人とでは変わってくるから」

「わたし?」

という反応に対して尚樹が言ったのが

「どこに行っても、作詞家だったら仕事はできるんじゃない?東京じゃなくても」という言葉だった。いま考えると、どこにあんな風にきっぱりと冷たく「だめなの、ここじゃないと」と答える必要があったのかわからない。「東京じゃなくても仕事はできるんじゃない?」という尚樹の意見はもっともだし、日本中どこにいってもメールは繋がるし、その環境さえあれば真帆の仕事はできる。なのに、東京じゃないとだめだと言った自分はなにを考えてのことだったのだろうか。その結果がいまの状態だった。尚樹はひとり北海道へ行き、真帆はそれと同時に住み慣れた都心のマンションを引き払い、何年か前まで母親が住んでいた世田谷の住宅地にある古い一軒家に住み始めた。どうして駅から遠くて古い一軒家などに引っ越すのかと友達の多くは理解を示さなかったけれど、真帆はもう都心のマンションからの夜景や地下鉄の利便性や二十四時間いつでも歩ける明るい繁華街などには用がないと感じていたし、母親の住んでいた家を空き家にしておくのは、もう限界に来ていた。家は人が住まなくなると、どんどん朽ちて行くというのは本当で、世田谷のその一軒家は、そろそろひとり娘である自分が引き受けて住み始めないといけない状態だった。尚樹の転勤とは関係なく引っ越しはしようと決めていた。マンションを引き払うタイミングと尚樹の転勤が重なったのだから一緒に北海道へ行くという選択肢も当然あって、女友達の何人かには「結婚のタイミングなんじゃない?」と真剣に北海道行きを勧められたりもしたが、当初の計画通り一軒家への引っ越しを決行した。築四十年近いその家は、父が他界した十年程前から、ずっと母が一人で住んでいて、真帆は年末年始やお盆に母の様子を見に訪ねる程度で、寝泊りをしたことはなかった。元々はカメラマンをしていた父がアトリエを兼ねた事務所として使っていたその家には、母も余程の用事がない限り足を踏み入れたことは無かった。仕事場に母や私が顔を出すことを極端に嫌がっていた父が、遺言にこの家を母に譲り、守って欲しいと書き残した理由は、真帆には知らされていなかった。父の遺言通りに約十年暮らした母もさすがに歳をとり、一軒家を維持管理して暮らすことが難しくなり、二年くらい前から介護施設に移っていた。ひと月に一度だけ、真帆が空気の入れ替えをしたり簡単な掃除をして、父の残した一軒家を維持してきた。それでも庭には雑草が我が物顔で生い茂り、家の水回りからは異臭がしてきたりと、主人を失った家はもう限界に達していた。母は施設に移った後も「お父さんの家は大丈夫?」としきりに気にしていて、真帆はその度に、月に一度は見に行っているから大丈夫だと答えていた。でも、本当は大丈夫だと言い切れる状態ではなかった。「真帆ちゃんがひとりで住むには広すぎるし、物騒かもしれないけど、出来たら住んで欲しいの。空き家にしておくとすぐにだめになってしまうでしょ」と母に言われると、いつも後ろめたくなるのだった。「一緒に住んでくれるいい人でもいれば話は別なんだけどね」とさりげなくプレッシャーをかけてくることもあった。尚樹に「一緒に暮らそうよ」と冗談めかして言ってみたこともあるにはあるのだけれど、そのまま冗談だと受け取られてしまったようで、まともには請け合ってはくれなかった。婚約もしていない交際相手の女の父が残した古い一軒家に、好んで住もうという男なんてそうそういるわけがなかった。駅からは遠く、かなりリフォームをしないと快適には暮らすことは望めなかったのだから。リノベーションが趣味だとかいうのならば話はちがったのだろうけど、尚樹はそういうタイプではなかった。ひとりで住み始めた当初は、やはりマンションとは違って戸締りが気になって落ち着いて寝ることもできなかったのだけれど、いまでは、隣りの部屋の物音や上階の住人の足音などにも悩まされずに過ごすことができる夜が一番好きな時間になっていた。加えて、その時間帯に作詞をすると信じられないほど捗る上に、この家に来てから書いた作品は、今のところ確実にヒット曲になっていた。その理由がこの家にあるのか、ただキャリアを積んだ為にヒットの確率の高い仕事の話が来るようになったということによるものなのかは、今のところ判断が難しい。ただ父がカメラマンとして成功をしたのは、この家が影響していたのではないかと真帆はなんとなく感じていた。それはここに住んでみて肌で感じることで、言葉で説明するのは難しかった。母もここに住んで、そのことを感じていて自分に住むように勧めたのかはわからないが、父がこの家を守ることにこだわったのには何かしらの理由があったことは間違いないと思えた。

 その夜のうちに、斉木からの依頼の歌詞は書き上がり、完成原稿をメールで送って、とりあえずはベッドに入った。時間はもう明け方の四時を少し過ぎていた。尚樹が起きているとは思わなかったが、頭が冴えて眠れなかったので、新しい歌詞が書き終わったことと、雨樋が詰まっていることなど、どうでもいい話題を書いて、おやすみなさい、とメールを送った。尚樹が北海道に行ってから一年が過ぎているのだけれど、東京に帰ってきたのは僅か二回だけだった。お互いに気まぐれなメールを送りあって、なんとなく近況を把握して、それでなんとか繋がっている気持ちになっている。二人の間に何か特別な約束が交わされて北海道に行ったわけではないので、終わってしまったらそれはそういう関係だったのだと思うことにしていたのだけれど、未だにそういう終わりは見えては来ていない。真帆は時間が出来たら、尚樹がどんなところで生活をしているのか見に行こうとは思っているのだけれど、尚樹からも積極的な誘いがないので、先延ばしにしているうちに一年が過ぎてしまった。あと一年したら帰ってくるかもしれないと考えると敢えて行く必要もないかとも考え始めている。

 メールの着信音で目が醒める。時間を見ると九時半だった。新着メールは二通あり、斉木と尚樹からだった。ほぼ同じ時刻に送ってきたようで、二通が仲良く並んでいた。先に斉木のメールを開くと、「ありがとうございます。さすがです。すぐにレコーディングに入ります。日程の都合がつくようでしたら歌入れの時に立ち会ってくれませんか?万が一、ドラマチームから修正の依頼があったらその場で直していただきたいので。なにせ時間がないので、すいません!」とあった。その場で直せという乱暴なリクエストにも対応しなくてはならないほど切羽詰まっている斉木の姿が想像できたので「スケジュールが決まったら連絡下さい。お邪魔します!」と返しておいた。尚樹からのメールは、珍しく少しだけ長文だった。




「新しい歌詞、聴けるのを楽しみにしてるよ。その枠のドラマならこっちでも見れるから。アイドルって大変なんだね。世田谷の家の住み心地はどう?古い家は、味わいがあっていいけど、維持するのはなかなか大変だよね。雨樋、僕がいたら枯葉ぐらいなら取れたかな?でも、ハシゴに登って二階の屋根は、ちょっと怖いなぁ、無理か。僕がこっちで借りた家も古い一軒家です。平屋の。田舎なので賃貸マンションなんて無くてね。だから相当寒い。薪ストーブと灯油のストーブの両方を使ってしのいでいます。寒さというのは慣れるもので、寒ければ着込めばいいのでね。そんな家だから都心のマンション暮らしをしていた真帆には耐えられないだろうなって思っていたけど、世田谷の家に住んでだいぶ免疫ができたようだから、今年の夏はこっちに遊びに来てみたら?冬はさすがにつらいから。予定通りに行けばもう来年の春には戻ってしまうからね。では、これから出勤してきます。


尚樹」


 はじめて尚樹から北海道への誘いがあった。平屋の一軒家に住んでいることも、はじめて知った。てっきりワンルームマンションとかに住んでいるのだと思っていたので意外だった。田舎の平原にポツリと建っている平屋の画が思い浮かぶ。自分がそこにいることを想像してなんだかワクワクしている。すぐに返事を書こうとして、踏みとどまる。夏の予定などいまから決まっているものはなく、行こうと決めれば行けるのだけれど、一年以上も経ってから尚樹が誘ってきたことに少し違和感をおぼえた。メールにあるように、古い一軒家に対しての免疫、というようなことが理由なのだろうかと。そこまで自分が都市生活者然として、尚樹の前で振舞っていたつもりはなかったけれども、尚樹の目にはそんな風に映っていたということなのだろうか。やはり「だめなの、ここじゃないと」という言葉がそれを後押ししたのだろうか。確かに作詞家なんていうと、いわゆるギョーカイ人という風にみられがちだけれど、真帆自身は、パッとしない文学少女が気まぐれで作詞をしたら、運良くヒット曲になった、という感覚で、アーティストやアイドルとの派手な交友関係があるわけでもなく、地味な裏方稼業だと思っている。お互いの仕事をどこまで理解しているかというと、正直、真帆も尚樹の仕事のことをよく知らない。一度「研究室って、ずっと毎日研究しているの?」と聞いたことがある。尚樹は笑いながら「ある意味そうだよ」と言ったきり詳しくは説明してくれなかった。そして突然の北海道行きだ。現地調査とは一体何をしているのだろうか。風車の建設と言われれば簡単に想像出来るのだけれど、尚樹の仕事は建築業ではないことは確かだから、つくっているわけではないだろう。ではなんだ?やはり、行ってこの目で見て確かめるしかないのだろう。尚樹にも自分が真夜中に暗い部屋でパソコンに向かって歌詞を書いている姿を見てもらわないと、いかに地味な作業かということがわからないのと同じように。真帆は、この夏に北海道の尚樹のところに行こうと決めた。


 斉木からの依頼で書いたアイドルのドラマ主題歌は無事に完成し、ドラマの放送も始まった。どうやらドラマ不調の昨今の中では久しぶりに高視聴率を出したようで、初回放送日の翌日のウェブニュースで随分と話題になっていた。主題歌の発売はドラマがある程度進んでからという焦らし戦略(と斉木が言っていた)を取るようで、この先一月後くらいのようだった。斉木からは、興奮した様子でメールがあり「ドラマがこの調子なら、主題歌は久々にミリオンですよー!」と書いていた。ありがたい話ではあるけれども、あの歌詞は、なんだか自分の作品のような感じがしないというのが真帆の正直な気持ちだった。「青い月とうそつき」なんて自分から出てくる言葉ではない。それでも一時的に経済的には潤ってくれるのは確実なので、それで世田谷の家の修繕ができるかな、などと考えてもいた。尚樹からも「ドラマ見たよ」とメールが届いた。「ああいうアイドルの歌も書けるんだね、真帆は」と書いていたけれども、尚樹が自分の他の作品を読んでいるとは思えなかったので、そこに深い意味はないのだろうと思って、簡単に「ありがとう」という返事を送り返した。あまりにあっさりした返信だったせいか、すぐにまたメールが来て、今度は「夏の予定はどう?」と尋ねてきた。どう返事をしたらいいのか少し考えようと思い、返信をする前に一時間近く半身浴をした。尚樹はパソコンの前で返事を待っているのだろうか、と想像してみたけれど、北海道の古い一軒家でパソコンの前にじっと座っている尚樹の画が上手くイメージできなかった。とりあえず今夜は、夏に行くつもりだ、ということだけは伝えておこうと思いお風呂からあがって返事をした。

「尚樹がどんなところに暮らしているのか見てみたいので、夏に行きます。楽しみにしてます」

とだけ。すぐに尚樹から返信が来たので、やはりパソコンの前でまっていたのだろうか。

「そう、よかった。詳しい予定が見えたら、また教えて」と。髪を乾かしながら、さらに返信をしようかどうか考える。

「りょうかい。おやすみ」と送った。尚樹からは返信は無かった。もう寝てしまったのだろうかと思いながら、真帆も眠りについた。



 梅雨の季節になり、何日も雨樋から途切れなく雨水が滴り、リズムを刻んでいる。夜の静けさの中では、その音が街中に響き渡っているように感じる。世田谷の家に住み始めてから真帆は、夜に部屋で言葉を紡ぐようになった。都心のマンションにいた時は、家の近くに作詞のための場所をいくつか探してあって、わざわざそこまで行って書いていた。静かなカフェだったり、図書館の隅だったり、天気のいい日は公園のベンチだったり。マンションの部屋では言葉が出てこなかった。タワーマンションというのは、住人の存在より建物の方が主役という感じがして、住まいに対しての親密さという感覚は皆無だったのだけれど、世田谷の一軒家は、なにかと不便ではあるけれども、家が自分の暮らしを包み込んでくれているような安心感のようなものがあった。それが詞を書くことに作用しているのは間違いなかった。とりわけ夜の家は、真帆に淀みなく言葉を与えてくれた。斉木がオーダーしてきたような、あまり手がけたことのないアイドルの歌詞で難航しそうだと思えたものも、気が付くとみんなが満足してくれる形に仕上がっていた。その後、斉木からは先のドラマ主題歌を含むアルバムを制作するということで、追加で三曲、歌詞のオーダーが来ていた。締め切りまで、まだ少し時間があるので手をつけていないのだけれど、夜の世田谷の家で書き出せばすぐに出来あがる気がしている。真帆は今、父が暗室として使っていた六畳くらいの部屋を作詞のための書斎として使っている。時々、父がここで写真を現像して、その出来栄えに一喜一憂している姿を想像してみる。その姿は、書き上げた歌詞を読み返して、OKが出るのかどうか思い悩んでいる自分と重なってくる。この部屋で完成したものが、この部屋を出て他人の目に触れ、耳に届いて、初めてその真価が定まる。その一連のプロセスを父娘が同じように辿っている。そのことが、不思議であり、嬉しくも感じる。この家がそういう時間をもたらしてくれているのだった。では、母はここに暮らしていた時、どんな風に過ごしていたのだろうか。仕事はしていなかったはずだし、これといった趣味があったという記憶もないし、友達を家に招くといった社交的な性格でもなかった。ひとりこの家で十年間何をしていたのだろうか。今度、施設に行った時にそれとなく訊いてみたいと思うのだけれど、最近になって急に認知症の症状が現れて、どこまでこの家での暮らしのことを話すことが出来るのか、という不安は日に日に増して来ていた。この家を出たことと、認知症の発症が関係しているのかどうかはわからないけれども、ここにいたら、まだ元気なままの母だったような気もする。恐らく父の存在をどこかに感じながら、一人暮らしであっても満ち足りた日々だったのではないだろうかと想像できた。リビングには天井まである造り付けのキャビネットがあって、その中には父が撮ってきた写真のネガや紙焼き、自らの写真集などがきれいに整理され保管されている。父が亡くなった後、ここに住むことになった母がコツコツと整理をしたものだった。「このキャビネットを開ければお父さんの全てがわかるようにするの」と真帆がたまに顔を出すと整理の進行具合を報告するように母は嬉しそうにキャビネットを開けてみせた。中には裸体の女性が被写体となっているものもあって、それを母はどんな気持ちで整理をしたのかと訊いてみたことがあった。母は「別にどうもこうもないわよ。お仕事なんだから。私の裸を撮りたいっていった時はキッパリと断ったけどね」と懐かしむように、それら見知らぬ女性達の裸体写真をめくっていた。

「じゃあ、お母さんはお父さんに撮ってもらったことはないの?裸じゃなくて」と尋ねると

「あるわよ、でも」と母は言い淀んだ。

「でも?」

「でも、それが見当たらないの。この家にあるはずなんだけどね。ほかにしまっておく場所なんてないはずだから。家には持ち帰らない主義だったしね」

「一枚も?」

「一枚もないわよ」

「そうなんだぁ。一枚もないのはおかしいよね。どこかちがうところにしまってあるんじゃない?お母さんの写真だけ」

「そうなのかね。真帆ちゃんも今度探してみてくれる?私が見落としているだけかもしれないから」

こんな会話をしたのはもう何年も前になるのだけれど、やはり未だに母の写真は一枚も見つかっていない。真帆が住むために父の暗室をリフォームしたり、他の部屋も一通りきれいに手を入れたのだけれど、その時にも母に関するものは何も出てこなかった。この家にある父の持ち物からは、まるで母が存在していなかったというようにその気配は完璧に消されていたのだった。

 梅雨の晴れ間の暖かい日に、母に会いに施設に行った。町田駅からバスで二十分ほど揺られると雑木林に囲まれたその施設の名のついたバス停に着く。そこからさらに車一台がやっと通れる山道を歩いて十分程登ると入り口の門に到着する。周囲には文字通り何もない雑木林が連なっていて、東京都とは思えない景色が広がっている。母が、ここがいいと決めた理由は「お父さんが撮った写真の中で私が一番好きなのがあってね、それがここに似た風景なの」ということだった。でも父が撮ったその風景がどこなのかは知らないという。母が父の写真について何か言うことは基本的になかったので、たぶん、母は父にその写真が一番好きだということも言わなかったに違いない。だから場所を知ることもなかったのだろう。娘が見ても、母は父の全てが大好きで、その作品にも無条件に魅了されているように思っていたので、母の口から、父が撮った写真の中で一番好きなもの、という言葉が出てきたことに少し驚いた。いま考えれば、好きなものにも順位があって当然なのだけれど。陽気が良いせいか、その日の母は上機嫌で、真帆が顔を見せずにいた期間にあった出来事を楽しそうに報告をしてくれた。そのどれもが日常のほんの些細な出来事ばかりで、この施設の中がいまの母の世界の全てなのだからそれは当然のことだと思いながらも、なんだか申し訳ないような気分になった。どういう話の流れからか、母が

「あの学者さんとはうまくいっているの?」と訊いてきた。母は尚樹のことを「学者さん」という。大学の研究室にいる人だと紹介したせいなのだけれど、正確には学者ではない、と今さら説明するのも面倒なのでそのままにしている。そういえば尚樹のことを最近ほとんど母に話していなかった。母が何をどこまで知っているのかわからなかったので、ざっくりと「尚樹さんは、いま北海道よ」とだけ言ってみた。

「あら、出張?」

「ちがうの、一年くらい前から、ずっと」

「転勤?」

「まぁ、そんな感じ」

「淋しいわね、真帆ちゃん」

「大丈夫よ、メールとかもあるし、今年は夏に会いに行ってこようかと」

「あら、そう、北海道行ってくるの?」

「うん」

「お父さんもよく行っていたのよ、北海道、知ってる?」

「そうなの?いつ頃の話?」

「亡くなる何年か前からよ、あなたは知らないわよね、その頃は。なんかね、撮りたい場所があるからって、小さな家を建ててね。お父さんは、北海道の小屋って言っていたけど。てっきり世田谷の家に居るかと思って連絡したらね、全然捕まらない時があってね。そしたら突然北海道のお土産を持って帰ってきたの。北海道に小屋を建てたって」

「それ、どこにあるの?」

「なんか聞いたんだけど、覚えてないわ、北海道の地名って難しいじゃない。何もないところだよってお父さんは言っていたけど」

「そう」

「学者さんは、どこなの?北海道の」

「釧路の方っていってたけど、釧路からは彼が車で連れて行ってくれるっていうから、その先は知らない。彼の居るところも何もないみたい」

「気をつけて行ってきなさいよ」と母は言った。父の言う、北海道の小屋はどこにあるのだろうか。母が思い出さない限り、その存在は無かったものになってしまう。場所さえわかれば、この夏に尚樹を訪ねた時に、ついでに寄ってこようと真帆は考えていた。

 母の記憶はこの日を境にどんどん曖昧になってしまい、父が本当に北海道に頻繁に行っていたのかさえも怪しいと思えてきた。もし本当に何かを撮影しに行っていたとすると、世田谷の家のキャビネットにそれらしき写真が残っているはずだと思い、探してみることにした。比較的新しくて、北海道で撮ったと思われる写真を。「何もないところだよ」という父の言葉だけが手掛かりだった。父の眼を通して切り取られた北海道の景色がどんな姿をしているのだろうか。膨大な量の残された写真の中から、それを探し出す作業は途方も無い労力を要するものだった。夜中に作詞の仕事をして昼間はどこへも出かけず父の写真を探す日々が続いた。それらしきものを見つけては、母に見てもらおうと施設を訪ねたのだけれど、私を私と認識してくれない日があったり「北海道のお父さんにいつ会いに行くの?」などと言い出すこともあったりと、認知症は急速に進行しているように思えた。母の記憶が頼りにならなくなってしまったので、もはや写真を探し出すのは不可能かと諦めかけていたら「KOYA」と記された風景写真のファイルが出てきた。遠くまで広がる何もない風景をどこかの窓から写したと思われる無数の写真がファイルに収められていた。間違いなくそれは、母の言っていた北海道の小屋から見える景色だと思われた。いまの施設のある場所に似ていると思われる写真も何枚かあり、母が一番好きだと言っていたものは、この中のどれかだろうと思われた。ファイルを持って母を訪ねたのだけれど、その日の母は写真を一枚一枚丁寧に見て「きれいね、きれいね」と繰り返し言うばかりで、それが父の撮った北海道の小屋からの景色だとは認識してはいないようだった。自分が一番好きだと言っていた写真がその中にあることも。帰り際に「きれない写真をありがとう」と言った母は、私が誰なのかもわかっていなかったかもしれない。帰りのバスで真帆は涙が溢れるのを止めることができなかった。もう一度、父のことが大好きな母の姿を見たいと思った。そして、一番好きだと言っていた父の写真にある北海道の景色を実際に見せたいと思った。

 尚樹のところには八月の一週目に行くことにして航空券の手配をした。お盆の時期は外したのだけれど、すでに夏休みに入っているので多くの便が満席になっていて、暗くなってから到着する便しか取れなかった。そのことを尚樹にメールをすると、車で迎えに来てくれるとすぐに返信をしてきた。加えて、その日から一週間休暇を取ったので、行きたいところがあったらどこへでも、と。真帆は、父の「KOYA」というファイルを持っていって、そこに写っている場所と似たような場所に連れて行ってもらおうと思った。


北海道に行く前に、すでに依頼を受けている仕事は片付けておくことにした。締め切りが帰ってきてからで大丈夫なものも含めて、とりあえず全て提出して、頭の中の作詞というスイッチをオフにして出かけたかった。いま受けているのは全部で五曲あり、うち三曲は斉木からのアイドル曲で、残りの二曲は、三年くらい前から一緒に詞を仕上げている女性シンガーソングライターAさんのものだった。その彼女は、デビューして二十年くらいのベテランというか、すでに人気を不動のものにしていて、真帆に作詞の依頼が来た時は正直何かの間違いではないかと思った。彼女は自ら歌い曲も書くのだけれどデビュー以来、歌詞は大御所の作詞家が手がけていた。その役割分担は、彼女のアーティストとしての色合いを特徴づけていて、支持の基盤となっていると思われた。マネージャーと伴に作詞の依頼に現れた彼女は「これからは、出来れば自分の言葉で歌いたい」と言い、作詞の依頼ではないのか、と頭の中に沢山のクエスチョンマークが浮かんで来た真帆は「はい?」と上ずった返事をしてマネージャーと本人の顔を交互に見たのだった。様子を察したマネージャーが、慌てて「補足して説明させていただきます」と、身体をテーブルの上に乗り出して来て話し始めた。

「基本、Aは自分で歌詞を書きたいと思っているので、まずは本人が書きます。しかし、Aは自分が作曲家やシンガーとしての能力ほど、作詞家としの技量はないと認識しています。なので、いままでも作詞家の皆さんにお願いしてきたのですが。しかし、これから先はそこの部分を変えていきたいと思っています。これは大きな掛けです。リスクを伴います。もしかしたらいままでのファンが離れて行く可能性もあります。歌詞が変わるというのは世界観が変わってきますから。でも、さらに十年二十年とこの先も歌い続けたいと思った時に、やはりその部分を変えていかないといけないのではないかと、僕らは考えています。今回は、そうするためにお力を貸していただきたいのです」

「はい、でも、ご本人が書くんですよね?歌詞は」

「そこなんですが、簡単に言うと、真帆さんとの共作という形になるというか、本人と一緒に仕上げていただきたいのです」

「つまり、なんでしょう、はい、どうやってですか?」と真帆は思いもよらない提案に具体的なイメージが湧いてこなかった。するとAさんご本人が口を開いた。

「例えばですけど、まずは最初に私が書きます。歌いたいテーマというかキーになる想いや感覚を言葉にします。それを真帆さんに投げますので、手直しをして欲しいんです。私から出て来る語彙は、すこし子供っぽいように自分では感じていて、それがどうなのかなぁ、って思っていて。真帆さんにお願いしたいと思ったのは、文学的な匂いを真帆さんの歌詞に感じているからなんです。今まで書かれた作品をほぼ全部読ませてもらっています。それで、ぜひ真帆さんとやりたいとわたしからマネージャーに頼みました」

「ありがとうございます。うれしいですけど、私で出来るんでしょうか?やったことないです、共作とか」

「僕らもはじめての試みです。誤解されてはいけないので明確にしておきますが、ゴーストライターということではありません。きちんと二人の名前でクレジットさせていただきます。それから一番重要なことなので最初にご提案させていただきますが、著作権に関してですが、少しでも真帆さんに関わってもらった作品に関しては、作詞部分をきっちり折半ということにさせていただきたいと思っています」

「はい、そのあたりは私もあんまり詳しくないんで、なんとも」

「作品によっては、Aが書いた歌詞にあまり真帆さんが手を加えないケースもあるかもしれませんし、その逆もありえます。真帆さんが手直しをした言葉でほとんど歌われたりとか。厳密にどう分配するべきかをきめるのは極めて難しい問題なんですが」

「大丈夫です、私からしてみればAさんとご一緒できるだけで、大変光栄なことなので」

「ありがとうございます。そう言っていただけると、嬉しいです」とAさんは深々と頭を下げた。こんな有名な人にそんな風にされて真帆はどうしたらよいのか戸惑ってしまった。とりあえず、試しに実際に作業をしてみて、お互いに継続してやっていけるかを判断しましょうか、ということになり、お試しの共作をはじめてみたのだった。土台というかキーとなるテーマがあらかじめAさんから提示されるので、それに対して色付けというか肉付けをしていく作業は、真帆にとっては、ゼロからの産みの苦しみを伴わない楽しいものだった。Aさんもマネージャーさんも、真帆が紡ぐ言葉に毎回いつも感動してくれた。真帆自身は、文学を目指して挫折した結果がいまの自分だと思っていたので、自分の言葉を文学的だと評されるのには、なんとなく居心地の悪さも感じるのだけれど、Aさんにそれを求められて、正直嬉しかった。お試しの共作作業は思いのほか楽しく順調に進み、その後も継続してやっていくことで話がまとまり、今年ですでに三年目に突入し、形になった曲は三十を超えていた。いま手元にあるのは、何度かAさんとキャッチボールをして、真帆が最後の仕上げをする段階のものが二曲預けられていた。この後にAさんがスタジオで歌ってみて、歌いやすさや音の響きを考慮してAさんが手を入れることが稀にあるのだけれど、そこはすでに真帆の手を離れた段階なので、今あるものを最終確認して送り返せば作業は終了するのだった。大抵、この段階まで来ているものは真帆が手を加えることはほとんどないので、後回しにして、まずは先に斉木から預かっているアイドルの曲から取り掛かることにした。三曲のうち一曲は、先のシングル曲の続きというか姉妹曲というような位置付けにして、アルバムの一曲目にしたいという依頼があったので、それから書き上げた。残りの二曲は、斉木曰く「真帆さんテイストでご自由に」と言われていたのだけれど、とくに自分のテイストなんて意識したことはないので、どうしたものかと逆に難航しそうだった。二曲とも敢えて何も考えずに、真夜中に世田谷の家の書斎でパソコンに向かってみた。一時間くらいは、何も言葉が出てこなくて、もう駄目かなと思っていたら、スルスルと歌い出しから言葉が流れ出て三十分くらいで二曲とも仕上がってしまった。読み返してみると特に直したい箇所も見当たらなかったので、それで完成とした。

 北海道行きまで一週間となった夜に、Aさんとの曲に取り掛かった。二曲とも、直す必要がある箇所はないといえばない状態なのだけれど、真帆は一箇所だけ修正案を書き加えた。Aさんが「気づかなかった」と書いた箇所を「気がつけなかった」としてみてはどうかと。一文字増えるので音符を一つ増やすとか、歌い方をかえるとかしないといけなくなるのだろうけれど、真帆は、なんとなくその方が気持ちが良いと思ってそう提案した。一応、Aさんへの伝言も書き加えておいた。「歌いづらかったらそのままでもいいです。でも、できたらお願いします」と。こういう些細な提案に対して、最終的にどちらで歌われて来るのかを待つのも実は楽しみなのだった。過去にも似たような直しの提案をしたことがあって、その時は三文字増やしてしまったのだけれど、見事にメロディにはまっていて、さすがプロだなぁと感動したことを覚えている。一応、これで抱えていた仕事は全て終えて、尚樹のいる北海道へ向かうことができるようになった。それ以降、仕事の依頼が来ても北海道から帰って来るまでは保留にしておくことにして、一旦、作詞のスイッチをオフにした。

 一週間という長い期間、世田谷の家を空けるのは初めてだった。戸締りやガス栓などを入念にチェックして、新聞の配達も止めておくことにした。父の大切な写真があるので、不在だと分かる形跡はできる限り無くしておいた方が安全だと思ってのことだった。自分一人の家だったらここまで気を使うことはなかったのだろうが、世田谷の家は、真帆が一人で住んでいると言えども自分だけのものではないという感覚だった。

 夜の羽田空港は、閑散としていて物悲しい雰囲気だったけれど、飛行機の座席は旅行客とビジネスマンとで満席状態で賑わっていた。予定通りこれから離陸すると尚樹にメールをして、座席に深く身を沈め目を閉じた。尚樹が暮らしている家はどんな感じなのだろうとか、父の北海道の小屋の様子を勝手に妄想したりしているうちに眠っていた。リクライニングを戻すようにと客室乗務員に促されて目が覚める。眼下には街の灯りが煌めいていた。どこの街なのかはわからないのだけれど、尚樹の暮らす土地に来たのだと思うとわずかに胸の奥が熱くなったような気がした。最終便の到着を待っていた空港は、ほとんどの売店はしまっていて、バスの案内カウンターだけに明かりが灯り、最終バスの出発を告げる乗務員の声がロビーに響き渡っていた。真帆は尚樹の姿を探してロビーを見渡したのだけれど、それらしき姿を見つけることが出来なかった。携帯に何か連絡が入っていないか確認したが、離陸を知らせた真帆のメールに「了解、気をつけて」と返信があっただけで、それ以降のメールはなかった。電話をしてみたがすぐに留守電に切り替わり、とっさに残したメッセージは「着きました、真帆です」という、味気のない一言になってしまった。飛行機から降りた乗客は、ほとんどがバスに乗り込み、それ以外の人達も迎えの車に乗り込み、真帆だけがロビーに取り残された。様子を察した警備員が近づいてきて「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。迎えが来るはずなので、しばらく待たせてほしいと告げたら、これから施錠の確認に空港施設を一回りして、戻って来るまでなら良いという返事だったのだけれど、さらに警備員は「とは言え、さほど広くはない空港なのですぐに一回り出来ちゃうんだけどね」と愛想のいい笑顔を見せた。

「もし、それまでに迎えが来なかったらどうなるんですか?」と尋ねると、しばらく考え込み

「毛布ぐらいなら貸せるけどね、朝のバスが来るまでここにいるしかないかな」

と同情の眼差しを真帆に向けて「とりあえず一回りして来るよ」と去って行ってしまった。一人取り残されて、ガラス越しに外を見つめたが弱々しい光の街灯が数本見えるだけで、その先は深い闇が広がっていた。空から見た煌めく夜景の街はどこだったのだろうか、と心細くなり、携帯の画面をじっと見つめ尚樹から連絡が来るように念じてみた。そんなことをしてもメールが届いたり電話が来たりするわけはないとわかっていても、そうすることしか出来なかった。警備員は、言った通りすぐに一回りして戻ってきてしまった。

「ね、すぐでしょ」と愛想のいい年配のおじさんは、冗談めかして言った。もしかしたら、自分を不安にさせないためにおどけて見せているのだろうかと思うと、なんだか急に親近感が湧いてきて

「警備員さんは、どうやって帰るんですか?」と尋ねてみた。

「かあちゃんが迎えにくる」と言って帽子を取って頭を乱暴にかいた。

「帽子が苦手でね、こう、髪の毛がね、ピタッてなっちゃうでしょ、それが嫌なんだよ、この仕事で一番嫌なのはそれだね」と言って待合室の椅子に座って

「お嬢さんも座ったら、とりあえず」と席を勧めてくれた。

尚樹からは何も連絡がないので、しばらく警備員さんと時間を潰すつもりで話を始めた。

「ここの人じゃないね?東京?」

「はい、知り合いがこっちに仕事で来ていて」

「そう、こっちになんの仕事があるの?」

「風車の仕事です」

「フウシャね」

「風力発電の風車です」

「あぁ、知っているよ、風車、なんかデカいの作ってるよね」

「有名なんですか?」

「村をあげて誘致してるからね、みんな必死だよ。発電所が出来たら潤うからね」

「そうなんですね」

「なんにもない村だからね、いつも風が吹くだけで」

「風が吹くだけの村ですか」

「そう」

ガラス越しに灯りが走り、車のブレーキの音がした。

「おっ、来たんじゃないか?お迎え」と警備員さんは立ち上がって帽子を被った。自動ドアが開き、尚樹が走って入って来て、警備員さんに頭を深々と下げて

「ごめんないお待たせして」と大きな声で言った。私より先に警備員に謝るの?と思っていたら「なんだ尚樹くんかぁ」と警備員さんはまた帽子を取って頭をかいた。

「知り合い?」と真帆が久しぶりの再会で初めて発したのはそんな言葉だった。

「そう、箕輪さん。えっと、真帆さんです」と警備員さんに紹介される。さん付けで呼ばれたのは初めてだったので、なんだか不思議な感じがした。警備員さんは、改めて真帆に挨拶をして

「フィアンセか?」と尚樹に尋ねる。

「今時フィアンセってあまり聞かないですよ」

「じゃあなんだ?」

「えーと、カノジョとか」

「一緒だろ、結局。女っ気が無いと思ってたら、ちゃっかりいたんだ、尚樹」

「まぁ、一応」と尚樹はちらりと真帆を見た。

「これから小屋まで帰るのか?」

「はい、そのつもりです」

「気をつけなよ、暗いから」と警備員さんも真帆を見た。

「ありがとうございました」と真帆は警備員さんに頭を下げて、尚樹の脇に立った。まだ尚樹から一言も話しかけられていないと思いながら。「じゃあ行こうか」と尚樹は、真帆の荷物を持って、自動ドアの方へ歩き出した。警備員さんは、真帆に敬礼をしておどけて見せた。思わず、噴き出していると、尚樹が振り返り「どうしたの?」と訝しむ。

「別に」と言って、真帆は尚樹の腕にしがみつき寒空の下へと駆け出した。


 真帆が助手席に座ると

「ごめんね、待たせて。携帯も充電が切れてしまって。箕輪さんがいるから大丈夫だとは思ってたんだけどね」とようやく尚樹が話しかけてきた。

「やっと話しかけてくれた」

「なんか、照れ臭いね、久しぶりだと」

「子供みたい」

「確かに」

「警備員さん、いい人ね。あの人がいてくれて救われたわ。あのままロビーで一人取り残されてたら、尚樹を一生恨んだわ」

「ごめん、ごめん、ほんとに」

「冗談よ、大丈夫。どれくらいかかるの?車で」

「だいたい一時間半、飛ばせば一時間」

「安全運転でお願い」

「了解、着いたら起こすから寝ててもいいよ、真っ暗だから、景色とかないし」

「うん、飛行機でずっと寝てたから大丈夫」

「じゃあ、おしゃべりしよう」

「いいわよ。箕輪さんについて教えて」

「興味が湧いた?あの人に?」

「うん湧いた」

「あの人はね、ああ見えて大地主でね、風車の土地も今僕が住んでる家も箕輪さんのもの。警備員の仕事なんかしなくてもいいのに、空港にいるといろんな人に会えてたのしいから、って、ああして朝から夜までずっといる」

「でも、風車の話をしたら、あぁ、知ってる、って、他人事みたいに言ってたわよ、ただ風が吹くだけの村だって」

「箕輪さんにとっては、どうでもいいんだよ。鼻息荒く誘致したがってるのは村だから、どちらかというと自分の土地に巨大な風車なんか建てられて邪魔くさいとか思ってるくらいなんじゃないかな、たぶん。でも、ほったらかしにしていた海沿いの土地だから、お好きにどうぞ、って感じだったよ。最初に風車の建設の話をしに言った時から。だから、二束三文で土地を借りれた。ラッキーだよ、それでどんどん話が進んで、いまこうして僕も駆り出されている。風車を立てるのにうってつけの場所だとしても地主さんとか自治体とかいろいろと利権が絡むとなかなか話が進まないみたいなんだけど、ここは箕輪さんがいたからスムーズに話が進んだ」

「そうなんだ。じゃあ尚樹たちにとっては神様ね」

「僕はそうでもないけど、風量発電所が作られたら潤う人はたくさんいるから、そういう人にとってはそうかもね。箕輪さんがヘソを曲げたら全部パーだからね」

「そんな風には見えないね、警備員の服着てると」

「普段でも、気のいいおじさんだよ。一部には、ものすごく怖がっている人もいるみたいだけど」

助手席のシートに揺られて尚樹の声を聞いていると、飛行機であれだけ熟睡したのに、だんだんと眠気が襲ってきた。

「やっぱりちょっと眠くなってきちゃった」

と真帆は打ち明けてすぐに眠ってしまった。肩を叩かれて、起こされる。ついさっきも客室乗務員に起こされたばかりだ。もう飛行機からは降りたはずなのに誰だ、と寝ぼけた頭が考える。「真帆、真帆」と呼ぶ声に「だれ?」とぶっきらぼうに答える。「着いたよ、真帆」と言われてようやく尚樹の車に乗っていたことを思い出した。あたりは闇に包まれ、車のルームライト以外に光は見当たらなかった。どこに尚樹の家があるのかさえもわからない闇が広がっていた。慣れた足取りで尚樹は闇に向かって歩き出し、しばらくすると家の灯りがついた。小さな窓から漏れる光で真帆もようやく歩き出すことが出来た。尚樹の家は小さな平屋で、がらんとした長方形の空間が広がっていた。一番奥にベッドがあり、窓際に小さな机が置かれただけで生活感というものがほとんど感じられなかった。唯一この部屋を個性的にしているのが屋根裏へ続いていると思われる梯子が部屋の真ん中に造り付けになっていることだった。しかし梯子は梯子としては機能していなくて、尚樹のものと思われるシャツやタオルが掛けられていた。机と反対側の壁に薪ストーブがあった。尚樹は、薪ストーブのまえに椅子を二つ置いて「とりあえずここに座って」と言って、梯子にかけられたシャツやとタオルを几帳面に畳んでベッド脇の小さな棚にしまった。尚樹は、あんな風に几帳面に洗濯物を畳むんだと真帆ははじめて知った。

「疲れたでしょ、もう遅いからシャワーを浴びたら寝たほうがいいね、真帆はベッドを使って。僕はこの寝袋で大丈夫だから」と尚樹は言って洗面所の明かりをつけに立ち上がった。

「尚樹もベッドで寝ようよ」と言ってみた。

「シングルだから狭いよ、二人とも寝不足になるよ。いまの季節は床で寝袋も気持ちがいいから」

「ほんとに?」

「ほんとに」

「じゃあ、今夜は言う通りにするわ、ありがとう」と順番にシャワーを浴びて、おやすみを言って電気を消すと闇が二人を包んだ。目を開けていても閉じていても同じ闇だった。少しずつ慣れてくると、小さな窓からの青い月明かりで部屋の中の様子が薄っすらと見えてきた。尚樹はもう寝息を立てて眠っている。真帆もその寝息を聞きながら眠りに落ちた。

 ガリガリガリと尚樹は、東京にいた時と同じように手動のミルでコーヒー豆を挽く。その音で真帆は目覚める。

「おはよう、よく寝てたね。息をしていないかと思ってさっき口に手を当ててみたよ」

「そんなに?」

「あぁ」

「なんか、ここ、空気というか酸素が濃い感じ、東京に比べて」

「真帆らしい表現だね」

「変かな?」

「いや、褒めてるんだ。さすが作詞家だよ」

「からかってる風にしか聞こえないけど」

 洗面所で顔を洗って歯を磨き、パジャマがわりのスウェットのまま尚樹の机で朝食を食べる。久しぶりに飲む尚樹のコーヒーは、東京にいた時と何も変わっていないように思ったので、

「豆は前と一緒なの?」と訊いてみた。

「まさか。わざわざ東京から取り寄せたりしないよ。こんな田舎町でも焙煎屋はあってね、車で走ればわけないところに」

「そうなんだ」

「逆に、東京とからかも注文がくるみたいだよ」

「なんか不思議ね」

窓に目をやると遠くに三本の白い塔が建っていた。昨夜は暗くて周りの景色は一切見えなかったので気がつかなかったけれども、周囲の自然とは異質な白さだった。

「あの白いのはなに?」

「風車」

「羽根は?」

「こらからあの先端に取り付けるんだ」

「じゃあ、あそこに通っているの?」

「そう。こうみると近いようだけど車でないといけない距離だよ。それくらいあの塔は大きいんだ」

「なんか、怖い。暴力的な感じがするわ」

「暴力的か、確かに」

「ねぇ、この梯子は屋根裏部屋に行くため?」

「そうだと思うけど、あそこの鍵はかかったままで、開けたことはないよ」

「そうなの?」

「箕輪さんも、鍵は持ってないって言うから、別に使わないからずっとあのまま。多分、何か物置とかに使ってたんじゃないかな。他に収納がないから、この部屋には」

「梯子は外さないの?」

「取り外しはできない感じでしっかりついているみたいだから。物干しとかに使えるしね」

「もともとはだれが住んでいたの?ここ」

「なんか、画家とかアーティストの人がアトリエにしてたみたい。ここの景色が気に入って箕輪さんに頼み込んで、土地だけ借りて自分で建てたとかいう話しだったと思う。箕輪さん、ああいう人だから、説明も適当で、よくわからないんだ、僕も。ところでさぁ、どこか行きたいところある?」

「うん」真帆はスーツケースからファイルを取り出し、母が一番好きだと言っていた写真のページを開いて尚樹に見せた。

「この写真の場所に行きたいの」

「どこなの?ここ」

「わからない。尚樹、どこかでこんな風景みたことない?北海道には間違いないの」

「こんな感じの景色はどこにでもあると言えばあるし、わからないなぁ。なにか他に情報はないの?」

「無いわ。父が撮った写真でね、母が一番好きなものなの」

「お父さんは撮影旅行とかで来たのかなぁ?」

「違うの、なんかアトリエをどこかに建てて、そこに行っていたみたいなの。父は北海道の小屋、って言っていたみたいだけど」

「箕輪さんも、ここを小屋って言っているけど」

「確かにそう言っていたわね」

「どうしようか?あてもなく探しても見つからない気がするけど」

「そうよね、北海道は広いし」

「でも。一週間あるからのんびり車でぐるっと回ることは出来るよ。ここにいても仕方ないし、走ってみる?」

「なんか楽しそうね、それも」

「じゃあ、そうしようか」

 そんな会話を経て、それからの四日間、ただあてもなく北海道の道を父の写真の風景に出会うことを願って走った。しかし取り立てて目印になるものが写り込んでいるわけではないので、似たような景色にはいくつも遭遇したが、ここだと言い切れる場所には巡り会えないまま四日後に尚樹の家に戻ってきた。

「もう明後日には帰らなくちゃ」

「そうか、早いなぁ」

「明日は、のんびりここで過ごしたい。いい?」

「真帆がそうしたいなら、いいけど」

「食材がないから、今日のうちに買い物に行かない?明日は引きこもるから」

「わかった、じゃあ、車で街まで行こうか」

「お土産も買いたい、母に。何かある?街に」

「あのコーヒー豆屋が作ってるお菓子が唯一人気かなぁ。大抵の人はそれを買って帰るよ、ここに来たら」

「なら、それにする」

 その夜は真帆が料理をして、尚樹の家で夕食を食べ、いつもより沢山お酒も飲んだ。尚樹のシングルベッドでくっついて眠った。尚樹の腕の中は暖かく安心できる場所だったけれど、真帆は横になって見上げると視界に入ってくる屋根裏部屋の中に、何かがある、という気がして深い眠りには落ちていかなかった。

 東京へ帰る日の朝、尚樹のコーヒーを飲みながら再び窓の外を見る。

「あの白い塔が建つ前は、あそこには何があったの?」

「雑木林だったはずだよ。伐採された木が塔の周りに山積みになっているから」

「そう、じゃあここから見える景色もずいぶん違ったんだろうね」

「そうだね。僕が来た時にはすでに伐採は終わっていて、あの塔はまだ建っていなかったから本当に何もない平原が広がっていた。さらにその前は、雑木林が広がっていたんだろうね。箕輪さんならその頃のことを知っているはずだけど」

「そうね」真帆は、窓の外に広がる雑木林を想像してみたけれど、白い三本の塔の印象が強すぎて、上手くイメージが湧いてこなかった。空港まで尚樹に送ってもらい出発ロビーに着くと、箕輪さんの姿があったので真帆たちは近づいて声を掛けた。

「こんにちは」

「おや、こんにちは。もうお帰り?」

「はい、帰ります。あの夜はほんとうにありがとうございました」と真帆は重ねてお礼を言った。

「また来ることがあったら、飲みに行きましょうよ、尚樹くんとね」

「是非」

その時は、またすぐに会いに来ることになるとは想像もしていなかったので、真帆は別れを惜しんでいつまでも手を振ったのだった。


 北海道から帰った翌日に、お土産を持って母に会いに行った。夏の施設は、雑木林の緑が一段と濃くなって、建物全体を葉が飲み込んでいるようだった。母は自分の部屋から出て大きなガラス張りの廊下でぼんやりと外を眺めていた。真帆が声をかけると振り向き嬉しそうに微笑んだ。自分だと分かってくれたようでほっとする。

「何してるの?ここで」

「部屋は冷房が効き過ぎて寒いから陽に当たってたの」

「温度を上げてもらえばいいじゃない」

「お願いしたわよ、でも、寒いの。それ以上あげると切ったのと同じだって言われて。でも切ったら熱中症になるからって。上手くいかないのよ」

「そう、仕方ないわね。寒かったら何か着れば良いし、熱中症は怖いものね。北海道のお土産持って来たの」

「あら、ありがとう。とりあえず部屋に行きましょう」

と母について部屋に向かった。ますます背中が痩せてきたように見えるけれど、夏だから薄着をしているせいかとも思い、何も言わずにいた。

「はい、これ、お土産」と尚樹に勧められたコーヒー豆屋のお菓子を母に渡した。

「あら、懐かしい。なんで知っているの?真帆ちゃん」

「知ってるって何を?」

「このお菓子。お父さんがいつも買って来てくれていたのよ、北海道に行った時には」

「お父さんが?」

「それで買ってきてくれたんじゃないの?」

「尚樹さんに勧められて。彼が住んでいる町では、みんなこれをお土産にするって。というか、これしかないって言っていたけど」

「学者さんね。どこそれは?北海道の」

「瑠伊別町」

「ルイベツ」

「知ってるの?」

「思い出したわ。お父さんの小屋もそこだったわ。ルイベツって言っていたわ」

「ほんとに?」

「確かそんな名前よ」

「北海道の地名ってアイヌ語を日本語に置き換えてるみたいだから似たような響きの地名は沢山あるのよ。ほんとにルイベツチョウ?」

「そんな風に言われると、自信がないけど。調べてみたらいいじゃない、真帆ちゃんが」

「調べるって。どうやって?」

「知らないわよ、そんなこと。自分で考えて」

と母をちょっと不機嫌にさせてしまった。真帆は、黙ってお茶を入れてもう一度仕切り直しのつもりで話題を変えて話し始めた。

「そこに風車を建てているの、尚樹さん。でもね、なんか広大な自然の中に突然、大きな塔みたいなのが立っていて、暴力的だったわ」

「暴力的?」母はその言葉に反応した。

「そう。人が自然の中に土足で入り込んで威張っているみたい」

「地元に昔からいる人にお父さんの写真を見せたらいいのよ」と母は真帆の風車の話題を無視して言った。

「わかるはずよ、きっと、あの写真の場所が」

「でもね、車でかなり走ったんだけど、似たような景色は沢山あるの、北海道って」

「真帆ちゃんには似たような景色かもしれないけど、地元の人は区別がつくわよ、そうじゃない?真帆ちゃんだって、都心のビルを見たら、どこのビルだか分かるでしょ?田舎の人は、ビルはビルよ。どこにいるかなんて全然わからないわよ。それと一緒」

確かに母の言うことは正しいように思えた。尚樹と私とで探したところで見つかるわけはなかったのだ。どうしてそんなことに気がつかなかったのか。それこそ箕輪さんみたいな人に写真を見せるべきだったのだ。そう思うと今すぐにでもまた飛行機に乗って箕輪さんのいる空港まで飛んで行きたくなった。しかしもうお盆を目前に控えていて飛行機のチケットなんて取れるとは思えなかった。何か方法はないかと思案していると、母が

「真帆ちゃん、何考えてるの?」と尋ねる。

「飛行機のチケットとれないかなぁ、って。もうお盆だから全部満席よね、きっと」

「そうねぇ。コネとかないの?歌手の人とか、融通効くんじゃない?そういうことできそうじゃない」という母に

「そうね」と曖昧に答える程度にしておいた。

 この日の母は冴えていた。認知症なんていうのは嘘なのではないかと疑いたくなる。自分の都合のいいように忘れてしまい、知らないふりをして、分からないと言う、そういうことなのではないかと思ってしまうくらいに。もし、ほんとうにそうだとしたら、母は何を忘れてしまいたいのだろうか、そして知らないふりをして、何を分からないことにしてしまいたいのだろうか。全く想像もつかない。真帆は実は母のことを何も知らないのではないかと目の前にいる小さくなった母を見つめた。

「そろそろ帰るね。また来るから」

と言うと、母は少し悲しそうな顔をして

「お父さんに会ったら、今度はコーヒーのお菓子じゃないお土産がいい、って伝えてくれる」と言った。

「それは私が買ってきたお土産だよ」と口にしそうになって、咄嗟にやめた。

「わかった、言っておく」と言って母の部屋を後にした。

 バスを待ちながら、本当に母の言うように業界人達のコネを使ってみようかと考える。多分、Aさんのマネージャーならすぐになんとかしてくれるのではないかと思えた。しかしAさんとは、これから先も良好な関係で仕事をしていきたいと思っているので、こんなプライベートなことで借りを作ってしまうのは違う気がした。そうなると誰だ?と考えてみると、斉木の顔が思い浮かんだ。斉木にならこれくらいの頼み事をしても借りを作るということにはならないような気がした。今、斉木は例のドラマのアイドルでミリオンセラーを出して調子に乗っている。恐らく良い思いをしているに違いない。少しくらい真帆に還元されてもバチは当たらないのではないかとも思って、斉木の携帯に電話をかけた。斉木との連絡は、普段必ずメールでしているのだけれど、こういう頼み事をメールですると、どんな答えが来るのかと返信が来るまでそわそわしてしまうし、急いでもいたので電話で即答してもらいたかった。斉木はワンコールで電話に出て

「真帆さん?嬉しいなぁ、真帆さんから電話くれるなんて、どうしました?」

と畳み掛けてくる。真帆もその勢いに圧されないように単刀直入に要件を伝えた。

「どうしてもすぐに北海道に行きたいの。斉木くん、飛行機のチケット取れる?お盆だけど」と。

「唐突ですね、何しに行くんですか?」

「理由が必要?取れるの取れないの?」

「たぶん、大丈夫だと思いますけど、真帆さんにはお世話になってますから、なんとかしますよ。真帆さんの一人分でいいんですよね?」

「そう一人」

「なんか事情がありそうで気になりますけど、あとで教えてくださいね」

「考えとく」

「とりあえず、あたって見ますから、ちょっと時間をください。連絡します」

「ありがとう。待ってる」と言って、一旦電話を切った。恐らく斉木も誰かに借りを作って頼み込んでいるのだろう。一時間も経たないうちに斉木から電話がかかってきた。

「明日の最終便だったら、取れますけど、いいですかそれで?」と言う。あまりにすぐなので一瞬考えてしまったけれど、これはすぐに行けということなんだろうと思い

「お願い、それでいいわ」と答え、また電話を切った。しばらくすると、オンラインチケットのURLがメールに届き

「これでチェックインすれば大丈夫です。良い旅を」とメッセージが書かれていた。尚樹にはなんと言おう。帰って二日後にまた来るなんて、さすがに驚くだろう。かと言って何も告げないのはさらにおかしい。簡潔に母との会話のことを伝えて、正直に話すことにした。

「東京に帰って、あのお土産を持って母に会いに行ったら、コーヒーのお菓子のことを知ってました。父がいつも買って帰っていたみたいで。もしかしたら父のアトリエというか小屋もそこにあったのではないかと思って。もう一度行って確かめたいので、あすの最終便でそっちに行きます。父の写真を箕輪さんに見てもらおうと思います。私たちにはどこも似たような景色に見えたけど、地元の人には違いがわかるはず、と母に言われて、その通りだなって思って。急な話だから迎えにきてくれたら嬉しいけど、無理なら大丈夫です。ひとりでなんとかします。空港には箕輪さんもいるし。取り急ぎ、そんなことになりましたので。真帆」

尚樹からはすぐには返信がなかった。たぶん仕事中なのだろうと思って、とりあえずまた旅の準備をした。帰りのチケットまでは手配していないので、何日分の用意をしたらいいのだろうと想像してみる。尚樹のところにいられるとしたら特段の準備はいらないし、すぐに行けなかったとしても二、三日分で大丈夫かと思い、移動しやすいようになるべく荷物は少なくすることにした。バックパックに荷物を詰め込んでいるとメールの着信音が鳴った。尚樹からだった。

「そんな偶然ってあるんだね。明日は調整がつかないから迎えにはいけないけど、明後日は休みをとったから。明日は箕輪さんの家にお世話になって。さっき連絡しておいたので。たぶん奥さんがご馳走を作って待っていてくれるはずだよ。取り急ぎ、そういう感じで。また、連絡するね。良い旅を」斉木と同じ締めの言葉だった。

 すでにお盆休みの家族連れや帰省の人々で空港のロビーは最終便の時刻と言えども、ごった返していた。わずか数日前の様子とはかなり違う。自分が普通の世の中の人々とは違う時間軸で生活していることを改めて気づかされる。斉木が用意してくれたチケットは、プレミアムシートと呼ばれるVIPが利用するもののようで、搭乗するルートから、みんなとは違う順路が用意されていた。そんなシートに自分が案内される居心地の悪さとは対照的にシートは恐ろしく広く快適だった。一時間半というフライトで利用するのは勿体無いと思った。そういうことを思ってしまうところからして極めて自分が庶民的だと思う。箕輪さんのいる空港に降り立ち、ここでも特別扱いでロビーまで案内されて、真帆は真っ先に箕輪さんの姿を探した。箕輪さんの方が、すぐに真帆の姿を見つけて駆け寄ってきた。「真帆さん、今日はプレミアムですかぁ、すごいなぁ」とニコニコしている。箕輪さんだって実はいつもプレミアムシートを利用しているのではないかと真帆は思った。

「こんばんは。急にすいません」

「尚樹くんから連絡もらってちょっとびっくりしたけど、今夜はウチでゆっくりしていってよ、かあちゃんが張り切って晩飯つくって待ってるから」

と警備の仕事など忘れているようなので

「あっ、お仕事に戻ってください。私はここで待ってますから」と真帆は言った。

「大丈夫、大丈夫、なにも起こらないよ、この町は平和だから」

と、この前のように帽子を取って頭を掻いている。

「三十分くらい待ってもらうけど。その辺に座ってて」

と箕輪さんは一応仕事に戻っていった。尚樹に無事について箕輪さんにも会えたとメールを入れておいた。それからプレミアムシートを用意してくれた斉木にもお礼のメールを入れた。箕輪さんの仕事が終わるのを待っている間に二人から返信があり、尚樹は「了解。箕輪さんにくれぐれもよろしく」とだけ、斉木は「どういたしまして。ところで帰りのチケットは大丈夫?もし必要なら言って下さい、手配しますよ」と書いてあった。尚樹には返信をするほどの内容ではないと思いそのままにして、斉木にだけ返信をした。

「そうですね、慌てていて帰りのことは考えてなかった。もしかしたらお願いするかもしれません。戻りの予定が決まったら連絡します」と。ちょうどその時、空港ロビーのテレビに真帆が歌詞を書いたドラマの予告が流れていた。レギュラー放送は終わったのだけれど、夏休みの特別編が放送されるようだった。告知では、サビの「青い月とうそつき」というフレーズが繰り返されていた。田舎の小さな空港で聞く自分の歌詞は、もう自分の言葉ではないように真帆の耳に届いてきた。箕輪さんの運転する車で、箕輪さんの家まで向かった。尚樹が大地主だと言っていたので、どんな豪邸に連れて行かれるのかと思って少し緊張していたのだけれど、案内された家はこじんまりとしたマンションだった。エレベーターを待ちながら箕輪さんが

「昔はね、このマンションも全室埋まっていたんだけどね、スチュワーデスさんがたくさんいたからね」と言う。真帆が

「CAさん」と言い直すと

「いまはそう言うんだったね」と箕輪さんは照れている。

「この前も、尚樹になんか指摘されたなぁ、なんだっけ?」

「フィアンセです」

「あっ、それだ。よく覚えてるね」

「言葉に敏感なんです、職業柄」

「真帆さん、お仕事は?」

「作詞をしてます」

「作詞って?」

「歌の歌詞です」

「へぇ、すごいねぇ」

「でも、若い人の歌だから、箕輪さんは知らないと思います」

「へぇー」と箕輪さんが言ったきり、会話が続かなくなった。いまはヒット曲と言ったって、ある一部の世代でヒットするだけで、真帆が子供だった頃のように日本国中が知っているような歌はなくなってしまった。真帆が曲名を言ったところで、箕輪さんは「へぇー」と言うくらいしかリアクションしないだろうと思って詳しくは話さなかった。

 箕輪さんの奥さんは、刺身、煮物、天ぷら、ちらし寿司、など昔、真帆の母も来客があるとよく作っていたご馳走を用意してくれていた。居間にはテレビがついていて、その真ん中にあるテーブルにまるで家族の一員のように座り、直箸でご馳走を突いた。

「どんどん食べてね、遠慮しないで。なんか娘が出来たみたいでうれしいわ、ねえ、お父さん」と箕輪さんの奥さんはニコニコしている。真帆は、箕輪さんと同じ笑顔だと思った。夫婦は長年連れ添うと似てくると言うのは本当なんだと二人を見ていると実感できた。真帆の父と母は、一緒にいる時間がほとんどなかったせいだろうか、似ていると思ったことは一度もなかった。

「あっ、特番やるのね、これ」と奥さんがテレビを見ながら言う。空港のロビーで見たあのドラマの告知が流れていた。真帆は、さっきの箕輪さんとの会話の続きのつもりで

「この歌、書いたんです」

と言ってみた。すると箕輪さんは、奥さんに真帆の仕事について説明し始めた。

「かあちゃん、真帆さんはなぁ、歌の歌詞を書いてる有名な人なんだ。いまの歌、書いたんだって、ドラマの」

「えー、じゃあ、会ったことある?主役の男の子、なんだっけ名前」

「はい、一度だけ。歌を録音するときにちょっと」

「えー、サインとか、ね、してもらった?」

「かあちゃん、真帆さんは仕事に行ってんだからサインしてもらうわけないだろ」

「そうなの、そうなのね、あー、びっくり、すごい、私、あの子、大好きなの、可愛らしい顔しててね」

と奥さんは、主演の彼の大ファンのようだった。ミリオンセラーとはこういうファンにも支持されて成し遂げられるものなのだろうと、斉木に報告する話が出来たと思った。

「で、尚樹くんがなんか写真を見てほしいとか言ってたんだけど、そのためにきたんでしょ?今回は」と箕輪さんが本題に触れてくれたので、ファイルを出して説明をさせてもらうことにした。

「かあちゃん、ちょっとテレビ消して」と箕輪さんは言って、聞く態勢になった。

「どこからお話ししたらいいのか、ちょっと混乱しているんですが、とりあえずお話しさせていただきます。私の父は写真家でした。もう亡くなって十年以上になります。母はまだ健在ですが、いまは少し認知症を患っていて施設に入っています。父は仕事を全く家庭に持ち込まない人だったので、どんな写真を撮っていたのかも、私達はよくわかっていませんでした。自宅とは別にアトリエを持っていてほとんどそこにいるか、撮影旅行に行っているかで、一緒に過ごした時間はわずかでした。でも、母は父のことが大好きでした。いまでもそうです。父の写真について母が何かを言ったことなどいままで聞いたことがなかったんです。どの写真が好きとか。でも、施設に入るってことに決めて場所を探し始めたら、母が、ここがいい、って言い出したところがあって、理由を聞いたら、父が撮った写真で一番好きなものの景色に似ているから、って。その雑木林が写っている写真がこれです。母が言うには、父は亡くなる何年か前から北海道にアトリエを作って好きな景色の写真を撮っていたようなんです。たぶん母の好きなその写真は、そのアトリエのある北海道で撮られたものなんじゃないかって。だから、もし出来たら、今度そこに母を連れて行きたいって思っていたんです。そんな時期に尚樹さんが北海道に行くことになって、私はその父の写真が撮られた場所がわかれば行ってみたいなぁって思って、この前、このファイルを持って尚樹さんと道内を車で走ったんです。でも、似たような景色はたくさんあったんですけど、はっきりと父の写真と同じ場所だと言えるところは見つかりませんでした。その話を母にしたら、地元の人に見てもらわないと違いなんてわからないんじゃない、って言われて。それと、この前、尚樹さんに勧められてコーヒー屋さんのお菓子をお土産に買って帰って母に渡したら、そのお菓子は父がいつも買ってきたものだって言われて、もしかしたら、尚樹さんがいまいるこの辺りに父もいたんじゃないかって。それを確かめたくて、この父の写真を箕輪さんにみてもらおうと、こうしてやってきたんです」ここまで一気に話した真帆に、箕輪さんはすぐに

「たぶん、間違いなくここだよ。一応、写真を見せてもらおうか」と答え、真帆の持ってきたファイルを受け取って一ページずつゆっくりめくった。

「真帆さん、ここはね、あの風車のあるところだよ」

「尚樹の?」

「そう。まだ雑木林を伐採する前のあそこだよ。毎日見ていた景色だからわかる、私には。このマンションに引っ越してくるまでは、私達もあの土地にいたんだ、ずっとね。風車を建てたいという話があって土地を貸すことにして、ここに越してきた。もうあんな広い土地を自分で管理するのにも疲れてしまっていたからね」

「じゃあ、もしかして」

「知っているよ、お父さんを」と、あまりにもあっけなく父の過去につながった。

「聞かせてください」

「突然だったよ。昼飯を家で食べていたら、訪ねてきてね。カメラマンだと言って、ここの景色を撮りたいので、許可をくれって。別にね、勝手に撮っていいよ、って言ったら、出来ればここに暮らしながら撮りたいんだって。住むとこなんてないよ、って言ったら土地を貸してくれたら自分で小屋を建てるからって。まぁ、すごい熱意だったよ。だから好きなとこに建てて良いよって。それで建てたのがあの小屋だよ、尚樹くんがいる」

「そうなんですね、なんとなく、そんな気もしてたんです、やっぱり」

「あの雑木林があんな風に伐採されてしまって、もう、あそこを見たくなくてね、このマンションに来た。自分たちで貸すって決めたんだから自業自得だけどね。もう一度、このお父さんの写真みたいな景色にもどってくれたらなぁ、って思うよ。町も風車が建ったほうが潤うから私達に土地を貸すようにしつこく言ってきてね。ひどいもんだよ、お金お金で。残念だけど、真帆さんのお母さんに見せる景色はもうなくなってしまったんだよ」

 その夜、真帆は、箕輪さんの用意してくれた布団の中で、もう一度あそこに風車のない景色を取り戻す方法がどこかにないのだろうかと考えながら眠りについた。


 翌朝、箕輪さんが空港に出勤するのと入れ替わりに尚樹が迎えにきた。

「おはようございます。昨夜はありがとうございました」と尚樹はまた、真帆に声をかける前に箕輪さんに挨拶をした。

「真帆さん、ありがとう。お父さんの写真を見せてくれて」と箕輪さんは言って出勤していった。尚樹の家に向かう車の中で、昨夜の箕輪さんとの話を報告した。

「父のあの写真はあそこだって。雑木林が伐採される前の」

「そうだったんだ」と尚樹は浮かない返事をした。

「でも、面影ないから全然分からなかったね、白い塔しかないしね。場所がわかってよかったけど、母を父の写真の場所に連れていくことはできなくなっちゃった」

「そうかなぁ」

「だって、景色が変わってしまってるし」

「もとに戻せばいいんだよ」

「どうやって?」

「この前、真帆に言われて考えたんだ」

「私、何か言った?」

「暴力的だって、あの塔が」

「あぁ、それ」

「僕は研究者だから、直接あの塔の建設に関わっているわけではないけど、暴力的だと言われてはっとした。自然エネルギーだと言って良いことばかりを見てきた気がする。でも、実際にはあそこの雑木林をすべて伐採している。もともとあった自然を壊して自然エネルギーを作ろうとしている。どこかに矛盾がある。あそこの土地は、実際風車を建てるには理想的な場所だよ、理論上は。それを数値として証明するのが僕の仕事だ。建設を推進するためのお墨付きを与えるんだ。でも、それは学術上の理屈であるだけで、本当にあそこに建てるべきかは、それだけで決めていいわけではないと、いまは思っている」

「いまさら、やめるってこと?」

「僕らが不適切な場所だと、数値で示せば白紙に戻る」

「そんなこと、出来るの?不正になるんじゃない?」

「そうだね、研究者の仕事としては、NG。もしバレたら、もうこの研究に携わることはできなくなる。場合によっては研究者としても、もうやっていけなくなるかもしれない」

「じゃあ、無理ね、そんなこと」

「それは、僕が決めることだよ。君のお母さんにあそこを元の姿に近づけて見せるために、風車建設をやめさせる、というのも立派な理由だと思うけど」

「本気で言っているの?母は認知症だし、あそこを見たって、それが父の写真の場所だとは分からない可能性もあるのよ、可能性というか、たぶん分からないわ」

「それでも見たという事実には変わりはないよ、それでも良いんじゃないかな」

「ちょっと冷静に考えて。もし、私のためとか思っているんだったら、そんなことは望んでいないわ」

「そんなことはないよ、真帆はどこかであそこを元に戻したいと思っているはずだよ。それは当然のことだと思う。僕が真帆の立場だったらそう考えるよ、きっと。暴力的なことを気がつかないうちやってしまっているのは、罪なことだよ。やめられるならやめるべきだと思う」

真帆は、尚樹の言う通り、昨夜、あそこに風車のない景色を取り戻すことを考えていた。そこで、しばらく会話は途切れ真帆は窓に流れる広大な景色をぼんやり眺めていた。父も同じ景色を見ていたに違いないと思いながら。

「それとね」と真帆は続けた。

「尚樹が住んでる家、父が建てたんだって」

「そんな気がしてた。写真があそこの景色だったら、そうだろうね。箕輪さんがアーティストって言ってたのは、お父さんのことだったんだ」

「だから、あの小屋の窓から見える景色が母の一番のお気に入りってことよ」

「ますます、あそこにお連れしないと、お母さんを」

 昼間に走ったので、この前よりもずいぶん早く尚樹の家に着きそうだった。遠くから見えた家は、真帆の好きなデレクジャーマンの本にあった小屋のような佇まいをしていた。もしかしたら父も好きで真似をしたのではないかと思えるくらい似ていた。庭の水やりをするジャーマンの写真と父の姿が重なる。似ているのは小屋だけではないように思う。真帆の記憶の中の父の姿は、いつもおしゃれで少し近寄りがたいオーラがあった。母が父をあんなに好きだった理由が、真帆は歳を重ねるとわかってきていた。尚樹の部屋は数日前にいた時と少しだけ何かが違うような気がした。

「何か変えた?」と尚樹に訊いてみたけれど「何も」とそっけない返事だったので気のせいかと思い特に深くは考えないようにした。真帆は梯子の先の屋根裏部屋の扉に目をやる。あの程度の鍵なら、なんとかすれば開けられそうだと思った。この前、私を空港まで送ってくれた帰りに買い物をしたというので、冷蔵庫には何日か分の食材が入っていた。尚樹は東京にいた頃から基本的に外食はせずに自炊をしていたので大概の料理は出来た。研究者の見習いの時期に、給料だけでは食べていくのがやっとだったので、こっそり夜のカフェでアルバイトをしていた。一人で任されていた深夜のカフェは、一通りの料理を覚えるにはうってつけだった。終電の時刻を過ぎると、そのカフェには近所の常連しかいなくなり、客は小腹が空くと尚樹にその時にある食材で何かを作ってくれというのだった。メニューにはないその夜食を常連たちは楽しみにしていて、尚樹は実験をする感覚で有りあまりの材料で創作料理を振る舞った。たまに、これは失敗かと思われる出来のものでも常連客たちは各々に改善ポイントを指摘しながら喜んで食べていた。お陰でレパートリーだけはどんどん増えていったのだった。真帆もそんな尚樹の料理のいちファンとして深夜のカフェに通うようになった。時には、ひとり奥まった席に隠れるようにして作詞をすることもあったのだけれど、大抵はカウンターに座り尚樹の料理をする動作をぼんやり眺めながら時間を過ごした。いつしかプライベートな会話もするようになり真帆は尚樹に恋をしているのだと告白をした。深夜二時に店を閉めて、尚樹は真帆のマンションに一緒に帰るようになった。その頃には真帆はすでにいくつかのヒット曲を手がけていて、尚樹が知っている曲もあった。しかし、尚樹はそんな真帆にミーハーな興味を抱くことは一切なく、ただ一人の歳上の女として見てくれていた。確実に真帆の収入の方が上回っていたのだけれど、尚樹はそれをあてにすることはなく質素な生活をしていた。「もう少し頑張れば研究者として食べていけるようになるから」と真帆には話し、実際、交際をしてから一年後くらいに正式に大学の研究室に招かれ、いまの研究者としての生活をはじめた。


「今日は尚樹が作って、ご飯」

「いいよ」

「カフェでやってたみたいに、おまかせの何でもありな感じで」

「懐かしいね、あの店。まだあるかなぁ」

「あるよ、きっとあのマスターのことだから淡々とやってそう」

「確かに。今度東京に帰ったら一緒にいってみようか」

「いいわね」

 尚樹が台所に立って手際よく料理をする姿を眺めながら真帆は赤ワインを飲んだ。一品完成しては尚樹も一旦座り、一緒に食べ、しばらくするとまた次の料理をしに台所に立つ、ということを何度か繰り返し、最後のパスタまで二時間くらいかけてだらだらと夜を過ごした。二人とも、これからのことが、まだ手をつけていない夏休みの宿題のように頭の中に居座っていて、ワインの二本目を空けるくらい飲んでいるのだけれど、酔いはさほど回ってこなかった。

「屋根裏部屋、開けてみない?」真帆は尚樹のグラスにワインを注ぎながら提案をしてみた。

「気になる?」

「うん、この前から、ちょっと」

「いいけど、鍵を壊すことになるから、一応、箕輪さんに断りを入れた方がいいかもね」

「そっかぁ」

「今日はもう遅いから、明日連絡してみるよ。たぶん良いと言うとは思うけど」

「じゃあ、そうして」

「明日は午前中だけ仕事に行かなくちゃ行けないから。昼には帰ってくるから、それから開けようか。事務所から道具箱をもってくるよ、ここには何もないから」

「わかった」


 翌朝、尚樹を送り出してから真帆は小屋の周りをぶらぶらと散策した。尚樹が雑草を抜いたと思われる形跡はあるのだけれど、庭とは呼べない何も手入れがされていない状態の乾いた土地が広がっていた。しかし、父はあのデレクジャーマンの庭のように手入れをしていたのではないかと思った。それは、世田谷の家がそうであるように、父はこまめに庭に手を入れ植物を育てて、被写体としていたからだった。おそらく、ここの庭の植物達の写真もキャビネットのどこかにあるのだろう。帰ったら探してみようと思う。北の大地で育つ植物だから他とは見分けがつくはずだ。尚樹は、予定通り正午を少し過ぎた頃、帰ってきた。

「なんかね、町役場の担当から電話があって、箕輪さんがちょっと話があるから時間をくれないかって言ってきたんだって。なにか聞いてるかって訊かれたよ」

「そう、もしかして」

「なに?」

「風車のことかなあ」

「なんか言ってたの?」

「父の写真を見て、この写真みたいな景色にもどってくれたらなぁ、って」

「それだ、きっと」

「屋根裏部屋のことは電話したの?」

「朝一でしたけど、風車のことは何も言ってなかったよ。鍵は壊しても良いって」

「そう、じゃあ、やりましょう。風車のことは箕輪さんに任せましょう。私たちがどうこうできる話でもないでしょ。そのうち連絡があるわよ、きっと」

「そうだけど」

「尚樹だって、なくなればなくしたほうが良いんでしょ?風車。一緒になってそういう方向に持っていけば、箕輪さんが本当にそうしたいと思ってたら、そうなるんでしょ?」

「確実にそうなる」

真帆の携帯が鳴る。母のいる施設からだった。いやな胸騒ぎがした。電話に出ると、施設の担当の女性が淡々と要件を話した。

「ここ数日、お母様の食欲がなくなってしまって、ほとんど食べ物を口にしなくなってしまいまして、とりあえず点滴で栄養を取ってもらっていたんですが、今朝、念のため提携の病院に検査のため移っていただきました。検査の結果が出るまでは費用はこちらで負担いたしますので、ご心配はなさらないでください。ただ検査結果次第では、そのまま入院治療を勧められることもありまして、そうなると、ご家族とのご相談でどうするかを決めさせていただくことになります。明後日には一旦検査結果が出ますので、ご足労いただきたいのですが、ご都合はいかがですか?」と。北海道にいることを伝え、飛行機のチケットが取れるかどうか確認して折り返すことにした。やはり、この前会いにいった時に、ずいぶん痩せてしまったと思ったのは、何か不調があったからなのだと思った。気づいていたのだから、ひとこと言ってあげればよかったと後悔した。しかし、もう過ぎてしまったことだ、とりあえず、すぐに帰って顔を見たいと思った。しかし、お盆の真っ只中だ、普通に飛行機のチケットが取れるとは思えなかった。斉木に頼るしかないか、とその場ですぐに電話をした。「はい、斉木トラベルです」と、斉木が冗談で電話口に出る。真帆は、こんな時に間の悪い冗談をと少しイラっとしたが、自分からのお願い事なので気持ちを抑えて冷静に要件を伝えた。

「斉木くん、お願いがあるの。やっぱりチケットお願い。すぐに帰らなくちゃならなくなって」

「そうなることを予測してちゃんと手を回してますから大丈夫ですよ」

「ありがとう」

「一旦、切りますよ。手配してすぐ連絡します。でも、何があったんです」

「母が入院」

「それは、まずいですね、すぐやります」

と斉木は真面目なトーンに切り替わり、電話を切った。その会話を聞いていた尚樹は

「さすがだね、そんな風に手を回してくれるコネがあるんだ」と驚いている。

「あまり借りは作りたくないんだけど、こういう時には役に立つのね、こういう業界のひとは」と冷静を装い、答えた。まさか電話の相手が元彼だとは言えないと思いつつ。斉木からはすぐに連絡があり、翌朝の第一便が用意出来たと言う。またプレミアムかと訊いたら、そうだと言う。一体、斉木はどんなコネを使っているのかと少し恐ろしくなる。大きな借りを作ってしまったかもしれない。施設にも明日には帰ると電話をして、母の入院先の住所を教えてもらった。

「ということで、明日朝、送ってくれる?」

「わかった、ちょうど土曜日でよかった」

「なんか、あそこ開けるの、またにしようかなぁ。気分じゃなくなっちゃった」

「そうだね、お母さんが落ち着いたらまたくればいい。あるいは、お母さんと一緒に」

「そうする。箕輪さんのこともあるし、またすぐ来ることになりそうよね」

「たぶんね」


 母は施設と同じ町田市内にある総合病院に移されていた。てっきり寝たきりで酸素マスクをつけられていたりするのかと思って覚悟をして病室に入ったら、母はベッドのリクライニングを起こし、雑誌をめくっていた。

「あら、真帆ちゃん、北海道にいたんじゃないの?」

「今朝帰ってきた、入院したって聞いたから」

「いいのに、検査よ、検査」

「何言ってんの、食べれなくなってたんでしょ?」

「食欲が無かっただけよ」

「そんなに痩せて、何もないわけないじゃない」

「そんなに怒らないでよ」

「ごめんなさい」

「北海道は、どうだったの?わかった?場所?」

 今日の母は、きちんと事情がわかっているようだった。しかし、いつどのタイミングで認知症の症状が出るのかわからないので、真帆は、手短に全てを伝えようと話をした。

「お父さんの小屋も、写真の場所も分かったから、元気になって、そこに行こう」

「そうなの?やっぱりルイベツチョウって言うところ?」

「そうよ、お母さんの言う通りだったわ。尚樹さんもいまはそこにいるのよ。だからいつ行っても大丈夫よ」

「そう。あの写真の景色があるのね」

「そうよ」と真帆は答えてみたのだけれど、本当のことを話したほうがよかったのかもしれないとすぐに後悔した。まるで、もう本当は母をあそこに連れて行くことが出来ないのだということを自分で認めてしまっているのではないかと思えたからだった。

「明日、検査結果が出るみたいだから、それで何でもなかったら、行こうよ、北海道」

「そうね」

しかし、そんな遠方への旅行を医者が許可してくれるのかはわからなかった。もし、駄目だと言われたら、母は落胆するだろうか、それとも、もう自覚をしているだろうか。母の表情からはそれはわからなかった。

「真帆ちゃん、私の骨は、あそこに撒いて欲しいの。お父さんの写真のところ」

「何言ってんの、まだ、早いよ、行くんだから、そこには」

「大変よ、こんな状態の老人と旅するなんて」

「大丈夫よ、大丈夫。お母さんが言う通り、私にはコネがあるから、歌手の人とかの。今度だってプレミアムシートっていうVIPが使う席で行ったんだから」

「そう、よかったね」と母は、雑誌を置いて布団を被って横になった。真帆は、滲んできた涙を堪えてリクライニングを戻してあげた。

「ありがとう」と母は言って、目を閉じた。

 翌日、医師が真帆に伝えたのは、予測はしていたもののつらい現実だった。胃に潰瘍があり、おそらく癌だという。年齢が年齢だけにすぐに癌が進行することは考えづらいので、癌が直接の原因ではなく、食事が取れなくなり体が衰弱して危険な状態になる可能性の方が高いという。

「北海道に連れて行くことは、可能ですか?」と訊いてみた。車椅子のまま、一応、専門の介護士か医師が同伴してなら可能だという返事だったけれど、あまり勧められないと渋い顔をされた。

「認知症もあるようですし、なかなか大変だと思いますよ、旅行というのは」と、暗にやめてほしいと言っていると真帆は受け取った。施設に戻るか病院に残るかの判断は、ご家族で決めてください、と言われて、真帆が決めなくてはならなくなった。一応、本人には追加の検査という理由であと三日は、ここにいてもらうことにして、その間に、その後のことを決めることにした。相談する相手がいるとしたら、尚樹しかいなかった。事情を電話で伝えると、いまから東京に来ると言う。この際、甘えてしまおうと思い「待ってる。世田谷の家に泊まってくれて大丈夫だから」と伝えた。その日の最終便で、尚樹は東京にやってきた。チケットは、箕輪さんに頼んで手配をしてもらったと言う。やはり、そのくらいは箕輪さんにとっては容易いことのようだった。世田谷の家に尚樹が来るのは初めてだった。これで尚樹は、父の残した二つの家に寝泊まりすることになる。

「なんか、やっぱり、同じ匂いがする」と尚樹は部屋に入ると言った。

「そう?」

「なんだろうね、うまく言えないけど、お父さんの家だって感じがする」

「私にはわからないけど。北海道の小屋とはずいぶん違うわよ、広さも、築年数も」

「そうだけどね。先にここに来ていれば、あの小屋に行ったときに、何かを感じたかもしれない」

「そんなに?」

「うん、それくらい」

もう夜も遅い時間だったけれども、母のことをどうしたら良いのか、尚樹の意見を聞きたかったので、コーヒーを入れてダイニングのテーブルに座った。

「たぶんね、北海道に一緒に行くというのは現実的ではないと思う。本人もつらいかもしれない、体力的に。でも、お母さんは、お父さんの近くにいたいんじゃないかな、最後は。病院にいても、おそらく治療という治療はしないと思うよ、年齢を考えると」

「じゃあ、どうしたらいいの?」

「もう一度、ここで暮らしてみたら」

「ここ?」

「そう、この家に。ここは僕が感じるくらい真帆のお父さんの匂いがする。とても強くね。だからお母さんも、最後はここで過ごすことが出来れば幸せなんじゃないかな。それに、真帆は、お母さんと二人で、ここで暮らしたこともないんでしょ?最後に暮らしてみたら、二人で」尚樹の言う通りだと思う。

「そうね、それがいいかもね」

「でも、真帆がひとりでお母さんの介護をして暮らすというのは仕事もあるから大変だと思う、それは大丈夫?僕がこっちにいられれば話は別だけど」

「現実的には、ヘルパーさんとかをお願いするわ。それくらいのお金はあるから平気よ」

「すぐにではないけど、僕は春を待たずに北海道から帰って来ることになると思う」

「どういうこと?」

「風車の話は、白紙になるよ。僕が不正なデータを作らなくてもね」

「箕輪さん?」

「そう。箕輪さんの話はね、風車が実稼働して発電所を建設することになったら、いまの条件を見直すと言って来たんだって。いまの土地の使用料は、あくまで実験の為という理屈でね。箕輪さんが言ってきた条件だと風力発電なんて採算が合わなくなる。土地の買取りの提案もしてきたみたいだけど、それも現実的な値段ではなかった。つまりは、やめろ、ってことなんだよ。真帆に言った通り、本気であの土地を元の景色に戻すつもりみたい」

「早くてどのくらい?あの白い塔がなくなるのは」

「箕輪さん次第だけど、撤去に掛かる日数は数日だよ。だから、決まれば早い」

「間に合うかなぁ、お母さん」

「連れて行くの?」

「せっかく箕輪さんが」

「よく考えてから、決めなよ、気持ちはわかるけど」

「うん」


 尚樹は仕事を休んで、母と暮らす為の準備を手伝ってくれた。おかげで一週間後には、世田谷の家での母娘の二人暮らしがはじまった。真帆が外出の必要がある時には介護ヘルパーさんが来てくれるようにした。とは言え、作詞家の仕事は家で出来るので、ほとんどの時間を母と二人で過ごす日々だった。世田谷の家での母は、穏やかな表情になり、認知症の症状もほとんど現れなくなり、いつも陽のあたるリビングで父の残した写真を見たりして過ごしていた。父の匂いのするこの家が、母にとっては一番心が安らぐ場所のようだった。しかし、落ち着いたとは言え、日に日に食べる量は減り、週に一度様子を見に来てくれるお医者さんに、もう少し栄養を取る必要があると指摘された。食事が取れない分、栄養を補う薬の量は増え、だんだんとベッドに横になっている時間が増えてきた。尚樹は、毎日メールや電話でこちらの様子を気づかってくれて、休みが取れると一泊であっても北海道から世田谷の家に来て母の話し相手になった。母は学者さんだと認識しているときもあれば、ヘルパーさんだと思っている時もあって、その都度、尚樹は話を合わせてくれた。風車の件の進捗具合も逐一報告をくれていたが、一旦大掛かりな風車の塔を建ててしまったために、箕輪さんや尚樹が想定していたように、全てを白紙に戻すことはそう簡単ではないようだった。仮に揉めに揉めて裁判沙汰になれば、決着までに数年かかり、塔の撤去どころか、錆びついた惨めな塔が放置されたままになる可能性もあるようだった。そうなってしまえば、母をそこへ連れて行くことなど完全に不可能になってしまう。母の病と塔の撤去は、真帆と尚樹の生活の真ん中に、自分たちの力では動かすことのできない大きな岩のように居座っていた。

 そんな状況の中、真帆への作詞の依頼は増え続けていて、断らなくてはならない件数の方が多くなっていた。そのほとんどは、斉木との仕事でミリオンセラーを出したことがきっかけで、二匹目のドジョウを狙うアイドル系の男の子の仕事だった。斉木からは、同じような作風の依頼が来たら、基本、断ってほしい、と言われていて、どの仕事を受けるか受けないかまで彼に指示される立場ではないのだけれど、なんとなく似たようなことを他でもやる気にはなれなかったので、結果、斉木の希望通り断り続けている。母の介護を理由に、斉木と直接会って打ち合わせをすることも無くなり、メールだけで済ますことが出来る今の状態は、真帆にとっては理想的だった。それでもしつこく世田谷の家に母の見舞いに来たいと斉木は言い続けている。まさか、また縁を戻そうとか考えてはいないだろうけれど、斉木をこの家にあげることはあり得ないと真帆は感じている。変な言い方だけれど、なんとなく父の家が機嫌を損ねるというような感覚が湧いてくるのだった。北海道に行く前に書き上げて斉木に送った三曲を含む例のアイドルのアルバムは、発売直後から、ずっと売れ続け、九十年代の音楽業界のバブル期のようにダブルミリオンを超えていて、どこまで売り上げを伸ばすのかという話題がニュースになっていた。ここまでくると斉木はいったいどんな気分なのだろうかと訊いてみたい気もするのだが、斉木と余計な会話をしたらしたで自分が苛立つこともわかっているので敢えて売れ行きの話は触れずにいた。一度、直接会って、きちんと飛行機のチケットのお礼もしなくてはと思っているのだけれど、仕事以外で斉木に会うのは気がすすまないので、ズルズルとそのままになってしまっているのだった。


 雪が降りはじめる前に、塔を撤去することになったと尚樹からメールが届く。「そうしないと、春まで放置することになってしまうから、箕輪さんがなんとかしろ、って言い出したみたい。久しぶりに怖い箕輪さんを見たって、こっちではうわさになっている」と。真帆にはそんな箕輪さんが全く想像できない。奥さんと同じ笑顔の箕輪さんしか思い浮かばなかった。塔が撤去されれば、尚樹もあの家を引き払うことになるというので、その前にもう一度行って、あの屋根裏部屋の中を見てみたかった。母を置いて、行けるだろうかと考える。一泊ぐらいならと思うのだけれど、この家に二人で暮らしはじめてから、泊まりで家を空けたことはなかったので、判断がつかない。病院で一泊だけ過ごしてくれれば安心かとも思ってみたが、この家を出ることに母が拒否反応を示すような気がして、それも可哀想に思えた。尚樹ひとりであの扉を開けてもらうことは可能だけれど、どうしても自分の目で確かめたかった。あそこに、何かがある、ということを。尚樹と相談して、かなりの強行スケジュールになりそうだったけれども、日帰りで北海道に行くことにした。朝の第一便で行って最終便で戻ることにし、ヘルパーさんには少し長くなるけれど、母と終日過ごしてもらうお願いをすれば、母を一人にすることはなくなる。母には単に、どうしても外で打ち合わせをしなくてはならないから、とだけ伝えた。母は、ヘルパーさんがいてくれるから大丈夫よ、とにこやかに答えていた。尚樹が休みを取れる日と飛行機チケットの手配が出来る日とヘルパーさんの予定を合わせ、日にちを決めた。

 すべての手配がスムーズに進み、翌日が出発だという日の午後、母はいつもうたた寝をしている窓際の椅子に座っていた。真帆は、いつも通りに三時にお茶を淹れ、母に声をかけた。返事がないので眠ってしまったのかと思い、そっと肩に手を置いて、母の身体がいつもより冷たいことに気づいた。すぐに救急車を呼んで、救急隊員が到着し蘇生を試みたけれども、母は戻ることなく永い眠りについた。安らかな最期だったけれども、そのあっけないほどの別れに真帆は、世田谷の家にいたのは母という幻だったのではなかったのかと思った。本当は、もうずいぶん前に母はいなくなっていて自分だけがその幻と暮らしていたのではないかと。尚樹にだけは、なんとか連絡をして、すぐに来てもらうことにした。元々、休みを取っていたので、ひとまず着の身着のままに飛んできて、その後の予定は世田谷の家から事務所に連絡をして調整をしていた。父も亡くなって十年以上経つし、母の葬儀は身内だけでひっそりと済まそうと思い、必要最小限の葬儀を世田谷の家で執り行った。真帆の仕事関係の人が数人お焼香に来て、あとは介護施設と病院の関係者だけが顔を出してくれる程度で葬儀は終わった。斉木も足を運んでくれて、始めて世田谷の家にやってきた。「こんな形でここに始めて来ることになるなんて」と通夜の席で真帆に話しかけた。傍にいた尚樹が斉木に視線を向けたのがわかったが、真帆はこんな席でわざわざお互いを紹介するのも面倒だったので「そうね、今日はありがとう」とだけ言って、会話を終わりにした。母のいなくなった世田谷の家は、真帆にとっては正直元に戻ったという感覚で、不在をさびしく思うことはなかった。冷たい娘だと思いつつも、葬儀の翌日から深夜の書斎で仕事を再開した。これで母は大好きだった父とまた一緒になれたのだと考えると、安心して仕事に取りかかれた。ただ結局、北海道のあの場所へ母を連れて行けなかったことが心残りだった。あそこに骨を撒いてほしいと言っていた母の言葉を思い出し、本当にそうしてあげようかと、母の骨壷をぼんやり眺めていた。深夜に尚樹からメールが届く。葬儀を終えて早々に北海道に帰ったので、これからのことをきちんと話せずじまいだった。真帆からも連絡をしようと考えていた。尚樹からは塔の撤去の日程と、自らの引越し予定が決まったという内容のメールだった。そのことに加えて「屋根裏部屋を開けに、もう一度ここに来たら?」とあった。日程まで決めていたのに、母がこんなことになってしまい、なんとなくあの扉を開けようとしたことと、母の死を結びつけようとしている自分がいた。尚樹が引越しをしてしまったら、もう二度とあの扉を開ける機会がなくなるかもしれないのだけれど、すぐに、もう一度開けに行く、と尚樹に返信が出来なかった。メールの返信をしないまま、翌日は、母の僅かな遺品を整理した。いつも貴重品を入れていた小さな巾着を開けると、印鑑やカード類とともに、やはり父の写真も入っていた。まだ若い頃の父の写真で首からカメラを下げて、険しい顔をしてこちらを見つめていた。他には、折り畳んだ状態の小さな封筒があり、中には何か硬い感触のものが入っていた。取り出してみると鍵だった。どこかに金庫でも隠し持っているのかと考えてみたが、世田谷の家にはそれらしきものはなかったし、封筒に何かが書かれているわけでもなかった。母の死と共にもうどこの鍵かを知ることは出来なくなってしまったので不要といえば不要なのだけれど、この巾着に入れていたということは、母は大切にしていたはずだった。真帆はその鍵を母の形見として持っておくことにして、とりあえず自分の書斎のいつも目につく棚に置いた。その他、衣類など処分しても良さそうなものは、紙袋に入れてまとめてみたが、果たして捨てることが出来るかは自信がなかった。母がいなくなっても三時にお茶を淹れる習慣はすぐにはなくならず、その日はお茶を飲みながら尚樹にメールの返信を書いた。

「本当にいろいろとありがとう。尚樹がいてくれて助かりました。

いよいよ塔が撤去されるのね、よかった。元どおりの景色に戻るのはいつ頃だろうね。ずいぶん遠い未来のことのなのかな。

屋根裏部屋のこと、気にはなるのだけれど、母がいなくなった今、実は開けなくてもいいのかなぁ、って考えたりします」とそこまで書いて、さっき棚に置いた鍵のことが頭をよぎった。もしかしたら、あれは屋根裏部屋の鍵ではないのだろうか、と。そして、尚樹へのメールの続きを書いた。

「でも、さっき、ちょっと気になるものを見つけたの。鍵を。母が貴重品を入れていた巾着の中に封筒に入った状態で。もしかしたらこれが屋根裏部屋の扉の鍵なのではないかと私は感じています。母にはもう訊くことは出来ないから、実際に持っていって鍵穴に差し込んでみないとわからないよね。だから、鍵を持ってそっち行きます。引越しもあるからそんなに時間がないと思うけど、都合のいい日を教えてくれますか?

真帆」

尚樹からすぐに返信が来て、一週間後の約束をした。それまでには、塔は撤去され何もなくなった平原が広がっていると思う、と書いていた。


 北海道は、すぐそこまで冬が近づいているようで、前に来た時とはすっかり空気が入れ替わっていて、真帆は少しだけ自分が緊張していると感じた。その緊張感をひんやりとした空気が後押しをする。一泊の予定だったので身軽にトートバッグひとつで空港に降り立った。警備員の制服を着た箕輪さんが出迎えてくれて、前と何も変わらない笑顔で「いらっしゃい」と言う。やはり、みんなが怖がる箕輪さんは想像がつかない。

「こんにちは。これから小屋に行ってきます。塔はもうないんですよね?」

「昨日で三本全部撤去されたよ、すっきりとね」

「そうですか。箕輪さん、あそこはどうするつもりですか?もしかして父の写真のように、とか?」

「そうだなぁ、元に戻る頃には、自分はもうこの世にはいないけどね、 それがいいのかなぁ」と曖昧な答えをした。

「尚樹は、そのつもりなんじゃないかって言ってましたけど」

「まぁ、まぁ、冬の間は何もできないから、じっくり考えるよ。鍵があったんだって?」

「はい、たぶんあそこの鍵だと思うんですけど。母の遺品の中に」

「何か見つかるといいね。お宝が」と箕輪さんは笑った。

「はい、ありがとうございます。尚樹が迎えに来るので、ここで待ってます」と真帆は外に視線を向け、箕輪さんは「とりあえず、またね。何か見つかったら教えてね」と手を振って仕事に戻っていった。

 尚樹の家は、薪を炊いた匂いがした。もう朝晩は寒いのでストーブが必要だという。部屋は既に引越しの準備をしている様子で、もともと物が少なかったのだけれど、さらにガランとして殺風景になっていた。わずかに残された机と椅子とベッドがここに人が生活をしているという痕跡を辛うじて残している感じだった。尚樹は、真帆が緊張しているのを読み取って、鍵の話には触れずに

「今日の晩ごはんも、僕が作るよ、美味しいワインも買ってあるから」と赤白二本のワインを掲げて見せた。この時季は、もう四時を回ると暗くなり始めるはずなので、その前に扉を開けてしまおうと真帆は覚悟を決め

「梯子を登るから、念のため押さえていてくれる」と尚樹に言った。真帆は、ゆっくり梯子を登り扉に手が届くあたりで尚樹を振り返り、「さすよ」と告げ、鍵穴に持ってきた鍵を差し込んだ。するりと鍵は奥まで刺さり、右に回すとカチッといって開錠した。真帆は「あいた」と独り言とも尚樹に告げたとも取れる小さな声を出した。観音開きの扉を開くと中は暗闇で様子は見て取れない。尚樹に懐中電灯を手渡してもらい中を照らすと、アルバムが数冊と額縁が入っていると思われる箱が整理されて並んでいた。世田谷の家のキャビネットの中と似ている、と真帆は思う。

「どう?なにかあった?」と梯子の下から尚樹が問いかける。

「アルバムと、たぶん額縁」

「降ろす?やろうか?」と尚樹が言うのでお願いして、アルバム三冊と額縁と思われる箱を三つ、屋根裏部屋から取り出した。それが全てだった。梯子を降りる尚樹を見上げると、扉の内側に茶封筒が貼り付けられているのが目に入った。

「そこに封筒が貼ってある、取って」と告げ、尚樹は封筒を持って降りてきた。アルバムの写真は、父と母と幼い自分が写っている家族写真だった。どれも今まで一度も目にしたことがなかった写真ばかりで、写っている少女が自分であって自分でないような変な気分だった。母が自分の写真が世田谷の家には一枚もないと言っていたのは、すべてここにあったからなのだろうと納得がいった。三枚の額縁は、そのアルバムの中の写真を大判に伸ばして額装したもので、父、母、真帆の三人が写っていた。その中の比較的、顔がアップで撮られた写真を見た時、真帆は、なにか違和感を感じた。初めて見る幼い自分が自分ではないと感じたのとはちがう違和感だった。しかし、何度見てもその違和感の理由はわからなかった。隣で黙って一緒に写真を見ていた尚樹に「封筒、何が入ってる?」と言われて、封筒の存在を思い出し、中身を確かめた。手紙らしきものが折られて入っている。広げてみると「真紀子さんへ」という書き出しだった。真紀子は、母の名前なのだけれど、これが父の書いたものであれば、なぜ、真紀子さん、とさん付けなのだろうかと真帆は不思議に思った。父が母を、さん付けで呼んだのを聞いたことはなかった。手紙の最後の署名を見ると、拓人、と父の名があったのでやはり父が書いた手紙らしかった。とりあえず手紙を読み進めることにした。





真紀子さんへ


これが読まれているということは、もう僕はこの世にいないということなので、なんとも不思議な気分です。まずは、とにかく僕は真紀子さんにお礼を言わなくてはならない。ありがとう、本当にありがとう。真帆がきちんと育ってくれたのは君がいてくれたからだと思っている。いくら感謝してもしきれない。ありがとう。僕ひとりでは到底女の子を育てるなんていうことは出来なかったと思う。もし真帆が母親のいない家庭で育てられていたらあんな風に立派な女性にはなれなかったんじゃないかと。すべて、君のお陰だよ。仕事を理由に僕たちはほとんど一緒には過ごさなかったけれども、真帆は君を本当の母親だと思っていてくれたことが救いだったね。君が真帆の母親がわりになりたいと言ってくれた時、正直、戸惑ったよ。僕が妻として愛したのは真里子であって、君ではないからね、いくら瓜二つの双子だと言っても。君が僕に好意を寄せてくれていたことも真里子から聞いてよく知っていたしね。そのことがさらに僕を悩ませた。君の好意を利用している自分がいるんじゃないかって。真里子があんな風に先に逝ってしまったからといって、妹である君にその代わりをしてもらうなんていうことは想像もできなかった。君が「これは、真帆ちゃんとお姉ちゃんのためだから」と言った顔を今でも覚えているよ。僕は自分のことしか頭になかった馬鹿な父親だと思った。君の本当の気持ちを汲み取れなかった。父親失格だった。だからね、僕は僕にしか出来ないことで、真帆と君を幸せにしなくちゃいけないって思ったんだ。父としては失格だけど写真家として二人が喜ぶ写真を撮り続けよう、って。君は僕の写真について何も言ってくれなかったけれど、僕は好きでいてくれていると思っていた、どう?一枚でも気に入ってくれた写真があったかな?真帆もどうなんだろうか?

それでね、この屋根裏部屋に置いてある写真だけれど、見てもらえればわかるように、僕と真里子と真帆の写真だ。真帆が生まれてから二歳半までの。あと、真里子がいなくなった後の半年くらいの写真は、君と僕と真帆だ。それ以降は、家族写真は撮らないと決めたから、そこまでの全ての写真とネガだよ。三枚だけお気に入りのものを額装してある。これらを真帆に見せるのは、あの子が嫁に行く時だと思っていた。その時には、本当のことを知らせてもいいと僕は考えていた。けれど、その時が来る前に僕は先に逝かなくちゃならないみたいだ。だから、この写真を君に預けることにする。ずるいっていわれるかもしれないけど、写真を見せるか見せないかは君に任せるよ。母親である君にね。もしかしたら、真帆はずっと君が母親だと思っていた方が幸せなのかもしれないし、失格した父親は、また間違った答えをだしてしまいそうで、君に委ねるしかないと思っている。勝手な言い分だけど、よろしくお願いします。

最後に、遺言らしいことを書かせてもらうと、世田谷の家は、君と真帆が一緒に住めるように残しておくから、よかったら使って欲しい。ずいぶん古くなってしまっていて手がかかるかもしれないけれどね。それから、僕の骨は、この北海道の家から見える景色の中に撒いてほしい。理由は、真里子もここにいるから。

最後まで読んでくれてありがとう。


真紀子さん、真帆をよろしく頼んだよ。


拓人


「なんて書いてある?」と尚樹に訊かれたのだけれど、真帆は一度読んだだけではよく理解できなかったので「ごめん、よくわかんないから、ちょっと待って。もう一度読むから」と言って、また最初から読み返した。真里子とは一体、誰のことなのだ、真帆の母とは、真紀子さんとは、本当のこと、とは。父は何をしてきたのだ、母は何をしてきたのだ、自分は誰なのだ。真帆は、混乱して、ただ涙を流した。尚樹は、そんな真帆の側で、じっと黙ったまま何も訊かずにいてくれた。涙が少し乾いてきて、手紙を尚樹に渡し、真帆は額装された一枚の写真をもう一度手に取った。最初に違和感を感じたその写真の母をじっと見つめた。真帆は、気づく。それは、母ではないと。世田谷の家で一緒に暮らした母ではない、認知症を患っていた母ではない、父のことが大好きだった母ではない、尚樹を学者さんと読んでいた母ではない、母に似た誰かだった。この女性が、父の言う真里子なのだろうか。幼い自分を抱きかかえている真里子とは、誰だ。真里子には、母の右顎にあったホクロがなかった。母は頬杖を付きながらよくそのホクロを触っていた。それ以外は、母と見間違うほど、真里子は母に似ていた。手紙を読み終わった尚樹は「大丈夫?」と尋ねる。大丈夫だ、大丈夫だと自分に言い聞かせて、尚樹の顔を見る。尚樹は、そっと頬に流れる涙を拭ってくれて、やわらかく抱きしめてくれた。その夜は、そのまま何も言葉を交わすことなくベッドで眠った。

 翌朝、薪ストーブのパチパチという音で目覚める。尚樹がストーブの前にしゃがみ込み、炎とにらめっこをしている。真帆は、窓から外の景色を眺める。白い暴力的な塔は無くなり、何もない大地が広がっていた。ここに父と真里子が眠るのだと考える。尚樹が淹れてくれたいつも通りのコーヒーを飲みながら、今日はもう東京に帰らなくてはならない、そして、父の手紙に書かれていることが事実であるのか確かめなくてはならない、と自分の気持ちを前に推し進めた。屋根裏部屋にあったアルバムと額縁は、尚樹の引っ越しの荷物と一緒に世田谷の家に送ってもらうことにして、真帆はひとり東京に戻った。その何日か後には尚樹も帰ってきて、世田谷の家で一緒に暮らすことになっていた。帰ってすぐに戸籍を調べると、父が書いていた真帆の母、真里子は真帆が二歳半の時に、父と死別していた。父はその後、再婚をすることなく独身のままだった。真帆がお母さんと呼んでいた真紀子は、戸籍上は全くの他人ということになる。母の古い友人を調べて訪ね歩き、真里子と真紀子は双子の姉妹だということも確認が取れた。尚樹が世田谷の家に越してきた夜、真帆は調べた事実を尚樹に報告をした。客観的に事実だと言えるとことがある一方、もうただ推測をするしかない事がいつくも残された。あの鍵は、いつどうやって母の手に渡ったのか、そして母はそれが何かを知っていたのか、父は母に何を伝えて逝ったのか、そして、母は真帆に何を伝えるつもりだったのか、それら全てはもう、二人に訊くことができないまま、真帆と尚樹の前に置き去りにされた。ただ言えることは、父も母も真帆のことを第一に考えて生きていたのだということと、二人とも最後まで嘘をつき続けたということだった。

 今、世田谷の家にある母の遺骨を前に、やはり最後に母は事実を伝えようとしたのではないかと思った。もしかしたら認知症と言っていたのも、この事実を知らないこと、分からないことにしてしまいたかったからなのではないかとも思えた。私が、真帆の本当の母親なのだと、それが、事実なのだということで終わらせたかったのかもしれない。しかし、最後の最後にやはり真帆自身に本当の事実を見つけてもらうように仕向けることで、自らが望んだ事実も本当の事実として残しておこうとしたのではないだろうか。

 真帆は、母の最後の願いを叶えるために、またあの地へ行くことに決めた。今はもう雪が降り積もってしまったので、春になって雪が溶け大地が顔を見せた頃に、尚樹に北海道の小屋に行く提案をすることにした。


 東京の研究室に戻ってきた尚樹は、北海道での現地調査の報告を求められ、すべてを正直に話してしまったために、研究者としての職を外され、企業で言う左遷状態になり、一ヶ月後には研究室を去ることを決めた。「もともと研究者向きじゃないよね」と以前、箕輪さんに言われたことがあると、自らの判断を正当化していたが、これから先、自分が何をしていきたいかまでは見えていないようだった。真帆は、相変わらず順調に仕事の依頼が舞い込んできていて、無職になってしまった尚樹のことも、しばらくは様子を見ることにしようという余裕もあった。斉木との仕事は、スケジュールも数もムラがあり、加えて尚樹と同居をしていることもあって斉木とのやりとりに変な気を使わなくてはならなくなり、徐々に断っていくことにした。一方、Aさんとの仕事は、真帆の文学的欲求のようなものを満たしてくれる大切なものになっていた。真帆よりも一回りくらい歳上のAさんが毎回投げてくる多くの恋愛に関するテーマやキーとなる思いに、真帆は未来の自分を重ね合わせて、その世界に入り込んで言葉を紡いだ。そうすることで、今はまだ何も形を成していない尚樹との未来も見えてくるのではないかと思ってもいた。そうして生み出された恋の歌は、多くの女性の共感を得て、Aさんの新たなスタンダードとなる世界観を作りつつあった。現実の尚樹との未来は歌の世界のようには上手くいかは、わからないのだけれど。その他の依頼は、直感で受けるか受けないかを決めた。何が売れるか売れないかを考えてもわかる世界ではないので、楽しい仕事になりそうな予感がするものだけを引き受けた。その予感が百パーセント当たるわけではないが、自分の直感に頼った結果であれば、それはそれで納得ができた。そんなスタンスを貫き、ピンと来る依頼がなく断わり続けていたら、少し時間に余裕が出来たので、息抜きを兼ねて以前から行こうと話していた尚樹が昔アルバイトをしていたカフェに二人で行ってみることにした。平日の午後の空いていると思われる時間帯を狙って行ってみたら、案の定、先客は一人だけで、マスターはカウンターの中に座って本か何かを読んでいるようだった。こんにちは、と普通に入っていった尚樹と真帆にマスターは全く気付かず「お好きな席にどうぞ」と淡々と対応した。テーブル席が空いているのに、わざわざ狭いカウンター席に着いた二人を見てマスターはようやく尚樹と真帆だと気付き「おっ、なんだよ、珍しい、どうしたの?」といつも冷静なマスターが少しだけ驚いた風に言った。

「久しぶりにいってみようか、って」

「憶えていてくれて、ありがとう。北海道じゃなかったっけ?」

「帰ってきました、この前。それで、色々あって研究室も辞めました」

「あれ、そう」

「プー太郎です、尚樹。で、私の家に住んでます」

「えっ、結婚したの?」

「してません」

「単なる居候かぁ、プー太郎で、いいねぇ。あのマンション?」

「マンションは、随分前に引っ越して、世田谷の母の家に」

「同居?」

「いえ、母は、今年亡くなって」

「そう。真帆ちゃんは、あれでしょ、ドラマ、見てたよ、あの歌、そうだよね?」

「はい。ドラマバブルです、いま」

「そうだよね、売れたもんね、がっつり。よかったよかった」

とマスターは私達との再会を喜んでくれているようだった。

「じゃあ、尚樹は、これからどうすんの?」

「まだ、何も」

「だったら、うちでやりなよ、前みたいに」

「それ、いい!」と真帆は咄嗟に声を上げて、尚樹を見た。尚樹は、どう返事をしていいのかわからないと言った表情でいたが、真帆とマスターで勝手に盛り上がり、結局、尚樹は翌週から深夜の店に立つことになった。尚樹が深夜に店に行っている間に、真帆は作詞をし、昼間は二人で世田谷の家で過ごすという生活パターンになった。それなりに満ち足りた日々が流れ、すぐに春がやってきた。真帆は、母の望みを叶えるための北海道行きの話を尚樹に伝えた。尚樹は、すぐに賛同してくれて、箕輪さんに連絡を取り、北海道の小屋を数日借りることと、母の散骨の了解を得た。北海道の家は、その後、誰も使っていないので雨風をしのぐという程度では使えるけれども、生活をするにはちょっと不便だろうと箕輪さんから言われていたので、キャンプを張るような装備を整えて行くことにした。それから母の骨の一部を骨壷から取り出して布袋に移し、機内に持ち込めるようにし、骨を粉にする作業は、北海道の家でやろうと思い箕輪さんの知人の葬儀屋さんから粉骨の道具を借りる手配をした。空港で箕輪さんに挨拶をし、粉骨の道具を受け取り、小屋へ向かった。着いたその日は簡単に小屋の掃除をし、なんとか生活できる環境を作り寝袋に入り眠った。翌日、乳鉢で母の骨を粉末になるまで砕き、風が吹く丘に向かった。粉になった母は、真帆の手からこぼれ落ち、海からの風に舞い、父と真里子に迎えられて北の大地に消えて行った。母の望んだものは、これで叶えられたのだろうか。真帆は、まだ何かやらなくてはいけないことがあるような気がしていた。

 小屋に戻り、二人で夕食の準備をした。キャンプ用の食材だったけれど、父と二人の母が近くにいると思うと家族の食卓のようにも思えてきて、真帆は満たされた気持ちだった。その家族に尚樹が加わってくれたらいいのに、と思いながら。明日、またここを離れて東京に戻る予定なのだけれど、世田谷の家に帰る必然性がどこかにあるのだろうかと、真帆は、ふと思う。そして以前、尚樹が言っていた言葉が再び思い浮かぶ。「どこに行っても、作詞家だったら仕事はできるんじゃない?東京じゃなくても」と。いま同じことを、ここで尚樹が言ったら自分はどう答えるだろうか?東京じゃなきゃだめ、と言う自分が想像できなかった。では、何を言う自分ならば想像がつくのだろうか。ずっと黙っていた尚樹が口を開く。

「こうしてまたここに来てみると、僕は風車を作りに来ていたつもりだったけれども、本当は壊すために来ていたんじゃないかって思うよ」

「どうしたの?急に」

「もし、僕じゃない他の研究者がここに送り込まれていたら、今とは全く違う景色になっていたはずだよ。その可能性は十分あった。でも、僕だった。さらに、ぼくじゃなかったら、君がここに来ることもなかったし、お父さんや真里子さんや、お母さんのことを知らないまま君は生きていくことになっていたと思う。そこには何か意味があったと思いたい」

「そうね、私が何も知らないでいたとすれば、今とはずいぶん違う人生よね」

「僕はその結果、仕事を失って君といることになった。それは、君のお父さんやお母さんが望んでいたことで、僕はその思いに導かれていたんだと思うよ。こうしてこの小屋に暮らしたり世田谷の家に居させてもらったりするとね、そういうものを感じる。家に宿る思いみたいなものなのかなぁ、うまく言えないけど」

「それで、尚樹は、どうするの?」と真帆は少し急かすような質問をしてみた。

「ここには、もう風車はないけど、僕はここでやるべきことがある気がしている。東京ではなくてね」

「私も、ちょっと似たようなことを思っていたわ。明日、世田谷の家に帰る必然性があるのかなって。それで尚樹の言葉を思い出していたの」

「何?僕の言葉って?」

「北海道に行くことになった時に、言ったでしょ、作詞の仕事はどこに行ってもできるんじゃない?って」

「真帆は、ここじゃなきゃだめだって言っていた」

「そう、今だから言うけど、あの時なんで自分がそう言ったのかよくわからなかった。本当はついていく、って言いたかったのに。でも今思うと、私は世田谷の家に住まなくてはいけなかったのかもしれないわね、それは、尚樹が言うように私も父や母に導かれていたのかも」

「もし、いま僕が同じ質問をしたら、君はなんて答える?」

「そうねぇ、ちょっとしてみて?質問を」

「わかった。作詞家の仕事は、どこにいてもできるんじゃない?」

「ここじゃなきゃだめなの」

「?、ほとんど同じ答えだよ、前と」

「でも、今度は本当にそう思っているわ。父と二人の母が眠るここで、尚樹と暮らすの」

 尚樹は少し間を置いてから

「ありがとう」と呟いた。

「違うわ、父と母の為よ」と真帆は少し意地悪に言ってみる。

「厳しいなぁ」

「嘘よ」

 小屋の外では、青い月明かりが何もない大地を照らし、強い風に白い砂埃が舞い踊っていた。







-------------------------


あとがき


今回、書き始めた時に映像として頭にあったのは

カフェの近くの住宅街にある一軒家でした。

その辺りは駅からは遠いので

自由が丘の駅前の喧騒から逃れて

夜はとてもひっそりとしています。

「ここに住んでいるのはどんな人だろうか?」

そんな妄想が書き出しのきっかけです。

女性の作詞家がそこで詞を書いている、というイメージで

書き始めたら物語が動き始めて割と長いものになりました。

カフェに来ることがあったら

どの家なのか探してみるのもいいかもしれませんね。

北海道は二十代の前半に三年ほど暮らしていたので

その時のことを思い出しながら書いていましたが

実際に風車がある景色を見たというわけではありません、

悪しからず。

楽しんでいただけたら嬉しいです。


cafeイカニカ

平井康二




# by ikanika | 2019-03-08 14:08 | Comments(0)


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