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H u m i d i t y  〜散歩記念日〜0616 (最終話)






散歩記念日



 あなたが作ったカタログをもう一度見返す。最後のページに関係者の名前が記されていて、そこにあなたの名前を見つけて、なんだか嬉しくなる。ART DIRECTOR/SHUN TAKAGAKIとある。まるで私の知らない世界の人のように思える。どんな仕事をしているのだろうか、想像してみてもわからないから今度会ったら聞いてみようと思う。その前に、もう一度、自由が丘にあるそのカタログのお店に行くことにした。あなたが関わっていると思うと、手の届かない値段の家具ばかりだけれど、親近感のようなものが湧いてくるから不思議だった。二度目だったので、お店の人は覚えていてくれて気さくに話しかけてくれた。

「こんにちは、また来てくださったのですね」と。

「この前、カタログをいただいて、やっぱり素敵だったのでまた見てみたくなって」

「ありがとうございます。お近くにお住まいですか?」

「はい、一応。歩いてこれるので」

「いいところですよね、この辺りは」

もしかして、立派な一軒家とかを想像されているのでは、と思い慌てて

「いえ、私は小さなアパートに一人暮らしで」と付け加えた。

「なので、本当に見るだけで。いつか買えたらいいなぁ、って思っていて」

「ですよね、私も無理」と店員さんのトーンが急に切り替わった。

「私もいつか買いたいと思ってます。なので、ここで働かせてもらって本当にラッキーです」

店員さんは、カタログを持ってきてダイニングテーブルのページを開き

「いつか結婚してお家を建てたらこのテーブル置きたいんです」とあのサンセベリアが乗ったテーブルを指差して言った。

「あっ、このサンセベリア、ウチの、というかウチのお店のなんです」と咄嗟に口にしていた。店員さんは、私が何を言っているのかわからないという顔をして

「えっ、何がですか? ウチのってなんですか?」と不思議そうに言う。急にそれだけを話してもそういう反応になるのは当たり前だと思い、説明し直そうとした時、二階から階段で降りてくるあなたの姿を見つけた。あなたも私に気づいて、少し驚いた表情で近づいてくる。


「どうして?」と、また私は、あの時と同じように、あなたに尋ねる。

「きみこそ、どうして?」

それを聞いていた店員さんは

「高垣さんのお知り合いなんですか?」と会話に混ざってくる。

「知り合い、そうだね、ずいぶん昔からの」と言ってあなたは私を見た。知り合いって何だろう、って思ったけれど、それ以外にどんな風に言えばいいのか私にもわからなかったので

「はい、とても長いお付き合いなんです」と言ってみた。少しだけあなたが驚いた表情になったのが、かわいいと思った。店員さんは

「付き合ってるんですか?」とちょっとだけ勘違いをしているような反応をしたので、あなたが少し慌てているのがおかしくなって笑ってしまった。

「桑木さん、ずいぶんストレートな質問するね?」

「えっ、ダメですか? いまの質問? 違うんですか?」

「まぁ、いいじゃないか、そのあたりのことは」とあなたは言葉を濁す。

「ちょうど、これ見てたんです。結婚したらこのテーブルが欲しいって」と店員の桑木さんは、サンセベリアの乗ったテーブルのページをあなたに見せる。

「このサンセベリア、鈴原さんのだよ」とあなたは言う。

「さっきも、それ、言ってましたけど、なんですか? そのサンセなんとかって?」

サンセベリアを知らないだけの話か、と思い「植物の名前です」と教えてあげた。

「撮影のとき、貸してくれたんだよ、それを」とあなたは簡単過ぎる説明をするので、桑木さんはまた不思議そうな顔になる。

「知り合いだからですか?」

私が説明してあげないと、いつまでもこの会話が終わらない。

「撮影スタジオが、偶然、私がアルバイトをしているお店の近くにあって、それでスタッフの方がそれを借りに来て、そうしたら偶然、高垣さんのお仕事だったんです」

「偶然、偶然って、そんなことってあるんですか?」

「あるんだよ、そういうの。今日も偶然だよね」とあなたは言う。

「はい、私はカタログを見ていたら、ちょっと実物を見たくなって」

「そうなんだ。僕は打ち合わせで、撮影の。もう終わったからどこかでコーヒーでも」

「そうですね、いいですね」

桑木さんは

「ほら、やっぱり付き合ってるんじゃないですかぁ」とまた会話に混ざってくる。

「そのテーブル、かなり高いよね? 僕らでも手が出ないよ、さすがに」とあなたは私を見る。「僕ら」というのは、私とあなたのことだろうかと、少し深読みしてしまう。

「高垣さんだったら、全然そんなこと」と桑木さんが言っていると二階から

「美代さん、ちょっといい?」と誰かが呼んでいる。美代さん、って誰だろう、と思っていたら、桑木さんが「ちょっと呼ばれてるので、失礼します」と二階に駆け上がって行って三人の会話がようやく終わった。


 私はあなたと店を出て、カフェを探すことにした。駅周辺のお店は、どこもゴミゴミしていてあまり好きではない。そして、どこも混んでいて待たされたりする。どうしようかと迷っているとあなたは

「ちょっと歩くけどこの前のところにしない?」と言う。なんとなく考えていることが伝わったようで嬉しい。

「そうですね、私も、もう駅前には用事はないので」


 二人で住宅街を歩いてカフェに向かう。この辺りの家はどこも立派で駐車場には外国車が何台も並んでいたりする。あなたもそんな家に住んでいるのだろうかと想像しながら歩いていた。まだ梅雨は明けていないので、雨は降ってはいなかったけれど、着ている洋服が湿度で湿っている感じがする。こんな風に住宅街を歩いていると、やはりまた、あの時を思い出してしまう。あなたもそうだろうか。私達は若かった。まだ手を繋いだこともなかった二人だった。あれからずいぶんと時間が流れて、様々なことがあって、いまこうして再びあなたと並んで歩いている。不思議だと思う。雨の季節に、こんな日がまた訪れるなんて。会えなかった日々のことはもう忘れてしまっていいように感じる。そこだけ、飛ばして再生してしまえば、物語はずっと続いているように見えるだろうから。あまり楽しいエピソードではないから、なくていい。


「今日は、なんの日かわかる?」とあなたが言う。

「なんの日って?何かの記念日?」

「記念日かぁ、そうとも言えるかもしれない」

「なんだろう?わからないけど」

「六月十六日」

「あっ、散歩の」

「そう、初めて二人で歩いた日」

「偶然?知っていたの?」

「偶然だよ、今日、きみに会えるなんて思っていなかったから」


 あの日も偶然、駅の改札で会ったのだった。学校帰りに。別々の高校で別々の方向に通っていたのに、なぜかあの日は帰りの時間が一緒になった。あなたから誘ってくれたのか、私が歩きたいと言ったのか、もう思い出せない。どちらも何も言わなかったのかもしれない。ただ不器用な感じでなんとなく歩き始めただけのような気もする。

「あの時、なんで歩いたか覚えてる?」とあなたに尋ねてみる。

「なんで?」

「そう、あなたが誘ってくれたの? あの日」

「どうだろう、誘うとかそんなことは出来なかったと思うよ、子供だったから」

「そうよね、子供だったものね、私達」

「なんとなく、別々に帰りたくなかったから一緒に歩き出したとか、そんな感じじゃなかったかな」

「手も繋がなかったしね」

「うん」

すると、あなたは私の左手を握った。ハッとしたけれど嬉しかった。久しぶりに触れるあなたの手は、こんな雨の季節なのにサラサラしていた。少しだけ強く握り返すと、あなたは私の方を見て、微笑んでくれた。照れているような表情が好きだと思った。ずっとこのまま、あてもなく歩いていたいと思った。あの日のように。





0616




 朝起きて、今日は、六月十六日だと気づく。気中から雨が浸み出すような湿気を感じる。あの日も同じだった。自由が丘で打ち合わせがあるので、赤坂の事務所には行かずに午前中は家で仕事をすることにした。今日は、きみの店は定休日だから、あそこに行ってもきみには会えない、そして定休日だとあのグリーン達の水やりはどうしているのだろうか、オーナーの年配の女性があげているのだろうかなどと、とりとめのないことを考えながらコーヒーを淹れる。ターンテーブルに「Melodies」を乗せ、針を落とす。この季節になると山下達郎のこのアルバムを取り出して聞くことにしている。ちょうど六月に発売されたこの作品には、あの「クリスマスイブ」が収録されていたりするのだけれど、僕の中では、雨の季節と結びついていて、同時にきみの記憶とも繋がっている。音楽が呼び覚ます記憶はきわめて個人的なもので、雨を歌った曲はなかったはずだから、このアルバムを聞いて雨の季節を思い出す人は、あまりいない気がする。1983年の発売日が、今日みたいな湿度の高い日だったことも僕はよく覚えているくらいなのだけれど。人気のある作品だから、きみも聞いたことはあるだろう。もし、僕との記憶に結びついていたりしたら、などと考えながら何度かリピートして聞き、午前中の雨の時間を過ごす。

 今日、打ち合わせが終わったら、きみに連絡をしてみようかと思う。六月十六日だから。もし、都合よく会えたら、またこの前のカフェに行って話をするだけでもいいと考える。



 自由が丘のインテリアショップで次回の撮影の打ち合わせを終えて、二階の打ち合わせスペースから階段を降りようとすると、きみが桑木さんと話をしていて、一瞬どきりとする。まさか二人は知り合いなのだろうかと。以前、少しだけ桑木さんと親しくしていたことがあった。自宅とこの店が近いこともあり、何度か食事をしたりお酒を飲みに行ったりという仲だったけれど、それ以上の恋愛関係につながるような雰囲気にはならずに終わった。カタログの撮影は、ずっと続けているので、いまでも時々食事をすることがあって、仲のいい友達の一人だった。


「どうして?」ときみが僕を見つけて言う。

「きみこそ、どうして?」

 その会話を桑木さんは、不思議そうに聞いている。関係を聞かれたら、どう言ったらいいのか適当な言葉が見当たらない。とりあえず、知り合い、ということになるのだろうか。二人は、僕が作ったカタログを見ていたようで、桑木さんは、きみから借りたサンセベリアが乗ったテーブルが欲しいと、言う。もし結婚したら、と。それが何か意味深に聞こえたのは、僕の考えすぎだろうか。その会話の流れで「僕らにも、高くて手が出ない」と言ったら、きみが少し驚いた顔をしたような気がした。「僕ら」という言葉がきみには意味深に聞こえたのだろうか。


 偶然にも、連絡をしようと思っていたきみに会えたので、この前のカフェまで歩いて行くことにした。たぶん、きみはゴミゴミした駅前は嫌だろうと思って、そう言ってみたら、賛成してくれた。あの日と同じ雨の季節に、住宅街を二人並んで歩く。あの時は、どうやって手を繋いだらいいのかわからないくらい子供だったと思う。それでも、一緒にいたいという思いは、いまと変わらずあった。いつくになっても、そういう思いは抱くものなのだろう。それを、恋と呼ぶか、あるいはそうではない何かということで済ますのか、その境目はいつも手探りだと思う。いま、僕の傍に歩くきみは、何を求めていて、何を幸せと思うのだろうか。僕の知らない過去があることはわかっているけれど、それらは恐らく今のきみに全て蓄積されているのだろうから、過去の一時期だけを詳細に知ったところで意味はないはずだと思う。今のきみだけを、きちんと見ることで十分だと思う。


 きみに、今日が六月十六日だと伝えて、何の日かと尋ねると、わからないと言う。でも、すぐに思い出して「散歩の日」と答えてくれて、僕は嬉しくなる。同じ記憶を忘れずに持っていてくれることが、何よりも愛おしく思う。あの時は、手を繋げなかったけれど、さすがに今ではきみの手を握ることくらいなら出来る。僕は傘を左手に持ち替えて、きみの左手を握った。その手は想像していたよりも小さく、そして冷たかった。きみは少しだけ強く握り返して僕を見る。照れ臭いけれど、こんな風に歩くことを僕はずっと求めていたように思う。あの日と同じ、この雨の季節に。あの頃と違うのは、未来を具体的に考えることが出来る年齢になったことだろうか。もう、いま握っているきみの手を離してしまうことは考えられないし、雨の季節以外にも、こうしてきみと一緒にいる記憶をいくつも積み重ねていきたいと思う。

 何日か前に、梅雨入りが宣言されたばかりだから、東京の梅雨明けはまだまだ先だろう。雨の季節が終われば、眩しい光の季節がやってくる。そうしたら、少し背伸びをしてあのダイニングテーブルの似合う部屋を探して、きみにはサンセベリアを用意してもらおう。カフェに着いたら、きみにそう告げて、新しい夏を迎える準備を始めようと決めた。





終わり。





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あとがき


二年前に書いた「六月のふたり」という短編の

続編として、この「Humidity」を書きました。

主人公のふたりが、再会出来るような話にしたいと

ずっと思っていて、ようやく実現出来てすっきりしました。

最後に出てくる「Melodies」の話は、

割と実体験に即していて、発売日は1983年6月8日で、

梅雨の真っ只中で、僕は高校生でした。

実際に、今でもこの時期によく聞いています。







# by ikanika | 2020-06-16 09:31 | Comments(0)


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