「走る君を、見ていた」連載第五回(最終話)

 夏が終わり、亮二は否応なしに受験勉強に集中する日々を送ることになった。さほど教育熱心だとは思えなかった母親達もなにかに取り憑かれたように子供達の受験に関して口うるさくなっていて、亮二の母も例外ではなく、放課後に遊ぶなんてもってのほか、息抜きに部活に参加したくてもそういうことが許される空気でもなかった。一度、由梨と帰りが一緒になった時があった。部活が終わってしまって言葉を交わすことも少なくなっていたので、どこかよそよそしくなっているのが歯がゆかったけれど、亮二はこうして由梨と話をしている時間が一番好きなんだとはっきりと思えた。心なしか元気のない由梨は、やはり亮二の進学先が気になっているようで、

「どこか決まった?」

と遠慮がちに聞いてきた。

「まだ、というより、たぶん三つくらい受けると思う。滑り止め、本命、それと、記念」

「記念?」

「そう、ほぼ受かる見込みはないけど、万が一まぐれで受かるとか、一生に一度の高校受験だから記念にものすごくいいところを受けてみる、みたいな感じ」

「なにそれ?よくわかんない」

「どこか行きたいところがあるわけじゃないから。親たちがある程度喜んでくれれば」

「そうなの?私は行きたいところあるよ。陸上が出来て、あと・・・」

「あと、なに?」

「・・・。りょうくんは、自分の為に勉強してるんじゃないの?」

「俺が良い成績を取ると、親や塾の先生が喜ぶ、喜んでくれれば俺も嬉しい。だから、自分の為でもあるよ」

「そんなの、変だよ」

「由梨は、俺が成績がいいと嬉しくない?」

「嬉しくないことないけど。でも、いまはそれでもう一緒じゃなくなることになっちゃってるから」

「じゃぁ、由梨と同じ高校にするって言ったら?」

「そんな気ないのに、言わないの」

「ないことないけど」

「うそ、無理だよ。みんな悲しむよ、お母さんとか、せっかく学年一番とかになったのに、なんで勉強しない私と同じ高校にいくの?」

「由梨が、喜んでくれれば」とは言えずに、亮二はただ黙っていることしか出来なかった。

「ねぇ、高校いったらさぁ」と亮二は、言葉を探した。

「うん」

「・・・」

「なに?」

「いや、なんでもない」と亮二は言いかけた言葉を飲み込んでいた。

「変なの」

「うん」

「じゃぁ、私、こっちだから」

「うん、じゃぁ」

「勉強頑張って、ね」

「由梨も」

「私は、いいの」

亮二は勉強した結果がいまのこれか、と現実をどう受け止めていいのか、正直考えるのが嫌だった。いつかテレビで見た外国の映画では、男が好きな女の人を奪いに結婚式場に駆け込んでいた。亮二はなぜだかそのシーンがありえないと思いつつもどうしても頭から離れないのだった。

 二学期の期末テストの最終日に、由梨が『話があるから教室で待っていて』というメモを机の中に忍ばせてきた。最終日のテストは二科目だけだったので、テストが終わっても、まだお昼前だった。みんなは、思い思いに寄り道をしたり、友達の家に遊びに行ったりと、この先待っている受験のことは棚上げして浮かれていた。ほとんどのクラスメイトが帰るのを待って由梨が、

「帰ろうっ」と声をかけてきた。

「話は?」と言うと、

「帰り道で。とりあえず一階の下駄箱で待ってて」

と言われるがままに、靴に履き替えて一階で待っていた。ちょうど、陸上部の顧問の山岡先生が通りかかって、

「おう、亮二!何やってんだ?」といつも通りの滑舌がよく、いい声で聞いてきた。

「ちょっと、由梨を待ってて」

「そうか、あいつ、決まってよかったな」

「えっ、高校ですか?」

「あれ、まだ言ってないのかお前には。ごめんごめん、聞かなかったことにしてやってくれ。なんか直接話すってこの前報告に来た時に言ってたから。じゃあな。たまには後輩の顔見に練習来いよ!」

と言って、小走りで去っていった。そういうことか、と亮二は由梨に呼び出された理由を納得した。二人で校門を出て、しばらく無言でいると、

「ねぇ」と由梨から切り出してきた。

「決まったよ、高校。西校。推薦、陸上の」

「そう、良かったじゃん」

「うん」

「じゃぁ、また陸上の日々だな」

「うん」

「俺はもう、陸上はいいや。そんなに記録伸びる気がしないし。県大会で思い知ったよ。みんな背もデカイし、全然相手にならなかった」

「そうだよね、私も。でも、推薦で行けるなら、いいかなって、勉強したくないし」

「俺も、勉強したくない」

「りょうくんは、ダメだよ、みんなの期待の星なんだから、そうなんでしょ?」

「もう滑り止めのとこでもいい気がしてる。どうせ一緒じゃないんだから」

「一緒じゃないって?」

「由梨と」

「なんでそんなこと言うの、今更。変だよ最近、全然違うよ、今までと」

と、由梨は、少し涙声になっていたみたいだったけれども、亮二は由梨の顔を見る事が出来なかったので、由梨が泣いていたのかどうかは、はっきりとはわからなかった。正直、亮二も泣きたい気分だった。どうして由梨にこんな事を言ってしまうのか、自分をコントロール出来ないでいた。

「ただ、俺は、由梨と陸上したり、教室で話したりしたことが楽しかったって、思ってるだけだよ」

二人はしばらく黙ったまま歩き続けた。

「・・・冬休みが終わって、すぐ受験でしょ?」と由梨が沈黙を破る。

「うん」

「そしたらもう勉強しなくていいんでしょ?」

「うん」

「そうなったら、また、朝練しよっ?」

「朝練?」

「そう。朝、走るの。校庭」

「去年の冬、花壇の霜柱、踏んでたの覚えてる?」

「あぁ、由梨に注意された」

「でも、私も踏んでみた、今だから言うけど。気持ち良さそうだったから」

「なんだよ、人に注意しといて」

「気持ちよかった、そしたら、なんだかその一日は、ずっと、嬉しかった」

「うん」

「そういうこと、だから、大丈夫、高校一緒じゃなくても、全然」

「よくわかんないけど」

「いいの、だから、あと一息、頑張って。応援してるから、って、なにも出来ないけど」

「ありがとう」

全然大丈夫という由梨は、本当に大丈夫なのだろうか、亮二には由梨がクラスにいない高校生活を想像することはまだ出来そうになかった。

 受験の結果は、滑り止め一校のみ受かり、本命と記念の二つは、試験の最中から全く手ごたえがなく、結果を見に行く必要もないと思える程だった。両親や亮二に過剰な期待を抱いていた塾の先生は、そんな結果に終わったことをあまり気にしている風もなく、単純に喜んでくれた。亮二としては、そんなものかという思いがあったけれども、かと言って他に行くところがあるわけではないので、もう、受験のことは忘れることにした。

 由梨との約束通り、合格発表の翌日から朝練を始めた。

「おめでとう」と由梨はそれだけ言って、トラックを走りはじめた。亮二も由梨の後について走りはじめた。由梨の口からは白い息が規則正しく吐き出され、ポニーテールに掛かるところで空に消えていく。その後ろ姿を亮二は、ぼんやりと見ながら、こうやって一緒に走る冬の朝は、あと何回あるのだろうかと、卒業までの日々を数えていた。通常の時間に登校して来たクラスメイト達は、校庭を走る亮二と由梨の姿を見つけて、なんでもう卒業なのに走っているんだと怪訝そうな眼差しを向けて校舎に入っていった。陸上部の顧問の山岡先生も、

「お前ら、何やってんだ?」

と、いつものよく通るいい声で、叫んでいた。

亮二も由梨も、そんなクラスメイト達の視線や山岡先生の声は気にせずに、ただ走ることに集中した。そうすることで、これから二人に訪れる新しい日々への答えのようなものが見えてくる気がしていたからだ。その日から卒業式まで毎日、亮二と由梨は、朝練を続けた。お互い特に何を話すでもなく、ただ黙々と白い息を吐きながら走った。

 翌日に卒業式という朝、走り終わって更衣室に向かおうとすると、由梨が

「ちょっと待って。お願いがあるの」

と、小さな声で言った。亮二は振り向いて、由梨を見ると、俯いたまま、

「ボタン、先にちょうだい」とさらに小さな声で言った。

「ボタン?」

と、亮二は由梨が何を言っているのか理解出来なくて、聞き返してしまった。

「だから、第二ボタン」

「あっ、ボタンね、第二」

と亮二は馬鹿みたいに繰り返していた。

「明日になったら、だれか他の人に取られちゃうかもしれないから、今日、ちょうだい」

と、由梨は今度は亮二の目を見ながら言った。

「わかった。あとで、渡す。必ず」

と、亮二も由梨の目を見つめ、答えた。いつになく真剣な表情の由梨の眼差しに亮二は、もう明日で最後なんだという現実を否が応でも認識されられたのだった。

 卒業式当日は、あっけなく終わっていった。意中の男子の第二ボタンの争奪戦が繰り広げられ、そういうこととは無縁の輩たちは、いつまでも別れを惜しみ校庭のあちこちで、たむろしたり、子供みたいに追いかけっこのようなことをして時間をやり過ごしていた。さすがに先生達もすぐに帰れとは言い出せずにいつまでも見守るしかない様子だった。亮二は、由梨の予測通り、後輩を含む複数の女子からボタンをねだられ、第二でなくてもいいから、と結局全部のボタンを取られて情けない格好で帰ることになった。早々になくなっていた第二ボタンが、誰の元にいったのかということは、暗黙の了解で誰にも追求されなかったけれども、亮二と由梨がこの日、会話を交わしていないことに、多くのクラスメイトはなんとなく不自然さを感じていた。二人は、毎日の朝練を続けたことで、もう卒業式当日にあえて何かを伝えることはないとお互い感じていて、周囲が怪訝そうな顔をするくらい距離を置いていたのだった。それでも、帰り際に亮二と目の会った由梨は、全てのボタンがなくなった学ランを着ている姿を見て、

「ボタンもらっといてよかった」

と呟き、いつものように小さく笑った。それを側で聞いていた八百屋の田中は、

「いいなぁ、お前らは」

と、いままでなら大袈裟に冷やかしてきたはずなに、この時はやけに大人びた口調でそう言った。その感じが亮二には、もう何かが終わってしまったのだということを告げているように聞こえた。


(終わり)



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


この話は、今から10年くらい前に、途中まで書いてそのままにしていたもので、

まだカフェを始めていない時のものです。

終わりをどうしようかと考え始めたら、書けなくなってしまい、ずっと放置していました。

『季節のリレー』を書いている途中で、主人公がリンクしてきて、

止まっていた物語を『季節のリレー』と並行して、

また途中から書き出しました。

中学校時代に自分が本当にこんなことを考えていたのかは

もう随分と昔のことなので記憶が曖昧ですが、

当時は自分の気持ちや想いをきちんと言葉にする術を知らなかっただけで、

今振り返ればこういうことだったのかもしれない、という感じでしょうか。


次に掲載する話は、

『季節のリレー』の最後で、タダユキが書き始めた物語です。

「揺らぐポートレイト」というタイトルです。

カフェという舞台は離れて、再三登場する、“プールに浮かぶ”話を

軸に話が進んでいきます。

順次、アップしていきますので、また、お付き合いください。


cafeイカニカ

平井康二










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# by ikanika | 2017-08-18 16:03 | Comments(0)


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